22.持ちつ持たれつ

 その日の夜。仕事を終えて後宮の自室に戻ったエリーシアは、いつも通り隣接するシェリルの部屋に出向いて食事を食べ始めた。

 その合間に日中の出来事を話題に出すのが常であったが、苦々しげにエリーシアが口にした内容に、シェリルが軽く目を見開く。


「縁談の申込み……。エリー、因みに幾つ話がきたの?」

「二十八」

 ボソッと不機嫌そうに短く答えたエリーシアの様子を見て、シェリルは勿論給仕をしていた彼女の侍女達も溜め息を漏らした。


「……凄いわね」

「皆さん、必死ですねぇ……。ただでさえエリーシアさんは美人ですし」

「それに加えて、肩書きと財産と有力な後見がかかってるとなると、砂糖に群がる蟻の如く群がってきますね」

 それらの感想を耳にしたエリーシアが、思わず怒りに任せて拳でテーブルを叩く。


「一々目を通すのも面倒臭いって言うのに、それ全部に相手を怒らせない様なお断りの手紙を書けって、一体何の拷問よ!?」

「エリー、落ち着いて! ファルス公爵は嫌がらせとかで、エリーに言いつけたわけじゃ無いんだから」

 食器がガチャンと耳障りな音を立てた為、シェリルは慌てて宥めたが、第三者の立場であるソフィアとリリスは小声で囁き合った。


「全員もれなくお断り前提なんですね……」

「エリーシアさんらしいですけど」

 そんな彼女達の視線の先で、エリーシアが頭を抱えて呻く。

「だけど現実問題として、一体どんな風に書けば良いのやら……。全然見当が付かないわ」

 それに尤もだと言うように、ソフィアとリリスが頷いた。


「確かにエリーシアさんは、これまで貴族間での社交辞令的な文書とかを書いた事は無いでしょうね」

「慣れない方だと、色々面倒ですよね。時候に合わせた挨拶文とか、用いたら拙い言葉とか言い回しがありますし」

「やっぱりそうなの?」

 思わず顔を上げて問い掛けたエリーシアに、侍女二人が再度頷く。


「そうなんです」

「それでシェリル様も、今現在、悪戦苦闘されている最中で」

「……本当?」

 エリーシアが顔を向けると、シェリルは若干暗い顔で肯定した。


「……うん。ジェリドと結婚したら次期公爵夫人として、招待状とかお礼状とか、使用人に色々指示しないといけないからって、王妃様から連日の様に課題を出されてて」

「そんな苦労をしてたのね。知らなかったわ。やっぱり私には無理……」

 そう言ってがっくりと項垂れたエリーシアに、周りから同情する眼差しが向けられたが、ここで何を思ったのかソフィアが彼女に声をかけた。


「エリーシアさん。ちょっとその手紙の現物を見せて頂けますか?」

「え? ええ。構わないけど……」

「ちょうどお食事も終わりましたし、隣の居間に移動しながら、そこで見せて貰いたいんです」

「構わないわ。ちょっと待ってて」

 何事かと思いつつエリーシアは席を立って部屋を出て行った。そして彼女が手紙の入った箱を手にして戻ってくるまでの間に、ソフィアとリリスは使用済みの食器をワゴンに纏め、居間に移動して食後のお茶の支度を始める。


「お待たせ。これなんだけど」

「拝見します」

 そして箱を開け、一番上の手紙を開封し、中身に目を走らせたソフィアは、納得した様に頷いた。

「はぁ……、こんな物でしょうね」

 そして次にシェリルに向き直り、了解を求める。


「姫様、少し紙とペンを使わせて頂きたいのですが」

「ええ。構わないわよ?」

「失礼します」

 そして壁際の机に置かれていた筆記用具を取り上げたソフィアは、サラサラと何事かを書き出した。そして少ししてから書き終えたらしい紙を、エリーシアに向かって差し出す。


「エリーシアさん。参考までに、こんな感じでお返事を書いてみたらどうでしょうか?」

「え?」

 そんな事を言われたエリーシアは驚いて手元の紙に視線を落とす。そして彼女の両側から、シェリルとリリスもそれを覗き込んだ。


「うわ、ソフィアって字が綺麗! 私、全然知らなかったわ」

「貰った手紙がこっちですよね。う~ん、さり気なくこちらに書いてある内容を組み込んで書いてある辺り、『きちんと頂いたお手紙には目を通しましたよ』ってアピールしてますし」

「それに、相手を過剰にならない程度に持ち上げる書き方もさすがだわ。やっぱりソフィアは働いてるけど、元々はれっきとした貴族のお嬢様なのよね」

「お断り加減も絶妙ですねえ」

 左右で感嘆の言葉を口にしている二人とは対照的に、エリーシアは無言でそれを凝視していた。そんな彼女を励ます様に、ソフィアが声をかける。


「エリーシアさん、慣れないうちは大変だと思いますけど、書いているうちに感じが掴めてくると思いますから、頑張って下さい」

「ソフィアさんっ!!」

「は、はいっ! 何ですか!?」

 いきなり立ち上がって自分の手を握ってきたエリーシアに、ソフィアは驚きながらも応えた。するとエリーシアが真剣極まりない顔付きで彼女に迫る。


「お願い! 一通につき、三エルス払うわ!!」

 そのエリーシアの叫びに、他の者は瞬時に顔色を変えた。

「…………え?」

「エリー? それってまさか……」

「エリーシアさん! 幾ら何でも拙いですよ! 求婚の申し込みの返書を代筆だなんて! 王妃様や母さんにバレたら、大目玉確実ですよ!?」

 思わず声を荒げたリリスだったが、エリーシアは負けじと言い返す。


「これ位、目を瞑ってよ! どうしても人には向き不向きって物があるんだから!」

「エリーシアさん……」

「ソフィアさん! お願い!」

 そして必死の顔付きのエリーシアに向かって、ソフィアは溜め息を吐いてから静かに口を開いた。


「一通につき、五エルス払っていただければ、一週間以内に全部の申し込みにお断りの手紙を返送します」

「え?」

「ソフィアさん……」

「ありがとう! 頼りにしてるわ!」

 シェリルとリリスが顔を引き攣らせる中、エリーシアは嬉々として礼を述べた。するとソフィアは力強く頷いてみせた。


「お任せ下さい。エリーシアさんとファルス公爵家のお名前には傷一つ付けず、円満にお断りしてみせます」

 そしてそこでエリーシア一度手を放し、大きく腕を開いてソフィアに抱き付く。


「心の友っ……」

「交渉成立ですわね」

 互いに満足そうな表情で抱き合う二人を眺めながら、シェリルとリリスは微妙な表情で囁き合う。


「……良いの?」

「駄目に決まってるじゃないですか。でもエリーシアさんに言っても聞く耳持たないでしょうし、ソフィアさんは実家の借金返済に血道を上げていますから」

「ミレーヌ様とカリンさんには内緒ね……」

「それ位の協力はしましょうか」

 そんな二人から生温かい視線を受けながら、エリーシアとソフィアの裏取引が成立したのだった。



「おっはようございま~す!」

「……おう」

「おはよう、エリー」

「随分ご機嫌だな」

「例の求婚の返事、全部書き終わったのか?」

 前日までの気鬱っぷりとは雲泥の差であるエリーシアの登場に、同僚達は怪訝な顔を向けた。すると彼女はその疑問に、すこぶる上機嫌に答える。


「あ、それ、ソフィアさんに一通につき五エルスで、代筆をお願いしちゃいました! これで万事解決です!」

 そんな事を清々しく宣言され、周囲の者達は揃って困惑した顔になる。


「……おい、エリー」

「だってソフィアさんって綺麗な文字が書けるし、洗練されて非の打ち所の無い文章をいとも簡単に考え付くし、私なんかの汚い文字の拙い無礼な文章で返事を出すよりは、貰う方だって嬉しいんじゃありません?」

「それはそうかもしれんが……」

「そのソフィアさんって、確かシェリル殿下付きの侍女だろう? 本来の業務以外の仕事を押し付けるなんて、幾ら何でも迷惑だろうが」

 エリーシアの苦言役を自任しているサイラスが早速突っ込みを入れたが、彼女は堂々と言い返した。


「だって私が『一通当たり三エルス出す』って言ったら、『一通当たり五エルス出して頂けたら、一週間以内にお返事を出します』って自分から申し出てくれたんだもの。構わないでしょう?」

 それを聞いたサイラスは、はっきりと顔を引き攣らせた。


「因みに……、その手の類の物は、何通届いてるんだ?」

「二十八通よ」

 そこで素早く頭の中で計算したサイラスは、低い声で確認を入れた。


「……おい。お前と俺の俸給は殆ど同じだよな?」

「そうよね。年も、ここに入った時期も殆ど変わらないし。それが?」

「一通当たり五エルスだと、全部に返事を書いて貰うと、一ヶ月分の俸給の半分以上が吹っ飛ぶ計算なんだが?」

「それが何だってのよ! それで心の平穏が買えるなら、安いものよ!」

 微塵も躊躇いなく言い切ったエリーシアに、サイラスは反論を飲み込んだ。


「何に重きを置くかは、個人の自由だがな……」

 するとエリーシアは話は済んだとばかりに、勢い良く机の上の資料を取り上げつつ、今日の仕事の相棒である先輩の腕を掴んだ。


「さあ、懸案事項が片付きましたから、頑張って仕事しますよ! カーナルドさん、今日は外壁照明術式の点検と補修ですよね? さあ、行きましょう! どんどん行きましょう!」

「え? あ? エ、エリー!? ちょっと待て!」

 そして大の男を引きずる様にしてエリーシアが扉の向こうに姿を消すと、室内には誰からともなく溜め息が漏れた。


「……よっぽど安心したんだなぁ」

「完全復活ですねぇ」

「その……、返事を丸投げする相手が見つかったのなら、一通や二通増えても、エリーは気にしないよな?」

「気にしないって、どういう事で……」

 誰かが意味不明な事を呟いた為、サイラスが声のした方を振り返ると、同僚の一人がどこからともなく取り出した封書の束を、エリーシアの机に置く所だった。


「ナシオさん?」

「いや、その……、どうしても断りきれない付き合いと言う物があってだな」

 もの凄く気まずそうに弁解するナシオに、サイラスは相手を宥める様に頷く。


「そういえば元々、貴族階級の者ほど魔力の潜在能力は高かったですからね。魔術師として大成するかどうかは別として。皆さん、親戚筋から頼まれたりしてるんですね?」

「サイラスの様に元は外国人とか、前魔術師長のアーデン殿の様に、生粋の平民出身者の方が珍しいからな。皆、遠慮するな。頼まれた物は全部、エリーシアの机の上に出せ」

 断り切れない筋から頼まれたものの、エリーシアが気の毒になって出しそびれていた物を抱えていた面々は、ガルストの指示に皆救われた表情になって、それを次々と机の上に重ねた。それを冷静に眺めたサイラスが、一言感想を述べる。


「あいつ……、ひと月分の俸給を捨てても、後悔しないんだろうな……」

 そしてエリーシアの日常に、一見平穏が戻ってきたのだった。

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