三章 もう一度あなたと1
「久しぶりだね。まさか海を越えてオーリィのことを追いかけてくるなんて。案外ねちっこんだね」
開口一番に嫌味を食らったフレンである。
「それはもう、オルフェリアは私にとって世界で一番かわいい婚約者ですから。海だろうと山だろうと父親だろうと超えてみせますよ」
フレンがにこやかなに答えてみせると同席しているリュオンが嫌そうな顔をした。
オルフェリアとの再会から一日後、改めてバステライドに挨拶をするために会談の場を設けてもらった。
尽力を尽くしてくれたのはカリティーファだ。
メンブラート邸ではなく、彼の持っている事務所の一室である。
今日は今後のことを話し合うためにバステライドに時間を作ってもらった。
リュオンとカリティーファがダガスランドに到着してから半月が経っている。彼にしてみても考える時間は十分にあったはずだ。
「本当に、きみは気に食わないね。リュオンとカーリーまですっかり手なずけて」
「ちなみにリシィル嬢とエシィル嬢も私の味方をしてくれていますよ。セシリオ殿もね」
フレンはバステライドの嫌味を笑顔で受け止める。
「父上。喧嘩はその辺にしてください。今日はメンブラート家の今後のことを改めて話すために集まったんです」
放っておくと嫌味の応酬合戦になると踏んだリュオンが軌道修正した。
「今後だって? そんなの今更じゃないか。リュオン、伯爵家の当主はすでにきみなんだろう」
「ええそうです。書類もあります。王家も認めていますから」
リュオンは改めて相続関係の書類を机の上に並べた。
王家が、正式な跡取りと認めた書類。
結局、バステライドはかりそめの伯爵だった。本人不在のまま、先代の伯爵が秘密裏に勧めたリュオンへの伯爵継承。
それは、実の父から伯爵家の後継ぎ失格だと烙印を押されたも同然のことで、自分自身立場は違えど跡取りと目されているから、その立場を否定されていたという事実を彼がどう受け止めたのか、自分の身に置き換えてみると辛く、苦しいと思わずにはいられない。
バステライドは書類をじっと見つめている。
「ですから、今一度ダイヤモンドの返却を要求します。こちらに持ってきているのでしょう」
リュオンの質問にもバステライドは無言のままだった。
「あなた……」
見かねたカリティーファがバステライドを促す。
「……ああ。持ってきている。いろいろとあって、結局は代金未回収になってしまったからね。すぐに別の競売にかけるにも不都合があったから。まだ手元にあるよ」
「では、返していただけますね」
リュオンは念を押した。
「返すよ。返せばいいんだろう。私はもう伯爵家とは関りがない人間だ。きみが継いで、好きなようにすればいい」
バステライドは傍から見ても自棄になっている。
リュオンは美しい顔を歪めた。
「父上。あなたは、最後まで僕を、僕の気持ちまで踏みにじるのですか」
リュオンが苦しそうに喘いだ。
まるで悲鳴のようだ。
そんな風に感じるのは、彼から目に見えない苦しさが放たれているように感じたからだ。
「僕は! 僕は、こんな形ではなくて、ちゃんと父上からいろいろなことを教わって家を継ぎたかった! どうして、父上は最後までそうやって過去から動こうとしないんですか」
リュオンは大きな声を出した。
バステライドは黙ったままだ。
彼の剣幕に圧倒されている。
「僕に、父上を尊敬させてください。カリストたちが何と言おうと、父上は立派な伯爵だった、と僕に思わせてください。僕は、父上のこと嫌いじゃないっ」
リュオンはそれだけ言うと、立ち上がって部屋から出て行った。
感情が爆発して、やり場のないものをどう発散させていいのかわからないのだ。
バステライドはしばし呆然としていた。
「リュオンは、あなたのこと好きなのよ。突然いなくなって、彼……さみしかったのよ」
カリティーファがバステライドの手に、自身のそれを重ねる。
「だったら、一緒にこっちで暮らせばいいのに」
「もう。あなたったら、そればっかり。リュオンにとってトルデイリャス領も大切な彼の一部なのよ」
「あの子は、生まれたときから伯爵家の跡取りだった。僕とはまるで違う」
「そうねえ。しっかりした子に育ったわね。子供たちはトルデイリャスで生まれ育ったのだもの。故郷として大切に思うのは当たり前よ」
カリティーファは悠然と構えている。
フレンは、この夫婦は大丈夫だと何とはなしに思った。
カリティーファはバステライドのことを包み込むように愛している。行き違いはあるけれど、彼女はバステライドを理解しようと努めている。
いいな、と思う。
フレンは途端にさみしさに襲われる。
「バスティだって、伯爵領ではないけれど、こちらで事業に成功しているのでしょう。それだってすごいことだわ。まさかあなたがホテル経営をしているなんて思ってもみなかったけれど」
「別に。ただ、売りに出されていたホテルを買い取っただけだよ。すごいのは、従業員たちだ」
「けれど、評判の落ちかけたホテルを立て直す手腕は尊敬に値しますよ」
「きみに言われてもうれしくない」
バステライドはぶすっとつぶやいた。
「今度はファレンストさんの番」
カリティーファの声に応じるように、フレンは居住まいを正した。
背筋を伸ばして、バステライドをまっすぐに見据える。
「もう一度許しを請いに伺いました。オルフェリア嬢との結婚を許してください」
フレンは頭を下げた。
いくら言葉を重ねても、結局は同じだ。フレンが求めることはただ一つ。
「きみは、私の渡した書類を使ったはずだ。だったら、取引は成立したことになるんじゃないのか」
「あなた!」
「カーリー、これは私と彼との問題だよ。少し黙っているんだ」
バステライドが隣の妻に固い声を出すが、その妻は眦をきっと釣り上げる。
「黙っていられるわけないでしょう! 娘の幸せがかかっているのよ。……あなた、本当にいい加減にしないとわたし、怒りますよ」
フレンの知る伯爵夫人からは想像もつかないほどの冷ややか声が彼女の口から聞こえてきて、バステライドが一瞬だけ身をぴくりとさせた。
バステライドは咳払いをしてもう一度フレンに視線を合わせる。
「と、とにかく、だ。一度取り交わされた約束だ」
「あの書類はに私の父が受け取りました。父はたしかに役人にあれを提出しましたがね。しかし、私はあなたと父が取引をする前にスミット商会とは決着をつけていました。私とあなた、二人の間だけで言えば取引なんてなんの成立もしていない」
「詭弁だね」
「詭弁を駆使して利益を上げるのが商人ですから」
フレンはしらっととぼけた。
「利益がオーリィだと言いたいのかい? きみは本気でオーリィのことなんて思っちゃいないだろう。ただ、見目麗しい、隣に置いておくにはちょうどいい人形くらいには考えていないんじゃないのか。ファレンスト商会の男は利益優先志向だというじゃないか」
「我が商会は慈善活動に寄付もしていますよ。ついでに言うならオルフェリアのことを隣に飾っておくだけの人形だなんて思っていません。確かにお人形のようにかわいいくていくら抱きしめていても飽きませんが」
「オルフェリアはおまえの人形じゃないぞ!」
「そっくりそのままあなたに返すわよ、バスティ」
カリティーファはぴしゃりと言った。
「私は、そんな風に思っていない」
「いいえ。思っています。オルフェリアちゃんだけに固執をしているのがいい証拠だわ。レインはね、ずっとあなたに愛してもらいたかったのよ」
「私はレインのことも愛しているよ」
「わかっているわ。けれど、レインはまだ子供なの。あなたの、オルフェリアちゃんへの偏愛を、愛情の差だと勘違いしてしまうくらいにはね。父親が子供っぽいと子供たちが苦労するんです」
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