Ⅰ-Ⅲ

「……」


 思わず口を塞いでしまうが、否定したところでどうしようもない。

 そう、俺は父を殺した神に抗議しようと神殿を訪れ、神官たちの罠にハマって殺された。……まったく、大英雄の息子ともあろう者が聞いて呆れる。


 正面から襲ってくれば絶対負けなかったのに。これだから策略ってのは嫌いなんだ。


『だが無念に思う必要はないぞ。お前にはこの異世界で、第二の生を歩んでもらう。英雄の記憶、技術を受け継いだ少年としてな』


「はい?」


 首を傾げつつ、改めて自分の身体を見る。

 軽く動かしてみると、記憶にある感触とは少し違っていた。……初陣を大勝利で飾った頃、十代半ばに近い。戦士としては悪くない状態だ。


 なるほど、と女神に感謝していると、向こうは前置きを一つ。


『ああ、もちろん条件はあるぞ。この異世界……『アカイア』で、我々の加護を否定する者達を倒せ。それさえ成せば、他には何をしても――』


「ご遠慮します」


『な、なにぃ!?』


 冷静だった表情は、俺の一言で崩れていた。

 でもやる気が出ないものは仕方ない。……死の淵から救い出してもらった恩があるんだろうけど、それとこれとは別問題だ。


 無論、傲慢な神々にとっては理解し難い拒絶だろうけど。


『き、貴様は自分が何を口にしたか分かっているのか!? 今すぐ冥土の底に送り返すぞ!?』


「おっと、それは困りますね。……じゃあご褒美ください、ご褒美」


『ほ、褒美だと? それは既に、この世界へ貴様を召喚したことで――』


「美少女か美女」


『……』


 絶句、とは正しく今のアテナを指すんだろう。

 それは仕方ないことだ。何せこの女神は、女性の純潔を守護する者。女を寄越せなんて口にする不埒者は、本当に冥土の底へ送り返すに違いない。


 でも俺は、発言を引っ込めるつもりなど毛頭なかった。

 だって、女大好きだし。あと嫁も欲しい。


「やっぱり男が戦う上で、美少女か美女は必須でしょ! というわけで俺の嫁を呼んできてください。直ぐに仕事始めますよ、俺!」


『……そういえば、お前の妻は絶世の美女だったな』


「正確にはその娘ですけどね」


 もちろん、彼女の美貌は母親譲りなところがある。


 一人の英雄として様々な美女を見てきたが、彼女に肩を並べられる女はいなかった。ワガママな性格が面倒ではあったけど、世界一の女であることは断言できる。


 彼女がいれば新生活も潤いを持つだろう。以前の新婚生活はゆっくり出来なかったし、きっと喜んでくれる筈だ。


「頼みますよアテナ様。俺の嫁――ヘルミオネをここに呼んでください」


『あー、いや、それは……』


「?」


 珍しく、歯切れの悪いアテナだった。

 彼女はそのまま頬を掻いた後、俺に向かって小さく咳払いをする。


『ヘルミオネは既にこの世界へ召喚されている。ただな……』


「ただ?」


『いやその、もうめとられてしまった』


「――」


 今度は俺が絶句する番だった。

 娶られた? 誰に? というかあれほどプライドの高い女が、他の男になびくなんて考えられないぞ。


『ああいや、彼女は無理やり婚約させられたんだ。その男には指一本触れさせていなかったぞ』


「……で? その男は誰ですか? 俺の知ってる人ですか?」


『オレステスだ』


「――」


 名前を聞いた途端、俺の感情に火がついた。

 その名前は忘れることが出来ない。――神殿にて俺を姑息な罠にハメた、親殺しの傲慢な小僧の名前だ。


「許せん……!」


『す、すまん。私が召喚しなければ……』


「アテナ様を責める気はありませんよ。――とにかく許せませんね。人の女に手を出すとは、きっちりぶちのめしてやらないと」


『で、では仕事は引き受けてくれるか? オレステスは私達の加護を否定する敵の一人だ。出来ることなら排除したい』


「もちろん、お任せくださいよ!」


 これといった目印もないまま、俺は愛用の槍を手に歩き始める。


 迎えてくれるのは見果てぬ荒野と、雲ひとつない青空。

 ……初めて戦場に出た時も、こんな清々しい風が吹いていたっけ。

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