27*厳格な騎士の帰還

 一瞬息が止まりそうになる。


 勢いのまま抱きつかれ、ロゼフィアは固まった。

 今何が起こったのかも分からない。


「あの、」


 どうにか声を出した。

 するとジノルグが身体を離す。


「大丈夫か」


 手を肩に置き、そう聞かれた。

 ロゼフィアは何度か瞬きをする。


「な、なにが?」


 だがそれで伝わったようだ。

 ジノルグはほっとするように息を吐く。


 そして顔をヴァイズに向ける。


「すまない。彼女を匿ってもらえないか」

「は?」

「なんか訳ありみたいやね。別にええよ」


 すんなりとヴァイズは頷く。


 ジノルグは短くお礼を言い、そして床に倒れたままのレオナルドを見つける。すぐに首根っこを捕まえ、乱暴にぶらぶらと揺らした。すると熟睡していたレオナルドの目がゆっくりと開く。


「あ? ジノ?」


 なんでここにいるんだ、というような言い方だ。

 ロゼフィアも同じ事を思った。


「いいから来い。あの人・・・が帰ってきた」


 するとまだ寝ぼけていたレオナルドの目が大きく見開く。

 そしてすぐに聞き返した。


「確かか」

「俺は嘘を言わない」

「そりゃそうだ」


 レオナルドは手短に自分の軍服を払う。

 急に身支度を整えだす。


 ロゼフィアは何も言えずにただその様子を見守る。

 すると店から出ようとしたジノルグが振り返った。


「後で必ず説明する。待っててくれ」


 真剣な表情に、何度か頷く。

 すると相手は安心したように小さく笑ってくれた。




 二人が出て行った後、店の中は静寂に包まれる。

 いきなりの事で驚く暇もなかった。


「紫陽花の魔女」


 名前を呼ばれたのでヴァイズの方を向く。

 彼女はにっこり笑っていた。


「さっきキャンディーの効果が出たね」

「え?」

「ほら、さっき騎士さんが抱きしめてきたやろ?」


 もしかして、そういう効果が出るキャンディーだったのか。確かに今まで抱きしめられた事はない。……聞かれてからならあるが。だが普通はそんな事をしないし、心配性のジノルグでも触れてまではこない。つまり、キャンディーを食べたからジノルグはあんな事をしてきたのか。それにしても、ヴァイズの薬はどこか曖昧なものが多くて、薬の効果なのか本当なのか分からなくなる。


「なーんて」

「え」


 両手を出してさらにヴァイズは笑みを濃くする。


「嘘よ。あれは薬の効果じゃないわ」

「え、じゃあなんでさっき」

「いや、信じてくれるかなって」


 あっけらかんと言われる。


 ロゼフィアは少しだけ顔が赤くなる。

 怒りというよりは、思い切り信じてしまっていた事に恥ずかしくなったのだ。


「ごめんごめん、いや、似たようなキャンディーはあるけんそうかなって思ったんよ。でもちょっと違うけん、これは薬の効果やないなって」


 機嫌を損ねたのが分かったのか、弁解してくる。まぁ薬の効果ではなかったので良かった、と思いながらロゼフィアは首を傾げた。良かった……のだろうか。


「紫陽花の魔女が食べたんは普通のキャンディーやったみたいやね。しばらくしたら必ず効果が出るはずやけん、何も起こらんのやったらただのキャンディーやわ」


 瓶の中には色々な薬の入っているキャンディーもあれば、ただのキャンディーも入れていたらしい。元々それは知っていたようだが、確率的に薬入りのキャンディーの方が多いので、一応気にしてくれていたらしい。ますますちゃんと種類別に分けた方がいいのでは、と思ったりもした。


「にしてもさっきの騎士さん、よっほど心配やったんやねぇ」

「え?」

「だって店に入って紫陽花の魔女見た瞬間抱きしめたんやで? 大事にされとる証拠やな」


 薬の効果ではないという事は、ジノルグ自身が行ってくれたという事だ。そんなにも心配してくれただなんて、一体何があったのだろう。身体に微かに残る温もりに、ロゼフィアは少し戸惑った。







 早足に路地裏を出て街の内部に入る。

 そしてすぐにある人物を見つけた。


 レオナルドは屈託のない笑顔を向けながら近付く。


「ヒューゴ殿。お久しぶりです」


 するとヒューゴ・ドレッセルは二人の姿を見てふっと笑った。長い金髪は一つに結って肩に垂らし、同じ金色の瞳を交互に向ける。二人よりも大人びた顔立ちをしており、歳も三つほど上だ。


「変わりないようだな、レオナルド」

「ヒューゴ殿も。変わらず美男子のままですね」


 すると相手は分かりやすくぎょっとする。


「おいやめてくれ。いい加減胃が痛い」

「その様子じゃまた言い寄られたんですか? モテる男は辛いですね」


 レオナルドは半分冗談、半分本気で言った。


 ヒューゴは国同士の仲介役として動き回っている騎士だ。他国と自国を常に行き来しており、滅多に自国で過ごす事はない。他国に招かれる場合もあるので、騎士団の代表者として自国の良さを伝えたり、他国の良さを記録に残す役割も担っている。


 そして彼は顔が整っており、身長も高い。自国のみならず他国でも女性から黄色い歓声が上がるらしく、若干胃を痛めながら仕事をこなしている。なんでも彼は女性が苦手のようだ。外見だけで判断されたくないとか。


「で、今回の帰還は急ですね。いつもなら騎士団に連絡が入っているはずなのに」


 ヒューゴは帰る前に必ず騎士団に一報入れている。


 なぜならヒューゴの話は今後の騎士団、そして今後の国のためにもなるからだ。今や色んな国に行っているので、ヒューゴの話を楽しみにしている後輩は多い。ヒューゴも後輩の面倒見はいいので、連絡はまめに入れてくれる。それなのに、今回は急だ。帰ってくる事を、割と昔からの付き合いであるレオナルド、そしてジノルグにも伝えてくれていなかった。


「ああ、まぁな」


 言いながらちらっとヒューゴはジノルグを見る。

 そしてレオナルドに目を戻した。


「レオナルド、紫陽花の魔女がどこにいるか知っているか」

「……それはまた。なぜです?」

「騎士団で信じ難い事を聞いた。ジノルグの護衛対象が紫陽花の魔女であると」


 レオナルドはちらっとジノルグを見る。

 そして容易に理解した。


 ジノルグも騎士団に一度帰ったはずだ。おそらくそこでヒューゴに会った。そして同じように聞かれたのだろう。「紫陽花の魔女はどこだ」と。ヒューゴが自国に帰ってくる時期はいつもバラバラだ。だからこそ騎士団の様子や騎士の事も詳しくは知らない。


「確かにそうですが……何かそれが問題でも?」


 なぜヒューゴがロゼフィアの事を気にするのだろう。

 むしろ女性は苦手で女性の名を口にする事も少ないというのに。


 すると彼は分かりやすく眉を寄せた。


「問題だと? 問題なら大有りだ。元々ジノルグは殿下の側近だった。……だが、自分から魔女の護衛騎士になりたいと言い出したそうじゃないか」

「……えーと」


 レオナルドが聞いている話だと、アンドレアから命令したはずなのだが。そう思ってちらっとジノルグを見れば、彼は器用に視線をずらす。どういう目的で護衛騎士になったのか聞いても話してくれなかったが、やはり自分から志願していたというわけか。


「殿下からの命令であれば文句はない。だが……なぜだジノルグ。なぜ殿下の傍を離れた」

「彼女の護衛騎士になりたかったからだ」

「だからそれがなぜなんだと聞いているんだっ! 名高い騎士であるお前が、ただの魔女の護衛騎士だなんて……地位も名誉も捨てているようなものじゃないか!」 


 吐き捨てるように言い放ったヒューゴを見て、レオナルドは心の中で溜息をつく。昔から知っている先輩騎士であるこそなのだが……ヒューゴはジノルグの事をとても可愛がっていた。そして、期待もしていた。


 だからこそ、アンドレアの側近に決まった時は自分の事のように喜んでいたし、他国に行く時もいつも気遣っていた。地位や名誉は騎士にとって大きな恩恵を与える。その思いが強いヒューゴからすれば、護衛対象を変えた事が許せなかったのだろう。


 そしてジノルグもそれに勘づいた。

 だから急いでロゼフィアを探してあの店まで来たのだ。


「俺にとって大事なのは、地位や名誉じゃない」


 感情的なヒューゴに対し、ジノルグは冷静だった。

 すると彼はぐっ、と歯を食いしばる。


「……そうだとしても、魔女を守る意味が分からない。彼女は薬学の知識があるだけだ。普通の人とそう変わらない。彼女を守る理由は何だ」

「守りたいから。理由はそれで十分だ」


 こうもはっきり言い返せるジノルグは逆に清々しい。相手が先輩であろうとお構いなしだ。ちなみにジノルグがヒューゴに敬語を使わないのは、昔からの仲だからだ。それはヒューゴも認めているので、誰からもお咎めはない。


「お前……それは私用も入っているんじゃないのか」


 ヒューゴの目が光った。


 ジノルグは動じない。

 むしろレオナルドの方が少し委縮した。


 確かにそう言われても仕方ない。しかも護衛騎士になったのは「ただ守りたいから」という理由だけだ。命令されたとか、他の理由なら納得してもらえても、その一言だけでは納得できないだろう。


 レオナルドはジノルグがどう答えるのか、少し緊張しながら黙って見守る。ただ仕事で護衛をしているのか。それとも他に何か思いがあるのか。


「俺個人の理由とはまた違う。彼女は守るに値する」


 まるで模範解答のような答え方だ。

 聞こえはいいが、どこか納得できない。


「……分かった。今日は諦めよう。だが、必ず彼女に会わせろ」


 ヒューゴの後半の言葉に、レオナルドはぎょっとする。

 声色が本気になっていたからだ。


「なぜ」

「護衛対象の方と話がしたい」

「彼女に何を言うつもりだ」

「どんな人物か見極めるだけだ」


 言いながらヒューゴは歩き出す。

 そして傍を通りながらジノルグに耳打ちした。


「俺は絶対に認めないぞ」

「…………」


 ヒューゴはそれ以上何も言わずに去ってしまう。

 振り返りもせず真っ直ぐ目を向けるところは、騎士としての誇りさえ感じた。


「……相変わらずあの人ジノの事好きだよなー」


 姿が見えなくなってからレオナルドがぽつりと言う。


 ジノルグは黙ったままだ。見習いの頃から指導してもらっていた。先輩というより兄に近いだろうか。自分の事を心配してくれているのは分かる。だが……考えても仕方ないため、すぐにロゼフィアの元に帰ろうとする。


「前から思ってたんだけどさ」


 レオナルドは遠慮がちにちらっと見てくる。


「なんだ」

「ジノってロゼ殿の事どう思ってるんだ?」

「さぁ」


 即答で言えば、レオナルドは盛大に息を吐く。

 こればっかりは誰に対しても同じ返答だろう。







 そっとロゼフィアは路地裏から出て街を歩き出していた。


 待っていろと言われたものの、やっぱり気になってしまったのだ。話の流れからすると、誰かが帰ってきたような内容だったが。自分に会わせたくないと言っていたが、一体誰の事なのだろう。


 気になるとどうしてもじっとしてられない。

 今までもそうだ。結局勝手に動いては怒られている。


 また怒られるかもしれないと思いつつ、楽しんでいる自分もいた。バレないように動けば問題ない。そっと見てそっと帰ればいいのだ。思えば、ジノルグと出会った頃からそれは変わらない。怒られようが自分の考えを曲げないのが自分の性格なのだろう。


 小走りで進んでいると、急に角から出てきた人とぶつかった。互いに小さい声を上げ、ぶつかった箇所をさする。ロゼフィアは鼻の頭をさすりつつ、目の前の人を見た。自分よりも背の高い、金髪の青年がいる。しかも軍服を着ていた。どうやら騎士のようだ。


 騎士ならばジノルグ達の事も分かると思い、声をかける。


「あの、ジノルグを見てませんか」

「ジノルグ……?」


 金色の瞳をこちらに向け、その騎士は眉を寄せる。

 そして驚いたような声を出した。


「紫陽花の魔女?」

「え? はい」


 自分を見るのは初めてなのだろうか。

 最近では色んな人とよく会うため、この反応は久々だ。


 すると騎士はすぐにこう言い出した。


「君か。うちのジノルグを誑かしたのは」

「……え?」

「一体どんな手を使ったのか……。もう二度とジノルグに近付くな」

「え、ちょ、ちょっと待って。どうして急に」


 どうして会った事もない騎士にいきなりそんな事を言われないといけないのだろう。だが、驚きと焦りの方が大きい。自分が何かしてしまったのだろうか。知らず知らずのうちに、ジノルグに迷惑をかけていたのか。


 すると相手はじろじろとこちらを見てきた。


「容姿は確かに珍しいが、それだけだ。それ以外は普通の人と変わらない」

「それは……まぁ」


 確かに変わらないとは思う。


「薬を売っているそうだな。それは何か特別な薬だったりするのか?」

「え? いや……普通の」

「じゃあ研究所で作られている薬と大差ないわけだ」

「まぁ……はい」


 森でしか取れない薬草はあるが、研究所には大きい庭園がある。だから育てようと思えばできるだろう。技術面でも優れているし、優秀な人は多いし、ロゼフィアでなくても代わりはいる。


「ジノルグに対して何かしてあげているのか。守られてばかりじゃないのか」

「…………」


 もはや言葉も出なかった。

 守られてばかりで何もできてない。


 ロゼフィアの反応に、騎士は鼻で笑う。


「ジノルグの護衛対象というならそれなりに優秀かと思ったが……やっぱり予想通りだな。何の役にも立ってない」


 もはやおっしゃる通り、という奴だ。


「あいつは命令で護衛をしている。だから君から離れられない。だが、君から言ってあげるんだ。もう護衛はしなくていいと。必要ないと。そうすればジノルグは解放される。君の護衛騎士をしなくて済む」


 そんな事、今まで何度も言ってきた。

 自分には必要ないからと。


 それでも彼は断った。

 何があっても傍にいると。


 ロゼフィアが拒んでいたのは、自分のためというより、彼のためだった。その方がきっと彼にとってもいいから、と。……目の前の騎士も言うのだから、同じように思っている人も多いかもしれない。


「……や」

「ん?」


 騎士は聞き返す。

 ロゼフィアははっきりと口に出した。


「いや」


 すると険しい顔をされた。


「どういう意味だ」

「彼は私にとって必要な人だから。だから……護衛を続けてもらう」


 正直自分は助けてもらったばかりだ。

 でも助けてもらった事で、前に進めたところはある。


 もっと恥じない自分になりたいと思えるようになった。


「それがジノルグのためにならないと知って」

「ジノルグのためになるように努力するっ!」


 相手の反論に、声を大きくする。


「なに?」

「役に立てるように、なるから。ただ守られてばかりじゃないように、努力する、から」

「口ではどうとでも言える」


 思いを込めたつもりだった。だが予想以上に厳しい言葉を返され、ロゼフィアは詰まる。確かに言葉でどんなに伝えても、目に見える形で示さなければ信用してもらえない。


「……なんでもする。なんでもするから」


 何をすればいいかさえも分からず、思わず口走ってしまう。

 すると意外にも騎士は食いついてきた。


「なんでも? それが仮に命を落とす危険性があるものでも?」

「……ジノルグのためなら。私にできる事なら」


 迷いなく答えられた。

 と同時に、なんて危険な駆け引きだと思った。


 でも負けたくなかった。


「じゃあ、」

「あまり彼女をいじめないでくれ」


 急に後ろから声が降ってくる。


 振り返ろうとすれば、目を手で隠される。視界が奪われ、思わずじたばたするが微動だにしない。だがその声と手の温もりは、すぐにジノルグだと分かった。


「勝手に話を進めるな。俺の許可なく彼女に接触するのも止めろ」

「たまたま出会ったんだよ。運命の導きという奴でな」


 どこか皮肉交じりだった。

 ジノルグはそれに返す。


「じゃあここで俺に出会ったのも運命の導きだな。……俺とロゼフィア殿を引き剝がす事はできない」


 最後の言葉に、少し心臓が締め付けられるような感覚を得た。痛いような、どこか温かいような。いや、少し熱くも感じるかもしれない。あまり得た事のない感覚に、自分でもどぎまぎしてしまう。


 ヒューゴはちらっとロゼフィアに目をかける。

 そして静かに言い放った。


「積もる話はまた今度行おう。数日は留まる予定だ」


 そして彼はそのまま歩き出した。

 行き先からして、騎士団の方に戻るのだろう。


「……あの、ジノルグ」


 いつまでも手で隠していたからだろう。

 そっと離せば、ロゼフィアは何度か瞬きした。


「ロゼフィア殿」


 ジノルグは正面を向いて真っ直ぐ目を合わせる。

 ロゼフィアも同じように視線を合わせた。


「なぜ店で待ってなかったんだ」

「あ……」


 結局バレてしまい、怒られる事になった。

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