一章 フレンの反撃3
「まったく。父上もやってくれる。貴様から姉上が拉致されたことは知らされていたが……。父上がこんな大々的に婚約破棄も伯爵領放棄も載せるなんて思わなかった。この記事のおかげで学校でも野次馬たちに質問攻めにされるわ、王家から呼び出しをされるはで大変だった」
「それで?」
「切り札を手に入れた。とにかく、王家としてもさっさと父上の暴走を止めてダイヤモンドを取り戻して来いとおっしゃっているんだ。王太子殿下の口添えもあって、僕は試験を早く受けることができて、実質休学をもぎ取ったんだ」
リュオンは不機嫌を隠そうともしない。
彼は学業優先という年齢上どうしようもない壁の元、アルンレイヒを離れることができずにフレンにすべてを一任したのだ。
それなのに、そのフレンが不甲斐なくて憤っている。
「別に僕は、貴様と姉上の婚約に賛成をしていたわけではない。ただ、海を隔てた場所に拉致されるよりかは、まだフラデニアに嫁がれたほうがましだというだけなんだからな」
相変わらずのリュオン節炸裂である。
「きみ、一人で来たの?」
「いいや。母上も一緒だ。母上は今、ホテルにいらっしゃる」
「ということは、エシィル嬢の容体は安定したんだね」
「安定期に入って、どうにか体調も落ち着いている。伯爵家の留守はリル姉さんが請け負ってくれたんだ。フレイツの面倒もね」
そう言うリュオンの表情は冴えない。もしかしたら、あの姉に伯爵領の留守を任せたらとんでもないことになると危惧しているのかもしれない。そしてそれは十分あり得ることで、フレンもリュオンの心配する心が痛いほどわかる。
「というか、どうして貴様はまだロームにいるんだ? 姉上のことを本当にあきらめたというのなら、それはそれで僕としては大歓迎だけど」
「そんなこと、あるはずがない。私は彼女を愛している」
「あきらめの悪い奴だな。だったら、どうしてまだロームにいる?」
リュオンはまっすぐにフレンを睨みつけてくる。
「まずは……ファレンスト商会を立て直すことが大事だからだ。父上に結婚を認められないと、オルフェリアは私の元には帰ってこない。だから、まずは父を納得させないといけない」
フレンはこちら側の事情、エグモントとの意見の食い違いなど、オルフェリアが出て行った経緯を話して聞かせた。
「なるほどな。父上もやってくれる」
リュオンは悔しそうな声を出した。
「そういえば、ファレンスト商会の不名誉な噂は払しょくされたようだな。ミュシャレンでも、話題になっていた。大体の人はパニアグア侯爵家を慮って、自分はファレンスト商会を信じていた、とか言っていたけど」
「今回の件で、王太子妃にも心労を描けたかと思うと心苦しいよ」
フレンたちの立ち回りによってはレカルディーナの立場も悪くなってしまうため、スミット商会の陰謀を阻止できて本当によかった、と思う。最悪秘密裏に王太子に連絡を取ろうと思っていた、というのは実は秘密である。レカルディーナに火の粉が飛ぶ事態になれば、王太子ベルナルドは喜んでスミット商会を潰してくれたことだろう。
フレンとしても最終兵器を使わずに済んでホッとしている。王家に貸しなど作ったら後でなにを請求されるか分かったものではない。
「その父上殿を説得できそうなのか?」
「目下精鋭努力中だ」
「ふんっ。僕は別に貴様のことを認めたわけじゃないんだからな」
「きみ、難しい性格をしているね」
「うるさいっ」
結局リュオンはなんだかんだとフレンとオルフェリアのことが気がかりなのだろう。
フレンはオルフェリアのことをあきらめていない。嫌いだなんて、よくもそんな嘘がつけたものだと思う。
あの日、オルフェリアがアルメート共和国行きの船に乗った日。
フレンは追いかけた。一目彼女に会いたくて、できることなら引き留めたくて。
しかし今一歩のところで間に合わなかった。フレンがバステライドらの足跡を掴んだときは、すでに日も暮れたあとだった。
オルフェリアはその翌朝の船に乗せられたらしい。あのとき、もっと早く行動を起こしていれば。そう思うと悔やんでならないが、逆にあの場にフレンが乱入してもオルフェリアを奪還できたかどうかは怪しい。
オルフェリアはフレンの父と取引をした。
彼女は一度交わした取引を反故することはないだろう。純粋素直な彼女に商人のようなしたたかさを持てと言うのは酷な話だ。
だからこそ、まずフレンはエグモントを説得する必要がある。
フレンは心に誓った。
必ず、迎えに行くと。唯一の安心材料は、バステライドがオルフェリアをしばらくは手元に置いておくだろうということだ。彼の言動から、すぐに彼女をどこかの男の嫁にすることはないだろう。
だからフレンはまだ我慢していられる。
デイヴィッドのことだけが不安材料だったけれど、こんな時オルフェリアを信じられないでどうする。
彼女は精一杯フレンに愛情を示してくれた。
「僕は、僕たちは近いうちにアルメート共和国へ渡るつもりだ。あちらでの居場所も突き止めてあるからな」
「そうか」
「貴様は……どうするんだ」
リュオンの言葉に、フレンは少しだけ口の端を持ち上げた。
「私も一緒に行くに決まっているだろう」
◇◇◇
その日の夜、フレンが久しぶりに夜も早い時間に邸へ帰ると、なんと叔母オートリエが応接間でエグモントを糾弾しているところに鉢合わせた。
「お兄様ったら、オルフェリアに酷い取引を持ち掛けるなんて、それでも人の子ですか? あの純粋な子がお兄様のような悪辣非道な中年男に脅されればたとえ本心でなくても頷いてしまいますわ。そんなことだからお嫁さんに浮気された挙句に逃げられるのですわ」
実の妹は言葉に遠慮がなかった。
フレンの言いたいことを代弁してくれているのは分かるが、もう少し言葉を優しく羽にでも包んでほしい。
「うるさいぞ……わざわざそんなことを言いにミュシャレンからやってきたのか」
息子には厳しいが、妹には弱いエグモントは苦虫をかみつぶしたような顔をしている。
「まさか。可愛い甥っ子が電撃婚約破棄なんていうショッキングなニュースを聞かされて、事の真相を問いただそうと手紙を何度も送ったのに一向に返事が来なかったので直接来たのよ。ちょうどメンブラート夫人がロームに行くというので便乗しました」
と、そこでオートリエはそっと入室してきたフレンに振り返った。
「私は初耳ですよ。叔母上から手紙がきていたなんて」
「そうでしょうとも。わたくしには情報源がいますからね。どうせ、お兄様がわたくしたちからの手紙を握りつぶしていたのでしょう」
オートリエは再びエグモントに詰め寄る。
(情報源って、ミネーレのことか……)
ミネーレは元はオートリエ付きの侍女ある。彼女ならフレンとオルフェリアの婚約破棄の裏事情についても承知している。それについてさんざん喚き散らされた。
「今はファレンスト商会にとって大事な時なんだ。くださん手紙など交わしている場合ではない」
「アルノーもグルだな……」
フレンはこの場にいない秘書官のことを考えた。基本的にフレン宛の手紙は彼が明けることになっている。
「まあ! くだらないですって。よくもそんなことが言えましたわね」
「くだらないだろう! 誰が婚約破棄しただの別れただの。ついでに言うなら別れた相手の家の諸事情など知ったことではないっ!」
「ちゃっかりわたくしからの手紙読んでましたのね! そんなのだから、お嫁さんに逃げられるんですっ! 浮気されちゃうんですよ」
「うるさいぞ! おまえはいつもそれだ。頭の中をいつも桃色に染めておる。いい年して恋だの愛だのうるさいぞ」
妹が古傷をぐりぐりえぐるものだからエグモントの堪忍袋が切れた。オートリエに負けじと声を張り上げる。
「いい年も何も、恋するのに早いも遅いもありません。心がからっからに乾いているから息子の恋路につまらないやきもちをやくんですわよ。あーあ、いやだわ。年寄りの嫉妬は。自分の春が一向にやってこないからって」
いつのまにか中年男から年寄りに変化した。親世代の兄弟げんかを直視するなどという貴重な体験だが、色々と心臓に悪いのも本音なところだ。先ほどから子供の言い合いレベルである。
「やきもちなぞやくものか! 私はおまえとは違って桃色になぞ染まっていない」
「枯れっ枯れの人生なんてつまらないわよーっだ。とにかく、年寄りのみみっちい嫉妬心でオルフェリアのことを認めないなんて、今すぐにその言葉撤回してくださいな」
逸れた話題をどう戻そうかとフレンが思案していると、オートリエが自動修正した。
エグモントは黙秘を選ぶ。
「しかも、メンブラート伯爵からの取引に応じてしまうだなんて。まったく、それでもファレンスト家の人間ですか」
「うるさいぞ。一番効率のいい手段を選んだまでだ。大体、私はあんな面倒な親のいる娘なぞごめんだぞ。商会がいくつあってもたらん。全部潰されてたまるか」
「父上。私は、伯爵と取引をしなくてもスミット商会をたたきつぶしました。実際に彼からの書類を手に入れたときには片が付いていたでしょう」
フレンはここにきてようやく二人の間に割って入った。
泥仕合の様相を呈した罵りあいだったが、オートリエという頼もしい(かどうかはさておき)助っ人が登場したのだ。
ここで畳みかけないでどうする。
「それは結果論だろう。伯爵は自分の知らぬところで勝手に娘と婚約をしたおまえに報復する形で我が商会に手を出した。それが問題だと言っている」
「ですから、オルフェリアの父親が私たちの結婚を認めればいいのでしょう」
「その可能性が無いから反対なのだ」
「やってみないとわからないではないですか。現にメンブラート伯爵夫人はオルフェリアの結婚に賛成していますわ。わたくしたち、色々とお話ししましたもの」
オートリエもフレンの援護射撃をする。
「夫人が賛成しようとも、そんなものなんの足しにもならない」
エグモントは吐き捨てた。
「いいえ。夫婦で話し合えばわかってくださいますわ。ああ、お兄様にはわかりませんわよね、お嫁さんと話し合う間もなく逃げられましたし」
最後の一言は余計である。
フレンは頬を引きつらせた。
「あれは私が離縁したんだ! 追い出したのは私の方だ」
案の定エグモントが激高する。
「話し合いを放棄されましたものね」
「父上の離婚話は後にしてください。とにかく、私はリュオン殿たちと一緒に海を渡りますよ。ひと月も我慢して商会のためにロームにとどまっていたんだ。もう我慢の限界です。次彼女に会ったときうっかり狼になって彼女に嫌われたらお父さんのせいにしますよ」
フレンはオルフェリアのことを思い浮かべる。菫の花のような可憐な瞳も、柔らかな唇も、陶器のようにすべらかな頬も、すべてが懐かしい。
船に乗りアルメート大陸へ渡るのに約三週間。約二か月ぶりにオルフェリアに会ったら、たぶんフレンは色々と自制が効かなくなりそうで、それが不安だったりもする。
「今後のことを考えて、おまえはロルテームのどこかの娘と結婚しろ」
「嫌ですよ」
フレンは即答した。
「お兄様ったら、ご自分がその適当なお嫁さん選びで結婚を破たんさせたことをお忘れですの?」
エグモントは完全な政略結婚である。
結婚して子供を二人作った彼は、妻を顧みることなく仕事にばかりかまけた。
フレンの母は人恋しかったのだ。だから、それを別の男性に求めた。
フレンはオルフェリアと共に喧嘩したり笑ったりする家庭を築きたい。
と、その時。従僕が部屋へと入ってきた。
部屋の中で行われている不毛な兄妹げんかと親子げんかには目もくれず、彼はエグモントへと歩みより要件を告げる。
「旦那様にお会いしたいとお客様がお見えです」
「誰だ?」
オートリエは気がそがれたように嘆息して、机の上に置いてある水差しを手に持った。
「メンブラート伯爵夫人と、メンブラート子爵でございます」
「あら、フレンへの加勢第二弾ってところね」
グラスの中の水を飲みほしたオートリエがにこりとした。
「身分ではあちらのほうが上なんですから、よもや追い返したりはしませんよね、お父さん」
フレンもにこりと笑った。
「これだから貴族はいけすかんのだ」
エグモントは妹と息子を交互に見て、忌々しそうに舌打ちをした。
ほどなくしてカリティーファとリュオンが応接間に通された。
カリティーファは傍から見ても顔色が冴えない。白を通り越して蒼くなっている。時折口元を押さえているのは、口から心臓が飛び出るのを押さえているのかもしれない。
「よくお越しくださいましたな」
エグモントがリュオンとカリティーファに声をかける。
「まあまあお二人ともお座りくださいな。ごめんなさいねえ、お兄様ったらいつまでお二人を立たせておくつもりなのかしら。気の利かないお人だこと」
(兄妹げんか第二ラウンド勃発か……?)
オートリエのあてこすりにエグモントがじとりと横目で彼女を睨みつける。
オートリエはどこ吹く風だ。
席を促されて、カリティーファとリュオンが座席につき、フレンも従う。
「このたびは我が父の愚行のせいで、貴殿にご迷惑をおかけして誠に申し訳なく思っている」
リュオンは殊勝に頭をさげた。
「……申し訳……ござ、ございませんわ……」
リュオンと同くカリティーファも深く頭を下げる。
「まあまあ、それはもう言いっこなしよ。あなたたちは何も知らなかったのだし、事情もあったでしょう。すぐに駆け付けることができなくて当然だわ」
エグモントが口を開く前にしたり顔のオートリエがこの場を仕切る様に話す。
早くもエグモントは仏頂面になった。
「ですが……、ディートフレンさんにすべてを一任してしまい、本当になんとお詫びをしてよいことか。わたしの夫が、馬鹿なことをしてしまい申し訳ございません」
カリティーファは一気に言ってから「う……」と真っ青になって胸の辺りを押さえた。フレンの方が心配になる。
頼むからここで心臓を止めないでほしい。
「いえ。あなたたちが私の味方でいていただけるだけでありがたいですよ」
フレンはカリティーファを気遣う。実際、オルフェリアの母親である彼女がフレンの味方をしてくれていることは心強い。
挨拶が終わったころ、従僕が飲み物と軽く口に入れられるもの、チーズや小さく切ったパンなどを運んできた。
リュオンとカリティーファが飲み物に口を付けて、しばしあたりを静寂が支配した。
酒ではなく檸檬で香りづけをした水で口を潤したカリティーファが意を決したように口を開いた。
「夫が行った行為は、その……決して許されるものではありません。私情のためにファレンスト商会に多大な迷惑をおかけしましたもの。エグモントさんが怒るのも当然です……。けれど……夫はわたしが責任をもって説得します。ですから、その……。ディートフレンさんとオルフェリアの結婚を認めてほしいのです。お願いします」
カリティーファは途中言葉を詰まらせながらもなんとか言った。
言った後に深く頭を下げた。
「ほら、リュオンも頭下げなさい」
と、途中でリュオンの頭に手を置いてぐぐっと彼の頭を押す。
「な、なんで僕まで……」
リュオンは少しだけ抵抗したが、結局はカリティーファのされるがままに頭を下げた。
「まあまあ、お二人とも。オルフェリアはフレンにはもったいないくらい可愛らしくて優しいお嬢さんですわ」
オートリエが慌てて口を挟む。
「……どうしておまえが言うんだ……?」
エグモントはこの場を取り仕切るオートリエの行動にぶつぶつと突っ込みを入れた。
「フレンの方こそ、オルフェリアに見捨てられたらお嫁さんの来てが無くなってしまうくらいですのに」
その言葉にエグモントが不服あり、と口を曲げた。フレンとしては叔母からこんな風に言われるのは今に始まったことでもないので聞き流す。
実際、オルフェリアがお嫁に来てくれなかったら独身街道まっしぐらなのは事実である。ここまで本気で恋に落ちたのに、ここでオルフェリアを手に入れることができなかったら、向こう何年も引きずるに決まっている。
「メンブラート伯爵家は伯爵の残した借金で財政が傾いていると聞き及んでいます。失礼を承知で申し上げますが、オルフェリア嬢を息子に差し出せば、相応の援助をもらえると踏んでのことではないのですか?」
「まーあっ! お兄様ったら意地悪な人ね」
「おまえは黙っていろ。世間では高すぎる出自の令嬢と婚約したフレンが、令嬢を金で買ったともっぱらの評判になっているんだ」
エグモントはオートリエの突っ込みをぴしゃりと遮った。
「たしかに、伯爵家の現状は厳しいものがあります。古い風習に固執し、その上借金までできてしまいこのまま落ちぶれていくのみだと思っておりました。けれど、わたしは娘を犠牲にしようと思ったことは一度もありません。わたしがオルフェリアとディートフレンさんの結婚を認めたのは、彼女が彼を選んだという言葉もありますが。それだけではありません」
カリティーファはまだ若干顔色は悪かったが、さきほどまでとは打って変わって毅然とした態度で前を見据えた。
それは母親特有の凛とした強さを持った眼差しだった。
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