43*交わした約束は

「……俺はもう必要ないという事ですか」


 静かにそう問いかける。

 我ながら落ち着いた声色だった。


「ええ、今そう言ったばかりだけど?」


 容赦ない程に冷たい声色。

 こちらに対して配慮の欠片もない。


 小さく息を吐きつつ、「……そうですか」と答える。

 そしてきっぱりとこう言った。


「分かりました」

「え」


 間髪入れずに出る素の声。


「なにか」


 それに対し思わず聞く。


 すると眉を寄せていたディミアはよりその皺を深くする。

 まるで信じられないものを見るかのような表情だ。


「あ、なた、仮にもずっとロゼの傍にいたのにあっさり頷くの?」

「必要ないと言ったのはディミア殿の方ではないですか」

「そう、だけど……。なんなの。あなたロゼの事嫌いなの?」


 なんでそういう話になるのだろう。

 ジノルグは思わず心の中でぼやく。


 散々こちらを煽っていたくせに、あっさり引けば引いたで驚いたような顔をされる。……だが、普通はそうかもしれない。用済みと言われ、これから先一緒にいられない事が分かれば、誰だって取り乱したくなるだろう。


「俺は、自分の決めた道に行くだけです」


 真っ直ぐ相手を見る。

 誰に何を言われようと、これだけは譲れない。


「……ロゼフィアのいない道に?」


 唾を飲み込みつつ慎重に聞かれ、思わず鼻で笑ってしまう。

 笑ってしまった理由は二つ。ディミアは見当違いをしている事。そしてもう一つ、彼女の言動が矛盾している事。


「あなた、今馬鹿にしたわね?」


 鼻で笑ったせいか、むっとされる。


「いえ。思わず笑ってしまっただけです」

「やっぱり馬鹿にしてるんじゃない!」


 不機嫌になったのか、ディミアの頬が膨らむ。

 怒り方がロゼフィアとよく似ている。やはり親子なのだろう。


「それで、俺にどうしてほしいのですか」


 少し意地の悪い質問をする。

 すると案の定、相手は嫌そうな顔をした。


 黙っている様子を見ると、どうやら言うつもりはないらしい。

 だがディミアの考えは分かりやすかった。


 離れさせようとしていたのに、あっさり承諾すれば待ったをかける。おそらく、離れてほしくないのが本音だろう。もし「分かった」と言わず少しでも粘れば、違う反応を見せただろうか。


 どちらにせよ、自分の思いは変わらない。


「俺から離れる事はありません。これから先も、ずっと」


 ディミアは少し目を見開いた。


 しばらく黙り、真剣な表情になる。

 ぽつりと問いかけた。


「私との約束、守った?」


 全て話したからこそ、最後の問いなのだろう。


 この問いは、実際に護衛をすると決まってからもしつこくディミアに聞かれた。聞かれる度に答えていたが、毎回心に重しが乗ったかのように苦しかった。だが今は違う。なぜか晴れ晴れとしていた。それは、改めて自分は彼女の傍を離れないだろうと、核心したからかもしれない。


「はい」


 はっきりと答える。


 すると彼女はふっと微笑む。

 今までで一番優しい表情だった。


「じゃあ、その約束も今日で無効ね」

「……?」

「だから、今日で終わり。自由にして」


 思わず息を呑む。

 そしてディミアと初めて会った時の事を、思い出した。







「ね。会ってほしい子がいるの」


 騎士団での稽古を終えた後、唐突にそんな事を言われた。


 紅色の鮮やかな髪をなびかせながら微笑む女性。

 彼女がこの国の魔女である事は、聞かされていたので知っていた。


 同期の騎士達が驚きつつ、好奇の眼差しで自分と彼女を見る。まだ十八になったばかりの騎士に魔女が用事とは、何事だろうと思ったのだろう。それは同意見だ。まだ騎士として未熟なところがあるはずなのに、わざわざ会わせたい人がいるというのがよく分からない。


「ついて来て」


 まだ何も言ってないというのに、相手は歩き出した。


 いきなり言われたので足は止まったままだったが、魔女は気にせずどんどん先に進んでいた。どう見ても置いていかれると分かり、不本意だがついて行く。行き先は森だ。魔女が住む森として聞いていたが、行くのはこれが初めてだった。鬱蒼と生える木々が左右に並ぶ中、簡素に整備された道を馬を使って進んでいく。


 その先には、小さい家があった。


 そのまま中にでも入るのかと思いきや、魔女はそそくさと茂みに身を隠した。手招きされ、自分もその横に並ぶ。しばらく待っていれば、その家から誰かが飛び出してくる。


 ふわふわとした淡い桔梗色の髪は肩まであり、左右違う瞳を持つ少女。その目には、なぜか涙が溜まっている。しばらく彼女は外に出て俯いていたが、その後家から出て来た年老いた女性が慌てた様子で彼女に声をかける。そして二人はまた中へと入って行った。


「可愛いでしょ」


 隣でそんな風に言われる。


「……泣いてましたけど」


 思わずツッコむ。


 可愛い云々より泣いているところを心配すべきではないだろうか。そう思って言ったのだが、相手は気にせず「いつもの事なのよ」と返してきた。


 そして小さい溜息をつく。


「最初から上手くできるわけないのに、できない度に泣き出すんだもの」

「……はぁ」


 よく分からないが、魔女は魔女で色々とあるらしい。

 だが自分にはその事情がよく分からないので、その返し方しかできなかった。


 するとなぜかにこっと笑われる。


「で、あの子を見てどう思った?」

「は?」


 いきなりの質問に素の声が出た。

 だが相手は笑ったままだ。若干それが怖い。


「別に……なにも」


 嘘もつけないので正直に答える。

 するとあからさまに不満そうな声を出した。


「ええ? 可愛いでしょ? 将来美人に成長しそうじゃない?」


 確かにまだ幼いが、整った容姿ではあると思う。が、おそらく自分より歳も下だ。まだ少女の年齢の彼女を見ても、何も思わない。


「それは成長しないと分からないと思いますけど」

「なんですって? うちの娘が可愛くないとでも?」

「いや、そういう意味じゃないですけど」


 なるほど。どうやら彼女は魔女の娘らしい。

 魔女の話は聞いていたが、娘がいる事までは知らなかった。


「それで、俺に何の用ですか」


 いい加減ここに連れて来た意味を知りたいと思い、こちらから話を切り出す。さすがに鍛錬後な事もあり、娘の話をずっと聞き続ける労力はない。すると相手は口を尖らせた。


「あなた、噂に聞く真面目ぶりね。まだ十八でしょう? 大人過ぎない?」

「他の事に目がいかないだけです」


 嘘ではなく、本当の思いだった。


 元々国のためになる事をしたいと思っていた。そして騎士になった。周りから期待されているのも、なんとなく感じている。期待されているのなら、より自分自身を高めないといけない。地道な努力を続け、誰にも負けないほどに鍛錬しないといけない。今の自分は、他の事を気にしている場合じゃなかった。よそ見もしないで、常に前だけを見る。自分の決意した事が、ぶれないように。


 すると感心するように何度も頷かれる。

 どうやらこちらの意志を感じ取ってくれたらしい。


 その上で、意外な事を言われた。


「実はあなたに頼みたい事があるの。私の娘の護衛をしてくれない?」

「護衛……?」


 魔女を護衛するという話は聞いた事がない。目の前の魔女もそうだ。もし魔女を護衛した事があるのなら、騎士団を中心に話は広まるだろう。だが実際そんな話はない。むしろ護衛など必要ないくらい、この国は安全で比較的穏やかだ。


「なぜ護衛が必要なのですか」

「……当然の反応ね。でも必要なの。受けてくれるかしら」

「質問の答えになってません」

「実際護衛をしてもらうのは当分先よ。今ではないわ」

「では尚更、なぜ俺に頼むのですか」


 今じゃないのなら、なぜ早い段階で自分に頼むのだろう。

 それなら別に自分じゃなくてもいいではないか。


 だが魔女はきっぱりと答える。


「あなたほど優秀で真面目な騎士はいないからよ」

「……俺の他にもいると思いますが」


 実際優秀で真面目な騎士は他にもいる。

 そういう騎士を求めているのなら、自分以外にも適任はいるはずだ。


 だが魔女は何度も首を振った。


「駄目。無理よ。他の騎士も観察したけど、あなたに勝る人はいないわ。私がいるだけで珍しそうに見てくるもの。その点あなたは私に目もくれなかった。ただ目の前しか見てなかったわ」


 相手の言いたい事はなんとなく分かった。


 魔女はその美しい容姿故か、とても目立つ。男ばかりの騎士団にいるまだ若い騎士からすれば、どうしても惹かれる存在なのだろう。そして自分は確かに目もくれなかった。よそ見している暇があったら少しでも鍛錬の時間に費やしたいと思っていたからだ。


「同期は確かにそうかもしれないですが、先輩方なら」

「いーえ同じね。あなたに勝る人はいない。だから私はあなたがいいの」

「…………」


 どうやら知らぬ間に他の騎士達の選別もしていたようだ。その中で選んでもらえるのはありがたいが、それでも自分で判断できる問題ではなかった。実はもうこの時点で、国王であるリチャードから王女であるアンドレアの側近をしてみないか、という話が出ていたのだ。


 大変光栄な事であるし、より責任のある仕事を任せてもらえると思った。そしてよりこの国の貢献ができると思った。もちろん了承した。だから魔女の提案に乗る事はできない。


「あ、ちなみにだけど」


 こちらが何か言う前に、魔女はある紙を見せてくる。


「国王からはちゃんと承諾もらってるから」

「なっ、」


 見れば確かにリチャードのサインが入っている。ご丁寧に王族の紋章の印まであった。サインまでなら偽物かもしれないと疑う事ができるが、ここまで入っているとさすがにこれは本物と言わざるを得ない。


 だが分からなかった。国王が承諾していたとしても、なぜ承諾したのか。そして、なぜ承諾しておきながら自分に側近の座を用意すると言ってくれたのか。


「安心して。あなたが王女の側近をした後、私の娘の護衛をしてもらうわ」

「側近の後、ですか?」

「そう。悪いけど、護衛をしてほしいタイミングはまだ分からないの。あの子が十八か、二十くらいかなとは思っているけど」

「今彼女はいくつなのですか」

「十三よ」


 つまり、早くて五年後という事か。

 しかし、そんなに先の約束をなぜ今するのか。


「あなたに早くお願いしているのは、あなたに意識してほしいからよ」

「意識?」

「そう。あの子……ロゼフィアの事を考えて欲しい」

「なぜ」


 すると彼女は目線を家に向ける。

 その横顔は、少し寂しそうに見えた。


「あの子は、ある意味可哀想な子だから」

「……?」

「とにかく、お願いしたいの。やってもらえるわよね?」


 上手くはぐらかされた気がするが、はなから拒否権がない事だけは分かった。こちらが何か言う前に、外堀から埋めている。国王から承諾を得たというのなら、こちらが断ってもしつこく言ってくるだろう。


「……分かりました」


 不本意だが、そう答えた。


 本当は色々聞きたい事があったが、それをすぐに答えてくれる人物じゃない事はすぐに分かった。なのであえて聞く事はしなかった。


 すると相手はにっこりと笑う。


「ありがとう。じゃあ早速お願いがあるんだけど」

「? 護衛はだいぶ先だと」

「ええ、護衛自体はね。だからここからは別のお願い」


 ついでに複数の頼み事をするつもりか。


「ロゼフィアの事を気にかけてあげて。これからずっと」

「気にかける?」

「観察、とでも言えばいいかしらね。ただ見るだけでいいわ。あの子の成長を、あなたにも見てほしい」

「ですが俺は」

「観察するくらいの暇はあってもいいわよね?」


 ずいと近寄ってきて言われる。顔は笑っているのに、その声色は有無を言わさないほど圧がある。本当なら鍛錬に集中したい、と言いたかったのだが、それは許されなかった。渋々承諾する。


「護衛をしてほしいタイミングは、また伝えるわ。それと」

「なんですか」


 自分が納得した上での依頼ではないため、少し声に苛立ちが入る。元々全ての事は自分で決めてきた。こんな風に押し付けられるような事は初めてだったのだ。感情的になるのも無理はない。


 だが魔女はそんな様子を物ともせず、真剣な顔をした。


「一つだけ約束。絶対にロゼフィアに気持ちを伝えないで」

「……は?」


 大真面目でそう返したのだが、相手の表情は変わらなかった。

 そしてなぜか意味深な事を言われる。


「約束は、必ず守らなければならない。そのために、今日の出来事を決して忘れてはならない」


 まるでこの先自分がロゼフィアの事を好きにでもなるかのような言い方だった。だが意味が分からなかった。今日初めて見た少女を好きになるわけがないし、むしろ押し付けられたような気さえした。


「あり得ません。そんな事は」


 そうはっきり伝えた上で、ロゼフィアの護衛を引き受けた。







 ――今思えばあの時の自分は若かった。


 そして余計な事を言ったものだ。まさか自分の言葉で後々苦しめられる事になるとは。それでも約束は約束なので、守り続けた。


 だからこそ、ディミアの言葉は予想外だった。


「しかし、」


 それなら自分は何のためにこの約束を守り続けたのか。今まで何度も念押しするように聞いてきた。それは何かしらの理由があったはずだ。それなのにこんなにもあっさり解禁にしていいのか。


 すると相手はふふ、と笑う。

 なんだか形勢逆転したかのような雰囲気だ。


「この約束をしたのには確かに意味はあったけど、もう意味がないと判断したの。だから自由にして。むしろわざわざチャンスを与えたのよ? 後は自分で決めなさい」


 ディミアは両腰に手を当てて顎を上げる。どこか偉そうな態度だが、母親なのだから当たり前か。大事な娘に近付くのを許し、そして気持ちを伝える事を許してくれた。……今まで注文をつけてきたのはどちらなのだか。


 すると急ににやにやされる。


「それとジノルグ。あなたのその反応を見ると、やっぱりロゼフィアの事が」

「その問いには答えませんよ」


 即座に伝える。

 するとつまらなそうな顔をされる。


「なによ。もう認めているようなものじゃない」

「周りからどう言われようが俺の口から言う事はありません」

「ええ? せっかく約束を無効にしたのに? 言わないの? ロゼにも言わないの?」

「しつこいです」


 少し強めの口調で言えば、ディミアは黙った。


「……まぁ、いいわ。どうせ傍にはいるつもりなんでしょう? 自由にして、って言ったのは私だしね。でも私としては、今すぐにでもロゼフィアに気持ちを伝えるのがベストだと思うんだけど」


 なぜかわくわくしたような顔で言われる。

 勝手に決めないでほしい。そしてなぜ伝える体で話を進めるのか。


 思わず溜息が出た。


「無理でしょう。先程説明された事がこれから起こるのだとすれば、仮に伝えたとしても俺の気持ちは邪魔でしかありません」

「え、でもそこは愛の力で……」

「本の読み過ぎじゃないですか。現実はそんなに甘くありません。むしろロゼフィア殿にとってはいい機会だと思います。今回の事は彼女の力が必要ですから」

「……ジノルグってほんと現実的ね。そこは自分も支えるとか言わないの?」

「言われなくても支えますので」


 ディミアは一瞬きょとんとする。

 だがすぐに笑い声が込み上げる。


「さすがね」


 笑い出したディミアを見て、ジノルグも思わずふっと笑った。

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