四章 引き裂かれた(偽)婚約者2
フレンが男の目を見て礼を言うと、彼は一例をして部屋から出ていく。
男と入れ替わりでアルノーがコーヒーを持って入室してきた。
フレンの手にしている封筒を目ざとくみつけ、そして目をすがめる。
「フレン様。本当にオークションに参加をするおつもりですか」
「ああ。もちろんだ」
フレンがあっさり認めるとアルノーは不機嫌そうな顔を隠そうともせずに不快感を露にする。ここにきて、アルノーはオルフェリアに対する態度を隠さなくなった。
バステライドの動向をアルノーに探らせ、彼はフレンの求めに応じて結果を出した。アウスタインと一緒になってファレンスト商会にちょっかいをかけているのがオルフェリアの父親だった、という事実がアルノーの頑なさの原因だ。
「しかし」
「アルノー、これは私個人の問題だよ。私は、オルフェリアのためにできることはすべてしたいんだ」
「あの令嬢にそこまでするだけの価値がありますでしょうか」
アルノーの失礼な物言いにフレンは眉を跳ね上げる。
「口が過ぎるようだね、アルノー。彼と彼女は関係ないよ」
「ですが、面倒な親族を持つ女性をあえて選ぶ必要もございません」
アルノーは言いたいことだけ言って部屋から出て行った。
まったく、ここにきて前途多難だ。
前々からアルノーはオルフェリアに対して一歩線を引いて接してきた。偽装婚約者なのだから、一年後には縁もゆかりもなくなる相手と、そういった認識なのだ。
確かに厄介だ。恋しい女性の父親から反対されるということがここまで面倒なものだとは思わなかった。弟の反対くらい、可愛いものだ。しかもその父親に金や力があるから質が悪い。
フレンは頭の中で今自分が自由にできる資産を計算した。
いくら私的財産がたんまりとあるといっても、すべて現金で持ち合わせているわけではない。株や事業への投資や不動産などなど。すぐに現金に変えることのできない財産が大半を占めているため、フレンはここ最近自身の財産目録を頭の中で作成して現金をかき集めていたのだ。
やっぱりこういうときのために今後は現金財産の割合を増やそうか、と頭の片隅で考える。オルフェリアと結婚をして、自分に万が一のことがあった場合にも、すぐに動かせる現金があったほうが彼女のためでもある。とかなんとか今現在まったくそんな予定すら立っていないのに、オルフェリアとの将来を具体的に考えてしまうのはすでにフレンの中では日常の光景だった。というか現実逃避である。
と、フレンが空想の世界に逃げていると、扉をたたく音がした。
「入るぞ」
今度は父、エグモントの登場だ。
事務所にいるとひっきりなしに人が出入りする。
「ああ、お父さんですか」
エグモントは顔に険しさを持ったままフレンに近づいてきた。
ファレンスト商会を統べるエグモントはロームでの奴隷取引の噂を聞きつけるやすぐに自らが現地入りをして事態の収束に当たった。しかし、ローム入りをして早ひと月以上。思った以上に混迷を極めているのは彼の表情からも読み取れる。
「まったく。おまえは余計なものに気を取られおって」
低い声にフレンは内心ため息をついた。
事件の背後関係が明らかになるにつれ、オルフェリアを見るエグモントの視線も厳しさを増しつつある。
「余計じゃないですよ。私はオルフェリアのためなら何でもする所存ですから」
「それが余計だと言っている」
エグモントはフレンに書類をいくつか手渡した。
「お父さん、今更彼女との結婚に反対ですか。去年顔見せに連れ帰ったときは無関心だったのに」
偽装婚約をしたてのころフレンは一度オルフェリアを伴ってルーヴェへ帰郷した。そのときエグモントにも彼女を紹介したが、その時は特に何も言ってこなかった。
高すぎる身分に少し懸念を示したものの、ファレンスト商会の規模を鑑みれば、今更婚姻による地固めをする必要もない。
「面倒な親族のいる娘はごめんだ。それより、おまえにはロルテームの娘と結婚してもらったほうがいいかもしれんな」
「オルフェリアの御父上とは必ず和解しますし、結婚も交際も認めてもらいますよ」
「違うだろう。さっさと見切りをつけろと言っている」
「嫌ですよ」
この年になって父親に自分の結婚相手を決められたくはない。だったらもっと若いころに、適当な縁談を受けている。
「メンブラート伯爵令嬢の顔にでもほだされたか。おまえともあろう者がまさか女を顔だけで判断するとは思わなかった」
心外なことを言われてフレンは腹が立つ。
「オルフェリアは確かにそこらの人形よりもきれいな顔立ちをしていますけどね。中身もそれ以上に可愛らしいですよ」
と、フレンが反論をすればエグモントはびっくりしたように息子をまじまじと見つめた。
オルフェリアの可愛いところを語れと言われれば、フレンはいくらでも語れる。とりあえずフレンはいくつかを披露することにした。
「私への抗議で踊っている最中に足を踏みつけようと画策したり、じっとこちらを睨みつける視線も可愛いし。普段あまり表情が変わらないけど、あれで実はミーハーで女組の公演を初めて観たときなんて普段以上に饒舌に語るし。彼女の怒り顔もいいけど、やっぱり笑顔が一番かな。菫の花の様にささやかな笑顔を見せてくれるんですよ。あんまりこちらに甘えてくれないんだけど、照れながらお礼を言う姿も可愛いし」
「もういい。おまえが相当に腑抜けているということだけは十分に伝わった」
エグモントは息子の予想を上回る恋人馬鹿ぶりに頭を抱える。
普段の冷静沈着さからは予想もできないくらい、柔らかな顔で婚約者を語りつくしたからだ。息子だから余計にやるせなくなったのか、青い顔をして制止をするエグモントにフレンは「ここからがいいところなのに」と、なおも話を続けたそうなそぶりを見せる。
「女に腑抜けになった息子の顔なぞ見たくもない。私はおまえをそんな風に育てた覚えはないぞ」
「お父さん。ご自分が結婚に失敗したからといって、難癖つけるのはやめてもらいたいですね」
「言うじゃないか」
親子はしばしの間睨みあった。
フレンの両親は彼が寄宿学校に入るころ別れている。この時代、おいそれと離婚など出来ないのだが、それでもエグモントは妻と別れた。明確な不義密通があったからだ。要するにフレンの母は愛人の子を身籠ったのだ。金持ちの夫人が若い愛人を囲うのはよくある話である。しかし、愛人との間に身籠った子供をファレンスト家の一員に加えるわけにはいかない。
不毛なにらみ合いに根負けしたのはエグモントだった。
彼はそもそも、フレンののろけ話を聞くために部屋を訪れたわけでもない。
「もういい。疲れた……」
エグモントは長く息を吐いた。
フレンは一人で肩をすくめて、手渡された書類を机の上に置いた。
「それにしても、この事務所人が多いですね」
フレンはさらりと話題を変えた。
「……ああ。今は二十四時間人を複数人置いている」
その言葉にフレンは頬をぴくりとさせた。普通、商会の事務所に一日中人を常駐などさせない。何か貴重な品でも入庫した倉庫なら別だが。
フレンは黙ったまま、エグモントに先を促した。
「ディートマルが失踪してから何度か誰かが侵入した痕跡があってな」
「大問題じゃないですか」
ちなみに初耳である。
「だから腕に覚えのある人間を置いている」
「心当たりは?」
「ありすぎてわからんな」
「なるほど」
「どうやら、何かを探しているらしい。スミット商会のやつらは」
「そういうことはもっと早く教えてほしかったですね」
息子にまで内緒とは。すこし面白くなくてフレンはあてこすった。
「おまえがよそ見をしまくっているからだろう」
言外にオルフェリアにばかりか負けてばかりいるのが悪いと言われてフレンは眉根を寄せる。結局はここにたどり着くらしい。
「ディートマルの邸も誰かに荒らされていてな。単に物取りか、それとも何かを探しているのか。私たちは、ディートマルが何かしらを隠し持っていて、それを彼自身か、もしくはスミット商会のやつらが取り戻したいのだと睨んでいる」
「それで、何かというのは?」
「スミット商会のやつらが取り戻したいと思う何かなんだろうさ」
「単に泥棒と言うことなのでは?」
フレンは呆れた。
「その割には手形や債券などは一切手を付けられていない。金庫をこじ開けようとした形跡はあったが、事務所の別の引き出しに入れてあった現金は無事だった」
「なるほど」
金目のものには一切目もくれず、事務所を荒らす。確かにそれは普通の泥棒とは違うだろう。
それはフレンとしても一度家探しをしてみる価値はあるかもしれない。
◇◇◇
「はい。オーリィお嬢さん。これ差し上げます」
満面の笑顔と共に差し出されたチューリップの花束を、オルフェリアは苦い飴を口に放り込まれたようときのような顔をして不承不承受け取った。
「あなたも飽きないわね」
花に罪はなくても、送り主がデイヴィッドである。オルフェリアとしてはまったくもってうれしくない。
「飽きないですよ。オーリィとお花、よく似合いますから」
デイヴィッドは機嫌よく言い放つ。せっかく褒められているのにオルフェリアの顔は苦いままだ。
当たり前である。相手がデイヴィッドだから。これがフレンからだったら、オルフェリアはきっと、すぐに笑顔になるのに。
「あなた、お父様から出入り禁止にされているのでしょう」
「正直なところがオーリィの美点だと思うけど、僕から愛の告白をされました、なんて真正直に言うのは勘弁してほしかったです」
「そこまで言っていないわよ!」
「ま、どっちでもいいですよ。邸にずっと缶詰めだと気が滅入るでしょう。今日はどこか、展覧会にでも行ってみます? それとも海のほうにでも行きますか?」
オルフェリアに告白したことがばれたデイヴィッドはそれまで滞在していたこの邸から追い出された。同じ邸に不埒者を置いておけるか、とは父の談である。
通いになったデイヴィッドは時間を見つけてはオルフェリアの元を訪ねてくる。しかも花を携えて。扱いに困るので本当に止めてほしい。しかもピンク色の愛らしいチューリップだったりするものだから、捨てるのも気が咎める。ここまで計算しているのだとしたら、質が悪すぎるとオルフェリアは思う。
「いかないわ。散歩なら毎日付添人のデレーヌ夫人と従僕らに囲まれて行っているもの。運動不足も解消よ」
「じゃあお茶の一杯でもご相伴にあずかろうかな」
デイヴィッドは勝手知ったる我が家とばかりにずうずうしく上がり込んで庭に面したサロンにずかずかと進んだ。
これも最近の日課である。
結局彼はしたいようにするのだ。
デイヴィッドの訪れを予感していたかのようにデレーヌ夫人はサロンの一人掛けに座っていた。
シモーネが茶器を運んできて、彼女もまたサロンに居座った。女性二人、バステライドから厳重に言い含められているのである。
オルフェリアとデイヴィッドを決して二人きりにはしないように、と。
「オーリィ、最近刺繍ばかりですね」
彼が訪れてくるまでオルフェリアは同じ部屋で日課である刺繍を刺していた。
刺繡を指しているのはオルフェリアの意地である。花嫁衣装に手はずから刺繍をするアルンレイヒの習慣に沿って、フレンと結婚したいという想いをアピールするために続けている。
最初、理由を知ったバステライドが刺繍なんてさせるものか、と息巻いていたがデレーヌ夫人が理由はどうあれ淑女の趣味として刺繍がいけないとはどういう了見ですか、とバステライドに意見したので許されている。
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