ジョニーがいなくてがっかり

第6話


 ◇

 久世村は大きく分けて三つの集落があった。北から流れる川が途中で二つに分かれ、それを境界線として東久世、西久世、南久世と呼ばれている。


 南久世はほん久世ともよばれ、役場や学校があり、人が最も多く住んでいる。


 東と西には田んぼや畑が目立ち、住んでいる人も合わせて百人ぐらいだった。周りは山に囲まれ、近代社会から隔離されたようなさびしいところだった。

 

 村に住んでいる子供たちはたくましかった。特に金髪の西条さいじょう清治きよはる、がっちりとした大きな身体のあずま正行まさゆき、そしてつんつんとした心を現したように髪を尖らせた本庄ほんじょう明正あきまさの三人は、田舎臭さのない大人びた考えをする中学生だった。

 


 三人はハル、マサ、アキと呼び合う仲で、小中一貫の久世学院の生徒だった。

 ハルは西久世、マサは東久世、アキは南久世に住んでいる。

 登校するときは、いつもアキが川に架かった二つの橋まで二人を迎えに行く。南久世を横断してから登校は、効率が悪いのだが、アキにとって普通の登校だった。


「うっす」

「おう」


 アキが声をかけるとハルが手を上げ、タッチする。二人は言葉少なく、マサと合流するため東へ、とぼとぼと歩き出した。

 二人の目の下にはクマができていた。

「だるい」ハルが目をこすりながら言った。「生まれてはじめて完徹した」


「マサはダメかもな。あいつ八時間は絶対寝る主義だから」そういって眠気覚ましにと、アキは道端にころがっている小石を、川にむかって蹴飛ばした。ゆっくりと川に小石が吸い込まれるように落ちていく。

「なんで俺らが駆り出される? 祭りの準備ぐらい大人でやれっての」

 ぼやきながらハルはガムを噛みだした。眠気覚ましのミント味だと言ってアキに差し出す。


 パチン。


 抜き取ったガムには、爪元にあたるように金具がセットされていた。見事に引っかかったにもかかわらず、アキは頭をかいて何事もなかったように呟いた。

「……よくゲットできたな、こんな骨董品」

「夜店のおっちゃんからの駄賃。家に三つもある……」

 仕掛けたハルもうれしくない。すぐに本物を差し出した。

 くちゃくちゃと噛みながら川沿いを歩いていくと、西久世(にしひさしよ)の方から太鼓の音がする。

 リズム合わせか、音の確認か、ともかくドンドンと鳴っては止み、鳴っては止みを繰りかえして、寝不足な二人の神経を逆撫でし、その場を離れさせた。


 ◇

「やっぱり、か」

 東久世橋にマサの姿はなかった。ハルが腕時計を見ると、七時半を過ぎている。三人のあいだで七時半までに誰かが橋に来なかった場合は、休みという暗黙の掟があった。

「なあ、俺らも休む?」

 ハルが提案した。睡眠不足と、これから暑くなるであろう気候、それに働かない頭で受ける授業の辛さを考えると英断に思えた。

「のった。じゃ、トモちゃんの店にいこう」

 アキはそう言って東久世橋を渡っていく。ハルも欠伸をしながら後につづいた。


 東久世に民家はまばらだった。畑と田んぼに挟まれた農道を歩く。さんさんと照りだす太陽にむかって道端の草花が伸び、乾いた風でそのすべてが一斉に揺れて音をだす。

 住み慣れた村人でも一息のむ光景だった。その時はまるで世界が一瞬だけ停止し、名画のように見るものを惹きつける。アキもハルも、そのときだけは童心に戻ったように立ちつくしていた。


「グリーン、グリーン、青空にーは小鳥が歌~い~」

 突然のアキの鼻歌を、ハルは聴いていた。

「グリーン、グリーン、丘の上には、ララ、緑がもえーるー」

 オンチだと言いたかった。代わりに声を押し殺し、くっくっくとハルは笑った。

 昔からアキは音感がなかった。いや、本人はあるといってきかなかった。そのうちそれについて口をはさむことを止めた。アキが本気で気にしているとわかったからだ。

 三人はとても仲がよかった。いつも三人で村を走り回った。しかし、本人たちは友人と思っていなかった。

「ハル、知ってるか?」

 振り返ったアキは笑いをこらえるハルを見て顔をしかめた。

「なんだよ」

「いや、アキこそ」

 ふん、と鼻を鳴らし、アキは歩き出した。それに続くハル。さわさわと草が揺れていた。

「この歌、反戦歌なんだって」

「ふーん」

「親父が兵士で、戦死する前に聞かせてくれた話を、子供が思い出している歌なんだ」

 アキの声は、寝不足からくる疲れより、もっと大きな疲れを帯びていた。

 ハルは鼻をかいて、何か言おうと考えた。しかし、言葉が見つからない。

 無言のまま二人は、とぼとぼと、平和な農道を歩いて行った。


 ◇

 アキとハルが、東久世の名物、心臓破りの坂道を上って店が見えるところまで来ると、巴の姿が見え、声が聞こえた。

 とっさに二人は怒られたのだと思って身構える。

 昔、悪ふざけをして、泣くまでしかられた記憶のある二人ならではの本能だった。

「アキ、ハル! ちょうどいい! 来て!」

 二人はただならない雰囲気を感じ、一気に急斜面の坂を駆け上った。


 爾村巴は酒屋と駄菓子屋を兼業している女性だった。長い黒髪を尻尾のように束ね、スラリとした体躯。彼女は、見た目よりもはるかに勝気で男勝りな性格で、男女ともに人気と信頼のある女性だったが、アキたち子供にとって、親より教師よりも畏怖の対象でもあった。


 店先につくころ、睡眠不足と昨晩の労働のせいでいつもより息がきれ、膝から下の筋肉がぶるぶると震えた。


 巴は二人に目もくれず、店先の自動販売機に向かって腕組みしている。

「ど、どうしたの、トモちゃん」

 からからの喉から、搾り出すようにアキがたずねた。自販機と店の入り口の間だった。


 巴の眼前、一人の女の子が、正座して座っていた。


「だ、誰……その子、なんかした?」

 ハルがむせかえるように声を出すと、やっと巴が二人に目をやった。

「この子、知ってる?」

 スポーツバッグを右に置いて、少女は座っていた。息を整えた二人が改めて少女の顔を見る。

「知らない。転校生の話も無いよな? アキ」

「おう。親戚でもない」

 

 溜め息をついて巴は肩をすくめた。

「困ったなあ……ねえ、キミ」

 巴は膝を折って少女と視線を合わせる。少女は屈託のない顔で巴を見る。

「これは、何かな?」

 巴が指差したのは、十円のブロックチョコレートをいくつも積み上げてつくられた、小さな家だった。


 アキとハルは思わず唸る。巴の怒りが爆発する寸前だと身構えた。


「お菓子の家です。魔女が住んでいるんです」少女は無邪気に笑って言う。

「豪華な魔女だね。で、キミ、どこから来たの?」

「東京から。お母さんに会いにきました」

 少女はお菓子のおまけについていたブロック人形を、お菓子の家の中に置く。

 巴は指をこめかみに当てる。

「そう。じゃあキミの名前。そしてお母さんの名前、電話番号と住所も教えてくれる?」

「私は工藤くどうあゆむです。お母さんは工藤くどう桃子とうこです」

「じゃああゆむちゃんって呼ぶね。お金は持ってるの?」

「はい。三十五万円とんで三百五十円あります。えっと、もう少し食べたいから……合わせて、五万円ぶんください」

 あっけらかんと少女は、しわのないお札を五枚、財布から出した。しかし、巴は受け取らなかった。

「あのね、子供がこんな店で……って、言ってて自己嫌悪になるなあ、もう……」

 

 アキが店内をのぞくと、うっ、とうめいた。

 ハルも凄惨な店内を見て、身をのけぞった。

 一箱百個入りチョコレートの箱が三箱も空になっている。スナック菓子の袋が床に散り捨てられ、ジュースの缶も五つ、空になってころがっていた。


「で、でもトモちゃん。この子、お金を持ってるし。いいじゃんか」

 ハルが巴の背中にむかってやさしく言うと、にらみ、怒鳴り返された。

「良くない! こんなとこ、近所の人や恵に見られたら、何を言われるか……」

 声が急にトーンダウンし、巴は体を震わせて頭を抱えた。

「長年培ってきた信用が、こんな田舎での商売は……ああ、また喧嘩になる」


 どんどん巴の気持ちが沈んでいくのが、皆、わかった。


「ああっ、紫苑は帰ったし、孝志は帰って来たし、明日は祭り……いろいろ同時に起こりすぎ! ああっ! 恵にどう説明しよう……また家出するとか言い出したら……」

 ぶるぶると体を震わせ、巴は黙ってしまった。


「俺らが口裏合わせるよ。恵ちゃん、キレると無茶苦茶だもん。アメリカまで家出したり」

 ハルがなだめるように巴の背中をさする。

 すると巴は無言で振り払う。


「前は白木屋敷の双子だったっけ。でもこんな田舎、こんな朝から、誰も見てないよ。前回はトモちゃんの自爆。黙ってれば大丈夫だった」

 アキが同情するように巴の右肩を叩く。

 すると巴は無言で振り払う。


「私も、お姉さんが怒られたら、あやまってあげますから」

 少女が二人のまねをして杏子の頭をなでる。すると巴は立ち上がって大声をあげた。


「私が立て替えりゃいいんでしょうよ! 私だって貯金してるもん! 使う予定なんて無いもんね! こんな風にパーッと使ってちょうどいい! 金は天下の回り物!」

 予想を上回る勢いに、アキとハルは身をそらす。暴れだした鶏のように巴の目は赤く充血していた。

「でも歩ちゃんは、お母さんともども、あとで説教するから覚悟しなさい! アキとハルは学校をサボっても許す! ただし、全員に連絡! 今日はセール、祭りの前夜祭! 帰宅後、すぐウチに集合! 私のサービスだとアピールすること!」

 人差し指を向けて戦場の司令官のように指示をする。

「最後に! 絶対、この子から目を離さないように! もう私は休む! 店は、あんたたちと恵に任せて寝る!」

 巴は店の奥に引っ込んでいった。

 

 そこで風船をわったようにアキとハルは笑いだした。


 ひさしぶりに感情をぶちまけた巴を見て、疲れが吹き飛ぶほどおもしろおかしい――アキとハルはそう言って笑う。


 歩は、店の奥から聞こえてくる巴の笑い声が気になる、と二人に尋ねる。

「大丈夫。良い人だから」

 アキが笑いすぎて出た涙をぬぐって、少女の心配を消すように言った。少女もいっしょに、くすくすと笑った。

「ここ、酒屋と駄菓子屋なんだけど、忙しいんだよ。トモちゃん……さっきの人が店番だけど、寝たきりの老人を介護したり、農家の手伝いとかもやってる。妹と二人でね……ただし、トモちゃんはあんな人だけど、妹の恵ちゃんは真面目で怒りっぽい。気を付けなよ?」

 そう言いながらアキは店内を物色し始めた。


 ◇

「俺、学校に行ってくる。ケータイ、忘れたからついでに取って来る」

 ハルが薄暗い店内にむかって声高く言うと、アキが笑いながら駄菓子とラムネをビニール袋いっぱいに詰め込んで出てきた。

「えっと、私は……」

 少女が立ち上がって満面笑顔の二人を見る。


 ハルは、アキの肩を叩いて「まかせた」と言い、坂をぶらぶらと下っていった。

「これから暑くなるから、キミのぶん」

 そう言ってアキは、キンキンに冷えたラムネをわたした。

「これからマサってヤツの家に行く。ついてこいよ」

「いいんですか?」

「いいよ。むしろキミにお礼させなきゃ」

 アキはラムネの蓋を外し、親指の力だけでビー玉を押し込んで、泡があふれる寸前に、ぐいっと飲んだ。

 少女もまねをしてみるが、ビー玉はまったく動かない。仕方がないので付属品を使うとようやく開けることができた。

 ポン、と音が鳴ったとき、少女は飛び上がるように驚いた。それをみてアキは微笑む。

「俺、本庄明正。アキって呼んでくれ」

「私は工藤歩です。よく、アユって呼ばれます」

 強烈な夏の陽が、二人に降りかかる。

 アキがラムネのビンを、歩のラムネにカチンと当てた。


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