業務手順書その一 勇者採用時の面接と実技
第一話 行政担当官は、時間厳守を基本とする。
ヴェルシア王国の最高学府である王立大学の学生は、全員が入寮して集団生活を送ることになっている。
これは王国臣民として、王国の理念である『協調・友愛・平等』を体感するためのものであったが、その寮でロランドのルームメイトになった男は、口癖のようによくこんなことを言っていた。
「長い間、危険と隣り合わせの生活を続けていると、頭の中の何処かにおかしな回路が出来上がるんだよ」
彼によれば、通常状態の脳は右側と左側で機能を分担しているので、疲れた時には全体を休ませなければならないのだが、訓練すれば交互に休ませることが出来るようになるらしい。そして、野生動物は自然にそうしているという。
右脳が休んでいる間は、左脳が機能を代行しているから、一見寝ているように見えても緊急事態への初期対応が可能である。それに、いつ何が起きるか分からない環境下では、そのほうが生存確率が上がる。
だから、そこまではロランドも充分納得できた。しかし、意味が分からないのはそれに続く彼の言葉である。
「普通の状態からすれば機能が低下しているわけであるから、半分休憩中の動物は周囲から見るとぼんやりしているように見える。君は始終ぼんやりしているから、野生動物と同じような機能分担をしているのかと思っていた」
そう、ルームメイトは真面目な顔で付け加えた。
よく考えてみれば大変失礼な話である。ロランドは自分の頭の中を見たことがなかったから、自分にその機能が搭載されているかどうか正確にはわからない。だから、単にそういう性格という可能性のほうが高いはずだ。
ただ、確かに危険と隣り合わせの生活をしていると、勘は働くようになる。だから、彼はあえて反論せずにいた。それに、実際のところこの機能は便利ではある。
*
例えば、今日の朝がそうだった。
目が覚める寸前のぼんやりとした感覚の中で、ロランドは空から隕石が降ってくるような感覚を受けた。脳の中央部が即座に反応して、考える前に全身に退避行動をとるように指示する。
全機能の緊急覚醒手順が進行するのと同時並行で、右の肘が身体を左方向にスライドさせるべくベッドを強打し、彼は布団ごとベッドから落ちた。
途端、それまで彼が横たわってたところに、何かが勢いよく落ちる。
視覚系のリンクが緊急結合されて、眉を寄せると次第に目の前がクリアになってゆく。そして――にやりと笑った顔が目の前にあるのを認識するに至った。
「よく気がついたな」
ロランドが上体を起こしてベッド上を見れば、左の肘が見事に敷布団にめり込んでいる。
「……コルグ、いったいこれはなんだ?」
「なんだとはなんだ。起こしてやったんじゃないか」
「いや、その理屈はおかしい。起こされたというよりは、起きなければ大変なことになっていた、というほうが正しいのでは」
「そうとも言う」
「いやいや、そうとしか言わない」
「細かい奴だな。せせこましい性格が顔に出ているぞ、ロランド」
「一卵性だから、自分で自分を批判していることにならんか、コルグ」
「いやいや、正確には誕生日が一日違うわけだから、星占いの結果からして違う」
「星占いなんて、
「よかろう、約束した。それに、私も本来はそのつもりだったのだが、今日は止むにやまれぬ理由があってこのような仕儀となった。許せ」
「止むに止まれず――って、どういうことだよ?」
「いやなに、先ほど宮殿の明け二つの鐘が盛大に鳴り響いたのだ」
その言葉を聴いた途端、ロランドの中にある緊急事態を知らせるアラームが、先ほどよりも盛大に鳴り響いた。
「それを先に言え、馬鹿兄貴! まずい、遅れる!!」
「そうだよなあ。だから私は強硬手段に出たわけだ。お前が――」
「うるさい! 着替えの邪魔になるからあっちにいってくれ!!」
「乱暴だなあ」
「どっちが!?」
ロランドはコルグを押し退けてベッドから飛び出すと、急いで身支度を整え始めた。
彼はひどい癖毛なので、それをブラシで伸ばすだけでも結構な時間がかかる。しかし、そんな時間的な余裕はなかったので、あちらこちらが多少跳ねたままの状態で切り上げるしかなかった。
部屋のクローゼットから三日前に届いた新しい服を取り出す。クリーム色の生地に、赤い縁取りが施された上下揃いの服――ヴェルシア王国初級行政担当官の制服だ。
ロランドは三ヶ月前に行われた王国行政担当官試験を受験し、二ヶ月前に王国初級行政担当官の正式採用通知を水晶盤通信で受け取った。
その時点で内定を貰っていた武具関係の製造卸工房に断りを入れにいくと、親方が出てきて、
「おお、王国の役人になるのか。そういや、面接でもそんなことを言ってたな。そいつはおめでとう。頑張れよ」
と、豪快にお祝いされた。仮に戦乱が発生して武具が必要になった時には、絶対にここの武具で揃えようと彼は心に誓った。
さて、一ヶ月前に王立大学を無事卒業し、王宮のある首都で魔法道具店を開いている実家に戻ると、それからは兄の不意打ちを掻い潜りながら過ごしてきた。
今日が初登庁の日である。採用通知には「明け三つの鐘がなり終わるまでに登庁すること」と記載されていたので、殆ど余裕がない。明け三つと同時に王宮の正門を潜ればよいといっているわけではないことぐらい、さすがに新人でも分かる。
初日から遅刻では、この先の役人人生にいきなり汚点を付けるようなものだ。
それにしても、
――昨日、寝る前にちゃんと明け一つと同期して鐘が鳴るように、水晶の周波数を合わせたんだけどなあ……
鐘の音に全く気がつかなかった。
ヴェルシア王国では日の出から日の入りまでを十二等分する「不定時法」を採用している。前日の太陽の動きを王宮内の『時の間』に設置された絶対標準水晶が記憶して、翌日はそれが十二分割されて時刻が定まる。
厳密には多少の誤差が生じるものの、それは大したことではない。
ともかく、太陽が地平線から完全に離れた瞬間をもって日の出とし、そこで明け一つの鐘が鳴らされることになっているから、明け二つの鐘はそれから一時間が経過していることを示していた。
王国で作られた水晶盤は、王宮の絶対標準水晶に同期するように固有周波数の魔法補正がなされているから、水晶盤の老朽化による寿命以外で時間がずれることはない。
そして、ロランドの水晶盤は大学を卒業した記念に、父親のカシヲから送られた最新のものである。
ロランドは頭を捻りながら枕元に置いておいた水晶盤を取り上げた。すると表面に機能停止を示す赤い線が浮き上がっている。
彼は水晶盤の操作をした覚えがなかった。始終ぼおっとしているほうであることは自覚しているものの、寝起きは良いほうだから寝ぼけて止めたということはありえない。
水晶盤はその持ち主の固有周波数に反応するものだから、他の誰かが操作するということは――
「兄貴」
「なんだ、代わりに王宮に行ってくれというお願いか」
「そんなことは死んでもいうはずがない。それより、この水晶盤のことなんだが」
「ああ、なんだ、そっちか」
「そっちか、という意味が分からないが――それよりも兄貴、まさかとは思うんだが俺の水晶盤に触ったりしていないだろうな」
「何を回りくどい言い方をしている。触ったに決まっているじゃないか」
「……ということは、起床アラームを切ったのも兄貴か?」
「その通りだ。なにしろお前の大事な日だからな。ぎりぎりまで寝かしてやろうという兄心だ」
「いらないよ、そういう配慮は!」
双子の場合、水晶盤が持ち主を誤認することがあるらしい。初めて知った。心の記録簿に深く刻み込んでおこう。呪文設定も忘れずに、と。
「ロランド、ご飯を食べる時間はある?」
母のヤマファがおっとりとした声でそう言い、続けて父のカシヲが、
「いよいよやばかったら、あれをやってやるぞ」
と、能天気な声を張り上げる。
それを聞いたコルグが、にやりと笑ったのをロランドは見逃さなかった。
「兄貴」
「何だ、弟」
「まさかとは思うが、目的はこれではないだろうな」
コルグは何も言わず、またにやりと笑った。
しかしながら、兄の策略かどうかはともかくとして、実際に時間がないのは明らかである。
食事をしている時間も惜しいぐらいだが、朝御飯を抜くというのは一日のリスクが高くなる元だから、ここは大急ぎで食べなければなるまい。
しかし、そうなると当然時間は残り僅かとなる。行政担当官初日から遅刻はもってのほかだ。
そこまで考えて、ロランドは大声で言った。
「お袋、今すぐ食べる! 親父、昔よりちょっと重くなってるけどお願い!」
「「よし来た」」
両親の声が綺麗に揃う。まったく似たもの夫婦だ。
お互い、他の人と結婚していたら多大な迷惑を相手にかけていたことだろう。
それで、前に母がほのぼのとした調子でこんなことを言っていたのを、ロランドは思い出した。
「もうね、凄かったのよ。いくら爆炎術式の呪文詠唱を繰り返しても、お父さんたら、その中から不敵な笑みを浮かべて立ち上がってくるの。それでお母さん、燃えちゃって、萌えちゃって」
これは、両親が出会った時の話である。
その時、隣には父がいた。
「あの時の母さんの本気の笑顔は最高だったな。背筋がぞくぞくしたよ」
「まあ、貴方ったら」
幸せそうに笑う二人を代わる代わる見ながら、ロランドは頭が痛くなった。
どう考えても、凄惨な瞬間の凄惨な笑顔しか想像出来ない。しかも、恋に墜ちた瞬間の描写とは到底思えない。それでも事実なのだから、恐れ入る。
ヴェルシア王国軍魔道士部隊のエースが、敵国に雇われた傭兵部隊の隊長と恋に墜ちたものだから、流石にそのままという訳にもいかず、二人は母の両親が営んでいた『キーヴァード魔法道具店』を引き継ぐことにした。
とはいえ、ロランドがまだ幼かった頃は、たまにどちらの姿が見えないことがあったから、完全に足を洗った訳でもないらしい。渡世の義理を果たしに行っていたのだろう。
元『火焔魔女』が丁寧に焼き上げたかりかりのパンを齧りながら、ロランドは上の服をすべて脱ぎ捨てたカシヲの背中と、その隣で目を輝かせている母と兄を見る。
――相変わらず、うちの家族は普通ではない。
ロランドは小さく溜息をついた。
*
食事を終えると、ロランドは水晶盤入りの公用鞄をたすきがけにした。
「親父、頼む!」
「承知!」
カシヲはひどく嬉しそうな顔をしている。そういえば五年振りだな、とロランドは考えた。
二人で店の前の道路に出る。周囲の家の窓からも見物人の顔が覗いていた。皆、にやにやしている。
――相変わらず、うちの近所も普通ではない。
ロランドはやれやれと思いながらも、自分の左腕の肘を曲げ、父の右腕の肘にあわせた。
「久し振りなんだから、無理しないでよ」
そう言ってロランドは腰を落とす。
「大丈夫だ、任せとけ」
そう言ってカシオは背筋を伸ばす。
「それじゃあ、いくぞ!」
そう言うや否や、カシヲの右腕が四倍に膨れ上がり、その表面から硬い毛が立ち上がった。
周囲の家から拍手喝采が湧き上がる。
カシヲはにやりと笑うと――そのまま身体を横回転させ始めた。
ロランドの身体は昔と同じように、軽々と回される。
それを五回転したところで、カシヲは、
「行ってこーい!」
と叫びながら右腕を真っ直ぐ伸ばして、ロランドを空高く放り上げた。
「行ってきま―――す」
ご近所の歓声に見送られながら、ロランドは声とともに空に打ち上げられる。
この後三秒間はとりあえず何もすることがない。
身体を丸めて縦回転しながら、空を飛んでゆく。
四秒目に両腕と両足を大きく広げ、回転を抑制。
同時に視線を着地点に固定して、先を確認する。
今のところ着地点に障害物は何もない。
身体を柔らかく使って回転を殺す。
着地に向けて足を軽く曲げる。
足の裏は地面と平行に。
滑るように着地。
そして滑走。
石畳の上を十メートルほど進んだところでやっと身体が停止し――
ロランドは、自分が赤毛の少女のすぐ目の前にしゃがみこんでいることに気がついた。
どうやら彼女は、ロランドが着地しようとしているところで、路地から出てきたらしい。
「あの……大丈夫でしょうか?」
少女はためらいがちにそうロランドに話しかける。
「はあ……こちらこそ何だかすみません」
ロランドは申し訳ない思いで一杯になりながら、そう答える。
「お怪我はなさそうで何よりですが、あの、何をなさっているのでしょうか?」
青い瞳を大きく広げ、不思議そうに首を傾げる少女。素直そうな長い赤毛が、僅かに顔にかかる。
「あの、実は王宮に向かう通勤途中でして――」
ロランドの背中を変な汗が流れてゆく。
「――ここは状況説明をすべきところだと重々承知しているのですが、実は時間がありません」
情けない顔をしたロランドに、少女は明るく微笑んだ。
「あら、それは大変ですね。では、説明は次にお会いすることがあれば、その機会にして頂くということで」
「助かります。それでは御免」
ロランドはしゃがんだ姿勢から全力疾走に移行する。
その背中を見つめながら、少女は声をかける。
「お気をつけて!」
ロランドは右手を軽く挙げてそれに答える。
彼が走り去るのを、少女は静かに見つめた。
そして、彼女が出てきた路地の向こう側から、もう一人が姿を現した。
小柄な少女に比べ、長身の男性。
癖のある柔らかそうな金髪を短く刈りそろえ、目は緑色に近く、穏やかな光を湛えている。そして、その背中には大きくて白い翼があった。ただ、よく見ると左の翼が歪んでいることが分かる。
彼が口を開いた。
「あれは王国行政担当官の制服ですね。見たことのない顔でしたから、今年の新任行政官かな」
「それで、空を飛んで出勤ですか?」
「そういうことでしょうね。まあ、珍しいことではあります」
「では、物語として保管なさいますか、キルフェウス様」
「どうでしょう。これだけでは少々弱いように思いますが、今後の展開次第では保管に充分値します。なにしろ、空を飛んできた新任行政担当官と『王国の歌姫』の出会いの瞬間ですから」
「今後があるかどうかは分かりませんが――」
そこで少女は少しだけ悲しそうな顔をする。
「――あったとしても、私にとってのハッピーエンドにはまたならないでしょうね」
俯いた『王国の歌姫』ル・ランを愛おしむように見つめながら、稀少種族『物語保管人』キルフェウスは考える。
幼い頃は、強気で明るい歌が大好きだった彼女が、すっかり変わってしまった。今は悲しい歌ばかり歌い、しかもそれが彼女の今日の名声の源泉となっている。
その経過を知っているキルフェウスとしては、彼女が再び明るい歌を歌いたくなるような機会がそろそろあっても良いように思う。
――彼女は自分の大切なものを失ってばかりだから。
キルフェウスは前を歩くル・ランの背中を見つめる。
彼の歪んだ翼が僅かに震えた。
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