夕食2

 結局、サクラコは審査員として双方の料理を味見したが「どちらも美味しい、満点」という取り留めもない言及をした。彼女が勝ち負けという概念に然したる興味がないことは明白だった。

 だが、その評価にハスもカモミールも、やけに満足気だった。まるで初めから料理対決などどうでも良かったかのように。


 料理が完成したことを知らせると、空腹だったのかすぐに一同は介した。

「皆、ハスとカモミールに感謝しなさいよね」サクラコはそのように前置きするつもりだったが、テント張り組がアズサ以外ヘトヘトになっているのを見て自重した。どうやら、アズサにこってり絞られたらしい。

「鬼だよ、鬼」

 ガーベラがぶつくさと文句を言っている。


「いただきましょうか」

 全員が着座し、サクラコがそう述べると、一同はそれぞれ食べたいものから頬張り始めた。

 ガーベラはスプーンを手に取り、どうやらカレーを一番に頂くようだ。

 だが、ガーベラはスプーンを口へ投入すると、刹那の内にそのまま吐き出した。

「汚っ!」

 隣にいたリナリアが冷ややかな目を向ける。

 だがガーベラはそれどころではないという様子で「か……か……か……」と、悶えながらコップの水をがぶ飲みした。そして、それでも足りないのか、付近にあった大型のペットボトル飲料水に口を直接つけてごくごくと体内へ入水した。

「辛い!」

 飲み終わった後、ガーベラはそう叫んだ。

「辛い、辛すぎる! まだ口が痛いよ!」

 ガーベラは目元から水滴が流れている。


 さて当然のことではあるが、そのようにガーベラが先見して仰々しいアピールをしているのだから、一同カレーには一旦手を置けば良いものである。

 しかしながら、「辛い」と言われれば、さてそれがどのくらいのものなのか、と気になってしまうのが人情というものであった。

 かくして、その場にいた全員がそのカレーの辛さに苦悶の表情を浮かべることとなった。


「な、なんだこれは……」

 調理したはずのカモミール自身が最も、驚嘆と混乱の表情を見せていた。

「え、これ、誰がつくったの」

 ケホケホと咳を繰り返しながら、至極真っ当な追求意見がアベリアからあがる。

「ぼ、僕だけど……」

 カモミールは水を飲む合間で返事をする。


 一同はそれを聞くと、当然ながらカモミールをギロリとを睨んだ。

「カモミール、こういう冗談いらないんだけど……」

 アズサがいの一番に口を開く。アズサは皆より一際頬に涙をしたため、最早その顔は乙女のそれではなく般若のそれだった。どうやら辛いものは相当苦手なようであった。


 カモミールは両手を前に出して左右に振り、違うんだ、というアピールをする。

「た、たしかにつくったのは僕だけれど! 僕はその……アズサとかもいるし甘口を意識して作ったはずなんだよ!」

 だがその台詞にカチンときたのか、アズサは語気を更に荒げた。

「は? 何? 私が辛いのが駄目な軟弱女だって言うの?」

 しまった。カモミールは酷く狼狽しつつも弁明した。

「い、いや、ちょっと待って、全然そんなことは言ってないよ!ただ僕は」

 カモミールは自分も口の中がヒリヒリしているたろうに、アズサを必死で宥めようとする。

 だがアズサはもう頭が沸騰してしまったようだ。

「べ、別に私! 全然口の中なんて平常運転なんだけど! でも、でも皆が楽しみにしてた夕飯にこんな真似するなんて許せないだけなんだけど!」

 そうは言いつつも明らかにメンバーで一番辛そうな表情しているアズサ。どう考えても私怨である。

「おーっと、カモミールとアズサの第一ラウンドが始まるか―?」

 ガーベラは口のダメージが少し和らいだのか、余計な煽りをする。


 さて、特に乱痴気騒ぎが大好きな面々において、一度盛り上がる議題が起こってしまえば、治めることはとても難しいのだった。

 メンバー達は、周囲の観光客に申し訳なくなるほどに、ガヤガヤと最早カレーの話題とは全く関係のない各々自分の言いたい放題、売り言葉に買い言葉を続発させた。

 特にアズサはカモミールの胸倉を掴みだし、収集が尽きそうにない。


 こういう時、それを治めることができるとすれば、それはサクラコにおいて他ならなかったが、サクラコ自身は尋常ではない冷や汗をかきながら、口をつぐんで目をキョロキョロさせているのだった。


――ど、どうしよう……


 サクラコは狼狽えた。まさか、これ程の事態になってしまうとは迂闊だった。


 並々ならぬ後悔心が頭を支配していたが、しかしながら、このまま一同を野放しにヒートアップさせているわけにもいかなかった。


 サクラコはやれやれ観念したとばかりに大きく口を開いた。

「こら、皆、静まりなさい、他のお客様にご迷惑だわ!」

 おい、そのご迷惑の諸悪の根源は誰だ? と、サクラコは非常に大きなプレッシャーを感じつつも懸命に言い放った。


 すると一同はすぐに落ち着きを見せた。

 もとよりサクラコがすぐそう言ってくれるのを待っていた節さえあった。思ったよりサクラコが怒り出すのが遅いなと不審に感じているぐらいだった。


 一同が、あぁ、またサクラコの説教タイムが始まるのかと待ち構えていると、彼女は突然スプーンでカレーをすくって、口の中へ放り込んだ。

 パク、モグモグ。


 一同から驚きの声が上がる。そして。


「べ、べ、別に、美味しいと思うわよ?」

 サクラコがひょうきんな声でそう告げると一同は当然のことながら同様の反応をした。

「「「「はぁ?」」」」



 カモミールがすぐに口を開いた。

「ちょ、ちょっと待って。そう言えばサクラコに味見をお願いしていたんだよ!」

「は? 味見?」

 アズサはまだ明らかな喧嘩腰である。未だに口の中が大丈夫じゃないのか、水を飲み続けながらカモミールを般若顔で睨みつけている。

 だがカモミールは気圧されず光明を得たばかりに続けた。

「そうだよ、ついさっきの話さ。確かその時もサクラコはとても美味しそうに食べていたよ。あれ、おかしいな……」

 カモミールがサクラコの方を見つめると、サクラコはキョトンとしている。

 サクラコのその表情を見るとガーベラは勢いよく立ち上がった

「あ! わかった、謎はすべて解けたよ、ワトソン君!」

 ガーベラはリナリアの肩に手を置きながら、得意げな顔で言う。リナリアはその手をすぐさまバシッと弾いた。

「何言ってるの、ガベちゃん。なんで私がガベちゃんの助手とかいう身分なの? ぶっ殺すよ?」

 リナリアが可愛らしい声でいつも通り過激な一言を述べた。

「よよよ、ちょっとそこは今関係ないでしょお、雰囲気でしょぉ……。と、とにかく、これはね。サクラコが味覚障害なんだよ!」

 ガーベラがそう断言すると、サクラコは頭にクエスチョンマークを浮かべた。

「え?」

 ガーベラは続けた。

「サクラコさーん、貴方、もしかしなくても、今食べたそのカレー、全く辛いと思っていませんねええ?」

 サクラコは何だかその陳腐な言い回しが非常に癪だったが本当の事だったので頷いた。

「え、ええ。とてもスパイシーで美味しいと思うわよ。ただ、ここの皆はちょっと辛いのが苦手だったかしら……?」

 ガーベラはフムフムと納得したように肯いた。

「その認識ですよ、奥さん!」

「うざぁ……」

 リナリアはガーベラを白い眼で睨む。


 だが、ノリノリのガーベラは気にせず続けた。


「あのね、私だって、そこそこ辛い方には自信あるの! 何某店でも5辛ぐらいならいけるの! でも今日のやつはやばかったんだって!」

 その意見へ後押しするように、ラナンが発言した。

「イエース、ナジクスパイシー! カレーはケダモノダッタ!」 

 ラナンがいまいち聞き取りづらい片言言葉でそう言い切るとガーベラは更にニコニコした。

「イエス、ミートゥー、ケダモーノー! サクラコムネデーカー!」

「は?」

「あ、いや、ごめんなさい、余計な発言をしてしまいました……」

 ラナンと妙に仲の良いガーベラは更に図に乗ろうとしたが、サクラコが氷の魔女のような顔をしたため、ディーラー服の襟を正して、オホンと咳払いした。

「と、とにかく、サクラコ。今日のこのカレーは、甘口派には堪えるとかそんなレベルじゃないの。まるで、タバスコ丸々一瓶使ったんじゃないかってぐらい超絶辛いの! 皆一口ぐらいしか食べてないのにこれなんだよ? アズサなんてご飯粒ぐらいしか食べてないのにこれなんだよ? つまり、状況を精査すると、奥さん、貴方の味覚がおかしいんです!」

 えっへん。ガーベラは言い切ったとばかりに胸を張った。


 そして、サクラコは程なくすると、口を開いた。

「え、タバスコって、あれが一食分じゃないのかしら?」


 あぁ……と。

 サクラコのその発言を聞くと、基本的には冴えた集団である一同は事情を理解した。


「はい、みなさん、犯人が分かりましたー拍手ぅううう!」

 パチパチパチパチィ。と手を鳴らしているのは、ガーベラ本人、ラナンと、なぜかラナンに向かって拍手をしているナノハぐらいのものだった。


 が、ふと、アベリアがすごく良い笑顔で笑った。

「あっははは。サクラコってやっぱり面白い。しっかり系なのに、抜けてるところが本当最高。噛めば噛むほど味が出てくるの」


 そのアベリアの笑いにつられて、カモミールも述べた。

「いや、すまない。僕もハスも、すごく注意深く見張っていたつもりだったんだけど。特に今日はギボウシにも監視をお願いしていたのに」

 ついぞ、一度もカレーには手を付けず、黙々と焼きそばを頬張っていたギボウシが肩をすくめた。

「勿論僕だって、今度図書カードをくれるということだったから、可能な限り見張っていたよ。だけど、本当にわからなかった。まるで手品みたいだね。サクラコは芸達者だ」

 ギボウシはそれだけ言い終えると、すぐ焼きそばの咀嚼に戻った。好物のようだ。


「すまない、私からもお詫びをさせていただこう。だがまぁ、こういう何かの余興だということでここは一つ収めようじゃないか。さぁ、料理はカレーだけじゃない。今日は食べきれないぐらい作ったんだ。引き続きどんどん召し上がってくれ」

 ハスがそのように締めくくると、一同は食事に戻った。


 サクラコはイマイチ事態が呑み込めなかったが、アベリアの顔色が少し良くなったようだったので、それで納得することとした。

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