二章 ダガスランドでの再会5

 残れたオルフェリアとリュオンはしばらくその場から動けなかった。

 リュオンは、彼は紫色の瞳の中に怒りを混ぜていた。先ほどまで毅然としていたのに、今は何に向かって怒っていいのかわからないようだった。


「リュオン……」

 オルフェリアはリュオンに近づいた。


 心得た執事はすでにこの場から退場している。玄関広間にいるのは、オルフェリアとリュオンの二人きりだった。

「僕は……、こんな形で伯爵家を継ぎたいとは思っていなかった」

 オルフェリアはリュオンの頭に手を伸ばす。そっと、彼の頭をオルフェリアの方へ引き寄せた。

「うん」

 リュオンは抵抗しない。


 されるがままにオルフェリアの方に少しだけ体重を預けてくる。さらりとした髪の毛に指を滑らす。不安な時、フレンに頭をなでてもらって、オルフェリアはとても安心した。

 オルフェリアはゆっくりとリュオンの髪の毛を梳いた。


「僕は、いい年してそろそろ引退しようかな、と言った父から伯爵家を継ぎたかった」

「うん」

 わかっている。

 リュオンは、バステライドのことを嫌いになりたくないのだ。

「お父様は、きっと彼なりにわたしたちのことを考えてくれていたのよ。それが……その、かなり方向性が間違っていただけで」


 バステライドのことも庇いたいが、いかんせん庇えないだけのことをしつくしてしまった。歯切れが悪くなるのは仕方ない。

「わかっています。とにかく、僕はいうことは言いました。あとは……姉上。一緒にアルンレイヒに帰りましょう」

「嫌」

「どうして」

 思いがけない言葉だったのか、リュオンは寄せていた体をオルフェリアから離した。


「わたし、アルメート共和国に住むことにしたから」

 今度はリュオンが悶絶する番だった。


◇◇◇


 リュオンとカリティーファがやってきて早二週間以上が経過した。

 オルフェリアの決意は変わらなかった。

「そういえばオーリィお嬢さん、アルメート共和国に骨をうずめる覚悟を決めたんですって」

 貸本屋『ひまわり』のカウンター席に座っているのはデイヴィッドである。


「まあね」

 オルフェリアは不本意ながら相槌を打った。

 今日は午前中から店番を頼まれている。


「気に入りました?」

「別に。ただ、こちらにいれば、フレンに会わずに済むから」

 オルフェリアは入荷した本の最後の項に紙を張り付ける。この紙に返却期限と貸した人の名前を書くのだ。

「あー、なるほど。ディルディーア大陸にいるとファレンスト商会の同行はどうしても耳に入りますからね」


 オルフェリアは苦虫を噛んだように眉根をぎゅっと寄せた。

 フレンはいずれ結婚するだろう。

 オルフェリア以外の誰かと。

 別れる、気持ちの整理はつけると思っていてもまだ心の中はざわついている。だから、こちらにいたほうが却っていい。ダガスランドにいれば海を隔てたフラデニアの一商会のうわさ話なんて、滅多なことでは耳に入ってこないだろうから。


「そういう健気さを発揮する前に手っ取り早い方法がありますよ」

 オルフェリアはデイヴィッドを見つめた。

 なんとなく、想像はつく。だからオルフェリアからはあえて何も言わない。黙ったままのオルフェリアの代わりにデイヴィッドが得意げに言葉を続ける。


「僕と恋人同士になればいいんです。つらい恋なんてすぐに忘れさせてあげます。僕を選んでください」

「……」

 オルフェリアは無言を貫いた。


 この件についてオルフェリアは完全に拒否の姿勢を貫いているのに、デイヴィッドは一向にめげない。

「今は難しくても、生活をしているうちに、徐々に忘れていきますよ。あと二、三年もすれば心の中に、入れ物ができてね。そこの中にファレンスト氏のことも入れられるようになりますよ。そうやって、色々なことに折り合いをつけて人っていうのは人生を歩んでいくものです」

「あなたも……、心の中に入れ物を作ったことがあるの?」

 オルフェリアはつい聞いてしまった。


 店が開店してから二時間。用のある人は開店から間をおかずに店にやってくることが多いため、今この時に店内にいる客はデイヴィッドだけだった。店主は奥で孫をあやしている。


「そりゃあ、まあ。僕も二十五ですから。過去に恋愛の一つくらい経験していますよ」

「そう……よね」

 デイヴィッドにしろ、フレンにしろオルフェリアが初恋です、なんてことはないと思っている。二人ともオルフェリアよりも年上だ。

「今好きなのはオーリィだけですよ。あとはあなたが僕の奥さんになってくれればいうことないんですけどね」

「いきなり妻なの?」


 無理よ、そんなことと続けようとしたがデイヴィッドに手で制された。


「あなたが初恋を忘れられないのは百も承知です。純粋なのがあなたの取り柄ですからね。仕方ありません。だけど、他にもあなたを想っている男がいることを認識してほしい。あなたが、そんな風に悲しい顔をしていると僕もさみしいんですよ。今すぐではなくていいから、僕と一緒にいるうちに、きっと情が湧いてきます。家族になるんだから、そういう想いでもいいと思います」


 今日のデイヴィッドは誠実だった。

 おそらく、オルフェリアが知っている中で一番まじめな口調だった。

 オルフェリアは動くことができなかった。

 目が逸らせない。

 それは、デイヴィッドの本気の告白だった。彼の本気が伝わったから、オルフェリアは怖くなる。


「わたしが、あなたと家族に……? そんなの」

「無理だなんて言わないで。可能性くらい残しておいてください。せっかくこちらにいる決心をつけたんだから、もっといろいろと出かけましょう。僕がいつでもお供しますよ。郊外には気持ちのいい丘だってあるし、この時期は河下りも楽しいですよ。今度リュオン殿と三人で遊びに行きますか」

 デイヴィッドはあえてリュオンの名前を口にする。

 リュオンはデイヴィッドがオルフェリアに懸想していることを知って案の定、烈火のごとく怒りを示した。


「あなた、物好きね。フレンだってリュオンを誘うことなんてしなかったわ」

 ついフレンを引き合いに出してしまってオルフェリアは慌てた。彼のことを忘れようとするのに、ふとした時に思い出してしまう。悪い癖だ。

「僕は懐が深いですから。可愛い義弟ですからね。十分に可愛がって差し上げますよ」

 デイヴィッドにかかればリュオンなど赤子をひねるくらい簡単に陥落してしまいそうだ。認めるとかそういうことではなく、やり込められてしまうという風に。


「あまり彼をいじめないであげてほしいわ」

 一応可愛い弟なのだから、思い切りからかわれていると不憫になる。

「あはは。オーリィに免じて、ひねりつぶすことはやめておきますよ。それはそうと、今日はお邪魔虫は来ないんですね」

 言ってるそばからお邪魔虫呼ばわりとは、いい性格をしている。

「ええ。朝から出かけているわ。せっかくアルメートに来たのに、ずっとわたしに張り付いていても面白くないのでしょう。お父様の相手はお母様まかせだし。どこか気分転換にでもいったのではないかしら」

 ここ最近ずっとオルフェリアの後ろをついて回っていたリュオンは今日に限っては朝からふらりと出かけてしまった。


「バスティも今ちょっと不安定ですからね。正直言うと、さっさと伯爵家からは手を引いてこちらの事業に注力してもらいたいところですが」

 デイヴィッドは肩をすくめた。


 バステライドの事業は順調なようで、それがオルフェリアにとって意外なことだった。トルデイリャス領にいる彼しか知らなかったオルフェリアにしてみたら、実業家としての父親というのは、まるで別人のようだったからだ。


「お父様は、結局お祖父様から認められていなかったということが、堪えたのよ。わたしたちは、家族だわ。家族みんな仲が良かった。伯爵家のためにわたしたちは生れてきたわけじゃないのに」

「オーリィはいい子ですね」

 デイヴィッドは破顔した。ついでに手を伸ばしてオルフェリアの頭を撫でた。割と強い力だった。

「ちょっと、何をするのよ。髪の毛が乱れるでしょう」

「あはは。元気がいい方がもっと可愛いですよ」


 彼なりの励ましなのだろう。

 家族のことを考えるとき、オルフェリアの心はほんの少しだけ隙間風が入る。

 複雑なのだ。まだ、心の中にそれらの気持ちを入れるための箱を作れていないから。


「ま、父親に踊らされた、なんて気持ちの良いことではないですからね。いろいろと気持ちに整理をつけて、早く僕たちのことも認めてもらえるといいですね」

「ちょっと、そこは間違っているわよ。わたし、あなたのこと好きじゃないもの」

 オルフェリアは毅然とした視線を彼に返す。


「今は、まだ。わかっています。けれど、そのうち僕の隣にいてやってもいいかな、なんて思える日が来ますよ」

 オルフェリアはたじろいだ。


 家族のことを考えるとき、オルフェリアの心はほんの少しだけ隙間風が入る。

 複雑なのだ。まだ、心の中にそれらの気持ちを入れるための箱を作れていないから。

「ま、父親に踊らされた、なんて気持ちの良いことではないですからね。いろいろと気持ちに整理をつけて、早く僕たちのことも認めてもらえるといいですね」

「ちょっと、そこは間違っているわよ。わたし、あなたのこと好きじゃないもの」

 オルフェリアは毅然とした視線を彼に返す。


「今は、まだ。わかっています。けれど、そのうち僕の隣にいてやってもいいかな、なんて思える日が来ますよ」

 オルフェリアはたじろいだ。

 優しい目線は、オルフェリアの中から抵抗する気持ちを萎えさせてしまう。

 オルフェリアが黙ったところで、彼は再び口を開いた。

「そうだ。シモーネの舞台始まったんですよね。彼女、大口ばかり叩いていたから、ぜひ観に行って辛口の感想を述べてあげましょう」

「おあにくと、リュオンと一緒に行くことにしているから結構よ」

 オルフェリアはつんと横を向いた。

「彼女に頼まれて公演切符をたんまりと買ったんですよね。一度くらい付き合ってください」


 デイヴィッドはそのあと店内にある時計を見た。そして、適当に見繕った本を差し出してきて、オルフェリアは黙って貸し出し処理をした。

 店に通う口実として、デイヴィッドは『ひまわり』の会員になっている。貸本屋は会員制が基本のため、会員になった彼を無下にすることはできないのだ。

 仕事の合間に抜け出してきたデイヴィッドはオルフェリアに手を振って店から出て行った。


 定期的に訪れてはオルフェリアの心をかき乱していく。ダガスランドの彼の住まいは、メンブラート邸から区画が少し離れた場所にある。

 何度も同じことを言ってはオルフェリアの動揺を誘う。


 今の気持ちも、いつか薄れて忘れていく、と。好きなんて気持ちは流動的で、いずれ別の人を好きになる。

 早く忘れないといけない、と思う一方でオルフェリアはフレンへの恋心が無くなってしまうことが恐ろしく感じている。

 一緒になることはできないのに、決別したはずなのに。第三者から言われると、そんなことない、と反発する。

 あれほど、オルフェリアのことを想ってくれる人この先いるのだろうか。

 オルフェリアはデイヴィッドのことを棚に上げて考える。


(ああもうっ! 一人で悩んでいても仕方ないのよ。フレンとは終わったこと。そう、終わったことなのよ)


 こういうとき、シモーネと毒舌合戦をするとすっきりする。

 公演が始まってから、彼女は邸と劇場を往復するだけの生活を送っている。舞台に集中するから、と宣言をしているのは承知しているからオルフェリアはここしばらく彼女とお菓子を食べに行くことをしていない。

 その代りリュオンやカリティーファと出かけてるのだが、家族よりも他人のほうが落ち着く場面があるのも確かなことなのだ。


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