第13話 二人目の特待生

 デヴィッドは行く。上へ、上へ。全身で決めるジャミングも、プロテクションも。二日目となれば、もう慣れたものであった。迷いの無い一手が、更に上を取る。


 「行けるか」


 チェスターが口を開く。動きが洗練されているのが解る。ペースも良い。昨日の経験を積んだままの、疲労の取れたトライだ。此のまま行けるのではないか、デヴィッドはそういう登りをしている。しかし。


 「いや。17メートルくらいまではそんなに難しくないよ。昨日のデヴィッドも、一度も落ちてない」


 ジェイムズが返す。リアリストのジェイムズ。普段から、希望的な物言いや、気休めの言葉なんて言いやしない。だから、この言葉も、現実をそのまま言っただけだ。

 だからこそ、チェスターは思う。今は、肯定的な言葉が欲しかった、と。


 デヴィッドの登攀は続く。順調そのものに見える登り。それも、いつまでかは分からないけれど。

 遠い空。暗雲が、より一層濃くなっていく。




 確かに、ジェイムズの言うとおり。デヴィッドは、地上から17メートル付近まで、難なく辿り着いた。

 素早く姿勢を作り、デヴィッドは飛ぶランジ。おお、と地上では歓声が上がった。

 右手でガバをしっかりと保持して、押すプッシュ。左手もしっかりと保持する。そうやって、次のプロテクションを取ろうとするが――


 「あんなに上に掛けるのか……」


 また、チェスターが呟いた。そう、此処から一気に、クラックが広くなる。ジャミングが決められなくなるし、何よりプロテクションが困難になる。

 前のプロテクションからはもう随分離れた。次に取れる場所も、かなり先になるだろう。所以、多少無理な姿勢であろうと、此処でプロテクションを取るしか無いのだ。


 「チッ」


 デヴィッドは舌打ちをした。ナッツが掛かる箇所が遠いし、何より上手く見えない。最初のトライは、此処で落ちた。

 何とか手探りで、ナッツを設置する……掛かった。一、二度引いて確認し、クイックドローにロープをクリップする。


 何度か、腕を振るシェイク。チョークを手に付け直して、右手を伸ばす。カンテに手を掛けてのレイバック。しかし。 クラック上に、保持可能なホールドが一気に減る。一旦、右の壁面に逃げなければならない。左足を上げる。安定を求め、右足は振るフラッギング。右手でカチを取る。このまま右上方を目指す様に、左手をクロスで出す――




 「――此処からだよ。デヴィッド」


 ジェイムズが、小さく呟いた。




 「クソッッ!」


 悪い。ああ分かっていたとも。一日経って、良くなったりとか。そんな訳はない。

 ――チャートのスローパー。まるで摩擦フリクションを感じさせない其れに、昨日のデヴィッドは二度落とされた。触れたままデヴィッドは膠着する。此れでは消耗する一方である。

 どうする。クロスの次の手である。体が流れたら、振られて落ちる。どうにか完璧に固めて、次の手を取らなきゃいけない。ジェイムズだって、スローパーを完璧に保持して、次の手を取っていた。


 (ああ。また、落ちるのか)


 また、悔しい思いをして。薄っぺらな笑顔を貼り付けて、下へ行くのか。本当は、そんなの嫌で嫌で仕方なかった。でも、次の手が出ない。出せない。


 「ッッ――」


 これ以上、此処で止まっていても仕方なかった。一旦手を戻し、シェイクする。気休め程度には保持力が戻る。しかし、攻略のいとぐちは何ら見えない。

 その時――。




 ――辺りが照らされて。ズドンと、遠くに雷が落ちた。




 (ああ、雷か……)


 デヴィッドは思う。まるでお前のようだよ。辺りに光を満たすのに、決して届きやしない。ましてや今なんて、其の姿を見ることさえ出来ない。稲妻の渾名で呼ばれた、ジェイムズそのものじゃないか。


 「――――!」


 下で誰か叫んでいる。ジェイムズの声だ。あいつは優しい奴だから、きっと落ちそうな俺を叱咤してくれているのだろう。

 そう思い下を見て、耳を向ける。


 「デヴィィィッッド!!!!」


 名前を呼ばれた。そして――




 「――来ォォォォいッッッッ!!!!」




 来い?俺に下まで落ちろと言うのか。あのジェイムズが?雷が落ちたから、もう諦めろと言うことか――。分からない、さっきのはかなり遠くに落ちただろうから、未だ登れる筈だ。

 目まぐるしく変わる思考とは裏腹に、顔は下を向いたままだ。もう一度雷が、落ちる。眩く照らされる壁面と、其処に落ちる影を見て我に返る。

 何の道時間がないのは確かだ。せめて次の手を出して落ちよう、そう思ったけれど――




 「――待てよ、影!?」




 デヴィッドは気付く。彼処に影が落ちるのなら、其の手前は――。思考が加速する。思い立ったが早いか、右踵を伸ばす。右下方、腰の高さ。此方側からは見えないが、其処には。


 (掛かる!)


 踵の感触を経て、核心した。1センチメートル程しか無いが、段差がある。決して良くない、微妙な掛かり。

 ――だが、足りない接地面は、技術でどうにか出来る!!

 希望が見えた途端、今までの自分に腹が経って来る。駄目だと、諦めて落ちるクソみたいな自分にッ!


 「来いか。お前も登れ、そういう意味で言ったんだろうがさ――」


 さらに、左足を上げる。カンテの側面に押し当て、右足とともに壁を挟み込む。完璧なオポジションだ。

 さらに左手をクロス。相も変わらず悪いままだが。




 「上から目線で、先にいるつもりになってんじゃねェェェッッッ!!!!」


 デヴィッドが吼える。安定したまま伸ばした右手が、そのままホールドを捉えた。




 「こっちも、悪いじゃねえかッ!」


 その悪態とは裏腹に、正対で向かう次の動きにも無駄はない。今度は――カチかッ!

 しっかりと親指を巻き、体重を預ける。ああ、悪い。下半分を登るよりも、こっちの一手を出す方が遥かにキツい。それでも、悲鳴を上げる両の腕を黙らせ、上を目指す!!


 ――もう、落ちる気なんて更々無かった。




 地上でデヴィッドを見る者たちは、その登りに見惚れていた。緊張し、誰も喋らなかった中。やっとの思いでチェスターが口を開く。


 「デヴィッドが叫んで、る……」


 あのデヴィッドが。感情を誰よりも表に出さない、あいつが。そして何よりも、核心に肉薄している。

 本音を言えば、デヴィッドは今回のトライでも登れない、そう思っていた。あの困難なルートを、化物ジェイムズ以外が登りきる姿が想像出来なかったからだ。

 続けて、口を開いたのはジェイムズだった。


 「ああ、そういえば久しぶりだ。ああいうデヴィッドは――」


 もともとデヴィッドだって、ちゃんと登るときには感情を剥き出しにしていた。其れが、後輩や同輩と距離が近くなるにつれ、余計な感情を出さない様になってしまっただけだ。

 ジェイムズは、遥か頭上を登る彼を見据えたまま、言う。


 「やっぱり。登れないなんて、嘘じゃないか」


 ジェイムズは、強い親友の帰りを祝福する。


 "ハーケン"デヴィッド・レイティング。

 使わずしてそう言わしめたお前が、地上に突き刺さってるなんて、似合わない!




 「ふッッ」


 デヴィッドは息を吐き、一気に次の手を取る。スローパーだ。

 足を伸ばしてカウンターバランスを取り、もう片方の手を寄せるマッチ。足を振り直して、次の手。

 ――悪いが、悪過ぎはしない!オープンで持ったまま、足を上げ、次の手を取る。


 「――あれかッッ!」


 小さいポケットが視界に入る。此処に設置するのが、最後のプロテクションだ。

 一瞬で最適なサイズのナッツを見繕って、取り出す。指を伸ばしたて、ナッツの先を穴に突っ込んで、引く。一発だ。此れだけは、誰にも、ジェイムズにだって負けやしない!!

 ロープをクリップして、上を見る。後、数手――。


 「――ッ」


 安心仕掛けた束の間。出した手の感触を確かめる。またスローパーだった。いい加減、お前には飽きたッ!!

 指に、腕に、ありったけの力を込める。滑り落とそうとする重力を押さえ込んで、上へ行く。ああ、リップが見えた。


 最後の一手は、ダイアゴナル。一番初めに、ジェイムズに教わった動きムーブ。綺麗にとったカウンターバランスが、左手をリップに導く。次に右手、右足。最後に立ち上がり――。




 「ッシャアアア!!」


 デヴィッドは、登った。最初のトライから、実に三年越しの完登だった。

 もう一度、稲妻が見えたけれど。それは、思っていたよりもずっと近くだった。




 デヴィッドが降りてきた。しっかりと立ったのを確認してから、ジェイムズはロープを手から離し、口を開く。


 「おめでとう、デヴィッド。これで君も、クラブの一員だ」


 そんな事を口にして、ジェイムズは拳を突き出した。他の連中は、よく分からないといった風だったが。デヴィッドは笑って――。


 「宜しく頼む」


 そう言って、自分の拳を当てた。







 課題名:『スカラーシップ』5.12d

 初登者:ジェイムズ・マーシャル

 第二登:デヴィッド・レイティング

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