42*知らぬ間に
ロゼフィアはとりあえず城に向かっていた。
先程のジノルグの様子を気にしたが、今はそれどころじゃない。
だが城に着けば、予想外の事が起きていた。
「あ、ロゼ」
アンドレアが気付いたのか、こちらに声をかけてくれる。
傍にいた人物も、同じように顔を向けてくる。
海よりも青い色の瞳に、腰まである艶やかで長い紅色の瞳。その顔には余裕とも取れる笑みがある。何年経っても姿が変わらないほどに美しい容姿。本当の年齢を伝えても、きっと皆が十以上若いと口を揃えて言うだろう。
「な、なんで」
思わず呟く。
すると彼女は微笑みつつ近付いてくる。
そしてそっと頬に触れた。香水をつけたような花の香りがする。
「大きくなったわね、ロゼフィア」
触れた手は温かいが、驚きを隠せない。
なぜなら目の前に母の姿がある。
最後に会ったのはいつだろう。かなりの年数は経っていた気がする。
何も言わない事にどう思ったのか、母であるディミアは口を尖らせた。
「あら、ひどいわね。数年ぶりに帰ってきたのにその反応?」
「だ、だって、いつもなら手紙を送ってくるのに」
「手紙は送ったわよ? アンドレアに聞いたけど、あなた今こっちに住んでるんですってね。もしかして森の方に全然帰ってないの?」
「あ……」
そういえば住む場所が変わった事を言っていなかった。最も、目の前の人物はいつもあちこち移動しているので、こちらから手紙を送る事はできないのだが。そういえばここ最近森に帰っていない。手紙の事もすっかり忘れていた。
そんな事を思っていれば、急にぎゅっと抱きしめられた。
「ちょ、ちょっとっ!」
思わず離れようとするが、相手は離れない。
むしろ身体をもたらせるようにして力を込める。
「いいじゃないの少しくらいー。ずっと会えなくて寂しかったんだから」
「み、見られてるっ! 皆に見られてるからっ!!」
周りに人がいるというのにお構いなしの相手に、思わず叫ぶ。
しかも「私に似て美人になったわねー」なんて事まで言ってくる。確かに誰が見てもディミアは美人だ。娘だがそれは認める。だが、そう言われても素直にそうでしょう、なんて言えない。容姿云々は自分で鏡を見てもよく分からない。仮にもし母に似ていたとしても、前向きな発言の多い性格の方が似たかった。
すると見ていたアンドレアが苦笑する。
「ディミア、そろそろ離してあげて」
「えー? なによアンドレア。娘との再会を邪魔するの?」
「違うわよ、ロゼが照れているから」
「照れてないっ!」
思わず嚙みつくが、若干図星だ。だがそれを認めるほどの素直さはない。ディミアはこちらの事を分かっているのか、笑ったまま抱きしめる手を緩めなかった。
ちなみに母であるディミアは昔からここに住んでいた魔女だ。王族とも親交は深く、アンドレアとも顔見知りである。美人で社交的、そして気さくな魔女であると評判だった(残念ながら娘の方は一切似ていない)。しばらく薬師として国に貢献していたが、父と結婚してからはこの国を離れ、別の仕事を行っている。その間ロゼフィアは同じく魔女である祖母に育てられて、魔女としてのイロハを教わった。
国を離れてからもディミアはよく手紙を送ってくれた。そのおかげで寂しいと思った事はほとんどない。祖母が傍にいてくれたし、今のようにディミアは愛情表現が深いのだ。帰ってくれば抱き着いたりと忙しなく、愛を押し付けてくる。それが若干重いと感じる時もあるが、自分のためを想ってこそだというのはちゃんと伝わっている。
が、こう面と向かって会うのは本当に久しぶりだ。だからこそ、すぐ対応できなかったりする。普段から深い愛情に慣れていないからこそ、拒んでしまう事の方が多い。……本当は照れくさいのが大きいのだが。
「あら? そちらが噂の護衛騎士?」
目ざとくジノルグを見つけ、すぐに身体を離す。
やはり忙しない。彼は彼で、特に驚きもせず律儀に挨拶をした。
「ジノルグ・イギアです」
「母のディミアです。よろしく。……なるほど」
じっと彼を見つめ、まんべんなく観察する。
しばらく見つめる時間が続いたが、ジノルグも視線を返していた。端から見ればまるでにらめっこをしているみたいだ。それにしては表情が変わらないので、二人共強い。しばらくすれば、ディミアはにこっと笑った。
「いいわね。とても誠実そうで。ロゼフィアったらいつの間にこんな素敵な殿方と出会っていたの?」
にやにやしながらこちらを見てくる。
何も言えないのでそっぽを向いておく。
それでも頬が赤くなっていたのは誤魔化しようがないだろう。
「さっきアンドレアと話していたの。しばらくロゼフィアを借りたいってね」
「えっ」
聞けば連れて行きたい場所があるのだという。
だが、こちらもエマーシャルの事を話そうと思っていた。だからディミアの要望は聞けない。そう言おうとすれば、なぜかそっと口を手で押さえられる。ディミアは焦る事もなく、こちらにだけに聞こえるように「同じ場所よ」とだけ言った。それだけでロゼフィアは気付く。
「私は構わないと言ったわ。ロゼも他国に行って疲れたでしょう。少し休んだらどうかしら」
アンドレアがそう言ってくれる。
おそらく配慮してくれたのだろう。自分と、そしてディミアに。
「……でも」
「アンドレアもこう言ってくれているんだから、お言葉に甘えましょう」
ディミアはにっこりと笑う。一見聞こえがいいように聞こえるが、明らかに有無を言わさない様子だった。元々
ロゼフィア達が部屋を出ると、アンドレアは小さく息を吐く。
傍にいたクラウスは、すぐに心配そうな顔になった。
「大丈夫ですか」
「ええ、平気よ」
言いながら机に積まれている書類に手を付ける。
気になる事は多くあれど、自分にすべき仕事は目の前にある。
クラウスは少し迷いつつ、疑問をぶつけてきた。
「……あの、なぜあの方の言葉を聞いたのですか?」
「ディミアの事?」
「はい」
アンドレアは少しだけ黙った。
クラウスが言いたいのは、しばらくロゼフィアを連れ出すという事だろう。確かにここでロゼフィアを自由にさせるのは少しリスクが大きい気がした。何が起こるか分からないし、まだ情報も掴めていない。だが、それでもアンドレアは、ディミアの話を聞いてすんなり受け止める事ができた。
「彼女は信用できる相手よ。あのお父様が言うくらいにね。お父様は人を見る目があるもの。それに、彼女も魔女よ。きっと私達よりも魔女について詳しいはず。だから、任せてみてもいいと思ったの」
「ですが、もし危ない目に遭う事があれば……」
いくら同じ魔女であろうと、そこまでの力があるとは思えにくい。そんな時に狙われでもしたら、ひとたまりもないだろう。クラウスはそれを心配したが、アンドレアはきっぱりと言う。
「大丈夫。そのために護衛騎士がいるもの」
「本当に、ここも昔と変わらないわね」
ディミアは城下を歩きながらそんな事を言う。
楽し気に進んでいるが、ロゼフィアはそんな風になれなかった。
「ねぇ、どういう事なの」
「なにが?」
「連れて行きたい場所って、あのエマーシャルって魔女が言っていた所でしょう」
迂闊に口にしてはいけないだろうと思い、村ではなくエマーシャルの名前を出す。するとディミアは足を止め、振り返る。長い髪を揺らしながら頷いた。
「そうよ」
あまりにあっさりと暴露する。
呆れて咄嗟に言葉も出てこなかった。
だが相手は肩を揺らしながら笑う。
「本当はエマだけに任せるつもりだったの。でも、やっぱり久しぶりに皆に会いたくなっちゃってね。それに噂の護衛騎士がどんな人なのかも、気になっていたし」
聞けば本来は使者であるエマーシャルだけがここに来る予定だったらしい。だが、丁度シュツラーゼにいたディミアが話を聞いてついてきたらしいのだ。その行動力はさすが母と言ったところか。
「詳しい事はここで説明するより、向こうに行ってからの方が分かりやすいわ。それにロゼ、明日の朝には出るのだし、今のうちに皆に挨拶しておかないと」
「挨拶って……」
話を聞くくらいだし、そこまでの日数はかからないだろう。
だがディミアは「あら駄目よ」と言って首を振った。
「あなた他国から帰ってきたばかりでしょう? ちゃんとまた行ってきます、って言わないと。細かい事かもしれないけど、人との信頼関係はそうやって築いていくものなのよ?」
思わずうっ、と言葉に詰まる。
自分よりも人との関係が濃い人に言われると妙に説得力があった。実際ディミアが帰ってくるのは数年ぶりだが、今だって歩く人達から声をかけられたり、手を振られたりしている。そして彼女は愛想のよい笑みと共に手を振り返している。信頼関係というか、そこまでの関係を築けていないとこうはならないだろう。ロゼフィアもそれは見習うべきかと思い、まずは研究所に行く事にした。
「あ、ロゼ。おかえり」
サンドラの研究室に行けば、クリストファーと共に出迎えてくれた。なんだか二人に会うのが久しぶりに感じる。ロゼフィアの後ろで「サンドラー! 久しぶりね~」と母が声を上げる。研究所でもディミアは色々と手伝いをしていたため、皆と顔見知りだった。
「ディミアさん! 本当だ、久しぶりですね」
「相変わらず研究熱心ね。前よりももらっている賞が増えてるみたいだし。あ、クリスくん。身長伸びた?」
「……まぁ」
珍しくクリストファーは口ごもる。
どうやらぐいぐい来るタイプは苦手のようだ。
しばらく二人は薬学に関する話をする。
難しい専門用語も出しながら、色々と意見を交換していた。
そして一気に話せば満足したのか、にこっと笑う。
「じゃあそろそろ私は行こうかしら。ロゼフィアはちゃんと挨拶するのよ?」
「分かってる」
挨拶をしようとした矢先に二人で話が盛り上がっていたのだから、話す暇もなかった。これでもう行こう、なんて言われたらどうしようかと思ったくらいだ。少しだけ不機嫌な声で言い返すと、さらに不機嫌にさせるような事を言われる。
「じゃあその間、あなたの護衛騎士を借りるわね」
「は?」
「あなたの事で色々話したい事もあるし……。先に森に行っているわ。挨拶が終わったらクリスくんにでも送ってもらって」
「え、ちょっと、なに勝手に」
「じゃあ行きましょうか」
こちらの話も聞かず、ジノルグの袖を引っ張っていく。
だがロゼフィアは無意識にばっと手を出していた。ひったくるようにジノルグの腕を掴む。急に乱入したロゼフィアに、ディミアとジノルグは目を丸くした。傍にいる二人も、驚くような顔になる。
一気に周りがしんとなり、ロゼフィアははっとした。
無意識とはいえ、自分にしては思い切った事をしたものだ。
だが、ここで怯むわけにはいかなかった。
「ジノルグは、私の護衛騎士だから」
若干声が震えそうになったが、それだけ言えた。
するとディミアは目をぱちくりした後、急に笑い始める。
「いやだ、ロゼフィア。もしかして彼が取られると思ったの? 大丈夫。私はお父さん一筋だから」
「そういう事じゃなくて、」
「あなたの話をしたいの。それくらいいいでしょう?」
「…………」
ロゼフィアは少しだけ顔が険しくなる。
話をされるのが嫌なんじゃない。今この場で離れる事が嫌なのだ。
そしてジノルグがディミアと二人きりになるのが嫌なのだ。
なぜ嫌なのか、と聞かれたら答えられない。
とにかく嫌だった。自分から離れてほしくなかった。
「大丈夫だ。すぐ会える」
するとジノルグはそっと頭に手を置いてくれる。
こちらを安心させるために言ってくれたのが分かった。
そしておそらくディミアに気を遣っての発言でもあるのだろう。
さすがのジノルグでも、母の押しの方が強いという事か。
ロゼフィアは小さく頷く。
こんな事で彼に迷惑をかける方が申し訳なかった。
「いない間にロゼフィアの可愛いところ、たくさん聞いておくわね」
ディミアは楽しそうにそんな事を言ってくる。
若干鬱陶しく感じ、思わずむすっとした顔になるのは許してほしい。
「言うならロゼフィア殿本人に言いますので」
ジノルグはそう返した。
「あら」
「まぁ」
「ほぅ」
なぜかディミアの後でサンドラ、クリストファーも続いて呟く。
ロゼフィアだけが固まって何の反応も出せなかった。
そしてジノルグはすぐに「行きましょう」と言って研究室を出る。
ディミアは一度こちらを見た後、行ってしまった。
しばらく研究室の中が静かになるが、サンドラがくすっと笑う。
「優しいねぇ」
「…………うん」
胸が温かいものでいっぱいになる。
自分の事を分かってくれているだけで、嬉しかった。
「あー、懐かしい」
森に着けば、大きく息を吸う。
美味しそうに吐いて、彼女は微笑んだ。
「やっぱり森はいいわね。故郷の空気が一番だわ」
「それで、俺となにを話すおつもりですか」
「あら、余韻にも浸らせてくれないの? さっきも言ったでしょう? ロゼフィアの事を話したいの」
「本当に?」
それを聞いて相手は一瞬静かになる。
そしてこちらの顔を見て、にやっと笑った。
「……私に対してもその態度。昔と変わらないわね、ジノルグ」
名前を呼ばれ、そして本性が現れた。
城では初対面のふりをしたが、実は以前にも会った事がある。あの頃の自分はまだ若かった。そして相手は、その頃と変わらないほどに若い容姿をしている。
「
強調するように伝える。
ディミアはさらに口角を上げた。
そしてもったいぶるようにして口を開く。
「
「……全て?」
「話した上で改めてあなたに問うわ。私との
「…………」
ディミアは小さく息を吐く。
そして腕を組んだ。
「まぁ見たところ、ちゃんと守ってくれているようだけど。それに私は嬉しいの。ロゼフィアの事を本当に大切にしてくれて。あの子も少しは変わったようだし。それにあなただって、ロゼフィアの事が好」
「それを人に言われる筋合いはありません」
「……あら」
彼女はそっと自分の口を押さえる。
だがそれは、悪びれて行っているとは到底思えなかった。
「でも実際そうでしょう?」
「なにを言われても、俺は答えません」
「そう。ロゼフィアにも?」
「その問いには答えられません」
「……その返し方は少しずるくないかしら?」
だがジノルグは何も言わない。その様子に、ディミアは諦めたのか追及しなかった。そしてその上で改めて言った「全て」という内容を口にする。
それを聞いたジノルグは目を見開いた。
「……その話、ロゼフィア殿には」
「もちろんするわよ。向こうに行ってから」
「それでロゼフィア殿が納得するとお思いですか」
「納得しようがしまいが、それがあの子の運命よ」
「俺は納得できません」
「あなたの納得なんていらないの」
冷たいほどにディミアは言い切る。
背中に嫌な汗が流れる。
この後の言葉を聞きたくなかった。
だが目の前の人物は、容赦なく切り捨てる。
「ジノルグ・イギア。あなたはもう用済みなのよ」
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