第1話 依頼人は政治家秘書

 湯を沸かして、専用の細口ヤカンに移し代える。

 沸かした湯をドリッパーとサーバーに流し、温める。コーヒーカップも同様に。

 湯を捨て、端を折ったペーパーフィルターをセット。挽いたコーヒー豆を入れ、トントンとドリッパーの縁を叩いて表面をならす。

 コーヒー豆全体に湯が行き渡るように、湯を細く注ぐ。少しポタポタと落ちる程度で。

 ケーキスポンジのようにふっくらと膨らんで来たら、そこで30秒、たっぷりと待つ。

 そしてゆっくり細く湯を注ぐ。『の』の字を描くように。濃い琥珀色のコーヒーが、下に落ちて行く。

 1杯分が落ちてきたら、ドリッパーを外して別のカップに乗せ、雑味のある最後のコーヒー液を入れないようにする。

 温めておいた白磁のコーヒーカップに、コーヒーを注いで完成。

 変わらない店長の手際の良さだ。


「店長、俺が持って行こう」

 そう差し出した俺の手を、少ししわがれた店長の声が止める。

「いや、これは儂が持って行こう。儂の客じゃからな」

 そう言って、銀盆にコーヒーカップを乗せ、窓際の席に運んで行く。


 窓際に座っているのは、仕立ての良いスーツを着込んだサラリーマン風の男だ。七三分けの頭に眼鏡と、いかにも品が良い。

 店長はその男の前にコーヒーを置き、男の対面に座った。


「弟の所の秘書であるキミが来るということは、何か厄介事かね?」

 店長、『水海道みつかいどう じん』は、目の前の男に話かける。店長の父親は元県会議員、弟は現職の県会議員、そう話を聞いている。


「はい、何か困った事がありましたら、お兄様である貴方に相談せよと、先生からお伺いしております」

 緊張のためか、額には細かな汗をかいている。汗をハンカチで拭きながら、男は少し小さめな声で話した。

「ああ、心配する事はない。店員も事情は承知しておる。で、話とは?」

 店長は、白いものが混じった無精髭のあごをさすりながら、話を促す。


 そこから男は、途中でどもりながらも、詳しい話を語りだした。


 先月上旬頃、老朽化した近くの市営病院が移転するという事で、新しい病院が完成して引っ越しをしていると、ニュースでやっていた。

 その古い方の病院で、病院関係者とも工場関係者・引っ越し業者とも違う人間が出入りしている、そんな噂をその県会議員は耳にしたらしい。

 本来なら警察に届け出るのが普通だか、どうも警察もおかしい動きをしている。そこで、厄介事を担当している俺たちの所に相談が回ってきた、という事のようだ。


「ふむぅ。儂の方では初耳じゃな。では、なるべく早く調査に取り掛かるとしよう。10日前後で、何らかの報告が出来るはずじゃ」

「あ、ああ。有り難う御座います。このような事をお願い出来るのは、あなたがただけですので」

 男は感謝を述べつつ、席を立った。が、思い出したように席に戻り、すでにぬるくなったコーヒーをあおった。

「それでは、失礼致します」

 代金を置いて、そそくさと出ていった。

「忙しい男じゃのぅ。さて、儂は席を外すとしよう。後は頼む」

 店長はエプロンとニット帽を脱ぎ、店のバックヤードに向かう。おそらく日本支部に報告するのだろう。


「そうじゃ、カイも呼んでおいてくれ。彼にも頼みたい事があるでの」

「わかった」

 そう言って、俺はテラスに向かう。

 いつもの定位置のベンチで、カイは日向ぼっこをしていた。

「カイ、店長が呼んでいる。バックヤードに行ってくれ」

「ふはぁぁ。なーにー。おしごとー?」

「その様だ」

「わかったー。ガウルありがとー」

 スタリと地面に降り立ち、バックヤードに向かう。

「さて、洗い物を片付けるか…。忙しくなりそうだな」


 俺も店の中に戻る。

 この時はまだわからなかった。これから起こる少々厄介な事件は、俺たちの命に関わる事だと言う事を。

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