夢落ち

指川向太

夢落ち

 「1番線、次の電車は23時48分発、大宮行きです」

 仕事帰りの人間でごった返した駅のホーム、そこのベンチに私は倒れるように座り込む。硬く、ひんやりとしたそれはお世辞にも座り心地が良いものではなかったが、そんなものでも今の私には有り難い。身体が悲鳴を上げている。周囲の人々は、既に満員であろう次の電車に決して乗り損じまいと列を成し始めているが、それに倣う気力はもうない。私は心身ともに疲れ果ててしまった。


 ここ数年間、毎日膨大な量の仕事に追われ、帰宅するのはいつも零時を過ぎていた。飯と風呂を済ませたら、残りの時間は全て睡眠に当てる。自由な時間などあったものではない。それでも七時にはまた出社しなければならないのだから、私の目の下から隈が消えることはほとんどなかった。その他にも疲れが顔に出ているのか、ついこの間、親の葬儀で数年ぶりに帰省した際には親族に心配されたものだ。その時は適当に取り繕ったが、正直に言えばもう限界に近い。


 ピピピピピピピピ―――。

 ぼーっとしていた私を急に喧騒に引き戻したのは、胸ポケットからの耳障りな電子音だった。慌てて携帯電話を取り出して見ると画面には上司の名前―――。一瞬肝を冷やしたが、同時に何かが吹っ切れた。もう、うんざりだ。私は鳴りっぱなしのそれを近くのゴミ箱へ放り投げる。


 「通過列車が通ります、ご注意ください」


 私は操られるように立ち上がり、周囲の人々を掻き分け、迷いのない足取りで線路へ落ちていく―――。




 ハッとして気がつくと、そこはいつもの寝室だった。脈は速く、呼吸も荒かったが、急速に安堵感が広がっていく。すべては夢だったのだ。

 「うなされていたみたいだけど、大丈夫?」

 声をかけられた方を向くと、ブロンドの女性がその美しい顔に不安の表情を浮かべながらこちらを覗いていた。朝食の準備をしていたのか、花柄のエプロンを身につけ、ターナーを右手に持ったままだ。

 「ああ、クローディア、なんでもないんだ。奇妙な夢を見てね。悪夢だったよ。あれはどこか知らない国だったな。馬車かなにかを待っていて僕は―――多分奴隷だったんだと思う。そしたら主人がなんとポケットから出てきて何か甲高く叫ぶんだけど―――」

 「ポケットから? ずいぶん小さいのね、そのご主人。」

 「そうなんだ。君の言う通り小さかった。うるさいからゴミ箱に捨ててやったよ。」

 「ひどいわ!」

 彼女は茶化すように笑うと、安心したようにいつもの調子に戻っていく。

 「さあ、愉快な夢の話はここまでにして、そろそろ起きて。支度をしなきゃ。今日はエルフの王様に謁見する約束があるでしょ。それと西の洞窟でドラゴンが暴れてるらしいの。退治してくれないかって。」

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夢落ち 指川向太 @kakunoshin

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