19*いつだって傍に
青年がつけている仮面は目の部分だけ開いていて、あとは全部隠れている。唇の形も仮面で表されており、若干不気味に見えてしまった。だが驚いている間に、支えて真っ直ぐ立てるように手を貸してくれる。
「あ、ありがとうございます」
お礼を言えば、相手は首を振る。そしてそのままどこかへ向かって歩き出そうとしていた。が、お互いにいつの間にか踊っている人達の中央まで来てしまっていたため、身動きが取れなくなっていた。下手に動くと踊っている人達の邪魔になるし、危ない。
ロゼフィアも青年も若干固まった。だがじっとしていても動き回る周りの邪魔になる事に変わりはない。かといって動く事もままならない。ロゼフィアは一体どうしたらいいんだ、とほとほと困る。大体舞踏会だって初めてなのに、こういう場合の対処法とか、注意点とか事前にアンドレアが教えてくれたらよかったのに、といない相手に向かって愚痴を言いたくなる。
青年は何か考えるような素振りを見せた後、ロゼフィアに向き直った。そして手を胸に当て、軽く会釈するような動きをする。そしてその後、胸に置いた手を自分に向けてくる。
「え……」
舞踏会が初めてのロゼフィアでもこれは分かった。
おそらく、踊りを誘ってくれたのだろう。
青年は手を動かしてジェスチャーで伝える。周りと同化して踊ればここを抜けられる、と伝えてくれている気がする。確かに自分達も踊れば邪魔にはならない。それに動いている間にこの中を抜ける事ができるだろう。名案だと思ったが、一つだけ気になった。
「あの、私、踊りは……」
思わず言葉を濁してしまう。だが青年は気にせずそっとロゼフィアの手を取った。そしてもう片方の手は腰に当てる。慣れない感覚にロゼフィアはびくっとした。すると相手は焦ったように手を緩める。そして手を使いながら頭を下げた。おそらく謝ってくれている。
「だ、大丈夫」
慌てて言葉で伝える。最初は驚いたが、周りの人達と同じ格好だ。別に恥ずかしい事ではない。ロゼフィアもそっと相手の腕を取る。そして音楽と合わせながら、動き始めた。相手の足の動きに合わせようとしながらも、おそらく相手が合わせてくれている。踊りをした事はないが、周りから見ても見られるくらいの踊りはできていた。
「あの、あなた声は」
さっきからずっと話さないので気になっていた。すると青年はとんとん、と自分の首を叩いた。声が元々出ないのだろうか。それとも、顔全体を覆っているから声が出しづらいのだろうか。どちらにせよ、これ以上聞くのは失礼だと思い、頷く。
しばらく踊っていると、緊張が薄れていく。最初は足を踏まないか、失敗しないか、不安で身体が固かった。だが相手が上手くリードしてくれるため、身を任せるようにしたのだ。
そうして落ち着いていく中で、ロゼフィアは相手を観察する余裕も生まれてきた。顔は全く分からず、髪型も短髪というくらいだ。全然人物像が見えない。だが掴んでいる腕の感触からは、鍛えているのか筋肉がある。さっきも咄嗟に手を引っ張ってくれたし、力はあるのだろう。そして爽やかないい香りがする。どこか懐かしいような、心地よい香りだった。
しばらく踊っているうちに、どうやらその中を抜ける事ができたらしい。青年が手をゆっくり放し、改めて丁寧にお辞儀をしてくれる。ロゼフィアも慌てて深く頭を下げた。かなり丁寧な人だ。話ができればしてみたかったが、青年はすぐにその場を移動する。ロゼフィアもそれを見送った後、移動した。
踊った事もあって少し喉が渇き、テーブルに置かれている飲み物を手に取る。炭酸なのか、泡が若干出ていた。色合いがとても華やかだ。見た目もおしゃれで、飲むとフルーツの甘みがあって美味しかった。
すると、ある数人の女性達が近付いてくる。
「あら。一人で舞踏会に参加されてますの?」
後ろをついてくる二人の女性と一緒にくすくすと笑いながら近付いてくる。その風貌や口調から、相手がどこかの令嬢である事は想像できた。おそらく後ろにいるのは取り巻きだろう。
「ごきげんよう。最初は挨拶が基本では?」
「……ごきげんよう」
挨拶の事を言われ、真似てロゼフィアも言う。最初に挨拶をしていないのはそっちも同じじゃないかというツッコミはこの際心の中でしておく事にしよう。だが相手は気にせず聞いてくる。
「随分素敵なドレスを着ていますけれど、どこで購入したものなのかしら。エキサベル? それともポーダーレス? カラブレラでも見た事ありませんわ」
ロゼフィアは全く名前を聞いた事がないのだが、おそらく彼女が言っているのはブランド名だろう。だがこのドレス自体用意してくれたのはアンドレアだ。なのでそれなりに名の通ったお店で購入した事だろう。だが王女が用意したとは言えないので、無難な返しをする。
「友人にいただいたので、私はどこで購入したか分かりません」
「あら、そうですの」
「ご自分では買えない身分なのかしら。可哀想ですわね」
「本当ですわ」
いちいち鼻につく言い方だが、無礼講の舞踏会なのだから色んな人がいるのだと思っておく。そしてこれくらいの事で怒っていても埒が明かない。ロゼフィアは無視をして背を向けて歩き出した。
「な、なんなんですのあなたは……!」
急に令嬢の声色が変わり、思わず後ろを振り返る。
すると先程の青年が令嬢達の前に来ていた。
「…………」
無言の威圧で令嬢達を見ている。
その圧だけでじゅうぶん怖い。
周りも何事かと注目する。他の騎士達も気付いている様子だったが、まだ動いてはいない。おそらく、もう少し観察しているのだろう。
ロゼフィアは焦ってその青年の傍に寄る。
「あの、」
だが青年は動かない。
ロゼフィアの声が届いていないかのようだった。
「な、なんなんですのよ」
「私達はなにもしてませんわ……!」
「なによその仮面……こっちへ来ないでっ!」
一人の令嬢が飲み終わったグラスを思わず投げる。周りは慌てて逃げるが、ロゼフィアは反射的に青年の前に行く。グラスは床に叩きつけられ、思い切り音を鳴らしながら割れた。そしてその割れた小さい破片が、庇おうとしたロゼフィアの頬を撫でた。それを見た周りの人達は声を上げる。青年もロゼフィアが怪我をした事に気付いたのだろう。すぐに駆け寄ってきた。
「大丈夫」
頬から血が流れだしたが、そこまで深い傷ではない。ロゼフィアは安心させるように笑って見せる。だが青年はすぐにロゼフィアの腕を引っ張りどこかへ向かって歩き出した。手は力強く握られているため、離れない。「ちょっと、痛い」と叫んだが、青年は無視をして会場を後にする。ちなみにその後で騎士達が集まり、「ちょっとよろしいですか」と圧のあった声で令嬢達に話しかけていた。
「ねぇ、ちょっと」
一向に歩くスピードを止めない青年に、ロゼフィアは声をかける。だがそれも無視をされ、とある場所まで行きついた。見ればそこは救護室になっている。会場の中でももしものためにこういう場所は用意されているようだ。傷の手当のために連れてきてくれたのだろうと思うが、自分で手当はできる。
「あの、ここまで連れて来てくれてありがとう。でも自分で」
「……本当に、変わらないな」
急に声が聞こえて来た。
「え、」
「俺が誰か気付いていなかったのか」
仮面の下でくぐもった声が聞こえる。
「……ジノルグ」
名前を呼べば、相手は仮面を外した。
その顔は、険しい顔になっていた。
ロゼフィアもそっと仮面を外す。
するとジノルグは問答無用で近付いてきた。
「見せろ。手当てする」
「別に自分でできるから、いい」
「自分で自分の顔は見られないだろう」
それはそうだが別に鏡を見ればいいだけの話だ。と言う暇もなく、ジノルグは無遠慮に顔に触れてきた。すぐに置かれている椅子に座るよう指示し、ガーゼを水に浸す。そして血をそっとぬぐってくれた。顔を近付けながら、傷になっていないか注意深く見てくれる。
「……深くはないが、花姫の時に傷をつけたところと同じ場所だな」
「なにかと縁がある場所ね」
「そんな事言ってる場合か」
冗談で口にしただけなのに、普通に叱られてしまった。どうやら相手はぴりぴりしているらしい。こんなに怒るジノルグを見るのは久しぶりかもしれない。そういえば何かと怒らせてばかりだ。
「女性が顔に傷をつけるものじゃない」
「……嫁入り前だから?」
また冗談を口にしてしまう。これはあれだ、よく言われる台詞だからだ。別に自分は結婚がどうだの考えた事はないのだが。言ってしまった後で本気で捉えられたらどうしようとちょっと不安になる。
するとジノルグはふっと笑う。
「そうだな」
どうやら分かってくれたらしい。
理解ある騎士でほっとした。
「それより、どうしてここに?」
「話を逸らすな。俺から聞く。どうして俺を庇った」
「え、どうしてって……身体が勝手に」
するとあからさまに顔を歪める。
「ロゼフィア殿はいつもそれだな」
「だって嘘じゃ」
「ああ嘘じゃないのは分かる。だがなんで男の俺を庇う。自分の身を守る方が先だろう」
「だって……自分より相手の方が大事じゃない」
実際危ない目に遭っていたのはジノルグの方だ。もしこれがジノルグだと分かっていたら、庇うまではしていなかったのかもしれない。自分でどうにかできると分かっていたし、むしろ手を出したら足を引っ張ってしまうから。だがこの場合相手が誰か分からなかったし、もしかしたら怪我をしていたかもしれない。だから自分から前に出た。少しでも相手が怪我をしないようにと。
すると遠慮なく溜息をつかれる。
そしてジノルグは自分の髪をくしゃっと掴んだ。
「……この場合は俺の落ち度だな。こんなにも近くにいたのに守るどころか守られるとは。不甲斐なかった。すまない」
深々と頭を下げてくる。
ロゼフィアは慌てる。
「いやでも、ジノルグも咄嗟に手を引っ張ってくれたじゃない。だから傷もこれくらいで済んだのよ」
反射なのか、実際ジノルグは後ろに腕を引っ張ってきた。割れたグラスがこちらに飛んでこないように配慮してくれたのだと思う。それにこの場合は飛び出していった自分が悪い。
「いい。ロゼフィア殿の性格を考えればそれくらい予想できたはずだ」
「……ちょっとそれどういう意味よ」
フォローしてあげたのに皮肉で返すとはどういう事だ。
だがジノルグは苦笑する。
「だが俺のせいもある。悪かった。思えば護衛をしているが、ちゃんとロゼフィア殿を守れてないな」
思い返せば自分で勝手に動いて勝手に危ない目に遭っている場面はけっこうある。しかもそれは自分でやらかしてしまっている。だからジノルグが悪いというよりは人の話を聞かずに動き回る自分が悪いわけで……。だが護衛という立場でありながら結局危ない目に遭わせているという風になるのだろうか。ちょっと申し訳ないと思ってしまった。
「ごめんなさい。私が勝手に動くから」
「全くだな」
「…………」
「冗談だ。動けるところはロゼフィア殿の美点でもある」
励ましを込めてか、ジノルグが頭を撫でてくれる。その感触に、どこか懐かしさを感じた。だが、よく覚えていない。どちらにせよ、心地よい。
そして同時に、先程の爽やかな香りがしてくる。木々の香りだ。やっぱりこの香りはジノルグのだったのか。ほっとし、このまま眠ってしまいたい欲に駆られた。思えば今日は仕事も忙しかったし、踊ったし、色々あった。いつの間にか身体は疲労を訴えていたのだろう。このままこの香りの中で寝てしまいたい。
そう思っていれば、本当にロゼフィアは目を閉じていた。
「お?」
救護室のドアが開き、入ってきたのはレオナルドだ。ロゼフィアをベッドに寝かしつけていた後、ジノルグはその傍の椅子に座ろうとしていたところだった。なぜかレオナルドはにやにやしながら近付いてくる。
「お前面白かったな」
「黙れ」
ドスの利いた声で答える。
今回ジノルグが舞踏会で仮面を被って参加する事は他の騎士も知っていた。知っていたが故に、先程令嬢達の前ですぐには動かなかったのだ。おそらくジノルグが何かしら動くだろうと踏んで。結局ジノルグの出す圧に皆引いてしまって、令嬢の方が問題を起こしたわけだが。
「まーまー。でもいい機会だっただろ?」
「…………」
いいか悪いかで言えば正直どちらとも大差はない。
だから答えなかった。
「にしてもやっぱり明るい色にすると似合わないなぁ」
髪の毛を掴まれながら言われる。
さすがにいらっとした。
「人の髪色をいじった張本人が言うか?」
「だって真っ黒だとバレるだろ? 今回は紫陽花の魔女が一人でのんびり楽しんでもらえるように、って事で殿下が提案して下さったんだからさぁ」
そう。元々この舞踏会は予定されていたものらしく、それをアンドレアが仮面舞踏会にするように指示したのだ。だからこの場では皆が仮面を被り、互いの名前を公表する事は禁止とされた。おそらくアンドレア自身何か考えがあっての事だろうが、ロゼフィアのためにもなるだろうと思ったらしい。少しでも誰にも素性を知られない時間を与えるのもいいのではないか、と。だから護衛役である自分も、別人に成りすました。髪色を変え、仮面も顔全体のものにしたのだ。バレないように。
「結果的にバレなくてよかったな」
「……どうだかな」
逆にすぐ分かった方が良かったんじゃないだろうか。そうだったらおそらく怪我をする事もなかったのに。だがいや、分かればあの時間は楽しめなかったか。自分と分からない時間こそがロゼフィアにとって必要な時間だっただろうから。
なかなか難しいと思いつつ、息を吐く。
「でもよく紫陽花の魔女が分かったな。俺全然分からなかった」
「分かるだろう」
きっぱり言う。
「だって髪色も違うし顔だって分からないだろう?」
「よく見れば分かる。あとは動きで分かる」
「……さすがだな」
感心されているのか引かれているのか微妙な顔をされる。だが自分からすれば問題ない事だった。おそらく何があっても分かる。分かるほどに見てきたのだから。
「なんか父親みたいだな」
「は?」
「もし紫陽花の魔女が結婚する、なんて話になったら黙ってないんじゃないか?」
またにやにやされながら聞かれる。
だがジノルグは、少し真面目な顔になった。
「別に、ロゼフィア殿が幸せならそれでいい」
「……ほう? じゃあもし別の人に守ってもらいたい、とか言われてもお前は潔く身を引くのか?」
今度は意地悪な質問だった。
それでも動じる事はない。
「俺より強かったら認めてやる」
「…………お前やっぱり父親みたいだわ」
「言ってろ」
互いに憎まれ口を叩く。
レオナルドは笑いながらその場を後にした。
ジノルグは椅子に座る。
すやすやと眠るロゼフィアの寝顔を見ながら。
舞踏会自体、ロゼフィアにとって良い時間だったのかは分からない。それは本人に聞かないと分からないだろう。逆に自分は不安だった。影で守る事に。森では最初そうやって守っていたわけだが、案外自分の姿を隠しながら見守るのは孤独なものだ。影で守るくらいなら正々堂々と正面で守りたい。久しぶりに隠れながら見守っていたからか、改めて今ある状況をありがたく思っていたりする。
それに、この舞踏会でも嬉しい事はあった。
ロゼフィアが黒髪の騎士を見て自分じゃないかと近付いてくれた事。振り返って自分じゃないと分かると少し残念そうな顔をした事。自分の正体を明かして驚くよりも安心した顔をしてくれた事。そして今も安心したのか気持ちよさそうに寝ている事。少しは信頼してもらっている証拠なのだろうか。
ふっと笑いながら息を吐く。
今はこのままでいい。少しでも歩み寄れる関係でいれば。
それだけで十分自分は幸せなのだから。
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