18*仮面舞踏会へようこそ
アンドレアとオグニスは、城下を一緒に回っていた。案内すると言いながらも行く先は決まっておらず、ただぶらぶらと歩いているだけだ。その途中、オグニスが気になるお店や屋台に入っていく。雑貨を扱っているお店では、「花」に関する物が多かった。少し前に「花姫」のお披露目会があったから、その名残で置いてあるのだろう。女性が喜びそうな装飾品もたくさんある。
「アリアもこういうの好きか?」
並んである装飾品を見ながらオグニスに言われる。ネックレスやペンダント、イヤリングにピアス、ブレスレットに指輪など、種類も様々だ。特に女性は、おしゃれのためにつけている人が多いだろう。
だがアンドレアは肩をすくめた。
「あまり好きじゃないわね」
「へぇ、意外だな」
「ちょっと堅苦しく感じるから」
身に着けるべき時には身に着ける。それこそ王女なのだから、身なりに気を付けるのは当然の事だ。だが自分はそこまで好きじゃない。そのままの姿が自然でいいと思うのに、周りが口やかましく言う。
普段着ている服もカティがほとんど選んでいる。自分が選んだものは地味だの華がないだの、不評な事が多い。本当は楽な格好をしたいと思ったりするが、王女である以上それは許されない。分かってはいるものの、窮屈に感じる時もある。
「なるほど。考え方は人それぞれだな」
オグニスはそれだけ言った。
理解してくれるのは、少しありがたくも思った。
今度は魚市場に向かう。
城下は海にも近く、漁業も盛んだ。朝市に水揚げされ、至る所のお店で新鮮な魚介類が運ばれる。丁度お昼時な事もあって、二人は市場から近いお店に入った。しばらくすると料理が運ばれる。サーモンのマリネ、シーフードサラダ、オマールエビの蒸し煮、マグロのソテーなど、まさに魚介類尽くしだ。オグニスは一口食べてすぐに「美味しい」と声を上げた。
「気候も関係しているんだろうが、自然の恵みが多い国だな」
「まぁね」
「人も温かい人が多いし、いい国だ」
優しい言い方だった。
表情は見えなくとも、本心で言ってくれているのが分かる。アンドレアは純粋に嬉しく思い、顔をほころばせた。自分の国が褒められるのは嬉しいし、国の人々も優しい人が多い。それが彼にも伝わっているのだ。これほど嬉しい事はない。
「改めて来て良かった」
「そういや、あなたの国って」
本当は知っているのだが、本人の口からは聞いていない。むしろ知っている素振りを見せると怪しまれてしまう。なので聞いてみると、オグニスはあっさりと「レバレンスだよ」と答えてくれる。
「雪国ね。やっぱりここより寒い?」
「ああ。一年中雪が降るぐらいだから。採れるものも少ないし、珍しい物も雪の宝石くらいだ」
「雪の宝石?」
「そう。自然にできた宝石。壊れやすいけど、とても美しい」
アンドレアは思わず目を輝かせる。レビバンスにそんなものがある事は知らなかった。自然で作られた宝石というのなら、鉱物の宝石とはまた違うのだろう。元々珍しいものや自然は好きだ。だからこそ惹かれる。
「見てみたいわ」
「持ってきたいけど、溶けてしまうな」
「そうね。だから私から行くわ」
それがどんなものなのか自分の目で見てみたいし、触れてみたい。遠国でもあるのですぐには難しいかもしれないが、自分の足でレバレンスに行ってみたいと思った。チャールズが行ったのだから、自分だって行けるはずだ。
するとくすっと笑われた。
「断言するんだな。周りが反対するんじゃないか?」
「私はこれまで自分のしたい事をしてきた。もちろんこれからもそうするつもりよ。その代わり、与えられた自分の責任は果たすわ。それなら誰も文句が言えないもの」
実際今までも自分のしたいようにしてきた。周りがどんなに反対しようとも、自分の意志を曲げなかった。でもその分、王女として教養を磨いてきたし、身なりも美しく見えるように気遣っている。言われた事さえ守れば、周りも強くは否定できない。自分の人生だ。ただ見ているだけではつまらない。動かないと自分のしたい事はできないのだから。
「なるほど。逞しいな」
「誉め言葉として受け取っておくわ」
食後に運ばれたデザートを口にする。
甘さ控えめのフルーツジェラートだ。
オグニスはぼそっと呟く。
「少し羨ましい」
「え?」
「君は強い意志を持っている。僕は周りの目ばかり気にしてしまうからね」
「全然そんな風に見えないけど」
無意識に言葉に出してしまう。
堂々としているように見えるのだが。
すると軽く笑われた。
「それは隠しているからさ。悟られないように」
「……仮面を付けている事も関係しているの?」
ずっと気になっていた。色々と理由があるのだろうとは思っていたし、もし個人的な事情なら聞かない方がいいのかもしれないと思った。でも、聞きたかった。なぜ仮面を付けているのかを。
すると相手は静かに口を開く。
「少し事情があってね。でも、そうだな。仮面をつけている事で、より隠すようになってしまったのかもしれない。顔が見えないわけだから」
どこか自虐気味だった。
なぜかこちらの方が胸が痛くなる。
「家族とか、親しい友人には、ちゃんと素顔を見せているんでしょう?」
「まぁ、それは。でも、仮面をつけている時が多い」
「っ……」
自国でも仮面をつけたままの生活か。それはつまり、彼の素顔を知っている人がほとんどいないと言っているようなものだ。顔だけでなく、自分の心も素直に吐き出せる相手がいるのだろうか。だがそこまでは聞けなかった。そこまで踏み入って聞ける間柄でもない。
しばしその場がしんとなる。
相手は今日出会ったばかりの人だ。だから全てを理解する事などできないし、相手も別にそこまでは望んでいないだろう。それでも、アンドレアは自分が無力だと思ってしまった。縁あってここに来てくれたのに、この国の良さを褒めてくれたのに、こちらからは何もできないなんて。
「すまない。暗い話になったな。忘れてくれ」
ぎこちなくもオグニスが声を明るくする。
少しでも場を宥めようとしてくれたのだろう。
だがふと、店内に貼られているポスターを目にする。
それを見てアンドレアはある事を思い付いた。
「姫様っ!! 私を騙したのですね!?」
「声が大きいわよ」
帰ればカティの顔は真っ赤になっていた。
だがアンドレアは気にせず部屋に向かう。
「いい加減にしてくださいっ! 何もなかったから良かったものの、もし」
「あったわよ」
「はい!?」
アンドレアは表情を変えずに歩き続ける。
すると丁度よくこちらに向かってくる人物がいた。
「お呼びと聞いて参上しましたよ、殿下」
「最敬礼はいいわ。来てくれて感謝します。レオナルド」
わざわざ膝をついてくれそうだったが、時間が押していたので手短に申し出る。するとレオナルドはすぐに顔を緩め、笑顔を見せた。ちゃんとする時はちゃんとしているが、普段は気さくな騎士だ。
「で、俺に用事ってなんですかね」
「明日、とある場所で舞踏会が開かれます。そこでしてほしい事があるの」
言いながら一枚のポスターを手渡す。
折りたたんだメモも一緒だ。
「ほう。それまたどうして」
「いい機会だと思ったからよ。色々と内容は書いているけど、変えてもいいわ。全てあなたに任せます」
レオナルドはポスターとメモをさっと読む。
そして瞬次に把握したのか、にやっと笑う。
どうやら理解してくれたらしい。
「畏まりました。王女のお頼みなら、朝飯前ですよ」
「期待しているわ」
レオナルドはすぐに移動する。
カティはぽかんとしたまま見ていたが、すぐに聞いてきた。
「ひ、姫様? なぜレオナルド様を」
「必要な人材だからよ」
「舞踏会とはどういう事ですか。そんなものがあるなんて全く」
「私も今日知ったのだけどね。でも、きっと素敵な夜になるわ」
訳が分からないカティは目を白黒させるだけだ。
だがアンドレアは、小さく微笑んだ。
「ロゼ。今日はジノルグくん、姫様のところみたいだよ」
次の日。
サンドラに開口一番に言われる。
このようにいきなり別の要件を頼まれるのがジノルグである。
「今日はアンドレアか……。いつも忙しいわね」
事もなげにそう言ってしまう。護衛と言いながらジノルグが傍にいない時が案外多かったりする。最初のうちは驚いていたが、今では少し慣れてしまった。というのも、ジノルグだからこそ任せられる仕事というのがあるのだ。やはり優秀な騎士は一般的な騎士とまた違うのだろう。
「朝早くからレオナルドが来ていた。ジノルグは嫌な顔してたな」
クリストファーが鼻で笑いながら言う。
朝っぱらからレオナルドのへらへらした顔を見たら確かにジノルグもいらっとしそうだ。ちょっと可哀想に思いつつ、互いに気を許している関係ではあるだろう。ロゼフィアは苦笑した。
「まぁ今日は研究所で仕事をしてもらうからね。あまり気にせずできると思うよ」
サンドラがフォローしてくれる。
確かに自分の仕事場はここであるし、ずっと護衛してもらう必要はない。覚えないといけない事は山ほどあるし、逆に集中できるというものだ。ロゼフィアも「そうね」とすんなり頷いた。
思った以上に目まぐるしく一日は過ぎ、空もいつの間にか茜色になる。慣れない事に慌てたりしたものの、それでも基礎がある分仕事は新人よりできる。頼まれた仕事をこなしつつ、新人達と会話もするようにし、充実して一日過ごす事ができた。前よりは人と話す機会も増えてきたものだ。
「お疲れさん。今日は忙しかったでしょ。上がっていいよ」
にっこり顔のサンドラに言われる。思えば色々あったおかげか、ちゃんと一日働いたのは今日が初めてかもしれない。ロゼフィアはお言葉に甘える事にした。
「ええ、お疲れ様」
帰りながらロゼフィアは、空の色がだんだんと暗くなっているのを感じた。そしてジノルグがまだ帰ってこない事をちょっと心配する。いつもなら誰かを通じて何時頃に戻るか伝えてくれるのだが、今日は忙しいのだろうか。今回はアンドレアのところにいるらしいし、もしかしたら重要な任務かもしれない。
若干忘れていたが、オグニスを観察するという大事な役目もある。今日は結局城に行かなかった。頻繁に見たからといって何か変わるわけでもないし、チャールズからもできる時でいいと言われた。だから大丈夫ではあるだろうが、それでもどうしようと悩んでしまう。
すると急に肩をとんとん、と叩かれる。
「?」
「ロゼフィア」
「え……あ、アンドレア!?」
思わず声が大きくなる。
だが慌てて「しっ!」と口を塞がれた。
声を押さえるものの、驚いた顔のままになる。
「どうしたの急に。というかなんで一人で」
「ロゼに来てほしいところがあるの」
「え?」
「
「ちょ、ちょっとっ!」
無理やり手を引っ張られて連れていかれる。
しかもちゃっかり研究所の前には馬車があった。
馬車に乗り込めばすぐにとある場所に着き、そして部屋へと連れていかれる。そこには使用人達がずらっと並んでいた。何か言う前に着替えさせられ、髪をいじられ、化粧をされ、最初に来た時の格好とは一転、華やかな姿に変身する。鏡に映る自分が一瞬誰だろう、と思う程だった。
「あら、その姿も素敵ね」
「アンドレア……これ、なんなの。しかも髪が」
見れば髪が色のついた粉で染められている。元は紫色の髪だが、今では光沢がかっていた。使っている粉を見れば銀色のようだ。髪色が違うだけで、より別人のように見える。
「元が紫だと全部銀色に染めるのは難しいけど、それでも上出来ね」
「そりゃあ元々色があるんだから……って、だからこれは一体」
「はい、これ」
言いながら渡されたのは仮面だ。
丁度オグニスが付けていたような、目元だけのものだ。
「これ……」
「ここで仮面舞踏会があるようなの。皆が仮面をつけて、楽しく踊るのよ。ロゼ、自分が紫陽花の魔女だってバレるの嫌でしょう? でもこれなら、自分じゃない誰かになって穏やかで楽しい時間を過ごせると思って」
アンドレアも白い仮面をつける。
仮面をつけても彼女の美しさは損なわない。
さすがだと思いつつ、少し戸惑った。
「私のために?」
「ロゼだと分からないよう、髪の色だって染めたのよ。顔も見えないから、これなら紫陽花の魔女ってバレないでしょう?」
「銀色も目立つとは思うけど……」
なぜこの色を選んだんだろうという疑問は持ちつつも、ようやく理由が分かって落ち着いている自分がいた。いつも人込みを避け、人の目を気にしながら生活していた。今は研究所で仕事をしているので知っている人が多いし、理解してくれる人だっている。
だが一歩でも外に出れば知らない人から話しかけられるのが常だ。それにも若干慣れつつあったが、アンドレアは自分のために色々考えてくれたのだろう。
「でも、どうして急に?」
自分のためとは言え、あまりに急な話だ。
せめて前日でも言ってくれたらよかったのに。
するとアンドレアはちょっと困ったような顔をする。
「舞踏会があるのを知ったのが昨日だったの。準備に時間がかかってね」
「そうだったの」
「さぁさぁ、時間がもったいないわ。早く舞踏会を楽しみましょう?」
「え、もう?」
顔が隠れるからといってまだ心の準備はできていない。
だがアンドレアはお構いなしに腕を引っ張り、会場まで連れて行く。
ドアの前まで案内してくれ、耳打ちしてきた。
「仮面舞踏会だから、自分の名前を伝える事、相手の名前を聞く事はタブーよ。それだけ気を付けて。逆に素性を気にしなくていいから、自由に楽しめると思うわ」
言いながら背中を押してくる。
ロゼフィアはその勢いのまま、ドアを開けた。
そしてその光景に、息を呑む。
まずはその会場の広さに圧倒される。着飾った人々が多くいる中でも、部屋が広いためか窮屈には感じない。見上げれば大きくて輝くシャンデリアがあるし、部屋の端には丸いテーブルはいくつも並べられている。そしてその白いクロスの上には美味しそうな軽食に飲み物、デザートまで用意されていた。こういった場に参加する事自体初めてだが、とても豪華だ。
そして舞踏会というだけあって、会場の真ん中で踊っている男女がいる。楽器を持ちながら演奏している人達もおり、その演奏に合わせて踊っているようだ。それぞれが好きなように談笑したり、椅子に座っていたり、軽食を楽しんでいたり、本当に自由なのが分かる。
きょろきょろと周りを見れば、騎士達の姿もあった。軍服を着つつ、ちゃんと顔には仮面をつけている。辺りを警戒しているのを見ていると、多分何かあった時に対応できるようにだろう。そこは抜かりなくアンドレアが準備したのだなと思った。騎士達は警備しながらも、けっこう自由なようだ。たまに軽食をつまんだり、歩いたり、場にそぐわないぴりぴりした空気は出さないようにしている。
その中で、ドレスを着た若い女性に言い寄られている騎士もいたりして、見ていて少し面白かった。しきりに「仕事中なので」と断られているが、めげない女性達が可愛らしい。
そのままロゼフィアはゆっくり歩きながら、舞踏会の雰囲気を楽しむ。自分の素性も分からないからか、声をかけてくる人はいないし、なんだかほっとする。注目されないというのはこうも気が楽だったのか。少しはこの舞踏会を楽しめるかもしれない、とアンドレアに感謝した。
ふと、ある騎士の後ろ姿が目に入った。
遠くだが、なんとなくジノルグに似ている。
もしかして、アンドレアに頼まれた仕事はこの事だったのだろうか。そう思いながら近付くが、その騎士が振り返る。見ればジノルグではなかった。仮面をつけはいるが、唇の傍にほくろがあったのだ。ジノルグにはない。しかも他の人と話した時の声も違っていた。どうやら見間違いだったようだ。
(なんだ)
ちょっとだけ残念に思った自分がいた。
そうじゃないかと期待してしまったからだ。
本来だったら、こういう場に出る時は護衛としてジノルグも来てくれるだろう。周りがそう言うだろうし、ジノルグ自身も間違いなく付いてくるだろうし。でもアンドレアがそうしなかったのは、少しでも気を楽に一人の時間を楽しんでほしいと思ったのかもしれない。ジノルグは頑なに護衛をしたがるが、アンドレアはまだこちらの気持ちを汲んでくれる。だから、きっと自分のためにこういう場を与えてくれたのだ。ジノルグからも解放されて、自由に楽しめるように、と。
それはとてもありがたい事だし、実際気が楽だった。誰にも知られない事がこんなに楽で過ごしやすい事なんだと、久しぶりに分かった気がする。だが同時に、少し寂しくも思った。こんなにも華やかで楽しい場だからこそ、皆で……ジノルグと一緒の方が、もっと楽しかったんじゃないか、って。
だが、ロゼフィアは苦笑する。
(一緒にいる事が増えて、ほんと毒されているのかも)
当たり前だった生活が当たり前じゃない生活になって、でもそれもいつの間にか当たり前になっていく。一緒にいる事が当たり前になってしまったせいか、違和感を感じているだけだろう。だからそこまでの寂しさではない。自分でそう言い聞かせる。そして気分を変えるため、何か飲もうとテーブルに向かおうとした。
と、肩に衝撃が走る。
「あらごめんなさい」
「すまないね」
いつの間にか踊っている人達の中まで歩いてしまっていたようだ。二人にぶつかり、少しふらつく。ヒールも履いているため、転びそうになった。自分でバランスを取ろうとしても、掴む物がない。だからそのまま倒れそうになるが、ある人に肩と腕を支えられる。
力強い手を感じながら見上げれば、焦げ茶の髪を持つ仮面を被った青年がいた。それを見てロゼフィアは唖然とする。なぜなら皆が目だけを隠す仮面なのに対し、その人物は顔全体を隠した仮面をしていたのだ。
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