第8話
◇
マサは二階にある四畳半の自室で、エアコンの温度を十六度に設定して、イビキをかいていた。アキと歩が怪盗のように物音をたてずに玄関を通り、階段をのぼって、マサの部屋の扉を開け侵入し、三分間以上経過した――
工藤歩から見て、マサは筋肉太りという体型だった。ぽっこリ出ててみえるお腹も、すこしの脂肪のしたに硬い筋肉がぎっしりつまっていて、アキやハルの拳ぐらいではびくともしない、プロレスラーを思わせた。
「焼肉、たこ焼き、焼きそば、お好み焼き――」
呪文のようにアキはマサの耳元で、味の濃い料理名をぶつぶつとささやいた。
「カレー、ステーキ、ハンバーガー、カルボナーラ、ラーメン、餃子」
アキの、餃子、という言葉とともにマサはばね仕掛けの人形のように体をびいんと起こした。
そしてアキでも歩でもなく、何かにむかってさけんだ。
「王将!」
そしてベットの傍らで膝をついているアキをみつけ、マサは充血した目で迫る。
「町にいこう! 王将の餃子、今日から十個で百円だ!」
そして、ぐううとマサの腹がなる。いてもたってもいられないように、マサはアキ両肩を揺さぶってうったえる。
「今日は親、仕事なんだよ! なぁ、腹へって仕方ない!」
「これ、なーんだ?」
アキはビニール袋から、うまい棒を一本とりだして、マサの目の前にだした。
ごくり。マサは唾をのみこんで、おそるおそる手を伸ばした。
「こ、これは、幻の海鮮ミックスフライ焼き味……」
「正解だ。さて、どうして俺がもっているのでしょう?」
マサが触れる瞬間、アキはうまい棒を放り投げた。
「ああ!」
マサは絶叫した。アキは耳を塞いで、舌をべーっと出していた。
宙を飛ぶうまい棒は、歩の頭にこつんと当たり、彼女の足元に落ちた。
不思議そうに歩は、そのうまい棒をつまんで観察したが、ほかのうまい棒とどうちがうのか、歩にはさっぱりわからない。
「あれはトモちゃんとこには入荷してないヤツだぞ? なんで? アキ」
マサはアキを揺さぶってせがんだ。つよく左右に振られるアキの顔はとても冷静だった。
「実は、そこの子がくれたのだ」
「うそつけ。てか誰?」
「何を隠そう、大金持ちのいいとこのお嬢さんだ」
「いやいや、大金持ちでも、ないものは買えないって」
マサの手を振り払って、アキは腕組みをして立ち上がった。見下ろすアキは時代劇の奉行のように野太い声で言った。
「ええい、頭が高い! この方こそ、爾村酒店の駄菓子をすべて買い、われらにタダで与えてくださった救世主であらせられるぞ!」
「は、ははぁぁ……」
マサはベッドから飛び降り、歩にむかって頭を下げた。
「そのうまい棒は、ぐうぜん在庫に眠っていた貴重なものである! それを工藤歩さまは、無料でそなたに差し上げると言ってくださったのだ」
そこまで言うとアキは、マサと同じく頭をさげた。
「ほんに、ありがとうございますぅ」
冗談でも、土下座してみせるノリのいい男の子二人をぼうぜんと見た歩。やがて、ぽんと手を合わせて言った。
「それじゃあ、村を案内してほしいな」
「ははっ、なんなりとお申し付けください」
アキとマサは顔を上げた。
肩に下げたスポーツバッグから、歩は筒に丸められた紙をとりだして、二人の前に広げた。
歩が言う――母の書いた、久世村の風景画だと。
「ここに連れてってほしいな」
「マサ、カーテン開けて」
頷いて、マサがカーテンを開ける。差し込む光に照らされ、しっかりと絵が見えた。
それは鉛筆だけで描かれた絵だった。アキにもその作者の性格がわかると呟く――緻密で繊細。しっかりと久世村が描かれている。雲や山の陰り、草の幹まですべて立体的に思え、入り込んでしまいそうだと。
絵は右端にある鳥居にむかって坂道を歩く女の子が、ふと見る方向に、村を分ける川が流れ、村全体を一望できる光景が切り取ったように描かれていた。
しかしアキはこの場所を知らない、と歩に告げる。
歩がマサにその絵のことを尋ねると「すごい」と感想だけ返って来た。場所についてたずねると首をかたむけて独り言のように呟く。
「すくなくとも、祭りの準備をしていた久世神社では……あそこは鳥居まで石階段が百八段もある。そこから見えるのは西久世のひときれだけで、この絵のように村を展望できる高さでは……うーん。わからん」
「そもそもこれ、久世なのか?」
アキの問いに歩はきっぱりと言い切る。
「絶対に久世村。お母さんは、描いた場所と日にちを書き残しているから」
「どこに?」
歩が絵をひっくり返しての指差す。そこに文字があったが、アキには何が書いてあるのかわからないと答える。
歩はすぐ「四年まえの7月3日、久世村って書いてあるの。お母さんは絶対、この村にいたの。でも下書きのサインもある。完成させるまで絶対その場所を訪れるもん」と。
「四年まえか……俺が村に帰ってきたころだな。画家なんていたか?」
アキがそう呟く。
と、マサはしっかりとした声で言った。
「そうか! アキが帰ってきて、みんなで遠足した日! きっとそうだ!」
「遠足? 俺とマサとハルで?」
「もう一人いた。フウちゃん。きっとその絵だ」
「フウちゃん?」
アキは、絵を筒に丸めるマサにたずねた。
マサは笑いながら丸めた絵で、アキの頭をこつんと叩いた。
「アホ。同級生を忘れんな」
叩かれたところを指でかきながらアキは無言のまま。
マサは、もう一度、同じところを平手で叩いた。
「アホ。フウちゃんにとっては、初恋だぞ?」
「初恋? 俺が?」
唸りながらアキは考え込む。しかし、女の子がいた記憶がまったくないと言う――四年前の女の子といったら、巴と恵、村医者の冬月、教師の美月、母親、先輩の二人ぐらいだ。同級生の記憶はハルとマサだけだと。
「同級生のフウちゃん? いや、そんな記憶はない。転入生なら、まだ学園に残っているはずだ。初恋? 告白された記憶なんてない……」
独り言ちるアキ。マサと歩は黙って聞いていた。
「知らない風景と知らない記憶。マサは覚えているのに自分は知らない人間、フウちゃん。とても気持ちが悪くなる。なぜマサは今になってその子について喋ったのだろう? ハルは知っているのだろうか、この顔も背丈もわからない女の子のことを。フウちゃん、フウちゃん――」
呟き続けるアキにマサが声を掛ける。
「今度はグーでいくか?」
歩から見てマサは真剣に思えた。
ぶるぶると首をふってアキは話題を変える。
「そのころは色々あったし、ほら俺、退院後だったから」
「まあ、女の子がいるし、勘弁してやるけど。思い出せよ」
「すまん……」
二人の間に、暗い空気がながれる。
すると歩が、小さく、それでも凛とした声を出す。
「あの、図書館まで案内して。そこなら地図もあるし、誰か知っている方がいるかも」
「よし、昼までにすませよう。ええっと、歩ちゃん? ぼくはマサ」
マサは絵を歩にかえすと、握手した。
けったくなく笑う歩。それをみてマサは首を傾げ、問う。
「キミ、もしかして楽器とか習ってる?」
「うん。バイオリン」
「お母さんは画家だっけ。お父さんも画家?」
「お父さんは作曲家なの」
マサは手をはなし、歩の手の感触、その残りを確かめるように両手をもみ合わした。
「おまえ、気持ち悪いぞ」
「うるさい」
アキの冷やかしに、マサは真顔で返事した。
「……なんか、すっごい懐かしかった」
ぱんと、両手を叩いてマサは立ち上がった。
「とりあえず着替えるから。玄関で待ってて」
そして、鼻歌を歌いながらマサはクローゼットを開けた。
アキと歩は部屋を出て、玄関へむかった。
◇
「スコティッシュ・ファンタジー、第3楽章、アンダンテ・ソステヌート、変イ長調 4/4拍子」
「え?」
アキが聞き返すと、アユが階段の中頃に立ち、来た方を指差す。
「あっ、第4楽章に入った……マサは上手だね。ハミングしてる曲、難しいんだよ? まえにお父さんが断った、カヴァーアレンジのお仕事の中にあったの。〝わたしより彼の分野だからそちらに頼んでくれ〟とか〝これはわたしなんかがいじる必要なんて無い〟って」
とんとん、と階段を降り、歩はアキの傍に立つ。
「お父さんが仕事を断るって、すごく忙しいときか、すごく面白い曲のどちらか。だからお願いしてコンサートに連れて行ってもらった。私、開演まで譜面を見てばかりでCDも聴かずにすごしたの。それまで第2楽章が好きだったけれど、いざ聴いていると、耳は第3楽章が好きだった。そういうちぐはぐな状態はダメなんだよって、いちばん最初におしえてもらったのに」
歩は口ずさむ。
その歌の旋律を聴き、アキは「なんだか大事な何かが隠されているような、それを見つけなければならないような」とまた呟き始める。
「ほら私のごちゃごちゃした感情がアキにぶつかった……これがほんとうの〝音痴〟。マサはそれがなかった。すっと曲名だけ浮かんだもの。曲の意図を理解してハミングだけで伝えてくれる」
「ちがう……フウちゃんじゃない……フウちゃんじゃない……」
「あっ、すごい汗! 大丈夫?」
歩がハンカチをアキに渡す、汗がでていた。
「ああ」と返事してアキがハンカチの端を取った刹那――
アキは叫んだ。
「思い出した、思い出したよ、マサ!」
ええ? とくもった返事がする。
「俺、行かないと! すまん、アユを頼む!」
そういってアキは玄関を飛び出て行く。
「おい、アキ!」
階段を降りながらマサは、走っていくアキにむかって叫んだ。
アキは立ち止まり、振り向く。
泣きそうな顔で言った。
「忘れてたんだ! 俺たちの仲間――」
「フウちゃんか?」
「ちがう! フウちゃんじゃない! あいつはフウちゃんじゃないんだって!」
アキは背をむけて、道のない山にむかって走っていった。
◇
残されたマサと歩はお互い見つめ合い、苦笑いを浮かべる。
「なんか……」とマサが言う「ごめんな。悪い奴じゃないんだよ」
歩は、もしかして、と言う。
「アキ、キレちまったの?」
マサは首を横に振り、それは無い、と言い切って歩を連れて爾村酒店に向かった。
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