六章 通じ合った気持ち1
時間を見つけてハレ湖詣でをすることが最近のフレンの日課である。
ローム市内を流れる運河の始まりの場所でもあるハレ湖は大型船が入港できる港がある。時代の変化と主に船もどんどん巨大化していった。そのため近年大型船が停泊できる場所をロルテームが建設した。
港の荷物置き場から倉庫の並ぶ運河区画まで、荷馬車を使って荷物を運ぶか、中・小型船に乗せ換えて各商会、自身の倉庫前まで運ぶことになる。
倉庫へ運ぶまでもない荷物や大きな木(コン)箱(テナ)は港の船着き場の各商会ごとの場所にそのまま置かれることになる。
少し離れたところに建つ煉瓦造りの倉庫が並ぶ区画は、一区画ごとに運河が通されている。倉庫の上階部分には滑車が取り付けられており、荷物を吊り上げておろすことが可能だ。
その中の一つがファレンスト商会で、二区画隔てたところにスミット商会の倉庫もある。
フレンたちが観察をしているのは港のスミット商会の荷揚げ付近で作業をしている男たちだ。
スミット商会の荷物を守るように大柄な男たちが周辺に目を光らせている。
「私には同じ人夫にしか見えないけれどな」
フレンはぽつりとつぶやいた。
力仕事を生業にする人夫らは皆上背もあり、腕も体もたくましい者たちが多い。
「一見するとそうなんですけどね。けれど、彼らは人夫より場慣れしていますよ」
と言ったのは、フレンが雇った探偵ルイス・シャウテンという男だ。
三十をいくつか超えたというこの探偵は無精ひげを生やし、場に溶け込むような着古した上着を羽織っている。
フレンはルイスの言葉を聞いて、もう一度スミット商会の荷物の周りを取り囲み作業をしている男らを眺めた。
今日のフレンも、普段よりもやや見劣りのする服装をしている。いつも着ているような上着ではあきらかに目立つからだ。
「スミット商会の扱っている品物は、なんだっけ」
「主に砂糖や煙草。また小麦などです」
フレンの背後にひっそりと控えたアルノーが間髪入れずに答える。
西大陸でも小麦は取れるが、近年ではアルメート大陸からの輸入も増えつつある。
「ずいぶんと希少価値の高い砂糖なんだろうか。うちでも扱えるかな」
「フレン様」
軽口をたたいたフレンをアルノーがたしなめる。
「ここ数日、ああして厳重な警備をした荷物が届いているんですよ。うっかりほかの人夫が近づくとそれはもうものすごい剣幕で追い払うんです」
同じスミット商会の人間でも、近づいてよい人間と駄目な人間がいるらしい、とはルイスの弁である。
「それは、なんというか。怪しいね」
フレンはつぶやいた。
またなにかこちらに仕掛けてくる気なのだろうか。
「しかし、船印を挿げ替えるような行為は行われていないんだろう?」
「ええ、まあ。マルクもそう言っていますし」
一連の事件でファレンスト商会はロームの役人に、無実を訴えるとともに港の監視強化も求めている。
ファレンスト家のトップが奴隷商売を行うよう指示したとされるメモ書きの筆跡鑑定で、メモ書きは偽物と判定をされたこともあり、ファレンスト商会側の主張や要求にも幾分耳を傾けられるようになってきている。
「ということは、砂糖なんて船積み書類には書いておいて、別の何かが入っているとか?」
フレンは冗談半分で言っただけだったが、案外それはあり得るかもしれないと考えた。しかし、その別の何かがわからない。
「シャウデン、アウスタインがファレンスト商会をしつこく嗅ぎまわっている理由と、あとあの荷物の中身。これを探っておいてくれ」
「はい。わかりました」
と、返事をしてシャウデンはフレンらから離れて行った。固まっていると目立つのだ。
フレン自身もそろそろ商会に戻ろうかとハレ湖から立ち去ることにする。
ルイス・シャウデンを雇ってから事態は好転の兆しを見せ始めている。当初、エグモントからは反対された。
彼は現地雇いの、それも素性も知れぬロルテーム人探偵を雇うことに良い感触を示さなかった。しかし、現状ファレンスト商会は行き詰まっている。やはり地の利の差は大きい。
この件を片してオルフェリアを迎えに行く。これが今のフレンの最大の目標だ
けれど、肝心のオルフェリアを怒らせてしまったかもしれない。それを思うと憂鬱になる。
ついでに言うならダイヤモンドを競り落としたとリュオンに連絡を入れたのだが、そちらの方も反応が怖い。彼はフレンに借りを作ることを良しとしないはずだからだ。
リュオンが夏季休暇に入り、フレンと合流できれば潮目も変わる。
それまでフレンとしてはなんとかオルフェリアをこちらの大陸に足止めしておきたいところだ。いっそのこと、彼女をどうにか連れ出すことはできないか、とマルクに相談を持ち掛けたいくらいである。
フレンはハレ湖から数分歩いたところにあるファレンスト商会の倉庫兼事務所へ戻った。
◇◇◇
ハレ湖の港に到着したオルフェリアはマルクに先導されて港を歩いて行った。
「そういえば、旦那に会った後はどうするの?」
オルフェリアはマルクに約束の耳飾りを渡しながら少しの間逡巡した。
「ええと。彼に返すものを返して、そのあとは実家に行くつもり」
「実家?」
マルクは目を丸くした。
「そう。アルンレイヒに戻ろうと思って。お母様たちのところに戻って、改めて作戦を練ろうかと思うの」
「なんの?」
「お父様を説得する」
マルクには少しだけオルフェリアの事情を話してある。
「てか、一人で大丈夫?」
「たぶん」
「うわー信用ならねー」
マルクはオルフェリアの答えを両断した。オルフェリアは心外とばかりに目をすがめた。
「失礼ね。わたしだってだいぶ旅慣れてきたもの」
「あー、はいはい。まずは旦那に会ってそれからだね」
マルクは呆れた声を出した。
深窓の令嬢が国をまたいで旅行するなんて無理に決まってんじゃん、と自分が言っても聞くわけがいのは分かっているから、そのあたりの説得はフレンに任せることにしたのだ。
「フレン、どこかしら」
オルフェリアはあたりをきょろきょろする。先ほどから、この場にそぐわない煤で汚れた煙突掃除人二人に、周辺の男どもが不躾な視線を投げかけてきて、正直以後心地が悪い。
「うーんっと。どこだろう。あ、ファレンスト商会の事務所かな」
マルクはオルフェリアの手を握った。
マルクに導かれるままオルフェリアは人を縫うように歩いていく。
同じような赤茶の煉瓦の建物が続く一角でマルクは足を止めた。
運河沿いの道には木箱が無造作に置いてある。オルフェリアとマルクは商会の玄関から死角になりそうなところに置かれている木箱の陰に陣取った。
荷物の搬入は主に午前中から午後の早い時間にかけて行われるため、三時も過ぎたこの時間、作業をする人もまばらだ。
「あそこがファレンスト商会ね。ちょっと待ってて」
オルフェリアは木箱の陰から身を乗り出す。
マルクは彼女を置いて、たたっと小走りする。
扉をたたくと中から誰かが応対した。
マルクは現れた男と二三言話して、それからこちらへと戻ってきた。
「今事務所で仕事してるって。呼んできてもらう?」
オルフェリアの心が大きく跳ね上がる。
フレンに会える。
ずっと会いたいと思ってきた。彼の声や瞳の色が懐かしい。それなのに、いざその時が来るとなると、途端に怖くなった。
違う。怖いのじゃなくて、これは緊張だ。
「え、だ、大丈夫。しばらく待っている」
オルフェリアは小さな声を出す。
「なに今更怖気づいてるの」
マルクは呆れ声を出す。
「だって、その……。わたしいまこんな格好だし」
と、改めて自身の身なりを気にしてみれば、とてもじゃないけれど名乗りあげられるような恰好ではないことに気が付いた。
どうみても男の子だし、それに煤で汚れているし。
「それは不可抗力じゃん」
マルクはあっけらかんとした態度だ。
「そうだけど……」
好きな人にはいつも可愛い姿を見てもらいたいという乙女心だ。いや別にオルフェリアは自分が可愛いと自己陶酔しているわけではない。これは、その、物のたとえだ。ドレスがかわいいとか、そういうの。
「はいはい。わかった」
マルクはおざなりに返事をしてオルフェリアの腕を掴んでそのまま歩き出す。つられてオルフェリアも足を踏み出してしまい、あっという間に事務所入り口前へとやってきた。
マルクは何のためらいもなく事務所の呼び鈴を鳴らした。
「ちょっと!」
「決心なんていつまでもつかないから」
オルフェリアの叫び声なんてマルクにはなんの効果もなかった。
いくらかして男が扉の向こうから姿を現した。
「フレンの旦那に用があるんだ」
すでにマルクと男性は顔なじみでオルフェリアとマルクは中へと通された。
入ってすぐのところにある板張りの簡素な応接間である。
オルフェリアの心臓が嫌な音を立てる。
緊張で背中に汗をかいてきた。
今すぐ逃げ出したいが、マルクがしっかりとオルフェリアの腕を掴んで離してくれない。
「やあマルク。どうしたんだ?」
ほがらかな声をともに奥からフレンが現れた。
何日ぶりかに聞くフレンの声にオルフェリアはどきりとした。
オルフェリアは顔を伏せた。彼を見つめることができない。目深にかぶった帽子も相まってフレンはマルクの隣にいるのがオルフェリアだとは気づいていないようだった。
「旦那に会いたいって人を連れてきた」
「誰?」
フレンが堅い声を出す。
「うーん……旦那のいい人」
対するマルクはにやりとする。
「いい人? 彼が?」
オルフェリアがますます身を縮こませた。フレンは今、彼と言った。完全に男の子だと思っている。
(こ、この状況でなんて名乗ればいいの……)
「ほら、ちょっと」
マルクはオルフェリアを小さく小突くが、今はそれでころではない。
オルフェリアはなんて言えばいいのか思いつかなくて床から目が離せない。
「情報提供者かな? きみ、名前は?」
フレンが少しだけ声をやわらかくした。
オルフェリアはまだ声を発しない。
あたりに沈黙が流れる。
茶番に飽きたのはマルクの方だった。
彼はすばやくオルフェリアの頭から帽子を取り去った。
「ちょっと……」
オルフェリアは咄嗟に両手で顔を覆った。
「この期に及んでまだ恥ずかしがっているの、オーリィおねーさんっ」
マルクにとどめを刺された。
「オーリィだって?」
フレンの声が一瞬にして変わった。
彼はすぐさまオルフェリアの方へ近づいて、彼女の両手首に手を添えた。
「本当に、オルフェリアなのか?」
「そうだよ」
なぜだかマルクが答える。
オルフェリアはこわごわと顔を隠していた手をほどく。
顔を持ち上げると、こちらを覗き込むフレンと目が合った。
彼はオルフェリアを確認すると、途端に相好を崩した。
「オルフェリア……。本当にきみ、なんだね」
彼は何のためらいもなくオルフェリアの背中に腕をまわした。彼の腕の中に閉じこまれられたオルフェリアは、驚いて彼の腕の中から逃れようとしたけれど、フレンは放してくれなかった。オルフェリアは抵抗するのを止めてぎこちなく体の力を抜いた。
「うん」
久しぶりにフレンに触れて安心したのだ。懐かしい、彼の香りが鼻腔をくすぐって照れてしまう。
「まったく。無茶ばかりして。きみになにかあったら私は生きていけなくなるんだ」
「フレンまで汚れちゃうから、そろそろ離して」
「ん……もう少しだけ」
フレンはオルフェリアの頭を優しくなでた。どうしようもなく嬉しくてオルフェリアは彼の求めに甘んじてしまう。
「結局こうなるじゃん。じゃあね、俺もう帰るから」
しばらくしたのち、白けた声を出したのはマルクだ。
そういえばそばにはマルクもいたのだ。
オルフェリアは恥ずかしくなってフレンを押しのけようと、彼の胸のあたりに両手を押しつけた。
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