青い館の神秘

こもり匣

プロローグ

 銀の髪には油をって

 白い肌には秘薬をふく

 青い唇には赤い口紅を

 青い唇には赤い口紅を


 あの歌を聴いたのは、いつだったか――。

 ほんの昨日か、あるいは遠い昔か。

 あれはそう、古里ふるさとの北国へ帰郷した冬の日の出来事だったように思う。

 今はそれすら曖昧で、こうして物語る間にさえ、記憶はどんどん不明瞭にぼやけて、あたかも溶けたろうのように真っ白な虚無へと流れ出す。

 悲しい思い出ならば尚の事、黄昏たそがれの彼方へほうむってしまいたいものだ。

 その日、僕は急な葬儀そうぎに出席するため、仕事を終えると急いで夜行列車に飛び乗った。

 実家の姉が、急死したと連絡があったのだ。大好きだったあの美しい姉が、突然死んでしまった。

 親戚の話では自殺らしい。

 姉は、長くつき合っていた恋人に手痛くフラれ、その事が原因でうつ病を患っていた。

 しばらく通院していたのは知っていたが、こんな事になろうとは、夢にも思っていなかった。

 数日前から行方が分からなくなり、やがて裏山の森の中で、変わり果てた姉の姿が発見された。

 物干し用の太く丈夫なロープで、首をくくっていたそうだ。

 郷里を離れて以来、姉とは長らく会っていなかったが、記憶の中の彼女は、かしこく強い女性で、自殺するなど考えられなかった。

 もっと早く姉に会って、悩みを聞いてあげれば良かったと、後悔こうかいの思いが胸を苦しくめつける。

 だが時間は巻き戻りはしない。

 やんだ思いが、虚空を巡るだけ。

 沈鬱ちんうつな思いで、車窓から見える灰色の曇り空を眺めていると、もうじき雪でも降りそうだなとか、アパートの鍵は閉めたろうかとか、他愛もない事ばかりが頭に浮かんだ。

 けれど、ガタゴトと走る電車の揺れが妙に心地良くて、心も身体も疲れ切っていた僕は、ついウトウトと夢路を彷徨さまよい始めていた。

 現実が、急速に遠ざかって行く。

 甘い香りと幻想が、疲弊ひへいした身体を優しく包み込むのを感じた。

 夢現ゆめうつつに真っ白な空間を漂っていると、故郷の山々が見えて、目の前には姉がいた。

 僕はまだ幼くて、姉もまだ少女だった。

 彼女は茶目っ気たっぷりに微笑んで、雪が溶けたばかりの畦道あぜみちを力強く駆けて行く。

 僕は懸命に姉の後を追うが、なかなか追いつけなくて、彼女の姿はどんどん遠ざかるばかり。

 いつしか視界は不気味な青白い霧で閉ざされて、自分が何処にいるのか分からなくなった。

 何とか霧をき分けて先へ進むと、今度はドロドロした琥珀色こはくいろの運河が現れて、僕の行く手を大きくさえぎる。

 僕は姿の見えぬ姉が恋しくて、必死で運河へ飛び込み、泳いで渡ろうともがいた。

 すると不意に異質な風景が、ちょうど二重露光のように差し込まれて、気がつくと見知らぬ空の上にいた。

 ゆっくりゆっくり、綿毛のようにフワフワと、厚い雲を抜けて行く。

 眼下に現れたのは、青い瓦屋根の大きな館、僕はそこへ、まるで渡り鳥のように舞い降りるのだ。

 館の周りは、庭園の迷宮が果てしなく続き、春夏秋冬あらゆる花々が、季節を無視して咲き乱れていた。

 そのまま館の屋根をすり抜けて屋内に入ると、明かりのない薄暗い廊下がずっと続き、その先には豪華な西洋風の部屋があった。

 部屋には美しい異国の婦人が、窓際の椅子に座っていて、聴いた事のない歌を口ずさんでいた。

 彼女は、僕に気づくとニッコリ笑う。

 華奢で色白の若い女性で、後ろで丸く結った髪は、生まれながらの珍しい銀髪だ。彼女はそれを、北欧ほくおうの血脈から続く遺伝なのだと語る。

 瞳は憂いを帯びた淡い灰青色はいせいしょくで、窓の外の樹木や花壇を悲しそうな眼差しで眺めていた。

 ――何がそんなに悲しいのですか?

 僕がたずねると、婦人は一度、うつむいて沈黙したが、やがてまた顔を上げ、自分の昔話を語り始めるのだった――。



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