第3話 二人の天丼戦争

 ケモルフ族は狼のような耳と尻尾を持つ種族だ。


 とにかく足が速く、その全速力は翔ぶ鳥よりも速いと言われている。


 この大陸がまだ戦乱の世だった頃はその足の速さを活かし多くの戦場で伝令兵でんれいへい奇襲兵きしゅうへいとして活躍したとされている。


 しかし、それも今は昔の話。


 ケモルフ族の青年フェンリも母親から伝え聞いた同族たちの英雄譚えいゆうたんに憧れ、かつては兵士を夢見たものだったが、心身が成長するに連れて時代の現実を見据えるようになり、現在ではケモルフ族の足の速さを活かした配達業を行い生活を送っていた。


 そんなフェンリは配達の仕事を終え、自慢の尻尾は垂らして腹から飯を催促する音を鳴らしながら歩いていた。


 「腹減ったぁ……」


 独り言が腹の虫の音と共に街の騒音の中に虚しく消える。


 ズボンに縫われたポケットに手を突っ込み再度確認するがやはり無い。


 フェンリは財布を無くしていた。


 財布の中には数日の飯代だけを入れておく習慣があったので失くしたことで生活が出来なくなるということは無いのだが、残りの金は現在位置から遠く離れた金融倉庫に預けてある。


 フェンリの住むこの港街は大陸の外との交易を積極的に行っており、交易都市とも呼ばれるほどの港街で、王都ほどでは無いにしてもかなりの広さを誇っている。


 腹を空かせたフェンリにとってはケモルフの足を持ってしても入り組んだ港街の中を進み金を引き降ろしに行くには少々遠すぎる距離だった。


 そこでフェンリはある手段を思いつく。それはツケの効く馴染みの店で食べるという方法だ。


 幸いにもフェンリには飲食店を営んでいる友人が居た。


 その店は異国風の外観と内装をしており、扱うメニューも異国風の料理だけに留まらず様々な料理を提供するという一風変わった食堂なのだが、なによりフェンリが気に入っているのが友人である店主がオルド族なのに対し、店員がドワーフ族とエルフ族という種族の統一性の無い人員構成なところだ。


 ケモルフ族は狼のような耳と尻尾を持っているため私生活の中でも抜け毛が多く、飲食店の中にはケモルフ族お断りという店が存在したり、また入店出来たとしても他種族という理由で嫌悪の目を向ける客も多い。


 その点、友人の食堂は入店できるのはもちろんのこと、店員がオルド、ドワーフ、エルフという種族で見ても統一感の無い構成なため、その店に来る常連客のほんとんどは他種族に対して嫌悪の目を向ける客がまず居ない。


 そうと決まればさっそく飯を食いに行こう。


 フェンリは空腹で鳴く腹を抱えながら友人の営むカルム食堂という食堂に向け尻尾をフラフラと揺らしながら歩き出した。


 「ようこそおいでくださいましたお客様」


 カルム食堂の暖簾のれんを潜ったフェンリを出迎えたのはキリッとした表情で丁寧口調を喋るエルフ族の少女だった。


 フェンリの知っている普段のイメージと違うエルフ族の少女に一瞬入る店を間違えたかと思って店内を見渡した。


 ひと目で分かる異国風の内装、L字状のカウンター席。照明には淡く光るカンテラ。そしてなにより、目の前にいるのはすっかり顔なじみとなったエルフ族の少女だ。


 仮に顔を覚えていなかったとしても、人里では稀有な存在であるエルフ族を店員にしている店など早々あるはずが無い。


 ここは間違いなく友人の営む店。カルム食堂だった。


 「えっと……、ヒスイちゃん、何やってんの?」


 「嫌ですわお客様、私は普段通りでございますですよ」


 普段から元気で子供っぽい印象の強いエルフ族の店員ヒスイはフェンリから見ても分かるほどに明らかな無理をしていた。


 しかもなぜか表情を始終キリッとさせている。見ようによってはドヤ顔だ。


 一体なんなんだとフェンリがカウンターの奥に目を向けると、そこにはフェンリの友人でり、この食堂の店主でもあるカルムが苦笑いを浮かべながら立っていた。


 「はは……、いらっしゃいフェンリ」


 「カルム。ヒスイちゃんは一体どうしちまったんだ?」


 「あ、ああ、それにはちょっとワケがあってね……」


 そう言ってカルムは視線を移す。そこにはフェンリの良く知る人物がカウンター席に座って飯を食べていた。


 「テテル?」

 

 「もふぁ!? 兄ちゃん!?」


 フェンリの妹、テテルだ。


 テテルはまだまだ子供っぽいことろがあり、また馬鹿が付くほどまっすぐな性格で、かつてのフェンリと同じくケモルフ族の英雄譚に憧れている少女だ。


 しかしフェンリと違い、純真故か、はたまた幼さ故か、行動力が凄まじく、わずか10歳という若さで街の衛兵隊えいへいたいに志願し、現在では訓練兵として研鑽けんさんを積んでいた。


 本来ならばこの時間は訓練を受けているはずだとフェンリは思い出す。


 しかし、テテルは右手にフォークを持ち、ボイルされた腸詰めを頬張っていた。


 「お前、こんなところで何してんだ? 訓練はどうした?」


 「もぐもぐ、兄ちゃん……、もぐもぐ、兵士に大切なことは、もぐもぐ、なんだと思う? もぐもぐ」


 「……あ? どういう意味だ?」


 フェンリが質問を聞き返しながらテテルの隣りのカウンター席に座る。テテルは手に持っていたフォークを置いて腕を組み、まるで何かを悟った賢人のような表情で語りだした。


 「兵士は民を外敵から守るためにいつ如何いかなるときでも万全の状態で待機していなければならない。テテルはそう衛兵隊長から教わった」


 「つまり、腹が減ったからサボって飯食いに来たってことか」


 「違うもん テテル、サボってたわけじゃないもん!」


 「ほーん……?」


 サボリと言われたのが遺憾いかんだったのかテテルは怒りを露わにして抗議した。


 テテルにとってはサボリじゃないとしても実際にサボっている事実がそこにはあるわけで。フェンリはそんなお馬鹿な自分の妹に少し呆れてしまった。


 「それに、カルムがテテルに教えてくれた。大陸の外にも『腹が減ってはいくさは出来ぬ』という言葉がある、とな」


 テテルが鼻を高くして語る。カルムの方を見るとやはり困った風な苦笑いを浮かべていた。


 カルムもテテルの純真さは知っていたので不味いこと教えてしまったと思っているようだ。


 「いくさって何十年前の話をしてんだお前は……」


 「兄ちゃん、戦は例えだ。この言葉には腹が減ったら何もできない。何事もまず腹ごしらえが大事だ。と言う意味が込められているんだ」


 おそらく、カルムから聞いた説明をそのまま口に出しているのだろう。


 世の中は自分の正しいと思った理屈でまかり通るほど甘くは無いということを一度教えてやらねばならないと思いつつ、どうしたものかと思いふとテテルの食べている腸詰めが目に入った。


 「じゃあ、俺も腹ごしらえだな!」


 そう言い、テテルの手元にあった皿の中から小さな腸詰めをひとつ奪い口に運ぶ。


 「なぁーーっ!!!? テテルのご飯がっ!!」


 腸詰めは羊や鶏、豚などの家畜や街の外で狩られた食用にできる獣肉などの様々な屑肉くずにくをミンチにして塩や香辛料、デンプン粉と共に動物の腸に詰めた加工肉だ。


 噛み締めると腸詰めの皮が程よい弾力でブチッと破れ、中から屑肉の寄せ集めとは思えない上品な肉汁とハーブの風味が口に広がり唾液を誘う。


 物によっては香辛料が一切使われず臭みが強く残っていたり血の味が濃く不味い安物もあるが、この腸詰めはカルムが直々に選んで来たものらしくとても美味かった。


 「腹ごなしが大事なら、同じように腹を空かせてる同胞も助けてやるのが立派な兵士ってもんだよなぁ?」


 「ぐ、ぬぬぬぅ……!!」


 あえて、煽るように上から目線でテテルを見下ろす。


 根が純真なテテルは決して悪人ではない。だからこのようにテテルの考える正しい理屈というものを並べれば簡単に論破することが出来るのだ。


 「あー、うめぇー!」


 涙目になりながら、テテルにとっての正しい言葉を盾に腸詰め奪った兄を睨むテテル。


 しかし、フェンリはそんなテテルの視線など気にしないという風に無視をする。


 フェンリからすればテテルはまだ幼い、そして幼い故にどこまでもまっすぐで素直だ。下手をすればその素直さを良いように利用されるかもしれないという不安があった。


 だからこうして、テテルにとっての正しいを逆手にとった悪意をぶつけることでテテルには素直でありながら賢い判断が出来る大人になって欲しかった。


 というのは半分建前で、本当はただ腹が減りすぎて何か腹に入れたいと思っていたフェンリなのだった。


 「うぅぅぅーっ!!」


 テテルが憤り尻尾や耳の毛を逆立てる。これ以上刺激すると泣き出すと思ったフェンリはこの話を終わりにすることにした。


 とりあえず、テテルがこんな時間にこんなところで飯を食っている理由は良く分かった。


 飯を横取りした侘びでは無いが、もし、このことで衛兵隊長に怒られるようなことがあれば自分が財布の失くしたという理由でテテルに飯を奢らせるために無理やり付き合わせたとでも言っておこう。


 結局は怒られることにはなるのだろうが、流石に一度上司から怒られておけば間違ったことだと理解して気をつけるようになるだろう。


 そんなことを考えていると横から水とおしぼりが差し出された。


 「こちら、お水とおしぼりになります。他に御用があったら……、いえ、ありましたらなんなりとおもし……おもうし? えっと、お申し付けくださいでございます」


 ヒスイは相変わらず変な丁寧口調とドヤ顔のようなキリッとしたような良く分からない表情で水とおしぼりを差し出すとペコリと頭を下げ厨房の方へ下がっていった。


 「………で、カルム。ずっと気になってたんだが、ヒスイちゃんは一体どうしたんだ?」


 フェンリはこの食堂に入って気になっていたもう一つのことに付いて質問してみることにした。


 「その前に先に何か食べてからにしたらどうかな? テテルも腹を空かせたフェンリの隣りだと落ち着いて食べられないみたいだし」


 「ん、ああ、そうだな」


 テテルの方を見ると右腕でお皿を隠すようにして残りの腸詰めを頬張っていた。すっかり警戒されてしまったようだ。


 フェンリも腹が減りすぎて、腸詰め一本じゃ全然足りなかったのでカルムの言うとおり素直に飯にすることにした。


 「んじゃ、適当に腹に溜まるもん作ってくれ。できれば脂っぽいのが良いな」


 「はいよ」


 「あと今日はツケで頼む。財布失くしちまってよ。ははは」


 「はいはい……」


 なかなか注文をしないフェンリを見てなんとなくそんな予想をしていたのかカルムは半分呆れながらカウンターの奥に置かれた氷蔵庫からいくつかの食材を取り出す。


 水に浸かっていた2尾のエビと芋や蓮根といった野菜だ。一見脂っぽさとは無縁のように見える食材をどう調理するのだろう。そんな疑問はあったがフェンリはカルムを信用しているのであえて口には出さず料理が出来るのを待った。


 「はい、おまちどうさま」


 「おぉー、豪勢だな!」


 出されたのは揚げ物の丼だった。


 麦子と卵を溶かした衣が香ばしい黄金色になるまで揚げられ、衣で一回り大きくなった揚げ物がライスに上に溢れんばかりに豪勢も盛り付けられている。


 一目見て腹が膨れるのが分かるボリュームだった。


 「天麩羅てんぷらっていう料理をご飯の上に乗せた料理で『天丼』って言うんだ」


 「天丼か、気に入ったぜ!」


 フェンリはカウンター席の脇に筒状に備え置かれていたはしという道具を手に持つ。


 この港街は大陸の外との交流があるとはいえ箸という道具はその扱いづらさからあまり普及はしていない。


 しかし、フェンリはカルム食堂に通っている間にここの飯を美味しく食べるには箸を使えるようになるべきだと考え、通う度に箸を使っていたらいつしか扱えるようになっていた。


 「うめぇーな! 甘くてサクサクしてて食べごたえもある」


 天丼には味の濃い黒く甘いタレがかかっていたのだが、そのタレが染み込んだ下のライスがまた美味かった。


 箸で天麩羅てんぷらを摘み、一口食べたらライスを食べ、そしてまた別の天麩羅を食べる。


 フェンリは豪快に齧り付いて食べるのが好きだった。


 しかし、フォークなどで飯を食べる場合一度刺したモノは食べきってしまわなければ次のモノを刺して食べることができない。だからナイフなどで切り分ける必要があったり、スプーンなど別の道具を反対の手に持つ必要あるのだが、箸は違った。


 箸は二本の棒で摘んで食べるという食事方法なので、わざわざ切り分ける必要がなく好きなように齧り付き、また好きなタイミングで別のモノを食べることが出来るのだ。


 「兄ちゃん、箸使えたのか」


 「おう、やっぱりここの飯は箸で食うのが一番だぜ。まぁ、箸の使えないお前に話しても分からないことだったか。ははは」


 そう言ってテテルを挑発するようにすっかり使い慣れた箸を動かしコツコツと空気を摘んでみせる。


 「むかっ……。と、ところで兄ちゃん!」


 「ん? なんだ?」


 「さっきテテルから腸詰めを奪っただろ。テテルにもその天丼を一口食わせろ。他人からモノを奪ったままなのは泥棒だぞ」


 「……なるほど、そう来たか」


 テテルの目は真剣だった。


 よく食べ物の恨みは恐ろしいと言うが、まさに呪いでもかけられそうなほど恨めしい形相ぎょうそうでこちらを睨んでいる。


 「……ちっ、仕方ねぇな。一口だけだぞ」


 そう言って丼の上から芋の天麩羅てんぷらを摘みテテルの方に差し出したのだが。


 「エビが良い!」


 と断られてしまった。


 まぁ、エビなら二本あるしちょっとぐらい囓られてもいいだろ。そんな風に割り切り、フェンリは天麩羅の中で最も大きなエビの天麩羅を箸で摘んで差し出した。


 「良いか、一口だけだぞ。さっきの腸詰めとこのエビの大きさじゃ割に合わねぇからな」


 「うむ、分かった」


 そう言ってテテルはエビの天麩羅に齧り付いた。そして……。


 ズルッ……。


 「……あっ」


 エビが衣を残してすっぽ抜けたのだった。


 「もぐもぐもぐもぐ」


 テテルはすっぽ抜けたエビをすごい速さで口に頬張るとそのまま急いで咀嚼し飲み込んでしまった。


 「…………」


 フェンリの手元の箸にはエビの抜けた衣だけが残る。


 「ふふん、箸を使わなければ取られることも無かったのにな、兄ちゃん! 人からモノを取った罰だぞ!」


 「……ぐっ」


 確かに最初に飯を奪ったのは自分だったので何も言い返せなかった。


 とはいえ、腸詰めはせいぜい人差し指一本分程度の大きさのものだった、それに対しエビの大きさは指二本分の長さと太さがあったのでどう考えても割に合わない。


 隣りを見るとテテルが勝ち誇った表情でこちらを見上げていた。


 そんなときだった。カウンターから聴き慣れた不抜けた声が聞こえてきたのは。


 「ふぇ~……、カルムくん疲れたよぅ。どうやら私にはヤマトナデシコは無理みたい……」


 「こらこら、一応お客さんの前だぞヒスイ」


 やってきたヒスイはさっきまでの変な丁寧語ではなくいつも通りのフランクな口調に戻っていた。


 「そういやぁ、さっきも聞きそびれちまったけどヒスイちゃんは何やってたんだ?」


 結局、あの変な丁寧口調とドヤ顔は一体なんだったのだろう。そんな疑問を投げかけると応答は意外なところから帰ってきた。


 「ああ、それは……」


 「それについては私が説明するわ」


 「うわぁっ!!? ……ってなんだ姉御か」


 気が付くとすぐ近くに小さな子供……、ではなくカルムの義理の姉ドワーフ族のドロシーが立っていた。


 過去にフェンリはドロシーを冗談でからかった際にボコボコにされ、以来ドロシーのことは姉御と呼ぶようにしてる。


 ドロシーはお盆にブツ切りにされた鶏肉を異国の調味料で煮込んだモノを入れた小鉢を持っており、それをテテルの前に差し出した。


 「はい。注文の甘辛煮よ」


 「おぉー! 待ってたぞ!」


 テテルが喜びフォークで鶏肉を刺して食べる。美味しそうな匂いがする料理だった。


 「んじゃ、俺も一つ」


 そう言って、新しい料理の喜びに警戒が解かれたテテルの小鉢から鶏肉をひとキレ奪い口のなかに放り込んだ。


 うん美味い。


 「なぁぁーーっ!!!? またなのかー!?」


 テテルが泣きそうな声を上げながら講義してくるが、さっきのエビの件があるのでフェンリの中ではこれでお相子だった。


 それよりもフェンリはヒスイが変な丁寧口調になっていた理由が気になっていた。


 「で、姉御。ヒスイちゃんが変な喋り方だったのはなんだったんだ?」


 「さっきアナタが来る前にテテルとカルムが話をしていてね、そのときにカルムがテテルに『腹が減っては戦は出来ぬ』という異国の言葉を教えたのよ」


 さっきテテルが自慢気に使っていた言葉だ。やっぱり教えてもらったばかりの言葉だったらしい。


 「そのときに偶然近くで聞いてたヒスイが異国の言葉に興味を持ってしまったらしくて。それで今度は……、えっとなんだったかしら? 確か、『ヤマトナデシコ』って言葉を教えたの」


 ヤマトナデシコ。当然聞きなれない言葉だ。


 「で、そのヤマトナデシコっていうのが、その国でお淑やかで清らかで凛とした強さを持った女性のことを指す言葉なのだけど……」


 そこまで説明をもらいフェンリはようやく合点がいった。


 ヒスイもテテルのようにまっすぐで素直な性格の子だ。つまり……。


 「ははーん、なるほどな。ヒスイちゃんはそのヤマトナデシコってやつを真似していたってわけか」


 「……そういうこと」


 ドロシーが悩まし気にため息を吐く。どうやらヒスイがヤマトナデシコを真似してるあいだ相当苦労したらしいことが伺える。


 「にしてもヒスイちゃんはなんでまた、そのヤマトナデシコ? っていうのになろうとしたんだ?」


 「だって、カルムく……、マスターがヤマトナデシコは素敵な女性だって言うから……」


 そう言ってヒスイが涙目になる。


 そんなヒスイの様子にカルムがなにやら慌て出す。


 「あ、いや、ほら! 確かに『大和撫子やまとなでしこ』は俺の師匠のような人を指す言葉だからね、素敵な女性像だとは思うけど」


 この瞬間、ピクッとドロシーのこめかみが動くのをフェンリは見逃さなかった。


 「ヒスイにはヒスイの良さがあるんだから、俺はそんなヒスイも素敵だと思うし、だから無理してヤマトナデシコになる必要は無いよ、うん!」


 「……ほ、本当?」


 「うん、本当本当!」


 「そ、そっか……。えへへ、じゃあ私いつも通り頑張るね!」


 ヒスイは無事元気を取り戻し、普段通りの笑顔に戻って接客に戻っていく。カルムはその様子を見届けるとホッと胸を撫で下ろした。


 カルムがヒスイを励ましているあいだ、何故かドロシーの方をチラチラと見ていたのが気になったが、なんにしてもフェンリの抱えていた疑問は無くなった。


 気分もスッキリしたところでフェンリはさっさと飯を食い終わって次の仕事に行こうと再び箸で天丼を食べにかかる。箸で掴んだのはさっきテテルに一本奪われて最後の一本となったエビの天麩羅だ。


 大きなエビの天麩羅は重みがあり、尻尾を箸で掴むとでろーんと垂れるようにその身を曲げた。


 このエビは贅沢に一口で尻尾まで食べてしまいたい。そう思ったフェンリはエビの天麩羅を頭上に持ち上げ下から咥えるように食べようとした、のだが。


 「はむぅっ!!」


 持ち上げた瞬間、隣りにいたテテルがエビの先に噛み付いたのだった。


 「あ、おい! コラ! 離せテテル! これは俺のエビだぞ!」


 「もぐもぐもぐ!」


 しかしテテルは口を離さない。むしろどんどん食べ進めていく。


 このままではエビを全て食われてしまう。焦ったフェンリは箸で掴んだ尻尾を思いっきり引っ張った。


 ズルッ……。


 「……あっ」


 「もぐもぐもぐもぐ」


 再びエビの天麩羅は尻尾だけを残して見事にすっぽ抜けた。


 フェンリの箸にはエビの尻尾だけが虚しく残る。


 「俺のエビが……」


 「ふふん、箸を使わなければ今度は全部取られることも無かったのにな、兄ちゃん! 人からモノを取った罰だぞ!」


 「こ、このやろーっ! 返しやがれーっ!」


 「がぅーっ!!」


 そこから先は騒がしい兄妹喧嘩の始まりだった。


 その様子の一部始終を見ていたカルムはふとある言葉を思い出す。


 「あ、そうだ。ヒスイ、また異国の言葉を教えてあげようか」


 「なになに? 教えて!」


 「向こうの寸劇で使われる言葉なんだけど、同じネタを繰り返すことを『天丼』って言うんだ」


 延々と天丼を繰り返す二人。


 フェンリがテテルのご飯を奪い、テテルがフェンリのご飯を奪う。二人の奪い合いは互いのご飯が無くなっても終わることは無かった。


 喧嘩をしながらもしっかりご飯を食べる器用な兄妹の喧騒はカルム食堂の店内を賑やかに響かせる。


 「やれやれね……」


 『腹が減っては戦は出来ぬ』とはよく言ったものだとドロシーは思った。


 実際に二人は腹を満たしながら喧嘩という名の小さな戦争を繰り返しているのだから。


 「さしずめ天丼戦争と言ったところかしら」


 そんなことをつぶやき、ドロシーは空になった二人の食器を下げるのだった。

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