6

 夏の午後のうだるような暑さの中、明智と自称ジョージは、皇国共済組合基金ビルの裏庭で、時間旅行ができる『携帯端末』とやらを捜索していた。


 彼の描いた絵によると、携帯端末は縦10数センチ、横7、8センチの長方形で、厚みは7ミリほど。

 画面以外には、白金風の塗装が施され、裏側には林檎の紋章が印されているらしい。

 透明なケースに入れられ、ケース付属の穴にお守りが括り付けられているとのことだった。



 最初にジョージが倒れていた辺りには、未だネジやナットなどのガラクタが散乱していたが、携帯端末本体も、その部品らしきものも見当たらないと彼は首を横にした。



「そもそも、2020年を出発した時はどんな状況だったのか?」



 明智は、非常用の防火水槽の中を懐中電灯片手に覗き込みながら尋ねる。



「大学の研究室に一人でいる時、暇つぶしに携帯端末で遊んでて……。ふと思い立って、自分で作った時間旅行用のプログラムを起動させて、『ひいじいちゃんの若い頃』と打ち込んで、決定ボタンを押しただけだよ。そこそこいい線行ってる自信はあったけど、まさか、本当にタイムスリップできるとは思っていなかったよ」



「決定ボタンを押した後は、気づいたらその辺に倒れていた、ということか?」



 防火水槽の中には緑色の藻しか浮いていないことを確認し、蓋を閉める。

 背後から覗き込んでいた自称未来人は、残念そうに眉をひそめた。



「うーん。何かあまり記憶はないのだけど、足元が覚束なくて、渦巻きに吸い込まれるみたいな変な感覚がして、酔いそうだった。気持ち悪いと思った頃には、気絶しちゃったけど」



「そして、倒れていたところを俺に発見された、ということか?」



「うん、そうだね」



 軽い調子で自称広瀬の曽孫は首肯した。


 その様に、明智は頭痛を禁じ得ない。

 仮に万が一、ジョージが本物の未来人であるなら、随分と無防備かつ無計画に実験段階でしかない時間旅行を決行している。


 元の時代に帰れないリスクや歴史に干渉してしまい兼ねない危険性をほんの少しでも検討した様子は……なさそうだ。


 聞くのも無駄に思えたが、一応タイムスリップの目的について問いただすと、自称ジョージは、意外にもしんみりした面持ちで答えた。



「ひいじいちゃん本人には会えないけど、ひいじいちゃんの友達の変なおじいちゃんたちの誰かに会えたらいいなって、思って。ひいじいちゃん、若い時の話、あまり聞かせてくれなかったから。陸軍の外郭組織で働いていたとか、研究所でとても言えないような実験をしていたとか、それくらいしか死んだひいばあちゃんも、娘のおばあちゃんも聞いてないんだ。だから、ひいじいちゃんの友達の誰かに会えば、少しはひいじいちゃんの昔のこと、分かるかもって思いついてね」



「……」



 もし、生き長らえ、諜報員を引退する時が来たとしても、もし、自分の家庭を持つことができたとしても、自分もきっと、今の仕事について、誰かに口外はしないだろう。

 例え愛する妻子、孫に対しても。

 否、大事な家族であればこそ、だ。



「でも、出会ったのが、選りに選って、眼鏡のおじいちゃんだっだのは誤算だったよ。一番頭固いし、怖いし」



「……俺には貴様を見捨てる選択肢があることを忘れるな、クソガキ」



「けど僕は、眼鏡のおじいちゃんが、決してその選択肢を選べない人であることを知っている」



 今度はシャツの袖を捲り上げ、元々植えられているツツジの合間を縫うように、鬱蒼と雑草が生い茂る植え込みの中に、躊躇なく腕を突っ込む明智の背中に向かい、ジョージは決然と言い放った。



「貴様に俺の何が分かる? 仮に貴様が広瀬の曽孫だとして、未来で俺に会っているとしても、そこまで見透かされる程、俺は老いぼれるつもりはないぞ」



 振り返らずに反駁する。

 爪に泥が入り、雑草が触れた手の甲が痛痒く感じたが、構いやしない。

 故郷にいた頃は、畑仕事の手伝いもやらされたので、慣れている。



「見透かすも何も、おじいちゃんを知る人は、みんな知っているよ。おじいちゃんは頑固で気難しくて、短気でわがままなクソジジィだけど、困っている得体の知れない男を見捨てられないくらいに優しいってことくらいね」



 話し終えると、すたすたとジョージは進み出で、明智の隣に立ち、同じように植え込みに腕を突っ込み、雑草の間を丹念に調べ始める。



 軟弱そうな指が長く、色白の手を泥で汚しながら、彼は淡々と切り出した。



「探し物を手伝ってくれるお礼に聞かせてあげるよ。これから先、この国が、君たちがどうなるか。そうだな。これを知れば、違った未来が待っていて、君もひいじいちゃんも、僕にもっと多くのことを語ってくれる未来があるかもしれない」



「え?」



 つまり、この自称未来人は、自分の歴史的知識を明智に託すことで、歴史改変をしようとしているということか?


 ジョージが未来人だなんて信じられないが、歴史改変なんて大それた試みに巻き込まれるのは御免だ。


 第一、未来に起こる出来事を知ったからといって、必ずしも良い方向に事態が転がるとは限らない。

 一つの悲劇を回避した結果、別の悲劇が発生することもある、と空想科学小説で読んだ記憶がある。

 しかし、差し迫った悲劇を、他の悲劇を防ぐための必要悪として、手をこまねいて静観するなんて、自分にできるとはとても思えなかった。



 何より、明智は未来のことなんて知りたくもない。


 時の流れの前では、人間は1秒先の未来すら知り得ず、また1秒前の過去に戻ってやり直すことさえ許されない、無力な存在だ。



 けれども、だからこそ、人はその時その時を大事に、懸命に生きられるのだ。


 最良の選択はどれかと知恵を絞り、時に失敗しつつも、より良い未来を築き上げていく過程は、遠回りかもしれないが尊く、蔑ろにして良いものではない。


 未来の知識を駆使し、自分勝手に歴史を変えるなんて、今日まで、先人たちの労苦や希望によって、積み上げられ、発展してきた歴史に叛逆を企てるが如き愚行だと感じた。



 自分は、未来の出来事なんて知ってはいけない。こいつにこれ以上、余計な口を利かせてはならない。



「まず、支那との戦争についてだけど……」



 沈黙を了承と受け取ったのか、早速、未来人としての歴史知識を展開しようとしたジョージの口を、明智は咄嗟に泥まみれの手で塞いだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る