第9話 始まりのオートミール【前編】
―――最後に温かいご飯を食べたのはいつだったかしら。
私は土臭い木の根っこを囓りながら野山を歩いていた。
頑丈なドワーフ族とはいえ、10歳という年齢で宿無しの放浪生活はあまりに過酷だった。
生きていくのに手段なんか選んでられない。いざとなったら人を殺める覚悟だって出来ている。
アテのない孤独な旅をする私はそう考えるほど追い詰められる日々を送っていた。
そんな私が目指しているのは人が住む集落だ。理由は一つ。そこに食べ物があるからだ。
できれば小さな村が良い。平和ボケした農村の人間は害獣に対しては過敏だが人に対しては無用心なので家に鍵をかけることをほとんどしない。
なにより、人が少ないということはそれだけ追われたときの驚異も少ないということでもある。
ドワーフ族であることが幸いして幼いながらもチカラと器用さだけならオルド族の大人には負けない自信があった。
それに加え、我流だが護身術も使える。ケモルフ族の大人だって片手で投げ飛ばすことぐらいどうということもない。
やがて、眼前に金色に光る麦畑が姿を現した。
眩い太陽に照らされたそれはさぞ美しい光景だったのだろう。しかし今のわたしにはその光景に感動なんてものは感じない。ただ畑があるなら人も住んでいるはずだと、そう考えるだけだった。
私の予想通り、麦畑の間にポツリポツリと複数の民家が見える。ざっと数えて数十軒といったところだろうか。どこからか卵鶏やウシと言った家畜の鳴き声も聞こえてくる。獲物にするには十分な規模の村だった。
これから数日間、私はこの村に身を隠しながら滞在して食べ物や衣類をこっそり頂き英気を養うつもりだ。そして、村人が違和感に気が付き警戒を始めたところで村を出てまた別の村を探す。
今日までそれを繰り返し、生きてきた。
私は身を隠しながら移動を続け最初の狙いを決めた。それは、さきほどから鳴き声が聞こえていた卵鷄を飼っている少し大きな家だ。
卵鶏を飼ってるということは麦や野菜だけでなく畜産物である肉を貯蔵、あわよくば金目のものが置いてある可能性が高いからだ。
どうせ食べるならまずは栄養の付くものから頂いてしまおう。いつ存在がバレ、再び野山で木の根っこや小さな爬虫類を食べる生活に戻るか分からないのだ。美味しいものは最初に頂いてしまうに限る。
納屋を見て荷車と農具が無いのを確認する。
―――どうやらこの家の住人は農作業に出かけているようね。
農作業は重労働なので基本的に家族総出で行うことが多い。たとえ非力な妻や子供であったとしても出来ることはあるので家に残ることは少ない。
念の為に軽くノックをする。その後、しばらく耳を澄ませて家の中から物音がしないかを確認してから、私はゆっくりと家の中に入った。
農村だけあって簡素な作りの家だ。食料がありそうな場所はすぐに分かった。
一応、金目のものが無いか見渡す限りで探したが、どうやらそれらしいモノは無いようだ。大きい農家にしては少し珍しい。
仕方なく手近にあった折りたたみ式のナイフを手に取る。数ヶ月前に別の村で頂いたナイフはそろそろガタが来ていたので丁度良い。これがあると無いとで今後の生活は大きく変わってくるだろう。
次に改めて食べるものを探す。
まず、近くのツボからザワークラウトを発見した。重い漬け石を軽々と退け、少しだけ食べる。あまり多く食べてしまってはすぐに誰かが盗みに入ったのだとバレてしまい、早々にこの村から去らなければいけないからだ。
―――随分とザワークラウトの量が少ないわね……。嫌いなのかしら?
世の中にはザワークラウトを嫌いだと言う人も多いらしいが、好き嫌いなんてものは恵まれている人間だけが言える傲慢だというのに。
私は漬け石を元の角度で乗せ、それから今度は足元にあった地下倉庫を開く。
農村のような小さな集落にエルフ族のような氷を作り出せる存在がいるはずも無いので、多くの家はこうして温度の低い地下に小部屋を作り、そこを食料倉庫の変わりとして使っている。
案の定、中には塩漬けされた野菜の他に肉などの保存食があった。これもまた妙に貯蔵されている量が少ない気もするが、たまたま貯蔵が少ない時期だったのだろう。
これもバレないように少しだけ頂く。
―――さて、そろそろ退散しないと。
まだお腹は膨れて無いが盗みは長居すればするほどリスクが高い。出来ればその場で食べるものでは無く、持ち歩くことが出来てあとでゆっくり食べられるモノがあると良いのだけど……。
少し辺りを見渡し、そこで私は倉庫の隅に黒くて丸い拳サイズの石のようなものを見つけた。
卵の燻製だった。
なんて運が良いのだろう。卵は栄養も高く、燻製にされているのなら日持ちもする。なにより持ち歩くことも出来る。少し変わった匂いのする燻製だったが、栄養が採れるのならあまり気にする必要は無い。
私は十個ほど置かれている卵の燻製を三個ほど懐にしまい、足早に家を出た。
家の住人はまだ戻ってくる気配は無い。盗みは大成功だ。
私は村から少し離れた丘の上でさきほど盗んだ卵の燻製を食べながら村を一望する。目の前には金色に輝く麦畑に色とりどりの野菜畑、遠くには川も見える。
仲良さそうに親子で農作業する家庭、仕事を抜け出し村の外れで遊ぶ姉弟らしき子供、物陰に隠れバレないようにこっそりと休んでいる大人。みんなそれぞれ充実した生活を送っているようだった。
―――お父さん、お母さん……。
懐かしい故郷の光景を思い出し、つい干渉に浸ってしまう。。
優しくも厳しかった工芸師の両親に、母親のお腹の中で亡くなった名も無き弟。もし、3人が生きていたのなら、自分もあのような生活を送っていたのだろうか。
ふと、そんな干渉に浸り、慌てて頬を叩く。……そんなことを考えたところで意味は無いのだ。
空想を見るな現実を見ろ。私が生きているのは現実なのだから。自分にそう言い聞かせすぐに忘れようとする。
そんな自問自答をしていると大量の荷物を積んだ馬車が目に付いた。
乗っているのは男女の二人。荷物の量から推測するに、これから近くの街へ作物を売りつけに行くのだろう。
―――しめたっ!
私は一目散で駆け出し、その二人が出発した家を目指す。
おそらくあの二人は夫婦だ。そして今は早朝では無く昼過ぎ。こんな時間に出発したのを考えると少なくとも今日中に帰って来くることを想定はしていない。
となれば、今夜はあの家には誰も居ないということになる。
私の目的は二つ。一つはさらに食料を頂くこと。そしてもう一つは今夜を安全な場所で過ごすことだ。
今はまだ冬では無いが、夜になると肌寒く、野生の獣や虫に襲われる可能性も高い。たった一日でも安全な場所で過ごせるのならそれに越したことは無かった。
さきほどの馬車に乗った夫婦が出てきたのは小さな素朴な家だった。
流石に遠出をするときはこんな農村でも鍵をかけるらしく私は開錠を試みた。こんなちんけな村で使う鍵にしては少し複雑な作りだった。
ピッキング用の細い鉄の棒を取り出し、開錠を試みる。少し苦戦したが無事に開けることは出来た。……が、どうやら鍵そのものを壊してしまったようだ。
しかし、鍵が開いたことで私は完全に油断していた。まさか、鍵のかかった家の中に人が残っているなど想定しておらず、無用心にもそのまま家の中に入ってしまったのだ。
冷静に考えれば当然のことだ。鍵はなにか大切なモノがあるからこそかけるのだ。ただ、それがまさか子供だとは思わなかった。
そして私はその子に出会った。
「きみ……だれ……?」
私より1~2歳ぐらい年下の幼いオルド族の少年が家の中に居た。
「…………っ!?」
予想外の遭遇に思考がパニックに陥った。
―――子供っ!? どうするっ!? 見られたっ! 盗みがバレる。ならば・・・
少年はまだ事を理解していないようだ。しかし、私が不自然に鍵を開けて家に入ってきた事実に気が付くのは時間の問題だろう。
鍵を開けて見ず知らずの人が入ってきた。それは即ち泥棒であるという証拠だ。もし、この子が叫んだり、近くの住人に助けを求めたら、私は早々にこの村から立ち去らなければならない。
数日間さまよい歩いた挙句、ようやくたどり着いたせっかくの村から早々に立ち去るなんて疲れきった今の私には難しい選択だった。
となれば、どうするべきかは自ずと決まってくる。
―――この少年の口を封じる。
何も殺す必要は無い。……が、あまり反抗的な態度を取るようなら殺すのもやむを得ない。せめて今晩だけ、英気を養う僅かな間だけでもこの少年には黙っててもらえれば良いのだ。まずは縛り上げ、それから……。
ぐちゃぐちゃしてた思考がすぐに固まり、私は素早く少年の首を掴みにかかった。
…………が
「……うぐっ!」
ギュルルルルるぅぅぅうぅぅうううぅぅ~~~~~…………。
ひどく間抜けな音と共に私のお腹に激痛が走り、直後にとてつもない目眩と吐き気を催す。私は思わずその場に倒れ込んでしまった。
―――ひょっとして、さっきの卵……?
どうも燻製とは違う変な匂いがすると思ったが、あれは腐っていたのだと今更になって気が付いた。
ドワーフ族は繊細なオルド族と違い胃袋が頑丈なので、たとえアク抜きしてない木の根っこでも平気で食べられるのだが、流石に腐った卵は受け付けなかったらしい。
終わった……。何もかも……。
この少年が私が空き巣だと気が付けばすぐにでも村総出で吊るし上げられ神に裁かれることだろう。
言い逃れしようにも懐にはさきほど盗んだナイフがある。
せめて、先の家で空き巣をしてなければまだ言い逃れする手段はあったのかもしれないが、もう遅い。
私は激痛に苛まれながら薄れゆく意識の中で今は亡き両親に助けを求め続けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます