39*明るい雰囲気の中

 薬の味は変だった。苦いような、甘いような、よく分からない味で、でも今は飲ませる事の方が大切だと思った。だから無我夢中で口移しをした。相手は最初驚いたのか少し身じろぎしたが、手で頬を押さえていた事もあってそのままの状態でいた。しばらくすれば彼の喉が鳴る音が聞こえ、先程と打って変わってその場がしんと静まり返る。そっと唇を離せば、彼は目を閉じていた。


 聞こえるのは、呼吸音だけだ。


「大丈夫みたいやな」


 小さくヴァイズが呟く。

 思わずアンドレアは顔を向ける。


「本当?」

「ああ。顔を見てみ」


 言われて視線を戻せば、彼の顔にあった模様が、最初に見た時よりも薄くなっていた。完全になくなったわけではないが、それでも変化があるのは明らかだ。


 アンドレアは力が抜けてその場にへたり込んでしまいそうになる。床につくまでに傍にいたクラウスが腕を掴んでくれた。大人しくなったオグニスに、ダビトとジノルグもほっとしたような顔をする。


 ヴァイズが微笑みながら近付いてきた。


「やっぱり王女に頼んでよかった」


 どういう意味か分からず、困惑する。

 するとくすくす笑われる。


「御伽噺ではよくある話よ。病も呪いも、外的な事だけじゃ完全に治す事はできん。全ては思い……『愛の力』が大きい」

「もしかして、もう一つの条件って」


 ロゼフィアが問いかけた。

 ヴァイズは大きく頷く。


「そう。相手を助けたいと思う大きな愛。それがもう一つの条件」


 アンドレアに薬を渡したのも、それが関係していたようだ。薬自体が完成していたとしても、それをただ与えるだけではだめだと。薬だけでなくその思いを乗せて与えなければ意味がなかったらしい。一時はどうなるかと心配していたようだが、アンドレアの機転にヴァイズは舌を巻いていた。


「愛の口づけで助けるなんて、どっちが王子なんやろうな」


 どこか微笑ましい眼差しで彼女を見ている。


 アンドレアはみるみるうちに顔が赤くなった。あの時は必死だったが、今思い出して恥ずかしくなったようだ。しかもこの人数の前で行ったのだから、さらに恥ずかしさは増すだろう。ロゼフィアは慌てて話を変える。


「これで、王子の呪いは解けたの?」


 今は目を閉じ、眠っている状態だ。


 暴れる様子もないし、痛んでいる様子もない。

 呪いは解けたように見えるのだが。すると「いや」と返された。


「まだ完全じゃない。百年前の呪いがずっと身体にあったけんな。身体全体に薬が回るんは時間がかかるやろ。一日二日で治るわけじゃない」


 薬さえ完成すれば大丈夫だと思っていたが、現実はそう甘くはなかった。やはり、それだけ身体に蓄積されているのか。神妙な顔つきになる皆の様子に、ヴァイズはけろっとした顔で言った。


「やけんその間は、王女が看病したらいいと思うんよね」

「「「「え?」」」」


 一斉に声を合わせる。

 一番驚いているのはアンドレアだ。


 ヴァイズは頬を緩ませる。

 優しく語り掛けるように言った。


「ただ傍にいるだけでいい。……王女にいてもらった方が、治りも早くなるやろ」

「で、でも」


 少し迷ったようにアンドレアは周りを見る。


 本来なら三日で帰る予定だった。それは城に残している公務もあるからだ。オグニスを心配する気持ちはあっても、王族としてすべき仕事も残っている。だからこそ両者とも気にしているのだろう。するとクラウスがすぐに言葉をかけた。


「陛下に手紙を書きましょう」

「え?」

「陛下ならば分かって下さるはずです。それに、今すぐ行うべき仕事はありません。ですから大丈夫です」


 安心させるように、クラウスは少し微笑んだ。

 するとアンドレアもようやく安心できたのか、「ええ」と頷いた。







「本当に帰るの?」


 アンドレアがオグニスの看病を行っている間、ヴァイズは突然国に帰ると言い出した。オグニスの呪いはほぼ解かれたようなものであるし、必要な薬草も摘めたのだとか。だからもう用はないようだ。


「オグニスは王女に託したし、なんも問題ない」

「でも、もしもの事があったら」


 すると「心配し過ぎや」と返される。ヴァイズがそう言うなら、大丈夫なのだろう。それもそうかと思っていれば、そっと近付いて耳打ちしてくる。


「ま、せっかく城に残るんなら、紫陽花の魔女は騎士さんと話したらいいやん」

「別に話はいつでもできるけど」

「そうじゃないわい」


 キレのあるツッコミを入れられてしまった。


 相手が何を言いたいのかは分かっていたが、蒸し返す必要もないかと思ってそう言ったのに。だがこれは実行に移さないと国に帰った後、色々と面倒な事を言われるかもしれない。渋々頷く。傍にジノルグがいるので、聞こえないように小声で伝えた。


「……分かってるわよ、馬車での話でしょ?」

「分かっとるんならええわ。紫陽花の魔女から触れるんやで?」

「触れるって……結局何をすればいいの? 握手?」

「ん――――……」


 なぜか唸りながら微妙な顔をされる。


 心外だ。一番手っ取り早いのが握手じゃないかと思ったのだが。

 すると律儀に説明してくれた。


「腕を絡ませるとか、転んだふりして抱き着くとか」

「え」


 ぎょっとする。思ったよりハードルが高かった。


「そんなの、できないわよ」

「いや、散々ハグしとるんやったらできるやろ」

「無理よ。大体、それは私からじゃないし」


 するとヴァイズは一度溜息をつく。


「全部騎士さんからしてくるんやろ? やったら紫陽花の魔女からしても別にいいやん。もし怒られたら言い返してみ。『あなただってしてるじゃない』ってな」

「そう……かもしれないけど、でも」


 そもそもこの趣旨自体がよく分からなくなってきた。触れる事で何が変わるのか分からない。そしてジノルグがどんな反応を見せるのか予想できなかった。


「またその話か?」


 急に呆れた声が聞こえてくると思えば、いつの間にかレオナルドが話に入ってくる。どうやら見送りが遅いから様子を見にきたらしい。ちなみに後ろを見るように言われて振り返れば、ジノルグが少し怪訝そうな顔をしている。自分に隠れてこそこそ話しているからだろう。このまま長話はできないとみた。


「じゃ、そろそろ行くわ。また国に戻ったら話聞かせてや」


 これ以上話しても埒が明かないと判断したのか、ヴァイズが傍を離れる。そして連れてきていた馬に近付き、軽々と乗った。各国を移動しているだけあって、馬の扱いも手慣れているようだ。ロゼフィアは慌てて「待って」と駆け寄った。


「ん?」

「名前」


 一瞬目をぱちくりされる。

 ロゼフィアは再度伝えた。


「いい加減、名前で呼んで。私は確かに魔女だけど、それは私の名前じゃない」


 すると彼女はにっと笑う。

 馬の手綱を引き、進む直前に声を出した。


「またな。ロゼ」







 雪が穏やかに降っている。


 穏やかという表現は少し違うかもしれないが、ゆっくりと舞い降りているのだ。城に着くまでに浴びた雹と違って、優しくゆっくりと降る雪は、美しく見えた。


「なにを話してたんだ」


 やる事もないので庭で雪を眺めようかと思っていたのに、ジノルグが視界に入ってきた。そうなるだろうなと予想はしていたので、さして驚きもしなかったが。ちなみにレオナルドはそそくさと移動していて姿はない。


「別に……」


 いつもの返答になる。

 相手が納得しないであろうと分かっていながら。


 するとジノルグは隣に並んできた。


 顔は庭の景色を見ている。どうやら深追いはしないらしい。それ以上は何も言わず、視線は前だ。学んだのか、それとも諦めたのか。


 ロゼフィアはちらっと視線を動かす。

 下の方を見れば、当たり前だが手があった。


(……手くらいなら)


 触れても許されるだろうか。


 ヴァイズからすれば「違う」と否定されそうだが、さすがにそれ以上は無理だった。若干迷いつつも、そっと手を近付ける。相手にバレないようそっと距離を詰めていれば、いつの間にか触れていた。


 するとジノルグは気付いたのか、その手をすくうように触れてくる。


「お手か?」


 手に触れた事とその温かさに驚いていれば、そう言われる。確かに自分から手を先に出したし、見た目もそんな感じになってしまった。だがすぐに「違うわよっ!」と答える。ジノルグは小さく笑った。


「珍しいな。ロゼフィア殿から手を出すなんて」


 こちらとしてはそれどころじゃなかった。

 ヴァイズから聞いた話と全然違う。


 距離を取っている、と聞いていたのに、手を出せば普通に触れてくる。少し離れるとか、触れないとかいう選択肢を取ると思っていたのに。予想外の出来事に、少し慌てる。ロゼフィアはとにかく勢い任せに口を開いた。


「し、しもやけ」

「しもやけ?」

「できてたでしょ。治ってるか、気になってたの」


 そのまま両手でジノルグの手を見る。


 手の表面の内部にある赤みは、小さくなっている。少しは良くなっている様子だった。おそらくずっと温かい城の中にいた事も大きい。


「薬がよく効いた。さすがだな」

「それはどうも」


 お礼もほどほどに、手を離す。

 この場合、しもやけよりも理由がすぐに出た事に安堵した。


 すると再度手を掴まれた。

 驚いて思わず「な、なに?」と聞く。


「診療所ではすまなかった」


 いきなりの事で一瞬きょとんとしたが、すぐに思い出した。

 薬用酒を飲んで寝てしまった事だろう。苦笑する。


「大丈夫よ。ジノルグも疲れていたんでしょ? 少しは休めたみたいでよかった」

「いや、」

「え?」


 ジノルグは一瞬迷うように、言葉を続ける。


「後ろから、抱きしめただろう」

「…………」


 まさかのそっちか。

 むしろ覚えていたなんて。


 だが、動揺していると思われたくなかった。

 そのせいか、変な返し方になる。


「疲れてたから思わずそうしただけでしょう? ほら、抱き枕みたいな」


 言ってて自分で恥ずかしくなる。

 せめてもっと他の表現方法がなかったんだろうか。


「ロゼフィア殿が、」


 一度そこで言葉を切られる。


「俺から離れるかと思った」

「え……」


 ジノルグは気まずいのか、下を見ている。

 いつも真っ直ぐ前を向いているのに、珍しい。


「「…………」」


 しばらく無言になる。


 あの時のジノルグがどんな状態になっていたのかは、自分には分からなかった。意識がなく思わずそうしてしまったのか、それとも意識はあったのか。どちらにせよ、離れると思ったのだろう。それは、知らないうちに彼を不安にさせていた事にもなる。


「……ジノルグは私の護衛騎士で、私から離れる事はない……のよね?」


 そうだと思いつつ、もし例外もある、と言われたらあれなので、断定せずに聞く。するとジノルグはこちらに目を合わせて「ああ」と答えてくれた。


「だったら、私も同じよ。護衛対象なんだから、ジノルグから離れる事はない」

「だが、」

「離れないわ」


 今度はきっぱりと伝える。

 すると目を丸くされる。


 少し先走った発言になったかもしれない。だが、その思いに嘘はない。それでもどこか気恥ずかしくなり、それを隠すために早口でまくし立てた。


「とにかく、そんな事気にしないで。正式な護衛になったばかりじゃない。今まで不安があったかもしれないけど、これからはそんな事ないから」


 今まで護衛に対して否定的な事しか言っていなかった。ジノルグは気にしていない様子だったが、無意識に不安を覚えていたのだろう。だからそのような行動になったのだ。これは全面的に自分のせいでもある。距離を取ろうとした(この場合それは勘違いかもしれないが)のも、何か理由があったのだろう。


「……ふっ」


 すると小さく笑われる。

 思わず凝視すれば、相手は頬を緩ませたままだった。


「いや、すまない。まさかロゼフィア殿からそう言われる日が来るとは」

「なっ、」

「最初は断固拒否していたが」

「い、言われなくても分かってるわよ……!」


 前の話をここで持ち出さないで欲しい。


 思い返しても確かに拒否だけしかしていなかった。自分だって、まさかこうなるとは思っていなかったのだ。過去の自分に言える機会があるなら言ってやりたい。そんなに拒否しても自分から護衛を望む日が来るのだと。


「だが……ありがとう」


 穏やかに笑いかけてくれる。


 お礼を言われるなんて、初めてな気がする。

 むしろお礼を言う側の方が多いから。


 なんだか少しくすぐったかった。


「あ! ロゼ殿ー!!」


 元気の良い声に振り返れば、マリーだ。

 しかも他の騎士達も連れている。


 こちらも挨拶を返そうとする前に、女性騎士達に囲まれた。


「お話は伺いました。殿下を救って下さり、ありがとうございます」

「魔女殿が来て下さって良かった……!」


 口々にお礼を言われ、ぎょっとする。


「い、いや、薬を作ったのはヴァイズで、私は手伝ったくらいで」

「あ、それ聞きました。ヴァイズ殿って神出鬼没なんですよね、お礼を言いたくてもすぐに逃げちゃう」


 マリーが苦笑しながら言う。


 どうやら皆、ヴァイズとは顔見知りらしい。だがこちらから会おうとしても、ヴァイズの方が会わないように逃げているのだとか。このように毎度お礼を言われる事に少し困惑していたようだ。国に帰ったらよろしく伝えてほしいと頼まれ、頷く。


 また、アンドレアに対しても礼を言ってくれた。今はまだ看病をしている身なので、帰る前に改めてお礼を言いたいそうだ。夜会でオグニスと良い雰囲気である事は悟ったらしく、「本当に愛の力よねぇ」と目をきらきらさせていた。……どうやらこの国の女性騎士はロマンチックな人が多いのかもしれない。


 ちなみにロゼフィアが囲まれている間、他の男性騎士達がジノルグを囲んでいた。羨望の眼差しでジノルグを見たり、ぺたぺたと身体に触れている。「わ、腹筋すげ」「どうやって鍛えてるんですか?」と声が聞こえる。


「おージノルグ。ここにいたか」


 いつの間にか先輩騎士達もやってくる。


 ちなみにレオナルドもいた。こちらにアイコンタクトを取ってくる。どうやら邪魔しないように止めたものの、無理だったようだ。彼も気苦労が絶えない。


 ジノルグは彼らを見てすぐ顔を歪ませた。


「ぶっ。お前、嫌そうな顔するなよ」

「遠慮なく表情に出すようになったなぁ」


 先輩騎士達は気にせず爆笑している。ある意味強い。

 そして後ろに何か隠していたのか、ばっと取り出す。


「じゃーん!」


 見ればそれはお酒のようだ。

 美しい緑のガラスでできていて、見た目からして上質なのが分かる。


「どうしたんですかそれは」


 驚くよりも呆れたような物言いだ。

 先輩であるのに怪しんでいるのがありありと伝わる。


「んな顔すんなって。もらったんだよ、お土産にって」

「でもさ、持って帰ると取り合いになるだろ? だからもう飲んでおこうかなって」

「まだ夜にもなってないですが」

「いいじゃんたまには。それにほら、オグニス殿下の完全回復を祈って皆でぱーっとやろうぜ!」


 すると他の騎士達も「おおっ!」と嬉しそうな声を上げる。

 どうやら皆、お酒好きのようだ。拍手までしている。


「何の騒ぎですか」


 丁度通りかかったのか、ダビトまで顔を見せる。

 近くにいた騎士が簡潔に説明すると、彼は口角を上げた。


「なるほど。では私も参加しましょうか」


 てっきりオグニスの事を思って控えるのかと思ったのに、まさかの発言だ。ぎょっとすると、ダビトがこちらを見てくすっと笑う。朗らかな表情をしていた。


「殿下は皆が喜ぶ姿を見るのが好きなのです」


 仮面の事もあって、城の者や民達はオグニスを心配する言動が多かった。だがオグニスからすれば、自分のせいでそんな風に思ってほしくないと考えていたようだ。どんな時でも、楽しく、笑い声を響かせてほしいと、常々言っていたのだとか。だからこの国の者は、こんなに明るいのかもしない。


「よーし、そうと決まったら勝負だな」

「うちの者はけっこう強いですよ?」


 皆、楽しそうに食堂に向かう。ロゼフィアも後を追う。

 周りの明るさに、自然に笑みがこぼれる。


「ロゼフィア殿」

「ん?」


 振り返れば、ジノルグが手を差し出す。


「行こう」

「え? う、うん」


 その手は何だろうと思って見ていれば、相手はしびれを切らしたのか手を取る。手をつないだままの移動となった。「え、ちょっと」と声をかければ、ジノルグはにやっと笑う。


「離れないんだろう?」


 ロゼフィアは一瞬言い返そうかと考えたが、少し考えを改める。そして「そうね」と言いながら握る手を強めた。ジノルグは目を見開くが、ロゼフィアは気にせず足を早める。


 してやったり、とはこの事だろうか。


 この時のロゼフィアは、完全にこの楽しい雰囲気にのまれていた。無意識のまま、ヴァイズの言っていた「仕返し」なるものをしたのだ。当の彼は、誰にも顔を見られないようもう片方の手で隠しながら、少しだけ頬を染めていた。

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