桜屋敷の秘密
零
第1話
「猫?」
ルナは女性の言葉をもう一度復唱した。特に珍しいことではない。時折持ち込まれる「依頼」ではある。
奇妙に感じたのはそれを持ち込んだ女性の雰囲気。どこが、と、言われると困ってしまうが、何となく、と言うしかない。
ただし、ルナのこの手の直感はよく当たった。
女性は名前を彰子という。この街の高台にある屋敷、というには少々小さいが品の良い住宅に住む老女だった。彼女の家の庭には色んな種類の桜の樹が植えられており、通称、桜邸、と呼ばれていた。
桜邸の彰子夫人は老女と言うにはまだ若い。身なりも良く、動きも洗練されている。正に老貴婦人、といった風情だ。顔立ちも美しく、若い頃はさぞもてたであったろうと思わせる。今となっても彼女を慕う同じ年頃の男性も多いと聞く。
そんな彼女の愛猫が姿を消したのは一週間前。名前はミィ。メスの黒猫であるという。提示された写真を見てもただの黒猫だ。彰子夫人の話では血統書付でもなくある日ふらりと屋敷にやってきた雑種だという。
そんな出会いだった所為か完全室内飼いというわけではなく、自由に外と内を出入りしていたらしい。一日二日帰ってこない事は時折あったため、しばらく様子を見ていたが一週間は今までにない長さだった。
少なくとも彰子夫人にとっては。
「この、ミィちゃんを探せば良いんですね?」
「なにとぞ…お願いします。」
彰子夫人は目尻に涙を浮かべていた。それを綺麗な白いハンカチで抑えている。
「承知致しました。何か手がかりになりそうな事を思い出したらご連絡ください。」
彰子夫人は最初に手渡された名刺の電話番号をまじまじと確認してこくりと頷いた。そして、残されていたもう一方の名刺にも目を向ける。
「あの…こちらの方は…?」
最初に手にしたほうの名詞にはルナの名前がある。
そしてもう一方の名刺には別の名前があった。
「そちらも持っていて下さい。この事務所の共同経営者で私の姉です。」
「今日は別の案件を追っているのですか?」
彰子夫人がそう言うとルナは引きつった笑いを見せた。
「…スミマセン…ここに居ます…」
そう言って自分の背後、座っているソファの後ろから正に首根っこを掴まれる形で一人の女性を引っ張り出した。
手にはメモ用紙とペンが握られている。どうやら今の依頼の内容を書き留めていたようだった。
「…すすす、スミマセン。人見知り…なんです…」
蚊の泣くような小さな声で、ソファの背もたれにかじり付きながらもう一人の探偵は自己紹介した。
「…ルナの双子の姉で…たたた、探偵の、ヒナ…です…」
ヒナは陽奈で太陽を表す名前であるが、どう見ても雛鳥の雛に見えた。それを見て彰子夫人は思わず噴出してしまった。
「ごっ…ごめんなさい、私…」
笑いの止まらない婦人にルナは微笑んだ。
探偵事務所に来る依頼人は難しい顔をしてくる人、悲しい顔をしてくる人がほとんどだ。そういう依頼人が笑顔になって帰ってくれれば良い。そういう思いはいつもある。
今回はその願いが少しばかり早く叶った。
「あなたがいつでもその笑顔でいられるよう、全力を尽くしますよ。」
ルナが婦人に近づいて跪き、そういった。
「わ、私も!おっ、及ばずながら精一杯、頑張りまっす!」
ヒナもすくっと立ち上がって言い切った。直後、顔を真っ赤にしてまた、ソファの後ろに座り込んでしまった。がんばります、という小さな呟きが聞こえると、彰子夫人はまた笑った。
その笑顔にルナが深々と頭を下げる。ソファの後ろではヒナがぺこぺことお辞儀をしていた。
「ご依頼ありがとうございます。ソレイユ&ルナ探偵事務所へ。」
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