トリビュート・ストーリーズ

秋澤景(RE/AK)

リベルタンゴ

第1話

 

 ◇

 爾村にむらともえは言った。はたき棒で駄菓子の並んだ棚を叩きながら。


「時間なんて意識したくない。でもけいの背で実感する――」

 

 十年という二文字で表現できる時間はとても長く、語れるすべなんてないけれども、私のスカートを引っぱって小学校まで登校していたんだよと、店内を掃除する妹に愚痴を吐く。


「恵に背を抜かれたのに、歳の差は変わらないってどういうこと?」

「哲学的な問題? お姉ちゃんと同じぐらいの頭脳、身長だってば」

「うそだ。ぜったい抜かれた。どっちも」

 巴が否定すると近づいて、恵はブリーチした髪のてっぺんを手で押さえ、その手をゆっくりと巴の頭に向かって降ろしていく。


 ほら一緒だ、と恵は言う。

 巴は「ああ、よくやったなあ」と。これは昔、私がよくつかった子供だましだ、と言う。

 頬をふくらませて巴は自分の頭に手を置き、その高さを維持して恵にやる。恵のおでこにぶつかった。

「季節は変わり、時間は過ぎて……私だけ取り残されたみたい。この田舎で、酒屋と駄菓子屋仕事。ときどき農作業。私は二十八、恵は二十歳……あーあ。私が二十歳の頃は」

 

 などと、巴は、背の高さだけで思い出にふけって口から出て行く。レジに座って溜め息を吐いた。

「お酒の準備は出来た?」

「うん? 朝から飲む?」

「配達だってば。徹夜明けで頭がぼーっとして、辛いのはわかる。でもしっかりしてよね。大人なんだから」

 

――恵にこんな指摘されることも無かったはずなのに、なんだかボケた老人みたいで気味が悪い――巴は思った。

 

――私の思い出は、捏造したものかもしれない。恵が要領の悪い子で、男性恐怖症だったことすら私の虚構かもしれない。それだけ現在の恵はしっかりして大学では心理学を専攻し、サークル活動もしている。合コンだってするし、飲んだくれて、へろへろになって帰宅することもある。

 とうの私は毎日、店を兼ねた家で過ごしている。お酒は飲んでも飲まれないし、友人とは来店した際に談笑する程度だ。数少ない友人はさらに少なくなり、もう生死すらわからないやつもいる。

 七月。今日は友人の、旦那の命日。顔も知らない出会ったこともない人の十五回忌。

 この久世ひさしよ村で、最もお酒が減る時期。

 今日はお葬式、明日には地元の祭りでお酒が売れる――巴は倉庫に行ってビール瓶十本、洋酒十本を運んでいく。


 何度も銘柄を確認して、家の庭にあるバンまで三往復した。家の外壁にある朝顔がしぼんで蓋をしていた。

 

 すべてバンに詰め込むと恵が、店内の掃除を終えて、もう行かないといけないからと運転席へ率先して乗り込んだ。

 

 巴がウィンドウを叩き、このさいノンアルコールビールに代えてみようか、と恵に言うと「美月みつきさんに怒られるよ」と返された。

「ワインソムリエの資格持ってるから、バレるよ」

「美月さんは教員免許と運転免許しか持ってない」

 強く否定した巴に、恵は首を傾げた。

 巴はバンの進行方向、下り道を見る。地元で心臓破りの異名を持つ坂道を眺めて言う。

「あの人は変わらないなあ。変な嘘を平気で言う」

「お姉ちゃんが言うかな? 変な事を唐突に言う」

「どういう意味さ」

「そのままの意味」


 パッ、とクラクションを鳴らされ、巴はバンから離れた。


 夏の日差しを受けて、爾村にむら酒店と書かれたバンが走っていく。巴はその背に軽く手をふって見送った。


 そして――もう気をつけてなんて言う必要もない。大学と実家の仕事を両立させている妹なのだから、私なんかが口出しすることなんてない。でも渡米するなんて言い出すなら別だけれど――と気持ちを抑え込みながら腕をうんと伸ばす。高い青空を見上げると入道雲が出ていた。


 四方を山に囲まれた田舎で暮らす巴たちにとって、珍しくなく、ありがたいものではない。午前中に見つけると大雨を予感させる。でもそのずんぐりどうどうした雲の塊は、巴に青空の高さ、広さも知らしめた。


――きっとあそこに飛び込んでここを観たなら、私も恵もアリと同じくらい小さな点でしかないはずだ――そう思っていると、入店を知らせるセンサーベルが聞こえたので、巴は裏口から店内へ戻った。


 ◇

「おはよう。あれ? 見ない子だね?」

 レジ前で巴が声を掛ける。

 店内には小学生ぐらいの女の子が一人だけいた。

 その子は返事をしなかった。両耳にイヤホンが付いていたので、聞こえないのだろうと、巴は黙ってレジに肘を付き、その子の買い物を見ていた。

 

 とたん、けたたましく店内の電話が鳴る。巴が年季の入った黒電話の受話器を取り、応答すると「ともえちゃーん」と酔っ払いの声がした。


「出来上がってる?」

 そう言いながら巴は薄暗い店内の時計を見て、午前八時半という時間を確認し、呆れた。電話の主、緋時ひとき美月へ、早すぎると言う。

 笑い声とともに「無くなったから、もっとちょうだい」と英語で返された。巴も英語で応答する。

「いま、恵が運んでるよ。でも、ほどほどに」

「常連客に説教? 飲まないとやってられるか、バカヤロー」

「アル中で亡くなると悲しいし、大損なんで」

 

 するとけらけらと笑い声が途絶え、物音がし、相手がかわった。

「ごめん。やっぱり今年もだめだった。昨日の分、もう飲み切ったの……追加はキャンセルで。こっちでなんとかなだめるから」

 溜め息まじりの日本語で、女性の声だった。


 巴は笑い声を上げた。

 相手は笑い事じゃない、みっちゃんもひかえなさいと交互にうったえる。

「巴ちゃん、みっちゃん、医者の言う事を聞きな――ああっ! 違う、みっちゃんを責めて無い。だから泣かないで――巴ちゃんは笑わないで」

 

――美月さんが大酒飲みになるのは今日しかない。私としてはかき入れ時なのだけれど、知り合いとしてはやっぱりつつしんでもらいたい。冬月ふゆつき先生も医者と幼馴染の視点から制してる。やっぱり変わらないな――と、巴は思い、笑いながらアドバイスした。

「先生の言いつけ通り、いま運んでいるお酒、ノンアルコールも混ざってますから。文句つけて暴れ始めたら本物を」

「ごめん。お祭りの準備もせず、毎年毎年、しっちゃかめっちゃか……」

「ぜんぜん大丈夫。村には暇な子供たちがいますから。夜に、お線香上げさせてもらいます」

「ええ。ありがとう」

 電話がきられる。巴が女の子に視線を向ける。

 すぐに店先からがらぁんと大きな音が響いた。


――やれやれ、またあの自販機か。今日はいそがしいや――


 巴が店先に出ると、年季の入った自販機から雪崩出たジュースを拾い上げている、喪服姿の男がいた。


 その男はシルクハットを被り、この暑さで頬をじっとりと濡らしていた。


 巴の視線と興味が、まず右目の眼帯に向いた。ものもらい等の処置ではなく、右目を封じているものだった。

 次に右手の甲にあるタトゥー。

 それらを確認してから言葉が出る。


「帰ってくるなり、なにやってんのさ。お金払いな、考志たかし


 ◇

 心は重く体は軽く、息苦しかった高校時代、巴は髪を短髪にしていた。

 勉強よりクラブより酒屋仕事より、友人との遊びが大切で、いつも店で買い食いする。

 彼らはツケばかりだった。

 特にリーダーである彼――現在は隻眼の男――高校時代はちゃんと両目があったし、記憶に刻まれている。

 

 緋時孝志。美月の異母兄弟。

 再会し、思い出が一気に出て消え、巴の心中には、唐突、という二文字だけ残った。


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