40*本心の言葉を
ふと目が開く。
美しい金色のそれは何度か瞬きし、こちらに顔を向ける。
アンドレアは一瞬動けなくなった。
彼はゆっくりと微笑む。
「……アンドレア」
名を呼ばれ、すぐに身体が動く。
涙が溢れた顔のまま、抱き着いた。
「良かった……良かった……」
無事である事は分かっていても、目が覚めるまでは安心できなかった。丸三日は寝ていたのだ。心配にもなる。するとオグニスは優しく背中を撫でてくれた。何度も、何度も。しばらくするとアンドレアも落ち着き、そっと身体を離す。
痣のなくなった彼の顔は、とても美しかった。
その頬にそっと触れる。
「アンドレア」
優しく名前を呼んでくれる。
相手もその手に手を重ねてくれる。
「なに?」
「ありがとう」
首を振る。
助けてくれたのは皆だ。
皆がいなければこうなっていなかった。
だがオグニスは嬉しそうに笑う。
「君が好きだ」
「…………え?」
アンドレアは目を丸くする。
しばらくしてから、また泣きそうになる。
「それは……本心なのね?」
ずっと聞きたかった。
するとオグニスは笑みを濃くする。
「ああ」
「……私も好きよ」
そう返せば、二人はすぐに抱き合った。
まるで一つになったかのように、力強く抱きしめた。
「殿下の目が覚めた!?」
「それは本当か!」
オグニスの話は城中、いや国中に広まった。
城の者は忙しく動き、飾りつけを行う。どうやら今夜、ささやかなお祝い会が開かれるようだ。ばたばたと走り回る足音と共に、嬉しそうな声までも聞こえてくる。
ロゼフィアとジノルグは、部屋へと案内されていた。
中に入れば、オグニスとアンドレアがいる。
もう体調はいいのか、身なりを整えて椅子に座っていた。その顔には仮面がある。その事に若干驚いていると、オグニスの方から声をかけてくれた。
「心配をかけたな。ロゼフィア殿。ジノルグ殿」
仮面をかけているものの、肌の血色が良いように見える。
聞けば、全身にあった痣もなくなったようだ。腕をまくれば、何もない。
「なぜ、また仮面を?」
聞きにくい事をジノルグがずばっと聞く。
思わずロゼフィアはぎょっとした。
相変わらずストレート過ぎだ。
だがオグニスは笑った。
「痣は消えても、まだ人前に顔を見せるのは怖いんだ。アンドレアの前では平気なんだけどね」
言いながら隣に座る彼女の手を握る。
アンドレアは嬉しそうにオグニスを見ていた。
聞けばダビトや親しい者に顔を見せる事はできるようになったようだ。だが、それは目を閉じた上で。自分が目を開けた状態で顔を見られるのは怖くて難しいらしい。だからこそ、まずは気心の知れた相手に見てもらう事で慣らしていきたいのだという。アンドレアに対しても最初はそうだったようだが、今は目を開けたままでも大丈夫になったようだ。
女性騎士達の言葉を借りるなら、まさに愛の力、だろうか。
「ロゼフィア殿にも感謝している。ありがとう」
深く頭を下げられる。
慌ててロゼフィアも頭を下げた。
「私というよりヴァイズのおかげで」
「彼女にもお礼を言いたいのだが、あいにく感謝を素直に受け取る奴じゃないからね……。国に帰ったらよろしく伝えて欲しい」
「わ、分かりました」
頼まれたのはこれで二人目だ。オグニスにも言われるという事は、ヴァイズはよほど感謝をもらうのが苦手らしい。少し意外に感じたが、そこは自分と似ているかもしれない。自分も感謝されるのは少し苦手だ。感謝される事自体は嬉しいのだが、どう返していいのか分からなかったりするのだ。
するとオグニスは頷く。
しばらくしてから迷いつつこう聞いてきた。
「今の私は、普通かな?」
「え?」
突拍子もない事を言われ、思わず声が出る。
するとはは、と笑われる。
「いきなりだったね。こう、普通に会話ができているかなと思って」
「普通に……。はい。大丈夫だと思いますが」
自分の返答に間違いがないか少し不安になりながらも答える。するとなぜかほっとしてくれた。それを見たアンドレアが口を開こうとしたが、オグニスが止める。そして再度言葉を続けた。
「仮面のせいもあって、ずっと本心を隠して生きていたんだ。でも呪いもなくなったし、そうする必要もないと思ってね。……と言っても、本心が何なのか、よく分からない事の方が多いんだけど」
本心に関する事を、そのまま簡潔に説明される。
聞いていい話なのかと思ったが、むしろオグニスは伝えたいと思って言ってくれたようだ。内容は想像するよりも壮絶なもので少し胸が痛くなったが、今はどこか晴れ晴れとしている様子だった。
その様子を見ながら、ロゼフィアは思った事を伝える。
「王子は、初めて出会った時と変わっていません。王族としてしっかりされている印象はありましたが、それは王子の性格そのもののように思います。ですから、無理に変えなくても、そのままの王子でいい気がします」
皆のために、本心を隠して「王子」という理想を壊さないように努めていたところがあるのだろう。だが、オグニス自身も謙虚で礼儀正しい。話を聞いているとあたかも皆の前では「演じていた」ように言っているが、そうは思わない。ただ自分の気持ちを押し殺して立派に振舞っていただけだ。オグニス自身の良さが全部隠されていたわけじゃない。
すると少し驚いたような反応をされる。
「アンドレアにも同じ事を言われたよ」
「ほら、だから言ったでしょう?」
隣でアンドレアは口を尖らせる。
オグニスはそんな彼女に対して笑った。
なんだか微笑ましくてこちらも頬が緩む。ちらっと見れば、自分の隣に座るジノルグも穏やかな表情をしていた。オグニスに対してもだろうが、大事な主君の笑顔を見て嬉しくなったのだろう。
ひとしきり笑った後、オグニスはこんな事を言いだす。
「そうだ。二人の関係に進展は?」
「「は?」」
思わず二人共が息を合わせる。
いきなりの事に言われた意味が分からない。
「ちょっとオグニス……!」
アンドレアもぎょっとして声をかける。
すると彼は悪びれる様子もなく「ああ」と声を出した。
「そうか。……ジノルグ殿、ちょっと別室に来てくれるかな」
急に二人は移動し、その場を離れる事になった。
唖然としつつ見送る。アンドレアも意外だったらしく、苦笑した。
「わざわざ別室に移動って事は、男同士の話かしらね。私達は私達で話しましょ」
「そうね」
こちらも苦笑しつつ頷いた。
「話というのは」
別室に移動して椅子に座る。
相手が座るのも確認した上で聞けば、オグニスの口角が上がった。
「まず、ここでは身分を気にせず話してくれたら嬉しい」
「分かりました」
なぜだろうと思いつつ、頷く。
するとすぐに「ロゼフィア殿の事だよ」と言われる。
なるほど。だからわざわざ身分の事を持ち出したのか。相手は自分がロゼフィアの事になるとどうなるのか、という事を分かった上で言っている。
「彼女が、なにか」
「私から見ても、君はロゼフィアの事を好ましく思っていると感じる」
ジノルグはあえて何も言わなかった。
この場合、色んな捉え方ができると思ったのだ。
「でも君はその気持ちを彼女に伝える気がないように見える」
無言を通した。
相手は気にしていない様子だった。
「もちろん言動では彼女を大切に思っているのが分かる。だが……頑なに
「……なにがですか」
「私の推理、とでも言おうか。理由があるなら問うつもりもない。私には関係ない事だしね」
「関係ないと言いながら、なぜこのような話をするのですか」
オグニスの発言は矛盾していた。
そう聞けば、優しく微笑まれる。
「
その言葉に少しだけ思い当たる節があった。
以前こちらに来た時のオグニスは、とても丁寧でアンドレアに対して思いを寄せていたように見える。それはこの国に来てからも。だが、彼は彼女にさえ秘密を隠していた。結果的に呪いが出てしまって分かったのだ。おそらく、呪いが発動しなかったら言わないままだったのではないだろうか。
するとこちらの考えが読めたのか、口を開く。
「呪いの事はアンドレアに言うつもりはなかった。あの時はこうして治るなんて思ってもみなかったからね。僕のせいで彼女が苦しむのは嫌だったから」
「…………」
「でも彼女のおかげで呪いが解けた」
はは、と軽く笑う。
「心配をかけたくなくて遠ざけようとしたのに……何が起こるか分からないものだね」
「…………」
今回の事はオグニスにとっても予想していなかったのだろう。アンドレアに少なからず想いを寄せているのは見て分かったが、それでも特別何か行動している様子はなかった。それは呪いの事があったのだろう。だからこそ余計な事を言うつもりはなかったのだ。
彼はちらっとこちらを見てくる。
「僕が君に何を言いたいか分かるかな?」
「……分かる気はしますが、はっきりと口に出していただかないと分かりません」
ばっさりと言い切る。
すると相手は大きく笑った。
しばらくオグニスの笑い声が響く。
「本当に、君は正直だね」
「ありがとうございます」
「じゃあ言わせてもらおう。気持ちを伝えた方が、これからの困難を乗り越えられるんじゃないかと思う」
困難、という言葉にピンと来る。
見ればオグニスは真剣な表情になっている。
「魔女の変な噂はアンドレアに聞いた。ロゼフィア殿も巻き込まれる危険性がある事も」
アンドレアがいつ魔女の話をしたのかは分からないが、今回ロゼフィアを連れて来た理由は伝えていたのだろう。そしてオグニスは了承してくれた。そしてオグニスも一国の王子として警戒している。その上で、自分達を心配してくれている。それは分かったが、ジノルグはあくまで事務的に答えた。
「ロゼフィア殿は俺を信頼してくれています。そうでなくても、俺は彼女を守るつもりです。必ず」
「……彼女も、少なくとも君の事を好ましく思っていると思うよ」
「それは分かりません。俺はロゼフィア殿ではないので」
「気持ちを聞こうとはしないのか?」
「聞いて苦しめたくはないので」
ジノルグは席を立った。
これ以上話す事はないと悟った。いや、オグニスはまだ話をしたいのかもしれない。だが、こちらが答えないと話は続かない。答える気のない自分を見れば、相手は何も言えない事は分かっていた。
「もし」
ドアノブに手を触れようとして、止まる。
「もし、機会があるなら、君はロゼフィア殿に気持ちを伝える?」
ジノルグはゆっくり振り返る。
表情は変えなかった。
「愚問です」
無機質なドアの閉まる音を聞く。
一人残されたオグニスは、はぁ、と息を大きく吐いた。
「全て一人で抱え込もうとするのは、男の性かな」
「本当に良かったわね」
「ええ」
アンドレアは頬を緩める。
色々とあってすれ違いになりそうだったが、それでもこうして二人で乗り越える事ができた。呪いを解くために薬を作ったヴァイズだけでなく、オグニスを支え続けたアンドレアの功績は大きい。彼自身を助けたいという強い気持ちのおかげだ。
「それで、午後には帰ろうと思うの」
「え、もう? だって夜にはお祝い会があるんでしょ?」
「ええ。でもオグニスから言われたの。大丈夫だから早く帰った方がいいって」
苦笑しつつ言われる。
一緒にいたい気持ちはあったらしい。
だが、オグニスが決めたようだ。自分で臣下や民達に伝えたいと。今まで仮面を被っていた事も説明したいと。アンドレアがいてくれた方が心強いものの、これは自分の問題でもあるからしっかりと一人で行いたい、と言われたらしく、アンドレアが折れた。
陛下と王妃ともすでに話はしているらしく、呪いが解けた事を本当に喜んでくれたようだ。仕事の関係で少しの時間しか話せなかったようだが、「またいつでも来なさい」と言ってもらえたのだとか。
「じゃあ今日でここもお別れなのね」
三日のはずが五日ほど滞在した。
少し長いと感じたが、日が経つとあっという間だ。
少しだけ寂しく感じる。
「また遊びに来ればいいわ。その時はロゼも一緒に行きましょう」
「え、私は……。アンドレアだけ行った方がいいんじゃ」
「あら、騎士達と仲良くなっていたように思うけど?」
楽しげな表情で聞かれる。
だがこちらとしては微妙だった。
二日前に昼間から騎士同士の酒飲み合戦が開催されたのだが、正直皆を介抱するので精一杯だったのだ。ロゼフィア自身はお酒は飲まない主義なので、ほとんど裏方に回った。この国の騎士はお酒が強いようで(作っているお酒の度数も高いようだ)、こちらは完敗だった。酒は飲んでも飲まれるな。その教訓を忘れていたのか、こちらの騎士はまんまと潰れた。
ジノルグは強いらしいが、途中で逃げ出していた。
思えばこうなる末路を先読みしていたのかもしれない。
お酒に強いという事もあるが、変なテンションのまま話しかけられたりしたので、少し世話が面倒だと思ったものだ(あまりに度が過ぎる者はダビトが拳を作って制御してくれたが)。それでも皆大笑いしたり楽しんでいた。介抱は大変だったが、それでも楽しかったといえば楽しかったかもしれない。
「そうね。また来ようかしら」
言えば他の騎士達もまた来たいと思うだろう。
皆でまた来たら、きっとここの騎士達や城の者は喜んでくれるはずだ。
「お世話になりました」
「こちらこそ」
オグニスやダビト、マリー含めた騎士達、給仕の者も見送りに来てくれた。豪華な顔ぶれに少し恐縮しつつも、それぞれ挨拶を行う。この国の挨拶に習い、お互いの頬を合わせた。
異性同士だと少し恥ずかしさがあるため、同性同士で行う。男性同士は少し照れがあるのではと思っていたが、意外にも先輩騎士達はがっちり握手をした後、頬を合わせていた。良い友情が生まれたらしい。元々そういう事に抵抗がないメンバーらしく、さすがと思ったものだ。
「じゃあ、また来るわ」
「ああ。僕もまた行きたいと思っている」
「どちらが早いかしらね」
アンドレアはふふ、と笑う。
するとオグニスを一瞬の隙をついてアンドレアにキスをする。本当に一瞬の出来事で、一斉にどよめきが起こった。当のアンドレアは顔を赤らめ、ばしばしと相手の胸を叩く。いきなりで驚いたのだろう。だがオグニスは楽しそうに笑っていた。
皆が祝福モードになる中、ジノルグは別の事を考えていた。
『約……は、守ら…………。そのために…………忘れ…………い』
今も囚われるあの言葉。
片時も忘れた事などない。
祝福され、笑い合う二人を見て、小さく息を吐く。
この時ほど羨ましいと思った事はないかもしれない。
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