第2章 魔術師兼女伯爵兼公爵令嬢な日々

1.二公爵家の因縁

「……まあ、あれだわね。そう言う事よ」

 れっきとした仕事中、隣の机で資料を見ながら書類を作成していた同僚が唐突に呟いた為、サイラスは顔を顰めながら問いかけた。


「いきなり何を言い出すんだ、お前は」

 呆れを含んだその声に、どうやら無意識に声に出していたらしいエリーシアは、彼に顔を向けて何度か瞬きしてから、真顔で告げる。


「一昨日、王妃様経由でファルス公爵家との養子縁組手続きの書類が回って来たから、記入して返却したけど、伯爵なんかになった時と同様、何て事ないわねって事」

「……そうだと良いがな」

 そこで表情を消してわざとらしく顔を逸らしたサイラスに、エリーシアは不満そうな顔付きになる。


「何よ。不吉な言い方は止めてくれる?」

「俺はお前の呟きに反応しただけだ。どうでも良い事なら口に出さずに、さっさと王都城壁の防御術式補修計画を立案しろ」

「分かってるわよ。一々、五月蠅いわね」

 そんな事をぶつぶつと小声で言い合っていると、隣室へと繋がるドアが開き、顔を出した先輩魔術師がエリーシアに呼びかけた。


「エリー、王妃様からの呼び出しだ。至急、後宮に出向いてくれ」

「……分かりました」

(最近、こんなのばっかりなんですけど……)

 そんな愚痴を飲み込みつつ立ち上がったエリーシアに、心底同情する目つきで見上げてきたサイラスが声をかける。


「その続きはやっておく。こっちの仕事は一段落ついたし」

「お願い。帰ったら引き継ぐわ」

 色々口煩くとも、結構まめな同僚にこの時は素直に感謝しつつ、エリーシアは後宮へと向かった。


「王妃様、お呼びだと伺いましたが」

「ええ、度々仕事中に呼び出して、申し訳無いわね。あなたに紹介したい人が、こちらにいらしたものだから」

「それはお気遣いなく」

(ええと……、この方、どちら様?)

 出向いたミレーヌの私室で、彼女の横に座っている見覚えの無い女性に、エリーシアは内心考え込んだ。その戸惑いは想定内だったらしいミレーヌが、幾分年下に見える傍らの女性に、穏やかに声をかける。


「フレイア、こちらが今回お願いする事になった、エリーシア・グラードです。エリーシア、こちらの女性は、ファルス公爵夫人のフレイアです。この度、正式にファルス公爵家とあなたの養子縁組が整ったので、挨拶に出向いて下さったの」

「そうでしたか。初めまして、エリーシア・グラードです。わざわざ王宮まで足を運んで頂いて、ありがとうございます。本来ならこちらから挨拶に出向くべきところを、申し訳ありません」

 説明を受けた彼女が挨拶の言葉を述べて深々と頭を下げると、目の前の焦げ茶色の髪の女性は、優しげな笑みを浮かべた。


「フレイア・ミージェス・ファルスです。そんなに畏まらないで、エリーシア。王妃様から、あなたがルーバンス公爵家に難癖を付けられそうだと相談を受けたら、放っておくわけにいきませんもの。ルーバンス公爵家には、ちょっとした因縁がありますし」

 そこでフレイアが何かを思い出した様に小さく笑い、ミレーヌまで苦笑の表情になった為、エリーシアは好奇心をそそられてしまう。


「どんな因縁があるんですか?」

 するとフレイアは笑いを収め、しみじみとした口調で語り出した。


「実は結婚前、私と現ルーバンス公爵との縁談が持ち上がったの。それ以前から主人と婚約していたのに、父が『アルメラ殿が産んだラウール殿下が行方不明になられて以来、ファルス公爵家は表舞台に出てこない。あんな落ち目の家との縁談なんて無かった事にする』と言い出して、当時はまだ当主だった先代ルーバンス公爵と、私の父のエスタディン侯爵が話を纏めてしまったのよ」

「シェリルが産まれて少し後の話ですね。でもフレイアさんのお父さんも、先代ルーバンス公爵とやらも随分酷いですね」

 些か腹を立てながら遠慮の無い事を口にすると、フレイアが溜め息を吐いて続ける。


「それ以上に、当時の主人の煮え切らない態度に腹が立ちましたけどね。『れっきとした婚約者の自分が居るのに失礼だと、抗議してください』と私が言っても、『確かに我が家の権勢は下り坂だから、君はルーバンス公爵家のロナルド殿と結婚した方が幸せになれる』とか真顔で言いましたから」

「ちょっと、それは無いんじゃありません!?」

(ファルス公爵って王宮内では切れ者って評判高いし、この前会った時もなかなかの迫力だったけど、実は相当意気地無しの甲斐性無し野郎なわけ!?)

 ここで完全に腹を立て、思わず声を荒げてしまったエリーシアだったが、続けてフレイアが茶目っ気たっぷり言ってのけた内容を聞いて、怒気を削がれた。


「それで私、完全に頭にきて、後宮に押しかけて宣言してしまったの。『ルーバンス公爵家のロナルド殿と結婚する位なら、陛下の側妃になります! 私、自分の人生を無駄な物にするつもりはありませんの。この国で陛下以上に権勢のある方なんていませんから、お父様だって文句はありませんでしょう!?』って、王妃様主催の後宮でのお茶会の真っ最中で、主催者のミレーヌ様は勿論、側妃であるレイナ様や上級貴族のご婦人方が勢揃いしている場面で」

 フレイアがにこにこと微笑む横で、当時の事を思い出したらしいミレーヌが、笑いを堪える為か片手で軽く口を押さえながら壁の方に顔を向ける。それを見たエリーシアは、自分の顔が僅かに引き攣っているのを自覚しながら、慎重に尋ねてみた。


「……そんな事をして、大騒ぎになったりしなかったんですか?」

「表面上はおとなしやかな方々ばかりだもの。『あらあら、困りましたわね』と苦笑いしながら、ルーバンス公爵夫人と私の母を思わせぶりな目で交互に眺めていた位よ。でも息子を貶された挙句、袖にされた先代のルーバンス公爵夫人は怒りで顔を真っ赤にしていたし、逆に母は真っ青になっていたわ」

「想像できてしまって怖いです……」

 恐らく凍り付いたであろうその場をエリーシアは想像してしまい、精神的疲労感を覚えて項垂れた。そんな彼女に、フレイアがその後の経過を説明する。


「その時に王妃様が、私の実家のエスタディン侯爵家、ファルス公爵家、ルーバンス公爵家の間に入って仲裁をして下さって、私達は無事結婚できたわけなの。だから王妃様には借りがあるから、あなたと養子縁組する事で、少しでもそれがお返しできるなら嬉しいし、主人に色々嫌がらせをしていたあの根性が曲がりのルーバンス公爵に煮え湯を飲ませられたら嬉しいし、こんな可愛い娘ができるんだから私としては願ったり叶ったりだわ」

「ありがとうございます」

 本心からと分かる笑顔でそんな事を言われた為、エリーシアも素直に礼を述べた。するとここで、急にフレイアが沈鬱な表情になって話を続ける。


「その後……、夫に改めて求婚された時、ラウール殿下が実は姫君で、アルメラ様がどんな事をしたのかを聞かされたの。だから私との話を無かった事にしようとしたのが、漸く理解できたし」

「そうでしたか」

 それを聞いたエリーシアも神妙に頷き、フレイアの話に聞き入る。


「もしかしたら私が口外するかもしれないという危険を冒して、『そういう訳だから、我が家は今後表舞台に出るつもりはない。だから公爵夫人でも華やかな生活はできないだろうが、それでも良いか?』と尋ねてきたから、私は『勿論構いません』と答えたわ。アルテスは宣言通り結婚後は領地の方に滞在している期間が多くなって滅多に王都に戻らなくなったけど、私としては最低限の付き合いだけすれば良かったから、却って気が楽だったし。だから公爵家とは言っても、幅広く貴族間の付き合いをしている訳では無いから、安心してね?」

「そう言って頂けると、正直気が楽です。何分不調法なもので」

 エリーシアが本心から安堵した様子で応じると、ミレーヌが静かに会話に割り込んできた。


「たとえ田舎暮らしが長くても、真の貴婦人と言える方は鄙びたりしないものです。相変わらず所作が美しいわね、フレイア」

「お褒め頂き光栄です、ミレーヌ様」

 互いに優雅に微笑みながらのやり取りに、エリーシアは密かに唸った。


(確かに姿勢が整っていて、さっきから少しも崩れていないし、カップを上げ下げする時も動作が自然だけど、少しも音を立てていないのよね。身に着けているドレスや装飾品も、詳しくない私にも上質だって事は分かる代物だし、本当に派手過ぎず上品だわ)

 エリーシアがこれから義母になる女性を改めて観察し、内心で感嘆していると、彼女が嬉しそうに瞳を輝かせながら、声をかけてきた。

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