第2話 病室にて



「解散!? どういうこと!?」


レクセンの怒声が病室にひびいた。

清潔感のある白いしっくいの個室。ガラスの器の点滴が、レクセンの感情に応じて揺れ、寝台の枠がキシキシと音を立てた。

その寝台で上体を起こし、正面を睨むレクセン。顔には傷や憔悴の後が痛々しいくらいくっきり残っていた。

目線の先には、藍緑色の一揃いを着た中年の女性がしなやかに立っていた。


「これは決定よ。何を言っても覆らないわ」


女性はレクセンとは逆に落ち着き払った態度だったが、面長で太い眉と切れ長の目、薄めの唇は、よく似ていた。むしろレクセンより整っている印象だ。

女性の名はロクシア。レクセンの母親であり、また上役でもある。

彼女は手にした書類から、文書を一枚取ってレクセンに差し出した。レクセンはロクシアをにらんだまま受け取ろうともしなかった。

ロクシアは気にせずに、目は通せ、とレクセンのひざの上に置いた。


ロクシアはレクセンの上役ではあるが、直接ではない。面会に来るのは、母親としてだ。にもかかわらず、彼女は事務的に接するにとどめていた。

母親として面会、というのはあくまで立場や世間の目を気にしてのことで、面会するなら報告もすればよい、とロクシアは合理的に事を運ぶ。


こういう人だ。

ロクシアは、とにかく優秀な人物だ。女性ながら優れた見識を持ち、社交性に富み、外見も抜群。同性ならだれもが尊敬し憧れる存在。

だがレクセンからすると、母という役目を除外すれば、という前提だ。それだけ、母親としては何ひとつ役目を果たしていない人だった。


縁なんて無いに等しいはずが、ロクシアの娘という位置づけからは決して逃れられない。陰口や失望は常で、その他もくたびれることばかり。

自分の実力不足の部分はしかたないが、ロクシアの娘という加算が重たくのしかかってくるのだ。

周囲が下す評価など意味はない。無視すればいい。

そう言われて、頭では理解できる。理解はできても、ロクシアへの反発は止められなかった。どうしても平静でいられなくなる。


ロクシアは自分の額に手をあて、そして、特に何も言わず病室から出ていった。

すべてお見通し、というような態度がまたレクセンをいら立たせた。


[遺跡調査の即時中断  調査派遣隊解散]


文書をチラッと見るだけで、嫌な単語ばかり目に入ってくる。

今回の襲撃の損害は甚大だった。中断はやむを得ない。事件の原因や過程、損害の詳細など、別の査察が入ることになる。

しかし、解散となると、調査を再開する時がきたとしても、まったく新たな調査隊が組まれ、もう参加することはできない。

落胆は大きかった。希望と期待を胸に、目標へ最初の一歩を踏み出した矢先に、道を断たれたようだった。


(またあの人が余計な口出ししたんだ、きっと)


怒りがまたふつふつと、のど元まであがってくる。

レクセンはつかんだ枕を振った。

文書は宙を舞い、木質の床をすべって病室の隅でとまった。

苛立ちの勢いのまま枕をふりかぶり、ほんの少しためらいはしたが、結局投げつけた。枕は壁にぶつかって文書の上に音もなく落ちた。


レクセンは抱えたひざに額をつけて丸まり、ただただ、意気消沈のため息をもらす。不満を物にぶつける自分に対するため息も少なからず混じっていたが。

そんなレクセンの手元に、ふいに枕が戻ってきた。

えっ、と驚いて顔をあげると、すぐ横にケイが立っていた。

「あ、ありがと」とレクセンがつぶやくと、彼女はニコッと微笑んで、寝台のわきにある小さな木の丸椅子に、あぐらをかくように器用に座り直した。


ケイは、音もなくレクセンの病室に入ってきたわけではなく、ずっといた。レクセンの意識が戻る前から、そして戻ってからも付き添ってくれていた。

自分は内気、彼女は無口なのか、会話もほぼない。

日中、ただ何かをするわけでもなく、主人のそばでお座りしている犬みたいにとなりにいた。特に知り合いでもないのに、なぜかずっといてくれた。


そこに、母親の面会と解散の話が飛び込んできた。

反発と驚愕、落胆と憤りが、レクセンの中で一挙に爆発した。だからといって、ケイがいることまで失念するのは、自分でも信じられなかった。

さらに、わめくわ、めげるわ、情緒不安定な部分を、余すところなく見られてしまい、恥ずかしさに顔が熱くなる。


(なんだか、忙しないなぁ。わたしって)


レクセンは、ポフ、と戻ってきた枕に顔をうずめた。

それから、わずかに枕から顔を浮かし、目の端でそっとケイをのぞき見た。彼女は拾った用紙を丁寧に折りたたんで引き出しにしまっていた。


ケイは、自分と同年代の二十歳前後くらいに見えるが、決定的に違うところがある。

端正な眉目に、ツンと上向く鼻、柔らかそうな丸いほほ。

いくらでも美人の要素を上げられるが、そのどれよりも目を引くのが、彼女の白さだ。

白い病室にいると、彼女の輪郭がぼやけるような錯覚を起こしてしまいそうなくらいで、肌もそうだが、唇の色までうすく、髪も根元はすこし色があるが、毛先はほぼ白い。瞳の色も明るい灰色だ。

ただし、この白は雪のような淡い白ではなく、くすんで褪せた白という印象だった。


《青威》(さいい)


レクセンはその単語が思い当たった。

青く輝ける神を意味し、特異な力を持った人種が自らをそう呼称して、他種を支配していたことがかつてあった。

《青威》の挿絵や絵画の描かれ方は、青白く神々しくかがやいていた。


しかし、こういう記録はわずかで、残りは真逆だった。

《青威》を忌み嫌い、とにかく憎悪の対象として捉えていた。

輝きを失ってくすんだ《白異》《はくい》、《灰夷》《はいい》と蔑視して書き表すものばかり。

あげく、彼らを処刑している絵もいくつも残っている。


これは、服従させられた側が支配を覆した記録に違いない。しかし、こうした記録はあるものの、詳しい経緯はいまだよくわかっていない。

というのも、《青威》の征服期は強大だったが、とにかく短かったらしく、すでに歴史から姿を消していた。ただ、忌むべき人種という史実を残して。


そこへ突如、目の前に現れた実物の《青威》らしいケイ。

レクセンは、病室で目が覚めて己の無事を喜ぶより、ケイと出会ったときの方が胸が高鳴った。

なにしろ、歴史書の中と想像の中にしかいなかった存在だ。


のちに、《白異》らしい人物が調査団に入ったなんて噂があったことを思い出すのだが、このときは興奮してそれどころではなかった。

また、噂を耳にした当時は自分も調査団に入りたての頃で、それどころではなかったことも合わせて思い出した。

とにかく、ケイを目の前にしたレクセンは、矢継ぎ早に質問が浮かんだ。


あなたは本物の《青威》なの?

今までどこで何をしていたの?

どういういきさつでここにいるの?

なぜ輝きを失ってしまったの?


だが、実際目の前にすると、ひとつとして訊けなかった。

興味本位と知的欲求で尋問のごとく訊く無神経さはない、という理由もあったが、単に怖気づいただけである。

けれど、抑えつけているとますます知りたいことが積み重なっていく。

そうなると、話のきっかけをつかめなくなり、まともな挨拶すら今のところできずじまいだった。妄想と現実の差に縛られてしまった。


もうひとつ、話ができていない理由がある。

そもそも、ケイとの出会いはこの病室ではない。初対面は襲撃事件のあった遺跡だった。

さらに言えば、レクセンが救世主だと確信したあの黒ずくめこそ、ケイだったのだ。


それを知った時のレクセンの驚愕は尋常ではなかった。

当然だ。こんなおとなしい同い年くらいの同性と、あの屈強な黒ずくめが、いまでも同一人物に思えない。

正体を明かした友人が、その驚く顔が見たかったんだと、手をたたいて喜んだ。


視線でも感じたのか、ケイが顔をこっちに向けた。

レクセンはとっさに枕に顔を伏せる。

二人の間にある微妙な空気はまだ融けそうになかった。




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