一章 フレンの反撃4
「ほう、それはどんな理由ですかな」
これまでとは違い、はっきりとした口調にエグモントが興味を持った。
「オルフェリアは、昔から自分の感情を表に出すのが苦手、いえ、隠していたんだと思います。その子がある日ミュシャレンに行きたいと言ったとき、わたしは賛成しました。あの子が自分の意志で何かをしたいと言ったのが初めてで。その後、ディートフレンさんと婚約をした、と報告を受けてびっくりしました。失礼ながら、騙されているのでは、などと思いました」
十六歳の少女が親元を離れて王都で暮らし始めてほんの二三か月後に、年上の実業家と婚約をしました、なんて報告をすれば確かにそう疑ってしかるべきである。
「けれど……」
カリティーファは少しだけ目元を緩めた。
「ディートフレンさんが手紙をくれたんです。オルフェリア嬢と婚約をしました、って。読書の話題で盛り上がって、意気投合しましたって書かれてあって、それから。オルフェリアは言葉を飾らなくて、はっきりした物言いをすることも多くて、意見の食い違いで喧嘩をすることもあるけれど、そういう飾らないところも可愛いし、逆に言えばとても素直な子で好感が持てますって。わたし、彼からの手紙を読んで安心したんです。オルフェリアはずっと家族とばかり過ごしてきて、人付き合いに慣れていない分、ちょっと言葉がきついところがありました。けれど、ディートフレンさんはそんなオルフェリアのことを好きだって言ってくれて」
「お世辞だとは考えなかったのですか」
エグモントは意地悪な言い方をした。
「そうですね。婚約を認めてもらうために誇張したのかもしれません。けれど、文面を読んでいると、まだ見たこともないディートフレンさん相手に喧嘩するオルフェリアが浮かんできたんです。姉や弟に接するような態度なのに、ディートフレンさんはそれでいいのか、と思ったら、なんだかうれしくなっちゃって」
カリティーファはふふっと笑みを浮かべた。
隣で彼女の話を聞いていたリュオンのほうが徐々に眉間にしわを寄せていく。
「年末年始の休暇に二人でトルデイリャス領へ帰ってきたとき。わたしびっくりしたんですよ。オルフェリアの表情がとても豊かになっていて。照れたり、怒ったり。ディートフレンさんのことをずっと目で追っかけていたし、大きな声を出して応援したり。彼女がちゃんと自分で選んだ男性なのね、って嬉しく思いました。だから、本当はファレンストさんに伯爵家の財政立て直しを手伝ってもらうことも、反対なんです。いくら本人同士は否定をしても、世間はそうは見てはくれませんから」
「しかし。私は彼女がトルデイリャス領に愛情を持っているのを知っています。私が、オルフェリアのために、彼女の愛する土地や人を守りたいんです」
フレンは慌てて言いつのった。
オルフェリアは複雑な心境を抱えながらも、自分の生まれた土地に愛着を持っているし、見捨てておけないと思っている。
彼女のひたむきな気持ちや想いを尊重したい。それがフレンの正直な気持ちだ。
「ええ。その気持ちが本心からだからこそ、わたしたちもお言葉に甘えることにしました。きっと、すぐに領地運営を軌道にせて、ちゃんとお借りした分は返してみせます」
カリティーファはフレンに力強い視線を返した。彼女はきちんと前を見ている。
娘の婚約者に頼らなければならないことを恥じながらも、フレンの想いを尊重して固辞することを避けた。
「しかしだな……」
エグモントだけ渋い顔をしている。
「父上、私の決意は変わりません。オルフェリアを迎えに行きます」
「婚約者とファレンスト商会、どちらかをはかりにかけろ、と言ってもか?」
エグモントは隣に座る息子に怜悧な視線を向けた。低い声で、問いただす。女を取れば後継ぎの座を失うことになるぞ、と。
フレンはふっと、笑った。
「もちろん私はオルフェリアを取りますよ」
フレンの腹の中はすでに決まっている。
「たかだか一時の熱情のためにみすみすファレンスト商会の次期社主の座を失うのか?」
エグモントが目を見開いた。
父親の、こういう驚いた顔を見るのは初めてかもしれない。
「お兄様! なんてことをおっしゃるの」
オートリエが非難めいた口調で割り込む。
「言っておくが本気だぞ」
「もちろん。私は、そうですね、オルフェリアを迎えに行って向こうで新しい商会でも立ち上げましょうか。ちょうど南アルメート大陸でダイヤモンド鉱山に出資もしていますし、鉱山開発も楽しそうだし、金融系の事業でのし上がるのも面白いですね。おかげさまで資金は潤沢にありますから、彼女と一から商売を築きますよ。ご心配には及びません。ちゃんと自分で稼いで、投資して増やした財産ですので父上にはこれぽっちも出資していただかなくて結構です」
フレンは澱むことなく台詞を吐く。
ファレンスト商会の社主に未練がないと言えば若干心残りはあるが、これまでの経験を頼りに新しい事業を起こすのも面白いと思う。大学時代の後輩ファティウスだって、一から商会をつくりあげたのだから、自分だってそれくらいやってのける気概は持ち合わせている。
「おまえ……」
息子の独立発言にエグモントは二の句を継げないでいる。
「フレンに逃げられて困るのはお兄様の方ではなくて。せっかく後継ぎ教育したのに、家出して別の大陸で成果を発揮されちゃいますわよ」
オートリエがつんと澄ます。
「ちょっと待て。僕は貴様までが姉上をアルメート大陸に縛り付けるなんて、絶対に許さないぞ」
「私とオルフェリアならどこででも楽しくやっていけると思うんだ。彼女、あれでいて好奇心旺盛でミーハーなんだよ。知らなかった?」
フレンはリュオンに対して自慢した。
「う、うるさい……。姉上がかくれてアレシーフェの街の貸本屋でこっそり新聞を読んでいたことくらい知っているんだからな」
「ふうん。じゃあ、彼女が実は王太子妃殿下に憧れているっていうのも知っていた?」
フレンが続けてとっておきの話を披露するとリュオンは悔しそうに押し黙った。
案の定オルフェリアは隠していたらしい。ずっと一緒に住んでいた弟を出し抜けたフレンはにっこり笑顔を作った。
「あらあ、オルフェリアったらレカルに憧れていたのねえ。これはもう運命よね」
実の娘があこがれの存在だと知ったオートリエまでもがにこにこと肩を揺らす。
すっかり脱線した話を元に戻したのはエグモントだ。
「さっきから、勝手に話をどんどん違う方向に進めるな。フレン、おまえは本当にそれでいいのか」
「ええ。もちろん」
フレンは即答した。
商売ならどこででも始められる自信はある。
フレンの開き直った態度を目の当たりにしてエグモントは大きく息を吐いた。
ぐったりと背を椅子にもたれかけ、額を手で覆う。
それまで話し込んでいたその他数人はぴたりと口を閉ざした。
オートリエも余計な口を挟まずにエグモントの次の言葉を待っている。
やがて彼は観念したように口を開いた。
「……勝手にしろ」
「勝手とは?」
フレンが質問する。
「婚約者でも元恋人でも取り戻せばいいだろう。だが、父親を納得させられなければこちらも認めんぞ。……それから、ちゃんと帰ってこい。お前以外にファレンスト商会を任せられる奴はいないからな」
エグモントは不本意極まりないという風に早口だった。
「まあ、お兄様ったら。最後はちゃんと話が通じましたのね」
オートリエが涙ぐむ。
「うるさいぞ。せっかく育てた跡取りに逃げられたらかなわんからな。どっかのはねっかえりの妹みたいに」
「まあ、それってわたくしのことですの?」
オートリエは先ほどの殊勝な態度から一転、つんっと横を向く。
オートリエは過去駆け落ち同然でパニアグア侯爵家へ嫁いだ過去を持つ。
「自覚があっていいことだ」
兄も当てこすりで返した。
「ありがとうございます。父上。感謝します」
フレンは隣に座る父に改めて頭を下げた。自然に笑みが浮かび上がる。
「ありがとうございます。ほんとうに、なんて言っていいやら……」
カリティーファが感激して、やっぱり目に涙を浮かべている。リュオンだけがその場の感動から取り残されていて、カリティーファが慌てて彼を小さく小突く。
リュオンはやや間を置いた後、「ありがとうございます」と言った。
「しかし、せっかく共和国に行くのだから、今後の取引に生かせる成果の一つや二つは持って帰ってこい。でないと、他の従業員に示しがつかん」
「わかっていますよ、父上」
フレンは胸をたたいた。
これでようやくオルフェリアを迎えに行くことができる。
「よかったわ。よかった……ほんとうに……よかった……」
カリティーファはよほど緊張していたのか、しきりによかったを繰り返しながら……意識を失った。
「うわぁ、母上! せめてホテルまで持ってくださいよ」
リュオンが隣で意識不明に陥ったカリティーファを思い切り揺さぶった。フレンも「夫人!」と腰を浮かせる。娘に会いに行く前に心臓が止まってしまっては大事だ。
「メンブラート夫人だいじょうぶですの?」
三人がかりで呼びかければ、カリティーファは意識を取り戻して「ご、ごめんなさい。安心したらつい……」と、相変わらず白い顔をして弱弱しく微笑んだ。
フレンはすぐにでも出発をしたかったが、やはり忙しい身ということには変わりなく、船の予約や旅の準備などもあり、ロルテームを出発できたのはそれから約半月後のことだった。
リュオンとカリティーファとは別行動である。彼らからアルメート共和国でのバステライドの居場所を書いてもらい、再びの再開を約束して別れた。
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