2.動揺

「それでは、これからはあなたの事を、エリーシアと呼んで良いかしら? 義理とはいえ、親子になるのですし」

 そう優しく微笑まれたエリーシアは何となく照れくさくなり、僅かに動揺しながら頷いた。


「あ、は、はい! 勿論。お好きにどうぞ。え、ええと……。お母さん」

「うふふ、嬉しいわ。以前から、エリーシアみたいな可愛い娘が欲しかったの」

 そう言って嬉しそうに微笑むフレイアの姿に、エリーシアは今はもう記憶も定かでは無い、実の母の事を脳裏に思い浮かべた。


(お母さん、か……。なんだか懐かしい響きだわ。もう顔も覚えていないけど、確かに私にも居たのよね)

 そんな感傷に浸っているエリーシアに、フレイアが再度話しかけた。


「それで、今日エリーシアに会いに来たのは、我が家の屋敷内にあなたの部屋を準備するために、幾つか確認したい事があったからなの」

「え? 私の部屋? どうしてですか?」

 意味が分からず、軽く目を見張ったエリーシアだったが、対するフレイアも怪訝な顔で話を続ける。


「どうしてと言われても……。私達夫婦の娘になるのだから、当然屋敷内に部屋や衣類を準備しておかないといけないけれど、あなたの趣味とかけ離れた物を揃えておいても嫌だし、困るでしょう?」

「…………はあ」

 エリーシアが(言われてみればそうかも)と何となく納得したものの、全く予想外の事を言われた事で戸惑っていると、ミレーヌが苦笑しながら会話に入ってきた。


「フレイア。エリーシアは後宮の部屋を出る事は、頭に無かったみたいですね」

「そうですね……。よくよく考えてみましたら、エリーシアが後宮に住居を移してから、一年も経っていないですし。職場も王宮内ですから、仕事をするにもこちらが便利ですね」

(そうですよ! いきなり公爵様のお屋敷で生活するなんて、どう考えても無理ですから! 心の準備ってものが!)

 真顔で考え込んだフレイアに、エリーシアは心の中で盛大に訴えた。彼女の表情からそれを察したのか、ミレーヌがさり気なく穏当な意見を口にする。


「それなら当面、仕事のある日はこれまで通り、後宮の彼女の部屋で暮らして貰う事にして、公休日には王都内のファルス公爵家の屋敷で生活をすれば良いのでは?」

 その提案に、フレイアが顔付きを明るくする。


「そうですわね、そうしましょう! それでは頑張って、屋敷内の支度を整えさせます」

「それでは、その様に宜しくお願いします」

「はい、お任せ下さい」

(ミレーヌ様……、今すぐ公爵家で生活しなくてすみましたが、やっぱり定期的に顔は出さないといけないんですね……)

 これ位は妥協しないと駄目だろうとエリーシアが自分自身に言い聞かせていると、フレイアが笑顔で告げてきた。


「それでは、エリーシアにお願いがあるのだけど」

「はい、何ですか?」

「これから後宮内にある、あなたのお部屋を見せて貰えないかしら?」

「どっ、どうしてですかっ!?」

 予想外の申し出に、エリーシアが明らかに狼狽しながら問い返した。それを見たミレーヌは無言で眉を顰めたが、フレイアは全く気にせず、にこやかにその理由を説明する。


「あなた用の部屋の内装や、揃える家具の参考にしようと思って。慣れた部屋と似た感じの部屋なら、落ち着くでしょう?」

 全く他意も悪気も無いフレイアの申し出だったが、今朝出て来た時の自室の状態を思い返したエリーシアの顔から、一気に血の気が引いた。


(げ!? 昨夜、寝ながら読んだ本が床に何冊か転がってる筈だし、今朝寝坊しちゃったから、脱ぎ捨てた夜着がベッドの上か、その周りに……。それに昨日つまんだ焼き菓子が、サイドテーブルに置きっぱなしなんじゃ……。その他にも、窓際の枯れた植木鉢とか、煎じる途中で放置して乾き切った小鍋とか。こんな上品な女性に、あの部屋の惨状を見せられないわ!)

 冷や汗を流しながらそんな事を考えたエリーシアは、力一杯叫んだ。


「あああああのっ! 参考にしなくて結構ですから!」

「あら? どうして?」

 不思議そうに尋ね返したフレイアに、エリーシアは尤もらしい事を口にする。


「そのっ! ここの部屋に入った時、必要な物は全部揃っていましたし、特に不満を感じていなかったので、特に自分で揃えたり注文を付けたりという事は無かったんです。第一、もともと殺風景な丸太を組み上げて作った小屋暮らしだったので、内装などに関する造詣は、全くありませんから。却ってお母さんの趣味で揃えてくれた方が、上品かつ居心地良く整うかと思いますので!」

 息切れしそうな位に勢い込んで訴えると、フレイアは少し考え込んでから話を纏めた。


「それなら……、華美ではなく、落ち着いた雰囲気で纏めれば良いかしら?」

「はい、それはもう! 貧相でない質素さで、元々あるもので揃えて頂ければ!」

「分かりました。早速『お母さん』と呼んで貰えて嬉しいわ。それでは私の判断で準備させておきますね。それではミレーヌ様。そろそろ失礼させていただきます」

「ええ、ご苦労様でした。今後とも宜しくお願いします」

 ミレーヌに断りを入れてから立ち上がったフレイアは、笑顔でエリーシアに声をかけた。


「それではエリーシア。我が家に来てくれる日を、楽しみにしていますね?」

「はい。今度の公休日には、お邪魔させていただきます」

 顔に笑顔を貼り付けてフレイアを見送ったエリーシアだったが、二人になってからミレーヌに声をかけられた。


「エリーシア?」

「はい、何でしょう、王妃様」

「今現在、あなたの部屋は、フレイアには見せられない状態なのですか?」

 一見優雅に微笑みつつも、全く目が笑っていないミレーヌの静かな追及に、エリーシアは若干視線を逸らしながら応じた。


「少し、差し障りがありまして」

 それを聞いたミレーヌは、困り顔で溜め息を吐いてから、静かに言い聞かせる。


「常日頃、整理整頓を心掛けましょうね?」

「……肝に銘じておきます」

(笑顔が怖いです、ミレーヌ様……)

 神妙に頭を下げてその場を後にしたエリーシアは、疲労感を漂わせながらよろよろと職場に戻った。


「戻りました……」

「何だ、今日は割と早かったな……、って、おいエリー、どうした?」

 戻るなり、挨拶もそこそこに自分の机に突っ伏したエリーシアに、隣の席のサイラスは勿論、その場に居合わせた者達は何事かと心配そうな顔を向けたが、彼女は顔を伏せたまま短く答えた。


「生活態度……、本気で改める事にするわ」

「……そうか。何が有ったのかは聞かないが、何よりだな」

 思わずサイラスを含む周囲の者達が生温かい視線を向ける中、彼女の気分が浮上するまでには、若干の時間を必要とした。

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