第19話 告白の時

 追撃の憂いを断ったのを確認し、原田はギアチェンジし速度を緩めた。剣持の方は刀の全てを回収し、走行中の車両の上で、能力で補助しながら納刀する。

「運転できたのですか、マニュアル」

彼女は、呼吸を整えながら、背中越しに原田に語りかけた。

「良くこういうのに乗っている人に襲われていたので構造は大体、あとは勘です」

 恥ずべき過去ではあったが、安心させるために今度は隠さなかった。

「まあ、お互いまだ十五歳でしょうし。二人とも無免許でヘルメットもなし、大義のためとはいえ、心が痛みます」

 冗談めかして彼女は呟いた。

「……ありがたいですよ。貴方は、忌み嫌う行動に踏み切ってでも、俺を助けてくれた」

 彼女の本質に救われたのだ「緊急事態だから仕方がない」とのフォローに意味はないと思い、原田は単に礼を言う。全てを背負って立つ彼女に、軽々しく適当なことを言うことはできなかった。

「このままでは目立ちます、いつものタクシーに来てもらいましょう」

 最寄りの駅まで何とか走り、バイクを止めた、田舎の駅だから人影は少なく怪しまれず済んだ。

太陽の位置から見ても、原田が意識を失ってそれほど時間も経過してないようだ。しばらく剣持と会話してから見た駅の時計も、ほぼ予想通りの数字を指していた。

 原田の携帯電話は無論、秀嗣たちに取りあげられていた。だが財布はそのままあり、公衆電話を用い、剣持を煩わせず連絡を終えることができた。

「二十分ほどで来ていただけるそうです」

 常に背筋を伸ばしている彼女には珍しく、ベンチの背もたれに体重を預けていた。原田は自販機で買ったスポーツドリンクを渡す。

「俺の居場所、よくわかりましたね」

「お渡ししたお守りです、本来の用途以外にも少し工夫があって、父なら追跡できます。申し訳ございません、こんなストーカーまがいのことをして」

「いえ、助かりました。あのままなら、どうなっていたことか」

 彼女なりの冗談だったかもしれないが、原田は茶化さず率直な意見を返した。

「原田君……、あなたにも、あれは、剣持の嫡男であると宣言しましたか」

 キャップを開けながら、剣持は言った。彼女と再会してまだ二週間も経ってないが、彼女が滅私の姿勢を崩したと原田が感じたことはなく、これからもないと思っていた。批評家気取りで眺めてみても、彼女が、表だって自分の感情の発露を許していたのは、雪実に対してだけだったと思う。

 今は原田にも、彼女が少しだけ違うように見えた。

「真偽の程は定かではありませんが、確かに彼は言いました」

 伝えなければならないことは尽きなかった。しかし、原田はそれを今、伝えようとは思わなかった。秀長と秀嗣、まだ、彼らのその異質な精神を人の領域に近づける手法は存在しており、また原田は、おそらくそれを行えるからだ。

 彼女に伝えるのは、全て解明してからにしようと今、身勝手に決めた。

彼女が、得体の知れない親の勝手に振り回されることを、自身の義務と捉えそれに雁字搦めにされているなら、彼女の為になりたという自身の利己主義的発想や欲望を、干渉の権利にすり替えても良いだろう、原田はそのように考えることにした。

「そうですか、まあ真実であろうとなかろうと、あれを父親と認めた、その事実だけでも、戦う理由になります」

 今度は、原田が今まで想像に過ぎなかった彼女の本質を理解する番だった。

慣れない二輪の運転の中でも、確かに『近藤』という言葉が聞こえる前に、剣持の纏う空気に変化する瞬間があったのはわかった。

 それは、今聞いたことを踏まえると、彼女に秀嗣が血縁を明かした時だったのだろう。確かに、彼女が土蜘蛛の前で、秀長が父親という事実を認めていた時、その殺意は、まだ危険に巻き込まれた実感の薄かった原田に、彼女の覚悟を理解させるほど凄まじかった。

 『秀長の子』その事実は、自身も含めて彼女にとって罪人の条件なのだろう。土蜘蛛を宿した近藤の残骸が、見るも無残にあのアスファルトの上に散らばったことがその証明だった。

 あの時、土蜘蛛は彼女と秀長の関係など気にしてはならなかった、それは罪人と彼女を罵ったも同然だ。娘でないと土蜘蛛が判断すれば、彼女は自ら名乗る必要が出てくる。どう転んでも問いの時点で、土蜘蛛の虐殺は決まっていた。彼女は認めなければ進めない、認めたくない事実をわざわざ再確認することになる。いや、今そんなことは問題ではない。

「あなたは、何でそんなにも――」

 彼女には、救いというものがなかった。生まれることが罪なら、全てが終わっても、彼女が救われる余地がない。

「全てが終わったら最後は私、まさかそんなことをしようとは思っていません。将来的に秀長が今回とは別件で何かを起す可能性も捨てきれませんし」

 原田には、この言葉が、とても冗談には聞こえなかった。

「気負いすぎです、あなたがそうまで責任を感じることはない」

 親の後始末のために生きる、悲壮な決意をした彼女に対し、思わず口に出し、後悔しながらも原田は続けた。

「確かに、あなたが強く優しい人だったから、俺たちはこの場所で今日まで無事に暮らせました。他の誰に力があっても、あなたのように全てを守ることはできなかった。感謝しても、感謝しきれない、本来なら目を背けても許されることを、あなたはやってくれたのだから――でも……」

 今更何も言えない、原田は言いながら気付いていた、偽善的なことを吐き続ける異常者に成りきれなかった。彼女の心は他者を無視した自身の安寧を許さない。

 原田が言おうとしたのは、あまりに当然な、どうにもならないことばかりだ。原田は、心の中で喚き騒ごうとする奢り高ぶった自身を刺し殺した。彼女の存在無しでは、秩序の崩壊は食い止められない。「気負うな」も、「代わろう」も言える訳がない。彼は力の欠如に由来する、己の無責任と無力を嫌というほど知っていた。

「ありがとう」

 怒りでも、侮蔑でもなく、剣持に浮かんだのは微笑みだった。幼稚な原田の心の有り様を彼女は察してくれたようだった。原田は彼女と視線を合わせた。せめて、秀嗣によって呼び起こされた、彼女の中にある理不尽な疑念だけは払拭したかった。

「すみません、支離滅裂になってしまって。でも、これだけは言わせてください。過程にあったことまで自責する必要などありません。あの殺人は貴かった。あそこで近藤を殺せなかったら、犠牲はこれだけは済まなかった。そこだけは僕も秀長さんと同じ意見です」

 土蜘蛛を刺し貫いた刀を思い出す。あの晩、夜空で光った椿の鍔は、まさしく希望の星だったのだ。

 自身の体裁などどうでも良かった。ある意味では彼女の心すら無視する物言いだったが、それでどのような形であれ彼女が要らぬものを背負うのを止めてくれればと原田は考えた。

「近藤のことにしろ、日ごろの戦いのことも、面と向かって言われると楽になるけど、恥ずかしいものがありますね。まあ、そもそも、事実を知っている人なんて限られますが」

 伏し目がちに、彼女は苦笑いした。

「こんなことしか言えない自分に腹が立ちます。せめて『依代』さえ扱えれば。……俺には、何も出来ない。依代を作り出した者、依代を悪用した者の次に、責任があるというのに」

 近くの柵を握り締めながら、原田は、苦々しくつぶやいた。

「……あなたがいて、どんなに助かったことか。でも本来なら、あなたこそ、私の不注意で巻き込んでしまった、関わらずとも良い人間だ」

「違うんです」

 剣持の意見を即座に否定した。これ以上、彼女に罪悪感を抱かせたいと思う人間などいまい。それに、本当に原田はこの件と深く関わっているのだ。

「俺は無関係ではなかったんです。下手をすれば、今回の件の元凶と言えるかもしれない」

 原田は、彼女にこれ以上気を使わせないよう、話を進めた。

「自宅に寄って良いですか、少し確かめたいことがある」

 二度手間になるので彼女の追及は先送りにさせてもらった。剣持は頷くと、また背もたれに寄りかかった。タクシーが来るまでそれから十分ほど待ったが、彼女はほんの少しだけ、休むことができたようだ。

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