12*垣間見えた本心
「室長っ!」
乱暴にドアを開けて入ってきたのはニックだ。
確かさっきノアと一緒に救護室に向かったはずだったが。
「どうしたんだいニックくん」
「ロゼさんが、ロゼさんが逃げたんですっ!」
「「逃げた?」」
サンドラとクリストファーは口を揃える。
逃げたとはどういう事なのか。
するとニックの後にノアもやってきた。
「正確には外ではありません。救護室から逃げたんです」
おそらく走ってここまで来たのだろう。
息が切れても冷静なところはさすがノアだ。
「えーっと……どういう事か説明してもらえるかな?」
結論を最初に言ってもらえるのは分かりやすくてとてもありがたい。が、サンドラとクリストファーはその場にいなかったため何があったのか全く理解できない。するとノアは頷いて、事の真相を話してくれた。
最初ニックとノアは救護室に行き、ベッドの空きがあるかを確認したらしい。幸いあったようで、そこにロゼフィアを寝かせようと考えた。そしてその後ジノルグがやってきて、ベッドにロゼフィアを寝かせたようだ。そこまではよい。だが、ベッドに入った途端、ロゼフィアが目を覚ましたらしい。
「目を覚ました後、すぐに『あっ!』とどこかを指差したんです」
「三人ともそちらに顔を向けたのですが、紫陽花の魔女に顔を戻せばもう姿はなくて」
ベタに三人とも引っかかったようだ。
「だ、だっていきなりそんな事言われたらそっち向くじゃないですかっ!」
「まさか紫陽花の魔女がそんな事をするとは思ってもみなかったので……」
ニックは半べそになりながら弁解したが、ノアも少し落ち込んだような表情を見せた。確かによっぽどがないと引っかかるだろう。しかも相手はロゼフィア。そんな冗談を気軽にするような人物ではない。
「だがあのチョコを食べたんだから、俊敏には動けないんじゃないか?」
クリストファーがフォローする。確かにロゼフィアが食べたのは「酔っ払い風のチョコレート」だ。食べた後もふらふらだったし、そう遠くまではいけない気がする。だがサンドラはあはは、と苦笑した。
「でもロゼは逃げ足が速いからねぇ」
「「「…………」」」
これには三人とも黙ってしまった。
自分達よりも付き合いの長いサンドラが言うのだから、間違いないだろう。
「で、ジノルグくんは?」
「ロゼさんを探しています。俺達はまず室長に報告しようと思って」
「他の人達にも、無線を通じて探してもらってます」
この研究所には、無線の機械がいくつか設置されている。個人的に使える無線と、全体に対して呼びかける事ができる無線だ。全体だと混乱をきたすので、個人的に無線を持っている人に呼び掛けた。他にも騎士がいるはずなので、見つけ次第知らせてくれるはずだ。
「なるほど。まぁロゼの
サンドラはお気楽に笑った。
辺りを細かく見渡す。少しでも彼女に気付けるように。だがいるのは研究所で働く白衣を着た人達ばかりで、どうにも珍しい色合いの探し人が見つからない。あの一瞬で一体どこに向かったのか。それとももしかして隠れているのか。今のジノルグにはよく分からなかった。
いや、分からないのはロゼフィアだけじゃない。サンドラもだ。いかにも怪しいお菓子を渡してきて、一体何がしたかったのか。おそらく実験に付き合わされたのだろうが、それでも何の説明もなかった。説明をしたらより正確なデータが集まらないから? 自分の身はどうでもいいが、それでも今はロゼフィアの事が気にかかる。あの薬で何か身体に異変が起こったりしていないだろうか。
ふと、背後から気配を感じる。
気付いていないふりをして、ぎりぎりのところで反応した。隠し持っていた小型ナイフを振りかざすが、相手も同じ動きをしていた。一瞬で刃が交じり合う鋭い音が鳴り、互いにその場を離れる。
「なんだ、クリスか」
すると相手は引いたような顔をする。
「なんだじゃないだろ。殺気が出てたぞ」
「悪い」
否定はしない。
無意識に出していたらしい。
「……お前、少し心配しすぎじゃないか?」
歪んだ表情で見られる。
ジノルグは無言になった。
確かにその通りだ。冷静に考えればこの場所が危ないなんて事はない。ここは研究所だ。警備もしっかりしてる。それにもし何かあっても対処できる。周りもきっと助けてくれる。それは分かっていた。……だが分かっていても、そう簡単に楽に考えられるような問題じゃない。
「俺はロゼフィア殿の護衛だ。護衛はいかなる時でも離れるべきじゃない」
「…………」
「お前もそうだろう。サンドラ殿をむやみに一人にしないはずだ」
するとクリストファーは嫌そうに顔を歪める。クリストファーも同じように護衛についている。だから気持ちは分かるはずだ。それでも自分と同等だ、と思われるのは嫌らしい。
「俺はお前ほど余裕のない人間じゃない」
「その言葉、そっくりそのまま返す」
ジノルグは冷静に返した。
するとクリストファーは眉をつり上げ、「なんだと……!」と呟いた。だが実際そうなのだ。自分よりも護衛をしている期間が長い分、彼が余裕な表情をしてられるのは何もない時だけ。実際彼の護衛対象が危ない目に遭った時はいつもと顔色が違う。自分も人の事は言えないかもしれないが、それでも彼にそう言われる筋合いもない。何より騎士歴はこちらの方が長い。先輩にはもう少し敬意を払うべきだ。
「悪いが後にしてくれ」
そのままその場を移動しようとする。
こんなところで言い合っている暇があるなら早く探すべきだ。
「待てよ」
呼び止められる。
律儀に振り返れば、意外な事を言われた。
「サンドラの事は悪く思うな」
「? どういう意味だ」
「さっきの菓子の事だ」
実験に付き合わされた事だろうか。そこまで気にしていなかったが、クリストファーも気になっていたらしい。そしてその様子だと、クリストファーはあれが何なのか分かっているのだろう。丁度いいと思い、聞いてみる。
「あれは何だ。この研究所で作られたものか?」
「違う。別の薬師に頼まれたものだ。数年前からサンドラはやり取りをしている。今まではサンドラはずっと俺か自分の身体で実験してきた。だが実験してほしいと頼まれる薬が増えてきた。だから他の奴らの協力も必要だったんだ。それに、薬師は信頼できる相手だ。だから身体に害があるものじゃない」
なるほど。だからお菓子が出てきた時点でクリストファーは苦い顔をしていたのか。それなのに助手であるニックとノアは特に反応していなかった。きっと今まで聞かされた事がないんだろう。
「それにしては珍しい薬ばかり作っているんだな」
「人を
どうやらその薬師は店で薬を販売しているそうだ。それも相手をからかうための。おそらくちょっとした脅かし要素があったりするのだろう。ちょっとした悪戯心ともいうだろうか。なんとなく理解した。
そしてジノルグはふっと笑う。
「で、それを伝えるためにわざわざ来てくれたのか?」
すると分かりやすく相手が動揺した。
しばらくしてから顔を逸らす。
「お前は真面目だからな。説明でもしないと文句を言うだろうと思って」
「サンドラ殿がロゼフィア殿を危険に晒すわけがない。それくらいは心得ているつもりだ」
「…………」
「と、言っても、やはり疑問はあった。教えてくれてありがとう」
素直に礼を伝える。すると相手はふん、と鼻を鳴らしてその場から駆け足で去る。照れ屋なのは昔からのようだ。そこは素直じゃないが、彼の良さでもあるのかもしれない。
とりあえずロゼフィアの身体に異変があるかもしれない、という不安は払拭された。冷静に考えればあり得ない事だともいえる。それでも心配してしまうのは、やはりロゼフィアと離れているせいだろう。とりあえず一刻も早く探さないと、と思いつつ足を進めていると、とある研究室で歓声が上がった。何かあったのだろうかとそちらを見れば、見覚えのある紫色の頭が見える。
「え、あれって」
「紫陽花の魔女?」
「なんでこんなところに……!」
周りの研究者達がざわざわし出したのは、いきなりロゼフィアが研究室の中に入ってきたからだ。ロゼフィアは彼らに目もくれず、長机の上に置かれている複数の植物を一瞥した。そしてすぐ傍にいた一人をきっ、と睨み付ける。そして開口一番に叫んだ。
「アカグサの時は手袋をする! 片方じゃなくて両方とも! 毒は植物自体じゃなくて葉の周りにもあるんだから!」
叫ばれた一人は「は、はいっ!」と慌ててもう片方の手も手袋をはめた。それを見てロゼフィアは頷く。そして今度は別の一人に目をつけた。茶色の植物なのか枯れ葉なのか分からないようなものを片づけようとしている。ロゼフィアはすぐにその手を取った。
「それは捨てちゃだめ! カレキナの性能覚えてないの!?」
「す、すみません……!」
手を掴まれた一人は驚いて身を縮ませた。
よく見れば黒板には「植物の特性と研究方法」という題がつけられている。どうやらこの部屋にいるのは新人のようだ。簡単に植物についての説明が書かれており、これから丁度実験をする予定だったらしい。
書かれている内容によれば、アカグザはその名の通り、赤色をしており、それなりに毒が含まれている。なので素手で採るのは危険で、採取の時は必ず手袋を使う必要があるようだ。一方カレキナは見た目はまるで枯れたような茶色をしている。だがこれは薬を作る際(調合)の時に必要になってくる植物らしい。
ロゼフィアは皆に厳しい顔をする。
「いい? 基礎的な知識がないままに実験したり薬作ってもいいものは作れないの。それを忘れないで」
すると皆が「はい!」と返事をする。
まるでロゼフィアが講師のようだ。
ジノルグは少し唖然としながらそれを眺めていたが、普段のロゼフィアと違う事には気付いていた。いつものロゼフィアなら絶対に人目を避ける。騒がれたりするのも苦手だろうに、自分から部屋に入るなんてもってのほかだ。しかも顔色を見ればまだ若干頬が赤い。どうやらまだ薬の効き目が切れてないようだ。
しばらく眺めていたのだが、ふとロゼフィアと目が合った。かと思えば、ロゼフィアは一目散にその場から駆け出す。その場にいた研究者達が驚いた声を上げたが、ジノルグもそれを追う。俊敏に動く様子を見て、どうやらふらふらになっていたのは治ったのだと分かった。
ロゼフィアが向かった先を追えば、そこにはドアがある。また別の部屋だろうかと思ってドアノブを動かして開ければ、ただっぴろい庭園がそこにはあった。庭ではあるが、周りはビニールで覆われている。雨や風による被害を防ぐためだろう。そしてビニール自体は透明なので、日の光は植物全体を覆っている。目の前には背の高い植物が生い茂っており、木々も植えられているからか、庭園の奥までは見えなかった。育っている植物の間をくぐり抜けながら進んでいくしかなさそうだ。
進んでいけば、見た事がない植物や、少し変わった色の植物もある。その植物に吸い寄せられるかのように蝶や蜂、虫達も寄って来ていた。虫もどこか珍しい形をしている。やはり植物によって来る虫も変わってくるのだろうか。どんどん進んでいけば、ちょっと広い場所につく。そこには色とりどりの花々が咲いている。植物のように乱雑ではなく、きちんと花と花の間には間隔が開けられており、綺麗に成長していた。
そこには紫陽花の花があるのも見えた。
時期的に育つはずがないのだが、それでも育っているのは一年中咲くように研究した上で育てているからだろう。ジノルグはなんとなく紫陽花に惹かれ、そちらに向かって歩く。そういえばロゼフィアが花姫だった時もサンドラが育てた紫陽花を使ったらしかった。その時の花なのかもしれない。
するとそこでがざっ、と何かの音が聞こえた。
音の鳴った方に移動しようとすると、さらに何かが動くような音が聞こえる。ジノルグは紫陽花が咲き誇る葉の間をかき分ける。すると隅の方で座っているロゼフィアの姿を見つけた。
「ここにいたのか」
笑いをこらえるのに少し必死だった。実際は音で分かったわけだが(つまりロゼフィアのおかげで分かったようなものだが)、それでも自然に見つけたような言い方をした。だが相手はそれに不服のようだ。
「……なによ分かってたくせに」
自分のせいで見つかったのだと、ロゼフィアも気付いたらしい。ちょっと悔しそうな顔をしているところはいつもの様子だ。もう完全に薬の効果が切れたのかと思い近付けば、手のひらを見せて止めた。
「いや、来ないで」
「なぜ」
「え、その、今変だから」
「変? 何が」
「ちょっと変だから。だから来ないで」
どうやら自分でも自覚はあるらしい。意識がはっきりしてきたからこそ気付いたのかもしれない。だが、そう言われても離れるつもりなんてなかった。ジノルグは遠慮なくロゼフィアの傍に寄る。そして座り込み、目線を合わせた。すると相手は目線を逸らす。諦めたかのような表情を見せた。
「そういやジノルグは言っても聞かない人だった」
「覚えててもらえて光栄だな」
「なによそれ」
不満げにぶつぶつ言いだす。
だがジノルグは体調面を聞いた。
「気分はどうだ。大丈夫か」
「うん、別に大丈夫。ちょっと変なだけ」
「まだ変か?」
「うん。頭がふわふわしてる」
「そうか」
「うん」
思えばこんなに素直に返答をするのは珍しいかもしれない。いつもなら「大丈夫だから」と言って突っぱねるのに。素直なのは薬のおかげかもしれない。ジノルグはここぞとばかりに聞いてみる。
「ロゼフィア殿」
「うん?」
「前に護衛はいらないと言っていたが、俺もいらないか?」
「…………」
ロゼフィアは黙ったままだった。というか、下を向いている。目もとろんとしている。若干眠くなっているのかもしれない。本当なら、すぐにでも寝かせた方がいいのかもしれない。それでも、普段聞けない事を聞けるのなら、聞きたい。護衛はいらない、とはっきり言われた。じゃあ自分は? 護衛としてではなく、ジノルグ・イギアも傍にはいらないのだろうか。
花姫の時は、答えてくれなかった。前だって、遠慮しないでほしい、と言ってきた。欲しいのはその言葉じゃない。ロゼフィアにとって自分はいてもいい存在なのか、それが聞きたかったのだ。
「一つだけ、言えるのは」
そう切り出してきた。
「いない間は、寂しかったかもしれない」
「……俺が?」
するとむっとされる。
「今ジノルグの話をしてるんでしょ」
何を言ってるんだ、という言い方をされる。
だがそれを聞いて、ほっとしている自分がいた。
ずっと不安だった。自分からは離れる事はないと思いながらも、彼女からすれば離れたくて仕方のない人物になっているんじゃないかと。こうして護衛をしているのはそれなりに理由はあるが、それでも彼女の身の安全を守りたい意志があったからだ。だから、それを聞いて、自分はここにいてもいいのだと感じた。
するとロゼフィアは言葉を続ける。
「……ジノルグっていつも否定的に聞いてくるわね。『俺はいらないか』って」
「それは……ロゼフィア殿もじゃないか」
「え。ど、どこが」
「自分を否定的に見ているだろう」
言い換えれば自分に自信がないようにも見て取れる。するとロゼフィアは顔を赤らめた。核心を突かれた事に、少し恥ずかしく思っているのかもしれない。慌てて言い返してきた。
「こ、これからはそんな事言わないもの」
「本当に?」
「言わないわよ。ジノルグがいるもん。ジノルグが私の事褒めてくれるんでしょ?」
「え」
「え? ……あ、違う。違う違う。違うの」
頭を抱えて隠れようとしている。
見れば耳が赤く染まっていた。
思わず口から出てしまったのだろう。言った後ロゼフィアは後悔するように唸っている。ジノルグはそれを見て少し可愛いと思ってしまった。何よりそこに自分の名前が入っている事に驚きも隠せなかった。だが、自分ならいくらでも彼女の良さを見つけられる。自信に変えられるよう、手助けする事ができる。だからその言葉は間違いではないのだ。
思わず手が動き、ロゼフィアの頭を撫でていた。撫でられて最初はびくっとしていたが、しばらくしてから身体の緊張を解く。何も言わずに撫でるのを許してくれた。
「ああ、そうだな。ロゼフィア殿の良いところをもっと見つけていく」
「……別に」
「俺がしたいからいいんだ」
「…………うん」
今日はやはりいつもより素直だ。
しばらく撫でていると、ロゼフィアが動かなくなっていた。よくよく耳をすませば、寝息が聞こえてくる。寝てしまったのだろう。ジノルグはそっと横抱きにする。起こしてしまうかと思ったが、ロゼフィアは気持ちよさそうに寝たままだった。ジノルグはその寝顔に、少し微笑んだ。
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