素数な微少女と素敵な美少女

瀬々院

リーマン予想への誘い

第1話

「ふーん、で、奈々ちゃんは来年も社会に出ることなく、そしてお金を入れずに数学やるの?」

「……はい」

「まぁいいのよ? ウチはそこそこ裕福だし、若いうちは好きなことを思う存分やって欲しいって教育方針だからね」

「それには大変感謝しております」

「でももうじき奈々ちゃんも二十代後半に差し掛かるわけでしょ? 女の子だから裕ちゃんみたいにバリバリ働いてお金を稼げとは言わないけど、未来の旦那様候補ぐらいいてもいいんじゃない?」

「それに関しては……善処します」

「大学にいい人はいないの?」

「…………大学の人はちょっと」

「……まぁいいわ。ママは数学やめろなんて言わないわ。でも、いざという時のためバイトの一つぐらいはやりなさい。それが条件よ」

「えっ!? これから研究集会の準備で忙しくなる――」

「何か文句でも?」

「……いえ、ありません。わかりました、ありがとうございます……!」

 思ったより短い時間で母娘会議が終わる。が、その短さに反比例して、改めて自分の将来について深く真剣に考え直さなければならないと感じた。


「おお、母さん怖かったな」

「私が想像していたよりは穏やかだったよ。無理矢理お見合いでもさせられるかと思っていたし」

 ソファに全身を委ね、緊張しきっていた身体の力を解放していく。短い時間だったが疲労困憊だ。

 そんな私に、今や社会人という身分で家庭内ヒエラルキーの上層にいる弟の裕太は追い打ちをかける。

「男でも紹介しよっか? 美大の友人だけど」

「無理無理。絶対話合わない」

「じゃあ大学で男作ればいいじゃん」

「もっと無理。生理的に無理」

「姉ちゃん、そこで勉強してるんだろ?」

「それはそうなんだけどさ……」

 ヤツらは数学の話はできても、それ以外に関してはダメなんですよ……。まず見た目の気の使わなさが。

「まぁ男の話なんて別にいいや。奈々ねぇ、バイトしなくちゃいけないんでしょ? 何か宛あるの?」

「そう、それが問題なんだよねぇ……。手っ取り早いのは大学でTAのバイトやることなんだろうけど……」

 数学科というのは学部生でもたまに化物みたいに数学ができるヤツもいる。正直、私はそんな化物に数学を教えられるほど賢いわけでもないし、というかそういうヤツらはだいたいコミュニケーション能力を生贄に捧げて数学の能力を上げているらしく、会話を成立させるにしても非常に厄介な場合が多い。そもそも私自身もコミュニケーション能力が高くないという問題もある。手軽にできるバイトだとしても大学のTAはあまりやりたくない。

「まだ決まってないなら俺が紹介するバイトやってくれない?」

「えっ、紹介するのはありがたいけど接客業とか無理だからね!? 私コミュ障だし」

「安心して、数学ができる奈々ねぇにしか頼めないバイトだから」


* * *


 有川奈々。数学専攻の修士課程二年。一応博士課程への進学は決まっている。

 自慢ではないが中高での成績は良く、特に数学が得意だった。その延長でそのまま数学科に進み、人生でもっとも自由な時間が与えられるという貴重な大学生活を数学に費やし、数学以外に特にやりたいことを見つけられず、ダラダラとそのまま進学する。就活? なにそれおいしいの?

 理系学生というのはみんなそのまま大学院に進むものであり、私もついちょっと前までは自分の進路に何の疑問も持っていなかったが、弟の裕太が美大を卒業してデザイナーとして働き始めてから焦りが生まれ始めた。成績が良く、一流大学に入学できた私の評価は高く、一方で美大に入って毎日のように遊んでいた弟は両親からかなり心配されていた。しかしどうだろう。弟が働いてそれなりの収入を得始めると、一銭も産み出さず、ひたすら勉強だけし続けている私が問題視されるようになってきたのだ。

 残念ながら、勉強して褒められるのは大学に入るまでなのだ。そこからはお金を稼げる人間が偉い。そんな単純な変化に気付けなかった、いや、気付いたけど目を背けていた私は社会的には負け組コースに突入していた。

「数学なんて、一体何の役に立つんですかねー」

 そんな小さな愚痴を吐き捨てたところで、バイト先である『木村』という表札が掲げてある家にたどり着く。

 インターホンを鳴らし、バイトを持ちかけてきた弟の話を思い返す。

 バイトの内容はなんてことはない、ただの家庭教師だ。

 教える教科は数学。しかも相手は女の子らしい。年頃の娘ということもあり、親が女性の大学生で数学を教えられる人を探していたそうだ。なるほど、確かに私は適任なのかもしれない。さらに、その子は数学が苦手というわけではなく、むしろ得意な方であるとのこと。学校よりちょっと進んだ数学の勉強をしたいとのことで家庭教師を探していたようだ。

 人生振り返ってみても数学ぐらいしか誇れるものがない私には願ってもないバイトなのでが、同時に、今まで社会に出ることから逃げてきたこともあってガッチガチに緊張していた。

『はーい、どなたですかー?』

「あ、わわ、私、有川裕太の姉で、あー、えーっと、今日から家庭教師としてお世話になります有川奈々でしゅ! よそしくお願いしまふっ!」

 噛み噛みな上に、思い切りお辞儀をして『ゴンッ』という鈍い音をインターホン越しに響かせてしまった。


 のっけから恥ずかしい姿をお披露目してしまったが、木村家には温かく迎え入れられた。簡単に自己紹介をし、すでに弟から確認していたがどんな感じで勉強するかの打ち合わせをして、あとは娘さんの実力がどれほどなのか知りたかったので、部屋に行って簡単なテストをすることにした。

 コミュ障な私だが、ご両親とはつつがなく会話ができた。が、娘の彩花ちゃんは自己紹介以来、ずっと無言を貫いていたので仲良くなれるか少し、いや、かなり不安であった。

 しかし、それ以上に私には気になっていることがあった。


 この子、くっっっっっそ可愛くね!!!????


 お人形みたいに肌もキレイで顔立ちも整っているし、ちょっと目つき悪いのも私的にはポイント高い! しかも姫カットの黒髪ロング! アニメでしか見られない絶滅危惧種だと思っていたよ! シャンプーのCMみたいに髪ふぁさーってやりたい! 髪ふぁさー!!

 ちょっとぐらい髪の匂い嗅いでも怒られないよね? ちょっとぐらいなら大丈夫だよね? 女同士だし何の問題もないよね?

 いやー、でもご両親はナイスジャッジですよ。男の家庭教師だったら彩花ちゃんの貞操が危うかったですから。私はせいぜい彩花ちゃんをお持ち帰りしたいぐらいですから至って安全ですね。

 そして、今、彩花ちゃんと、彩花の部屋で二人っきり。

 もう何があってもおかしくはありませんね。


「それでは先生、よろしくお願いします」


「……うん、よろしくね」

 彩花ちゃんの久々の肉声で一瞬テンションがバーストしそうになるが、『先生』という単語でふと我に返る。仕事しなきゃ。

 さて、いきなり用意してきたテストをやらせるのもどうかと思うし、まずは簡単な会話で打ち解けるところから始めよう。数学好きだったら、そうそうネタに困ることはないはず。

「えー、彩花ちゃんは数学の進んだ勉強がしたいって言っていたけど、具体的にはどんなことに興味があったりする?」

 その問いに、彩花ちゃんは間髪入れることなく、そして、その瞳に輝きを灯して元気よく答える。


「私、リーマン予想の証明が知りたいです!」


「私が知りたいわ」

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