21.宴の後で

 波乱含みの夜会が無事に終了して数日。エリーシアはここ暫くの懸案事項が解決し、清々しい気持ちで毎日を過ごしていた。


「はぁ~、今日も朝からなんて素敵な青空かしら。さあ、今日も一日、頑張って仕事するわよ!」

 住居である後宮から職場へ向かう為、すれ違う者達に笑顔を振りまきつつ執務棟の回廊を通り抜けようとしていると、出勤して来た義父であるアルテスと、ばったり鉢合わせした。


「勤勉で結構な事だな。グラード伯爵」

 勤務中は努めて個人的な事柄を排除しているアルテスは、回廊を歩きながら仕事への意欲を叫んでいた娘に対し、苦笑しながらその肩書きで呼びかけた。

「お、おはようございます! ファルス公爵」

 慌ててエリーシアも『お父様』ではなく『ファルス公爵』に挨拶を返すと、アルテスは満足そうに頷いてから嬉しそうに述べる。


「ここで会えて、ちょうど良かった。後で誰かに言付け様と思っていた」

「……何を、でしょうか?」

 思わず既視感を覚えたエリーシアが一瞬考え込み、つい先日、同様に声をかけられた時の後の事を思い出して、慎重に尋ね返した。


(ええと、次に公爵邸に出向くのは三日後の筈だし、取り急ぎ準備しなければならない事とかは無い筈だけど……)

 しかし残念な事に、彼女の嫌な予感は的中した。


「実は夜会直後から、君との縁談が次々と我が家に舞い込んでいる」

「はい?」

 聞いた内容が頭の中をすり抜けていったエリーシアが間抜けな声を上げたが、アルテスは彼女の戸惑いを完全に無視して話を続けた。


「片端から突っぱねる訳にもいかないし、一通り君に中身を確認して貰う必要があると思ったから、申し込みの際の相手からの魔術像や身上書、結婚申し込みの文書などその他諸々を纏めて持参したから、目を通してくれ」

 そう言いながらアルテスが小脇に抱えてきた箱を差し出してきた為、反射的に受け取りながらもエリーシアは盛大に顔を引き攣らせた。


「……この箱の中、全部、ですか?」

「ああ。そして内容を判断した上で、求婚を受けたい相手に関しては、私に連絡してくれれば良い。それ以外の連中には、全員断りの手紙を出してくれ」

「お断りって……」

 事も無げに言われた内容を聞いてエリーシアが絶句する。しかしそんな彼女に、アルテスが駄目押ししてきた。


「ああ、一応注意はしておくが、相手は仮にも貴族だから下手に相手のプライドを損ねず、あくまで控え目に、しかしきちんとお断りする意図が伝わる様な文章にしないと後々困るから、そこの所はくれぐれも考慮して欲しい。それでは宜しく頼む」

「宜しくって……、あ、あの! ファルス公爵!?」

 言うだけ言ってエリーシアがやって来た方向に足を進めたアルテスは、何歩か進んだ所で歩みを止めて振り返った。


「ああ、うっかりして忘れるところだった」

「……何ですか?」

 もはや嫌な予感しか感じなかったエリーシアだったが、アルテスは彼女の所まで戻るまでに上着のポケットから折り畳んだ紙を取り出し、それをエリーシアが両手で抱えている箱の上に乗せた。


「縁談もそうだが、色々な家から君に午餐会や茶会、夜会の招待状が来ていてな。君の休みに合わせて、出席する物を厳選しておいた。そのスケジュール表がこれだ」

「……え?」

 愕然として再び固まったエリーシアに、アルテスが穏やかに微笑んでみせる。


「安心してくれ。魔術でドレスを装飾するのは早速正式に禁止されたから、出向いた先でそれを披露しろなどと強要される事はあるまい。ドレスやアクセサリーはフレイアが万事整えているしな」

「いえ、あの、そうではなくて!」

「それでは今日も一日、頑張って仕事をしてくれ」

「ファルス公爵!?」

 告げるべき内容を全て言い終えると、アルテスは時間を無駄にする事なく、執務棟の奥に向かって足早に歩き去って行った。


「……嘘」

 そしてその場に取り残されたエリーシアは、暫くその場に立ち尽くしてから気を取り直し、重い足を引きずる様にして魔術師棟へと向かった。



「おはようございます」

 その日、出勤したサイラスを、入口近くで固まっていた同僚達が捕まえ、室内のある一点を指差した。


「サイラス。あれを見ろ」

 その指差した先に、自分の机の上に何かを置き、それの上に突っ伏しているエリーシアの姿を認めたサイラスは、怪訝な顔で周囲に尋ねた。

「何ですか? エリーの奴が何か……」

「色々な意味で、お前に任せた」

 真顔で肩を叩かれてしまったサイラスが、益々困惑した顔付きになる。


「は? ですから今度は何ですか?」

「それが分からないから、お前に頼んでるんだよ!」

「……分かりました」

 強い口調で言い切られたサイラスは、最年少かつ一番の新参者としては抵抗できず、他の者が遠巻きにする中、エリーシアに近寄って声をかけた。


「よう、エリー。お前は朝から何をどんよりと暗くなってるんだ? 夜会が無事終了してから、毎日機嫌が良かったってのに」

 するとエリーシアが顔を上げないまま、くぐもった声で独り言めいた内容を口にする。

「ふ、ふふ……、輝く月が、星がどうした。咲き誇る花なんて、後は枯れるだけだろうが、喧嘩打ってんのか低脳野郎。それに類い希なる知性の輝きって、そんな物見えるのか? 食えるのか? あぁぁん?」

「……何をやさぐれてる。俺の隣の机で、わけの分からん悪態を吐くのは止めろ。業務妨害だ」

 心底嫌そうにサイラスがそう言ったところで、出勤してきた魔術師長のクラウスが、一ヶ所に集まっている部下達を見て訝しげに声をかけた。


「おい、皆。どうして席に着かないんだ? これから定例の通達事項の報告をするが」

「ええと……」

「それがですね」

「クラウスおじさんっ!!」

 するとクラウスの声が室内に響いた途端、エリーシアが勢い良く立ち上がり、周りの先輩達を突き飛ばす勢いで彼の元に駆け寄った。いつもなら年長者を立て、勤務中は昔からの知り合いでもきちんと「魔術師長」と自分に呼びかけている彼女の異常な行動に、クラウスが目を丸くする。


「一体どうしたんだ、エリー?」

「お願いです! 私、向こう二ヶ月休暇は要りません! 馬車馬の如く……、いいえ、それ以上に働いてみせます! ですから休暇は他の方に振り分けて下さい!」

 如何にも切羽詰まった表情での申し出に、クラウスは勿論、他の者達も呆気に取られた。


「はあ?」

「エリーシア。そんな事、規程上でも無理だろう?」

「『休みをくれ』というならまだしも、休みを返上するってどういう事だ?」

「二ヶ月休み無しって、普通じゃないぞ?」

「普通じゃなくても、私にとっては切実な問題なんです!」

 鬼気迫る顔付きでそう訴えたエリーシアに、クラウスが如何にも申し訳無さそうに告げる。


「あのな? エリーシア」

「はい」

「…………すまん。内務大臣から、お前が出席予定の行事リストを渡されているんだ」

「え?」

 ピキッと固まったエリーシアから視線を逸らしつつ、クラウスが説明を続けた。


「だからくれぐれも、それに出席するのに支障が無いように、きちんと休暇は取得させる様に言われていて……」

「おじさんっ……」

 思わず涙目になってクラウスに取り縋ったエリーシアだったが、クラウスは殆ど棒読み調子で続ける。


「それに加えて、色々他にする事もあるので、今後二ヶ月程は休みを多目に組み込んで欲しいとの申し出が」

「なんですかそれはっ! 断固として拒否して下さいよ、そんな要求!! 他の人が普通に仕事をしてるのに、気まずくなるじゃありませんか!」

「それが……、ファルス公爵に『次年度の王宮専属魔術師団の予算が、削減される事になるかもしれませんな』と呟かれて……」

「ちょっと待って下さい。あの人は内務大臣ですよ? 財務大臣じゃ無いのに、予算をどうこうできる権限なんかありませんよね?」

 あまりと言えばあまりの内容に、エリーシアは唖然としながらも反論したが、そこでガルストを初めとするクラウスの部下達が、口々に王宮内の裏事情を囁き始めた。


「そう言えば……、何か財務大臣って、最近内務大臣の腰巾着って言われてるよな?」

「確かに。それに何だか財務大臣の顔色が最近とみに悪い上、挙動不審って話だし」

「なんでも噂では、内務大臣に何か弱みを掴まれて、生殺与奪の権を握られてるらしいんだが」

「それにファルス公爵って、宰相とがっちり手を組んで、無能な官僚の人員整理に大鉈ふるって、新人登用を進めているしな」

「今の王宮内で、ファルス公爵に真っ向から立ち向かおうって気概のある人間って居るのか?」

「そういう事だ。諦めろ、エリー」

「そんな……」

 サイラスがエリーシアの肩を叩きつつ、彼女に引導を渡すと、エリーシアはその場に崩れ落ちて床にうずくまった。


「あんまりよ……。あの夜会が済んだら、また平穏無事な生活が戻ってくると信じてたのに……」

「取り敢えず、お前がズルをして休みをねじ込んでるなんて思う奴は、この中には居ないから気にするな」

「それにファルス公爵も『取り敢えず外せない付き合いがある家からの招待だけに厳選したので、この二ヶ月以降はこの様な無理なお願いはしませんから』って言っていたしな。頑張れ」

「……分かりました」

 ガルストとクラウスに二人がかりで宥められたエリーシアは、なんとか気を取り直して立ち上がり、同僚達から同情の視線を集めながら、仕事に取りかかったのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る