Electrical Maiden Case.1
阿井上夫
Electrical Bitch 1
彼女は、細長いグラスの中ですっかり溶けてしまったモカ・フラペチーノを物憂げに掻き混ぜながら、こう呟いた。
「ときどき、自分がこんな風にこっちの世界で溶け残ってしまったような気分になるんだよね」
*
約束した時間は火曜日の午前九時だった。
今回の取材において、こんな健全な時間に人と待ち合わせるのは初めてであり、他の案件の時も大抵が夕方を過ぎてからのコンタクトが多かったので、とても新鮮な感じがする。
それに、東京では前日の遅い時間まで雨が降っていたので、普段は空をどんよりと覆っているはずの塵が洗い流されてしまったらしい。朝日がいつもより強く目を刺激してくる。
加えて、待ち合わせの場所として指定されたのは、JR吉祥寺駅前の商店街にある外国資本のコーヒーショップだった。
そこで私が、原価がどのくらいなのか判然としないコーヒーを飲んでいると、大きくて曇りのないウィンドウの向こう側を、スーツ姿の男が急ぎ足で走り去っていった。
ところで貴方は、小洒落た場所で新鮮な気分で新鮮な日の光を浴びながら、自分としては見慣れないが一般的にはごく平凡な風景を見ているときに、ふと違和感を覚えてしまうことはないだろうか。
条件が整いすぎて、逆に作り物のように感じられる日常の瞬間――その時がちょうどそんな具合だった。それで私が軽く動揺していると、コーヒーショップの向かい側にあるマンションの入口に人影が現れた。
都心のJR駅前にある繁華街の一角に、差し込まれたかのように立地しているマンションというのは、大抵が安普請の単身者向け物件である。
買い物には便利かもしれないが、周辺環境が悪すぎて家族向けには不適切であるから、大き目の間取りだと逆に借り手がつかない。
殆ど自室にいない若者であれば、利便性と価格が折り合いさえすれば部屋の造作がどうかは関係がないから、割と大胆な間取りの物件がひっそりと隠れていることがある。
今日、人権擁護派の
向かいのマンションはそんな物件の一つだろう。そして、そこから姿を現したのは背の低い小太りの女性だった。
私は、遠目で三十歳後半と推測する。仕事柄、この辺の推測が外れることは少ない。
彼女は上下とも量販店でよく見かけるグレーのスエットを着て、髪を無造作に後頭部で
その女性がマンションのエントランスから外に出る。陽光のあまりの眩しさに、彼女は一瞬顔を
それで、私は彼女が待ち合わせの相手であることに気がついた。
なにしろ、ファーストコンタクトの場所である、アラハット神殿の入口階段で、彼女は同じような仕草を見せていたからである。
そのまま私が唖然として見つめていると、彼女のほうでも私に気がついたらしい。軽く右手を挙げると、そのままコーヒーショップの入口にあるカウンターで飲み物を注文した。
店員が動じることもなく応対しているところを見ると、どうやら彼女はその恰好で頻繁にここに出入りしているらしい。さもなければ怪訝な顔ぐらいはされそうな雰囲気の店舗である。
そして、彼女はなんだか背の高いグラスにさらに細長く盛られたクリームとともに、私のところまでやってきた。
「こんちわ、平沢さんですよね。バーチャルとリアルで殆ど同じ顔をしている人に会ったのは久しぶりだから、ちょっと驚いちゃった」
笑うと、彼女はほんの少しだけ幼く見えた。
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