第10話 西へ

「外って何を言って…。じいさん何者なんだよ。」

 それを望んでいたはずなのに急にそれを示されて「はい。そうですか」とは言えなかった。

 たった今、脱出するって言った俺を馬鹿にしてたじゃないか!

 セスは納得できない気持ちでおじいさんをジッと見つめる。

「ワシか…。名など…忘れてしまった。」

 一瞬、表情を陰らせたおじいさんは気を取り直したようにセスを急き立てる。

「脱出するのだろう?今がその時だ。」

「でも…。」

 戸惑うセスを尚も急き立てる。

「そのうち保安局の奴らは大勢でやってきて人海戦術をしてくるであろう。そうなっては外に行くどころかお主も捕まるぞ。」


 捕まるー。

 そう言われて宝石のように深い翡翠色の瞳と風にそよぐブロンドの髪を思い出す。

「クレア!そうだ!クレアを助けないと!クレアこそ違う世界に行きたがってるんだ。」

 そう。助けてやりたかった。摘出手術を恐れていたクレアを…。そしてこんな偽りの世界から連れ出してやりたかった。きっと幸せは別にある。

 根拠のない思いは確信へと変わりつつあった。

 それに…クレアとだからこそ違う世界に行きたかったのだ。

「何を馬鹿なことを言っておる。今のお前に助けられるものか。二人とも捕まるのがオチだ。その友達とやらは保安局に捕まってもひどいことはされん。それよりも外に行くには今しかない。これを逃せば二度とないだろう。」

 これを逃したら…。

 心は傾きかけるけれどクレアを放ってはおけない。


「じいさんが行ったらいいじゃないか。外に。」

「ワシは…。もう無理だ。」

 おじいさんは服をめくり上げた。そこには成人の証の傷痕があった。

「ここでの勇敢な印は外では意味を成さない。それだけじゃない…がな。」

 それだけじゃ…?

 セスの疑問は解決されないまま、おじいさんは勝手に話を進める。

「この家を出たら西の方へ真っ直ぐ進め。そこにトラックがあるはずだ。」

「トラック?」

「トラックも知らんのか。」

 トラック…。乗り物の?だってそれはもう不必要な物でこの世界には…。

「トラックは乗り物だ。それに見つからないように忍び込め。さすれば外に出られる。」

 やはり乗り物。当たり前のように話される内容にセスはたじろぐ。その様子におじいさんの目が意地悪く光った気がした。


「なんだ。怖気付いたのか。やはりまだまだ子どもだ。二人で仲良しこよしでなければ何もできんとは。」

 ムッとするセスの耳に外の騒がしくなる音が聞こえた。おじいさんが告げたように保安局の人が戻ってきたのかもしれない。緊張感が漂う。

「決断しなければ何も変わらないぞ。その友達とやらは変わることを望んでいたのではないのか?」

 今のままでは何も変わらない。何も…。

 何の疑問も持たずただ流されるだけの日々。今ならそれを変えることが出来るかもしれない。でもクレアは?クレアを置いていっていいのだろうか…。

「とにかく外を見てこい。外に何があるのか。さすればどうすればいいのかが自ずと見えて来る。」

 おじいさんはセスの手にナイフを握らせた。それは無機質で冷たくセスをゾッとさせた。

 おじいさんの行動はナイフを持って行かなければ脱出できないことを意味しているようでまた怖気付きそうになる。

 しかしだからこそクレアと一緒ではなく、自分がまず行って外とはどんな所なのか見てくるべきではないのか。その上でクレアを連れ出すべきか。

 おじいさんの言葉を信じるのならクレアはひどいことはされないらしい。確かにクレアはまだここに来たのは初めてだ。最果ての地に来ることがどれほどいけないことかは分からないが自分の一度目を思い出すとクレアのは無事は保証されている気がした。

「分かった。俺、行くよ。」


 扉を開け様子を伺う。言われた通り西の方角を見てみたが何があるのかは分からない。保安局の人が居ないことを確認して駆け出した。

「おい!いたぞ!」

 離れた所で嫌な声がした。それでも止まるわけにはいかない。足がちぎれそうになったとしても走り続けるしかない。セスは瓦礫を上手く避けながら狭い場所を進む。相手は大柄な大人だ。真っ向勝負を挑めば負けるに決まっている。

「ちょこまかと!おい!どっちに行った!」

「…見失いました。」

 保安局の人がいるすぐ近くの瓦礫で息を潜める。ハァハァと荒い呼吸とドクドクと速まっていく心臓の音が嫌でも大きくなり、聞こえてしまわないかと冷や冷やする。

 それでもジッと瓦礫に隠れてやり過ごす他なかった。太陽の位置から西の方角をもう一度確認する。

 保安局の人はセスに気付く様子もなく思いもよらないことを口にした。

「セスが出てきた家ってルイスさん家じゃないのか?」

「あぁ。そうだと思う…。面倒なことにならなきゃいいが…。」

 ルイス!あのじいさんが…。

 最果ての地に行こうと思った、そもそもの理由。リアン先生の秘密を知ってしまった時に言われた言葉。「知りたかったら…最果ての地でルイスに会って来るんだね」

 今さら知ってももう遅い。引き返すことは無謀だった。それよりも先に進むべきだ。

 セスは違う世界「外」にどうしてこれほどまでに行きたいと思うのか自分の気持ちも明確に分からないまま、ただ今を変えなければの思いだけで西に向かった。


 どれほど走っただろうか。保安局の人達が今にも迫って来そうで気が気ではない。もう足も限界だ。とうとうもつれてその場に転がってしまった。

 本当にこんなことをして外という所に行けるのだろうか。何故、ルイスは自分の名前を忘れたなんて言ったんだろう。…クレアは…クレアは大丈夫なんだろうか…。

 折れかかった気持ちは地面に転がったままのセスのまぶたを重くした。最果ての地のそのまた奥地。こんな所で寝てしまったら保安局の人に見つかるよりもタチが悪いのかもしれない。

 でも…もう無理…。

 意識が遠のく手前で聞きなれない音が聞こえた。

 ハッとして音のする方へ急ぐ。そこにはこの世界にあるはずのないトラックが何台も並んでいた。


 セスのいる所から何段か下がった位置にあるその場所はトラックの停留所のようになっていた。トラックから荷物を運び出す人達が忙しなく働いている。

 その近くまでそっと近づいて一番近くにある荷物を降ろし終えたらしいトラックの荷台に忍び込んだ。

 運良く誰にも気付かれることなく潜り込めたセスの元に作業している人達の声が聞こえる。それは耳慣れないものばかりだ。

「今年は暖冬だっただろ?だから野菜が採れすぎちまって。」

「おかしな気候だな。困ったもんだ。」

 リアン先生が言っていた野菜を栽培している施設に行くトラックなんだろうか。絶滅した野菜を復元させて安全かつ効率的に栽培しているという施設。外というのはそのことなのだろうか…。

 バタンと運転席のドアが閉まる音が聞こえ、車が動き出した。

 テロメアから脱出するんだ。そう思うと嬉しい気持ちと不安な気持ちが綯い交ぜになって心がぐちゃぐちゃになる。

 体がガタガタと揺れるのはトラックが悪路を進むせいなのか自分の震えなのか分からないまま自分の腕をぎゅっと抱えた。


 いつの間にか寝ていたらしい。荷台の入口にかかっている布から顔を出すと暗闇だった。まだ眠い目をこすると再びの眠りについた。


「おい!変な奴が荷台に乗ってるぞ!」

 誰かの大声で目を覚ます。

 しまった!見つかった!

 夜のうちにトラックから降りようと思っていたのに寝過ごしてしまったようだ。

 荷台の布から漏れる眩しい光に目が眩んで荷台を覗き込む人の顔は見えない。

 とにかく逃げなければ。

 覗き込む人の脇をひらりとかわしてトラックから飛び降りた。

「おい!こら!待てよ!」

 逃げた方がいいのか分からないまま駆け出した。しかし目の前の光景を見て、呆然とする。そこには…。

「おい!待ってって言ってんだろ?なんでうちの荷台に乗ってたんだよ!」

 セスは手を掴まれても動けずにいた。そこにはかつて遠い昔。今、この世界にはないものだと信じて疑わなかった滅びたはずの光景。

 道には草花が生い茂り、木々は好き勝手に伸びており、その枝には鳥がとまっている。そして花の周りには蝶がヒラヒラと舞っている。

 それは絵本の中や画像でしか見たことのない世界だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る