夢園師

YGIN

プロローグ

 ロイヤルパープル色の憎しみの火炎に焼かれ、落下していく、時の原始を操りし少女。

 瞳を綴じることも逸らすことも赦されない。

 かの者の怒りは既に凡そ知的生命が宿す感情といった類から生ずる、推し量れる程度の次元などとうに超越していた。しかし、少女は唯一の希望という不確かで押し付けがましい責務を、ボタニカル上層部によって背負わされ、もう戦闘という択以外の行動など有り得なかったのである。結果がこの様。

「終わりだ。何もかもが終わり」

 キスツスは人類の記録者としての悲願をたった今あっさりと叶えたと思った。なぜなら、これ以降の人類史など存在しないのだから。それがマグマに依る地球沈没だろうと、不治系ウィルスの蔓延に依る緩やかな絶滅だろうと差異は無い。そして、凡そ神とでも称えるべき、火炎を司りし巨大生命体が幼気な少女を屠ることによって完遂される人類史とはなんと劇的で美しいものだろうとさえ思った。自分は幸福である。キスツスはそう言明した。あるいはそれもまた虚言。なぜなら、彼の瞳の湿りは、感激に依るものではなく、恐怖に依るものだったからだ。彼の足の振動は、留まることを知らなかったからだ。

 そうして、程なくしてキスツスは滅した。

 人類が作り上げた最新鋭の軍事兵器。しかしそんなものはかの者の火炎の前では児戯と同義。

 核弾頭の何倍とも知れぬ桁違いの威力を宿した豪炎が、落下を継続する少女を目掛け放たれ、そして少女を起点として地球中に音速で拡散した。




 春。桜。ああなんと美しき日本の四季。しかし、春というものにそんな感慨を抱くのは凡そ日本人固有だというのは実は驕りで、海外にも無論春という季節は存在する。当然、桜が日本列島にしか咲かない植物ということもない。それでも、さくらが日本の歴史に多大な領域で根を張り、人々の心を掌握しているというのは正答だ。

 そしてここに、最早それほど故に、そのネーミングは逆に在り来りで、アイデア貧困を疑われても仕方が無いという手合で、サクラコという名の薄桃色の髪が肩ぐらいまでかかった一人の女が居た。

 サクラコはこの世に生を受けて二十三年。二十三年の中で彼女は様々成長したが、しかし結局のところ、最も成長したと胸を張って断言できる点は、乳房の大きさであった。なぜなら他者からすれば彼女の人間的成長成熟など所詮戯言に過ぎぬからである。どうでも良いのだ。彼女がどれほどの幸福を味わい、どれほどの不幸を味わい、どれほどの人々と喜怒哀楽の感情を芽生えさせたかなど、きっと誰一人

気に留めことはない。

 それに比べ、乳房の大きさほどに、明瞭で異性に提示できる確かなステータスと成り得るものもないだろう。その胸の大きさを持ってして、異性を魅了し、他の男女の仲を上下させ、左右させ、人類の子孫繁栄、その系譜に間違いなく影響を与えるのは疑いようの無い事実。サクラコという個人の人生において、胸に勝てる点など元より未来永劫あろうはずもないのだ。

「何かまた私の首の下辺りを覗き見てくるようなイヤラシイ視線を感じるのですが」

「いやぁ、気のせい気のせい失敬失敬眼福眼福」

「警察を呼びます」

「ごめんなさい許してください、ずっと地面を見続けます、私はあなたの下僕です」

 サクラコは耳に当てた携帯電話を溜息とともに取り敢えずはポケットに仕舞った。

「はぁ。本当にあなたは下品で、下心をまるで博物館の目玉であるかのように誇示なさるのですね」

 とあるオフィスビルの二階。

 その応接室。そこにはサクラコと、サクラコの眼前で土下座したまま微動だにしなくなった背広を着た中年男性が居た。

 サクラコは彼をパンプスで踏みつけてやろうとも思ったが、そう言えば以前それを実行した際は、痛がるどころか喜ばれるという度し難い事態に陥ったことを想起し、素直に無視することとした。

 度が過ぎるセクハラを受けようものならば、それこそ前回のように本当に警察を呼んでしまえば良い。サクラコは冗談無くそう考えていた。

 つまり、中年男性が『警察』というフレーズを耳にして即座に土下座の体勢に入ったのは、過去に本当にサクラコから通報されてしまい、厳めしい警察官に囲まれてこってり絞られるという経緯があったからだった。相変わらず土下座の姿勢で「いやぁ、誠に申し訳ない。この不肖ボリジオダマキ、サクラコ様のためならこの姿勢、永遠に貫かせて頂く所存、いや、穿く?」などと宣っていた。

 サクラコは「その、すぐ汗をかいてしまう肥満体型、低い身長。良い年をして若い女に謙る言葉遣い、そして独身。何をしても気持ち悪いあなたが貫こうとなさる土下座、どうぞそのまま永遠に続けてください。石化したら、私が『気持ち悪い中年男性の像』というタイトルで、美術館に寄贈致します」と、そこまでを言い終えると「はっ! ありがたき御言葉!」などとオダマキが威勢よく返事をするのを聞きたくもないといった調子で、足早に応接室を後にした。

 応接室を出ると、直後、ガタンとサクラコは人にぶつかった。

「痛っ」

「おお、悪い乳女」

「はあ?」

 人にぶつかってきておいてデリカシーの欠片も無いフレーズをサラリと口走るガタイの良い赤髪長身の男をサクラコはキツく睨んだ。

「何なんですか、あなたは。相変わらず知性の無さそうな顔をして、その実本当にモラルが欠落しているのですから、救いがないですね」

 しかし、サクラコが頑張って彼を罵る言を準備したところで、彼の眉は一ミリ足りとも動いている様子は無かった。

「おう、盛るなよ乳。盛られても俺はオダマキのおっさんみたいに喜んではやれんぞ。とりあえずボスの呼び出しだから急ぐぞ」

「なっ。誰があなたなんかに喜ばれようと。私は今強い嫌悪感を……ちょ、ちょっと、待ちなさいアロエ!」

 サクラコの噺など微塵も興味が無いという態度で、アロエと呼ばれたその男はズカズカと階段を下りていった。

 サクラコはその背中を追うのを諦め、大人しく裏のエレベーターホールへ歩を進めた。


 地下十二階。昨今のハイテクなオフィス街で、地下まで続く建物などさして珍しくもない。が、それでも一見中小企業クラスの雑居ビルにしか見えないここに、これほどに根深くも広大な地下施設があるとは予想できないだろう。

 実は、サクラコが普段居るこのアイバナ建設ビルを初めとして、近隣ビル計6棟は全て通称ボタニカルという組織が有するビルである。そしてそれらのビル全てが、内部の人間しか知り得ないセキュリティを掻い潜った先にある裏エレベーターを所有している。

 そこから地下十二階へと直通で繋がっているというわけだ。

 サクラコは全くの無音、振動も皆無である裏エレベーターに相変わらず不気味さを感じながら開閉ボタンをぼんやり眺めていた。

 さて、ボタニカルほどの巨大な資金を有する組織が、トップクラスの自社ビルをポンと用意できないはずはないのだが、ボタニカルは世間に伏せられた組織であるがゆえに、このような形をとっていた。

 近隣計6棟のビルはそれぞれ、まったく業種の異なる株式会社を謳っている。

 アイバナ建設、スミレスポーツ、ムスカリー食品インターナショナル、アナナス製薬……など、各々表向きはれっきとした企業として成立している。

 それぞれの会社ビルにそれぞれの、計5チームからなる夢園師のチームが割り当てられている。

 サクラコが属するチームはA。通称ペタルA。最も優秀であると考えられるメンバーが配属されるビルであり、すなわちアイバナ建設だ。表向きは中小規模の建設会社である。そして先程の独身中年低身長肥満髪薄男性のオダマキが形上だけ社長を名乗っている。


 ――リン。

 乾いた電子音が鳴ると、裏エレベーターの白い両扉は無音で開いた。

 スルリと舞い込んでくる冷たい風に寒気を覚えながらも、サクラコは足早に大広間へと急ぐ。

 途中、白衣を着た研究員に何度かぶつかりそうになったが「ご、ごめんなさい」と漏らしながら足は止めなかった。

 集合時間への遅刻間違いなしなのは、どう考えてもオダマキのせいなのだが、遅刻常習犯のアロエが自分よりも先に向かっていたということは、即ちメンバー総勢36名の内、欠席者を除けば最後が自分ということだ。とサクラコは焦っていた。それに何よりあの得体のしれない研究員たちに妙な眼差しでじろじろ見られるのが好きではなかった。


 程なくしてサクラコはようやく大広間前へと息も絶え絶えにたどり着いた。

 キィイイィィ。

 大柄な両開き扉の右半分をおそるおそる開ける。

 限りなくゆっくりと開放したつもりだったが、案の定、ズラリと並べられたパイプ椅子に着座する数十名の面々から大仰な視線を浴びた。

「あら、サクラコ。日本の女史が遅刻とはなんとはしたない。ねぇユキノシタ」

「……はい……」

 サクラコは黒着物の女が顔に広げた赤い扇子の先で邪悪に笑んでいるのを無視して前列へと急いだ。

 皮肉にもアロエの隣が空いていたため、その椅子へ腰かける。

 かけて前を向いて早々、正面のスピーチ台に立つボスがその三白眼をギロリと向けてきたため、サクラコはたちどころに心臓が飛び上がった。

 ――大丈夫……よね?

 後でオダマキとあることについて話していたことを弁明すれば問題ないはずだと心を落ち着ける。時間を食ったのもオダマキのセクハラが99%の要因なのだから。

「さて規定数揃った所で、早速だが本題に入る」

 ボスは金色に染まった艶やかな長髪を惜しげも無く靡かせながら、マイクに向かって声を当てる。

 相変わらず女性の割にかなりの体格をしている。サクラコとて低い方ではないが、ボスにいたってはほぼほぼ男性と遜色ないぐらいの上背だ。さらに暗黒に染め上げられた厚底の軍用ブーツを普段から愛用しているため、見た目の身長は更に高位の物となる。その様は、正にボスと呼ぶに相応しい。彼女にはルイドフューネという名もあるが誰もその名は口にしない。覚えているものがいるのかさえ曖昧だ。そのボスの一挙一動は、幾多の戦場を生き抜いた孤高の准将のようだとサクラコは毎度感嘆する。

 ボスは強い口調で続けた。

「ペタルCが全員死んだ。ことを、また思い出さなければならないのかと君達はきっと思うに違いない。だが、嫌でも思い出してもらい、事の深刻さを改めて胸に刻んだうえで今回の作戦を聞いて欲しい」

 ボスの言明通り、広間に居るほとんどの者が苦悶の表情を浮かべていた。いやあるいは果たして全員がそうだったのかは定かではなかったのだが。

 しかし大多数が確かに顔の皮膚に皺を刻む中、サクラコとて例外ではなく、ペタルCのあまりに惨たらしい最期を遂げたあの日のことを想起して、強い嘔吐感に襲われていた。しかしながら、すぐ横に着座していたアロエが、全くうろたえる様子もなく、どころかボスの話など聞いている様子でさえなく、堂々と足を組み、紅のように赤く染まった前髪の先を手でジリジリ手持ち無沙汰のようにいじっているのを見て、彼に対するムッとした気持ちがサクラコを少し正常に戻した。

「次の作戦はペタルAを使う、更にペタルBから特に優秀な四名を同行させる」

「え?」

 サクラコは思わずそう呟き、また、他の者も動揺が隠せず大広間にどよめきが生まれた。

 ペタルA。それは最も優秀なメンバーの集合。

 そして、その次に優秀なメンバーは当然B。

 そのBの中から更に選りすぐりの四名を使う。

 それはつまり今回の作戦が失敗に終われば、事実上ボタニカルという組織は半壊すると言っても過言ではない。


 すぐさま反論の声が挙がった。恐らくペタルBの優秀な四名のうちに必ず入るだろうと誰もが太鼓判を推すだろう、浅黒い肌をした体躯の良いハスという男だった。

「ボス、それは『次の作戦』などという名目ではなく、事実上『最期の作戦』とでも言うべきものに聞こえるのですが。人の価値を天秤に据える意図はありませんが、ペタルAというのは我々の最高戦力。いえ、もうペタルAとは他のB~Eの面々が束になった所で追いつくことのできない天才といっても過言ではない稀有な存在の集まりなのです。桁違いという意味ではチームSSなどとネーミングしてもいいぐらいだ。リスクというものがわからないあなたではないはず。Cの皆が散った以上、次は我々Bが向かいます、それが叶わないならば、私はその優秀な四名に選ばれたとしても、同行できない」

 ハスが勢い良くパイプ椅子から立ち上がり発した、この大広間の隅々まで行き届いたであろうその声量は、当然ボスの耳にもしかと届いたことであろう。

 ボスはそんなハスの反論を予期していたとばかりにすぐさまこう答えた。

「落ち着けハス。断じて、ペタルCの訃報を受けた乱心という訳ではない。勝算はある。だからこそのAの投入、さらにBの残りメンバー及びペタルD以下には別任務に就いてもらう予定だ」

「別任務?」

「そうだ、その件については後に詳しく伝えるが、ひとまず理解してもらいたいのは、ペタルAにB四名を加えた新チーム、仮にXとしておこうか。このXはあくまでフロニカミドへの夢介入を行うことを主体としたチームという位置づけであり、作戦の一部分に過ぎないということだ。仮にXが夢介入によって何らかの被害を被る事態が生じた場合、あの時のCのようには絶対にしない手配は整えていくつもりだ」

 ハスはボスのその言を聞いても、得心がいったという面持ちではなかった。その五分刈りに剃られた頭を斜めに傾げて、半ば挑戦的にボスを睨んだ。

「夢介入を試みた際、試みた当人以外が途中から介入できた事例はないはずですが?」

 それに対してボスは物怖じする様子もなくあっさりと回答した。

「それができる可能性を見出したから、今日ここに集まってもらったわけだが?」

 押し黙ったハスを見ると、ボスは少し口角を上げて、お得意のニヤリとした表情を見せた。

 その表情は、ペタルCの作戦決行前は一度も出なかったことを、サクラコは知っていた。

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