56*我儘と本音
「何してる貴様らっ!!」
急に稽古場に怒鳴り声が聞こえてくる。
見ればキイルと同じ中隊長の責任者であるナダヤ・カーリンだ。元々鬼の如く怖い顔をしており、図体もでかくかなり厳しい騎士である。彼の姿を見てレオナルドは「やば……」と声を漏らす。
それもそのはず。本来ならば稽古をしている時間だ。それなのにいきなりジノルグが現れて場を乱した。先輩も含めて皆が何も言わないのはジノルグの存在の大きさ故だが、ナダヤにしてみれば関係ないだろう。歳も立場もナダヤの方が上だ。
彼はすぐにジノルグを見つけ、ぎろっと睨む。
そのまま大股で近付いてきた。
「ジノルグ。稽古場に来る予定じゃなかっただろうが」
「はい」
「今日は新人教育のために教官も含めての指導を行う予定だったが……貴様のせいでできてないようだな」
「そのようですね」
自分よりも立場も態度もでかい上司が目の前にいるというのに、ジノルグは冷静だった。傍にいたレオナルドはそーっとその場から離れる。これ以上のとばっちりは御免だと思ったのだ。ナダヤは訝し気な顔をする。
「……事の重大さを分かっていないのか?」
「むしろ未だに俺に敵わない騎士が多いという事の方が問題だと思いますが」
「貴様ぁっ!!」
ナダヤの怒鳴り声がさらに稽古場に響いた。
その場にいた騎士たちは震えあがる。
唯一動じてないのはジノルグだけだ。
真顔のまま相手の顔を見る。一歩も引かない様子にナダヤは鼻で笑った。
「……前々から貴様の鼻をへし折ってやりたいと思っていた」
言いながら腰にある剣に手を添える。
するとジノルグもにやっと笑う。剣を相手に向けた。
「ナダヤ殿からの勝負であれば、喜んでお受けしましょう」
周りから「おお……」と驚いた声が上がる。
珍しい組み合わせなのもあるのだろう。
少し遠くで見物していた騎士でさえ、二人に近付く。
ナダヤは周りの騎士達に向けて声を張った。
「貴様らよく見ておけ! 俺に喧嘩を売ったらどうなるかをなっ!!」
言いながら腰から剣を抜く。そのままジノルグに向かって走り出した。一方のジノルグも動き出す。ナダヤの方が身体が大きい。力とその動きのキレに一瞬押されそうになったが、上手くかわしながら相手の動きを読んだ。
狙いを定めようとすると、彼はにやっと笑う。
「甘い」
隙を作らず連続でこちらに技をかけてくる。
ジノルグはそれに対応するだけで精一杯になった。さずが経験の差だ。
だが、こちらも負けていなかった。
わずかに視界が入らない場所まで移動し、蹴りを入れる。
受け止められてしまうが、それでもわずかな隙を作る。そこを狙った。
相手は少し笑いながらも反応する。
互いの特性を理解し、瞬次に頭を動かしてそれを身体で実行に移す。
ただ実力があるだけじゃない。ちゃんと考えて動いている。
見ていた騎士達もそれが分かり、熱くなりつつ声を出す。
そしてどちらが勝つのか気になるのだろう。賭けまで行う者が現れた。
あまりに高度な戦いを見せつけられ、さすがのレオナルドも舌を巻く。そしてジノルグの微妙な表情の違いに渇いた笑いになる。
(…………あいつ、わざと煽ったな)
ナダヤほどの騎士になると前線に出るというよりは指導する立場の方が多い。そのため、このように手合わせできる機会は少ない。しかも今のジノルグは何かを振り切るように剣を握っている。おそらく、今はより実力のある騎士と勝負したかったのだろう。だからあえて煽ってこのような場にさせた。
どこまで頭が良く回るのだか。そして。
(それほど悩んだって事か)
同期の不器用さに、レオナルドは苦笑した。
「あ……」
騎士団に向かっていたロゼフィアは、目の前を歩く綺麗な赤毛の女性に会う。彼女はくすっと笑う。そして近付き、手を握ってくる。
「おかえりなさい」
「た、ただいま」
戸惑いつつも答える。
そういえば戻ってから一度もディミアに会っていなかった。
他国に言っている間、彼女が自分の代わりに色々してくれていた。それは知っていたが、実の母でもあるため、少し照れくさくてお礼がすぐに言えない。気まずさの方が出てしまい、黙ってしまう。
するとディミアの方が声をかけてくれる。
「長にどうするか聞かれたそうね」
「え、どうしてそれを」
「長とは常に連絡が取れる状態になっているもの。……それにしても、本当にお疲れ様。よく頑張ったわね」
そっと頭を撫でてくれる。
おそらく、ルベリカからクレチジア帝国で起きた出来事を聞いたのだろう。母の優しい温もりに少しだけまどろみそうになるが、慌てて「恥ずかしいからやめて」と手を離してもらう。ディミアは少し残念そうにしつつも、ふっと笑う。
「それで、決めたの?」
微笑みつつも、目は真剣だ。
見透かされているようにも見えたが、ロゼフィアは大きく頷いた。
「うん。シュツラーゼに行く」
「そう。ジノルグくんにはちゃんと言ったの?」
「言った……けど」
断られた事に対して何と言えばいいか分からず、言葉が止まる。
すると悟ったのだろう。ディミアは何度も頷く。
「ロゼの傍にいる事が、当たり前になっていたものね」
その言葉を聞いて、思い出す。
どうしても母に聞きたい事があった。
「ねぇ、どうしてジノルグに護衛を頼んだの?」
ルベリカから聞き、ジノルグからも聞いて、護衛を頼んだのはディミア本人である事を知った。最初聞いた時は少しショックだったが、それでも自分の意志で護衛をした、というジノルグの言葉を今は信じている。なにより母の考えを知りたかった。
そこまで自分が危険な目に遭うとは思っていないし、重要視される存在でもない。だからこそ、不思議だったのだ。ディミアの事だから、過保護すぎるだけじゃないか、と思ったりもしたが。
相手はにこっと笑う。
「『一人じゃない』って感じてほしかったからよ」
「え……?」
「お母さん……あなたのおばあさんが亡くなってしまって、私もお父さんもそれより前にこの場を離れないといけなくなった。あなたを連れて行く選択肢もあったけど、王族と契約していたから、魔女としての役割は果たさないといけなかった。アンドレアやサンドラはいつだって味方になってくれたけど、ロゼはなかなか心を開けなかったわよね」
それを聞いて思わずう、となる。
確かに当時からアンドレアとサンドラがよく話しかけてくれていた。それでも元々人見知りなところがあったため、向こうから話しかけられたら答えたものの、こちらから声をかける事はなかった。
「一人でいる時間が長いからどうしても一人でいるのに慣れてしまう。慣れるだけならいいけど、ふと感じてしまうと思ったの。『寂しい』ってね」
「…………」
実際感じた。『花姫』のお祭りが終わった直後だ。
多くの人と出会ったせいで、心に穴が開いたかのような虚無感があった。
「だから、ロゼには傍にいてくれる存在が必要だと思ったの。『護衛』という名目なら、絶対離れられないだろうなと思ってね」
「……そんな理由で」
「あら、けっこう大事な理由よ。後はロゼがちゃんと元気にしているか不安だったのもあるわ」
「私は元気よ」
「頑張り過ぎて倒れてないでしょうね?」
苦い顔をしていると溜息をつかれる。
やっぱり見透かされている。さすが母だ。
「それで、ロゼはどうだったの?」
「え?」
急にまた話が変わる。
「ジノルグくんと一緒にいて、どうだった?」
「どう……って」
戸惑いつつも考えてみる。
言いたい事はたくさんあった。だが、言葉にするのは難しい。
散々悩んでから、一言でまとめる。
「傍にいてくれて、感謝してる」
「そう。よかった」
ディミアには珍しく、その一言で満足そうに微笑まれる。
……いや、若干にやにやしていた。なんだか居たたまれない。
「も、もう行くから」
「あら、どこに?」
「騎士団。ジノルグともう一度ちゃんと話をしないとって」
「そう。じゃあロゼ。もう一つ質問」
「?」
「ジノルグくんの事、好き?」
「え」
一瞬固まった。
ここでその質問とは。
だが、母はマイペースだ。
「前にジノルグくんにも聞いたんだけどね」
いや何を聞いてるんだ何を。
思わず心の中でツッコむ。
「彼、ぜんっぜん教えてくれないのよね」
「…………何を?」
「ロゼの事をどう思ってるのか」
「……そ、そう」
まぁ別に、言いたくない事もあるだろう。そう言葉を続けようとするが、ディミアはなぜかさらににやにやした顔になる。……その顔をやめてほしい。
「だからロゼ、直接聞いてよ」
「は!?」
「答えてくれそうじゃない?」
「いやジノルグの事だし……」
自分の意志が固い人だ。
言わないと決めたら例え自分が聞いても意味はない気がする。
「あら、ロゼは受け止める覚悟もないの?」
「なっ」
どこか馬鹿にした態度に、反射的に言い返しそうになる。
だが、はっとする。
確かに覚悟がなかったかもしれない。あの時は。
「……今は」
「?」
「今は違う」
真っ直ぐディミアを見る。
ジノルグのように。
「向き合うって決めたの」
さっきまで色々悩んでいたというのに、自分でも驚くような変わりようだ。だが、背中を押された。サンドラに。そしてディミアに。いつの間にか自分の中でも覚悟が決まっていたらしい。
するとくすっと笑われる。
「じゃあ行ってきなさい」
「うん」
ロゼフィアは駆け出す。
目の前の相手の横を通り過ぎ、前だけを見た。
「……お前、馬鹿か」
「レオンから言われるのはいつぶりだろうな」
半眼になるレオナルドに対し、ジノルグはあっさり答える。
どこかすっきりしたような、いい顔になっていた。
あの後もずっとナダヤとの対戦が続き、ジノルグはボロボロになっていた。右頬は少し膨れているし、手足にも傷が絶えない。軍服もだいぶくたびれている。もちろんナダヤも涼しい顔はしていたものの、久しぶりの剣の対戦のせいか、終わった後少し腰に手を当てていた。年齢的にキイルよりも上だ。あまり無理はすべきではない。他の騎士に掴まりつつ稽古場を後にしていたが、ナダヤ自身もいい顔をしていたような気がする。「今度は鼻をへし折ってやる」という台詞さえ吐いていた。
結局引き分けだったが、引き分けという形で終わった事で周りの騎士達の士気はさらに上がった気がする。ジノルグもようやく吹っ切れた顔をしていた。
「……そんなボロボロになって、ロゼ殿が見たらびっくりするぞ」
「後で自分で手当する」
「とかいってお前どうせそのままにするだろ! いいから早く救護室行けって」
元々傷をつくる事が滅多にないのもあり、いざ怪我をすれば面倒くさいと言って自然に治そうとする癖がある。今までもそんな事が度々あったので、レオナルドは慌てて救護室に連れて行こうとした。
だかジノルグは嫌がる。
「いい。行くくらいならロゼフィア殿に頼む」
「とか言ってどうせ今会えない状態なんだろ」
「…………」
「俺が悪かった。だから落ち込むな」
表情が少し暗くなったところで瞬時に謝る。
これは身体の傷より心の方が重症かもしれない。
「ジノルグ!?」
遠くから名前を呼ぶ声が聞こえたと思えば、そこにはロゼフィアがいた。ジノルグはぽかんとした顔をする。「あれは夢か?」と訳の分からないボケをかまし、レオナルドは即座に「本物だよ!」とツッコむ。
「ほら、いってこい」
背中を押せばジノルグはよろめきながらロゼフィアに近付く。
彼女は姿を見て状況を察し、すぐに救護室に連れて行った。
救急箱をもらい、てきぱきとロゼフィアが動く。
ジノルグは椅子に座りながらぼんやり相手を見た。
するといきなり頬に冷たい液体がしみ込んだ布を押し当てられる。「いてっ」と声が出てしまうが、ロゼフィアに「我慢して」言われた。あまりの手際の良さに、思わずジノルグはふっと笑う。
するとロゼフィアは怪訝そうな顔になった。
「何がおかしいの?」
「いや、怪我してよかったと思った」
「馬鹿。しないのが一番でしょ!」
だがなぜかジノルグはくすくすと笑いだす。
「ロゼフィア殿に手当てしてもらえるなら安いもんだ」
「……いつだってしてあげるわよ」
照れくさくてぶっきらぼうな言い方になる。
だが真面目な声で言われた。
「俺から離れるのにか」
はっとして見れば、ジノルグは顔を背けていた。
思わずロゼフィアも無言になる。そのまま手だけ動かした。
手当てが終わった後も、二人は何も発しなかった。
それぞれが視線を別にする。神妙な顔のまま、時間だけが過ぎる。
この時間が初めて苦痛に感じた。
だがロゼフィアは、覚悟を決めた。
どうなろうと、受け止める。そう決めたはずだ。
「ジノルグ」
声をかければ、相手はゆっくりこちらに視線を動かした。
「森ではごめんなさい。手を払ったりして」
「……いや」
「あの時、私に言いかけた事があるわよね。よかったら……教えてほしい」
「…………」
「もう逃げたりなんかしない。だから」
「言ったところでロゼフィア殿はここからいなくなる」
言葉が詰まる。正論だ。
ジノルグは小さく鼻で笑った。
「なら、もういい」
「えっ……」
「むしろ邪魔して悪かった」
ジノルグは立ち上がり、救護室から出て行こうとする。
慌てて「待って」と彼の腕を取ろうとするが、振り払われる。
ロゼフィアは目を見開く。
あの時と逆だ。
「もう俺に構う必要はない」
どこか諦めたように呟く彼の背中を見ながら、ロゼフィアは泣きそうになる。
違う。本当は違う。こんな事を言いたいんじゃない。
「寂しいわよっ!」
ありったけの思いを込めて叫ぶ。
するとジノルグは少し驚いた顔をしつつ振り返った。
「本当は寂しい。離れたくない。でも……今のままじゃ駄目なの。今の私のままじゃ駄目なの!」
「ロゼ、」
「自信をつけたいの。自分に自信をつけたいの。傍にジノルグがいてくれたら励ましてもらえる。それは分かるけど、私は確かな自信がほしい。確かな実力をつけたい!」
言いながら嗚咽交じりになる。
涙がぽろぽろこぼれてくる。でも今は拭う余裕もなかった。
「自信をつけたいのは、皆のためでも、この国の人達のためでもあるけど、一番は…………ジノルグの傍にいたいからよっ!」
心の奥にある思いが爆発する。
自分の本当の願いが口から出た。
誰の役にも立てない自分を恥じた時は何度もあった。それでも仕方がないと割り切っていた時があった。それでも色んな人に出会い、もっと役に立てる自分になりたいと思った。その思いに嘘はない。そして、いつか傍にいるジノルグに一番の恩返しをしたいと思っていた。
傍にいたい。そのためには釣り合う存在になりたい。周りが優しいから傍にいられるのではなく、傍にいる事を認めてもらえる存在になりたい。
「そんなっ……、自分ばっかり寂しい顔しないでよ。私がどんな思いで……私だって、本当はずっと一緒に」
照れくさくて誰にも言えなくて。自分でさえ心に蓋をしていた。
いつか自信も実力もつけた時、本人に言おうと思っていたのに。
すると強い力で抱きしめられる。
力強くて、大きくて、苦しくて。でもロゼフィアも抱きしめ返す。
頬に涙が伝い、ロゼフィアは泣き続ける。
我慢せず、声を出して泣く。
「……悪かった」
小さく言われる。
「うっ……ジノルグの、馬鹿」
「……ああ。俺は大馬鹿者だな。こんなに近くにいるのに、ロゼフィア殿の事を分かっていなかった」
「馬鹿」
「ごめん」
「馬鹿っ……!」
ロゼフィアはジノルグの胸に拳を作って叩く。泣いている事もあってあまり力は入らなかったものの、ジノルグはそのまま受け止めてくれた。しばらくそのまま抱きしめてくれる。
時間が経つにつれ、ロゼフィアも落ち着いて涙が止まってくる。
するとそれを見計らってか、そっとジノルグが腕を緩めた。
涙に濡れた瞳で見れば、そっと涙を拭ってくれる。目の下が腫れているのかじんじんした。これは明日、ひどい顔になるかもしれない。
「ロゼフィア殿」
優しい声色で名を呼ばれる。
「……また、俺の元に帰って来てくれるか」
ロゼフィアはゆっくり頷く。
最初から、いつかまたこの国に戻りたいと思っていた。ルベリカに言えばなんと言われるか分からないが、それでもしっかりとシュツラーゼで頑張って、ここで戻りたい。学んだ事を活かしたい。きっと大変な事も、苦しい事もあるだろう。それでも絶対意志は曲げない。自分は絶対、またここに戻ってくる。
「俺は、ずっと待ってる」
「…………うん」
一体何年かかるか分からない。途方もない時間かもしれない。それでもジノルグは、それを分かった上で言ってくれているのだと伝わった。
ジノルグはゆっくりと微笑んだ。
「好きだ」
それを聞いて、ロゼフィアも笑みをこぼす。
口を開こうとするが、ジノルグは言葉を続ける。
「きっと最初に会った時から惹かれていた。
そっと顔に手を添えてくる。
「本当はもっと言いたい事がある」
顔が少し近づいた。
「それはまた、帰ってきた時に伝える」
ロゼフィアは笑って添えられた手に自分の手を重ねる。
「だいぶ先ね」
ジノルグも笑う。
「忘れない。いつだって言える準備をしておく」
「……き」
「? 何か言ったか」
聞き返されてロゼフィアは思わず顔が赤くなる。
想いを口にしたが、小さすぎて相手には伝わってなかったらしい。
「な、なんでもない」
「言ってくれ」
口元が緩んだ様子を見ると、どうやら分かっているらしい。思わず言い返そうと思ったが、大事な言葉だ。今度ははっきり聞こえるように声を張る。
「好き」
き、と言い終わってから口を塞がれる。
少し驚きつつも、ロゼフィアも目を閉じる。
二人は長いキスをした。
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