四章 引き裂かれた(偽)婚約者1
リュオンのもとにフレンから手紙が届いたのは四月も中旬に入ったころのことだった。
オルフェリアがフレンとともにロームを訪れていることは知っている。本当なら未婚の令嬢が婚約者といえ、男性と一緒に旅をするなど考えられないことなのだが、理由が理由である。
リュオンはしぶしぶ了承した。
最初に手紙を受け取ったときは、オルフェリアに何かあったのかと、手紙を開ける手が少し震えた
中の便箋を慎重に取り出して、文面に目を走らせれば、別の意味で震えた。
怒りで、だ。
何しろ、フレンからの手紙には行方知れずだったメンブラート伯爵がロームに現れ、しかもダイヤモンドを盗んだダヴィルド改めデイヴィッドが彼の配下で、あろうことかロームで伯爵家の宝ともいうべきダイヤモンドをオークションにかける算段だ、と書かれてあったのだ。
それだけではない。
バステライドはメンブラート伯爵家を自分の代で終わらせるつもりだと告白をし、あまつさえオルフェリアをアルメート大陸へ連れて行くつもりだ、と書かれあってリュオンは思わず手紙を破ってしまいそうになった。
目の前に稲妻が走ったような衝撃が起こった。こんなこと、人生で初めてである。
『ふざけるな!』
思わず叫べば同室のノーマンがびくりとした。普段の雄たけびとは違う、怒りがぴりぴりと伝わってくるようなものだったからだ。
今だって、一刻も早く寄宿舎を飛び出して行きたい衝動と戦っている。
こういうとき、学生という身分は自由がきかなくて困る。今の頼りの綱は、不本意極まりないがディートフレン・ファレンストだけである。
リュオンは本日届いたばかりの最近の手紙をはやる気持ちを押さえて開ける。
「きみ、最近妙にそわそわしているよね。もしかして、家がらみ?」
と、ノーマンが聞いてきた。
「別に。普通だよ」
リュオンはそっけなく答えた。
いくら気兼ねのない同室の友人だかと言って、伯爵家の内紛まで共有するつもりはない。というか、伯爵家の恥だ。
リュオンは平静を装って手紙を読む。
読み進めていけば、その顔は曇っていく。フレンは、現在ファレンスト家が置かれている状況も隠さずに手紙に書いてよこしてきている。人づてに伝わるより、自分の口から説明したほうがよいから、という判断とのことだ。
「きみが最近難しい顔をしているのって、ファレンスト商会の噂のことが原因? それとも……実家のことかな?」
リュオンはノーマンのほうを振り返った。
「ファレンスト商会の窮地については色々と噂が流れてきているよ。もともと、この冬くらいからまことしやかにささやかれていたらしいね。それが急に表に現れた」
「あれは……。完全な濡れ衣だ。商売敵に陥れられたらしい」
リュオンはすぐに答えた。
いくら大事な姉を獲ったフレンが気に食わなくても、ファレンスト商会のことはリュオンも買っているし、フレンが奴隷商売をするほど落ちぶれているとは思っていない。
「うんうん。わかっているよ。ま、みんなこの噂を面白おかしく取り立てようとはおもっていないけど。吹聴したら、下手したら首が飛ぶ」
ノーマンはしたり顔で頷いて、親指を立てた手を首の前に持って行き、左から右へ移動させた。
ファレンスト商会を罵るということは、王太子妃を非難していることにつながりかねない。王太子と表立って対立している一派はともかく、日和見派は静観状態だ。
「問題は、ファレンスト商会を陥れた人物と僕の父が一枚嚙んでいるらしい、ということだ」
リュオンは渋面を作りながら、仕方なしに絞り出した。
フレンと手紙を何度かやり取りをする中で彼が書いて寄越してきた。
ノーマンは目を見開いた。
「って、ええ? きみのお父さん、冒険家になったんじゃないの?」
「その変な噂はさっさと記憶の底から消し去れ」
「だって、そういう触れ込みだったじゃないか。みんな気遣って言わないけど」
気遣って、と言われてリュオンはふんっと横を向いた。
「まあいいけどさ。ちなみにメンブラート伯爵といえば家宝のダイヤモンドをロームの競売にかけるんだってね。競売の目録に正式にメンブラート伯爵家所蔵の品って掲載されているって聞いたよ」
「おまえ……よく寄宿舎生活でそこまで情報集めてくるよな」
友人の耳の速さにリュオンは関心を通り越して呆れた。どうして寄宿舎生活をしているのに、そんなにもいろいろな情報に精通しているのか。
「いやあ、それほどでも」
ノーマンは褒められたと思ったのか、にへへ、と笑った。
別にリュオンは褒めていない。
「きみのその態度からさっするに御父上の独断なんだね。きみのお姉さんもそういうわけでロームに同行しているんだろう?」
「目ざといな」
「俺、将来は陸軍直轄の諜報部員にでもなろうか、なんて真剣に思うんだ」
ノーマンはしみじみとした声を出す。
「とにかく、父は見つかったらしい。そしてファレンストのことが気に食わないのか、何か裏でこそこそしているらしいし、家宝のダイヤモンドも危機的状況だ」
リュオンは観念して一連の流れを説明した。ファレンスト商会の誤解を解くためにも、黒幕について話しておいたほうがいいだろう。
「なるほどねえ。ま、ファレンスト商会をやっかむ誰かの陰謀っていうほうが理にかなっているなとは思っていたけど」
「それにしても、ミュシャレンでも噂が回るとは。どうしてみんな他人の家の動向が気にかかるんだ」
「そりゃあ、人の口にふたなんてできないしね。人の不幸話は蜜の味、なのさ」
ノーマンはたしかリュオンと同じ年のはずである。なのに、妙な貫録を感じてしまうのは気のせいか。
「こっちは蜜の味で済ませられないんだ!」
リュオンは叫んだ。
なにしろ黒幕に名を連ねているかもしれないのが父バステライドなのだ。切ない。
「きみのお父さんって、やっぱりオルフェリア嬢の結婚に反対してるの?」
「……おそらく」
「あれ、なんか浮かない顔。きみだっていまだに未練がましく反対の意を表明しているじゃないか」
ノーマンの指摘にリュオンはぐっとつまる。たしかにその通りだが、あの父と一緒にはしてほしくない。二年と少し前に伯爵家の義務を放棄して出奔したバステライドの印象は、リュオンの中では地に落ちている。リュオンは生れたときから伯爵家の中で生きてきて、自分自身伯爵家の跡取りという自覚の元生きてきた。
リュオンにとって、バステライドの無責任な行動や、家宝を勝手にオークションにかけるという行為、そしてフレンからもたらされた情報の中にあった、メンブラート家を自分の代で終わらせるという諸々の行為はとうてい許せるものではない。
感情としてはいますぐに、ロームに赴いて代替わりを迫りたい。
「父上は、昔からオルフェリア姉上のことを一番に気にかけているんだ」
ただ、その気のかけ方の方向性がリュオンとは相いれない。バステライドは、オルフェリアのことを自分と同じ伯爵家の被害者で、自分の分身の様に見ている節があるからだ。
だからそれは、子供たちの中でオルフェリアを一番に可愛がるとかそういう類のものでもない。ユーリィレインはそのへんのところを理解していなかった。おそらく双子姉妹はなんとなく察している。
バステライドは双子姉妹を自分の遊び相手としてしょっちゅう連れ出していた。たぶん、そちらのほうが健全な関係性だと思う。おかげで双子姉妹はかなり個性的に育ってしまったが。
その双子姉妹のうちの一人、エシィルの容体がおもわしくないらしい。というのも、実家から手紙が届いたからである。
現在身籠っているエシィルが風邪をこじらせて臥せっている。初めての妊娠ということもあり、いろいろと不慣れなところもあり、今は動くことができない。ごめんなさい、と母カリティーファと双子姉妹の片割れであるリシィルら二人そろって誤りの文面を書いてよこした。
そんなわけでメンブラート家の面々はそれぞれの事情でロームに駆けつけることができない。フレンすべてに伯爵家をゆだねることになってしまい心苦しいが、今は彼に時間稼ぎをしてもらうしかない。
長期休暇に入ったらリュオンはロームへ行くつもりだ。そして、伯爵家の行く末についてきちんと決着をつけるつもりだ。
◇◇◇
アルノーに言ってバステライドの身辺を探らせれば、確かに彼はアウスタインと懇意にしているようだった。急接近したのは本当にこの二か月ほどとのことだった。
アルノーが調べてきたことによると、バステライド、もといメーレンベルフなる人物はアルメート共和国でホテル経営やいくつかの事業に出資をし、ロームには年のうち数か月滞在してスミット商会を含めたいくつかの商会へ出資をしていることのことだった。
また、彼はオルフェリアを連れ戻した頃と時を同じくし自身の本来の身分を明らかにし、近々行われるオークションに出品予定のダイヤモンドの宝飾品が正真正銘メンブラート伯爵家家宝のものだと認めた。 オークションの目録にも正式に記載されており、収集家が目の色を変えている。
ロームへ出入りをしている関係でアウスタインと知り合う機会もあったのだろう。ロームはディートマルの牙城で、フレンはフラデニアとアルンレイヒの事業を主にみてきたため、ローム界隈の人脈に食い込めていない。
こんなことならもっと積極的にロームに足を延ばしておくんだった、と悔やんでも後の祭りである。
そのディートマルの行方もようとして知れない。
「大叔父だって年だし、隠れ続けるなんて器用なことできないと思うんだけどね」
湖から吹き付ける風がフレンの髪の毛を遊んでいく。行き交う船を眺めながらフレンはぽつりとつぶやいた。
フレンはアルノーらを従えてハレ湖沿岸に立ち並ぶ倉庫街へやってきていた。
「しかし、行方知れずなのは事実です」
アルノーは律儀に返事をする。
「まあねえ。こうなると、ハレ湖に沈んでいるって言われたほうが信ぴょう性があるってもんだよ」
フレンは嘆息交じりに最悪の予想を口にする。
さすがに身内が口封じに殺されるというのは気持ちの良いものではないが、ここまで彼が見つからないのであればその可能性も視野に入れなくてはならない。
「ディートマル殿を亡き者にして、得をする人物がいるでしょうか」
「どうだろう。もし、本当にアウスタインが大叔父殿と共謀していたのなら、そして大叔父殿を裏切ったのなら、面倒になって湖に投げ捨てるくらいはするかもしれないな」
フレンのほうこそ考えるのが面倒になっていささか投げやりに言葉を放った。
「彼はそこまで短絡的でしょうか」
「さあ。わからないな。何しろつい最近知ったばかりの人物だから。ただ、おまえたちが調べてきた人物像から想像すると、金儲けのためならなんでもする、という印象だが」
フレンはそこまで言ってくるりと踵を返した。
まずは自分の足で状況を見定めなくてはなにも始まらない、とフレンは毎日のようにハレ湖を訪れている。
荷物の運搬や船の入港や人夫らの働きぶりなど。さすがは大陸でも屈指の貿易港であるハレ湖は朝から晩まで人であふれている。
整備された港にはひっきりなしに大型の船が入出港し、大きな木製の荷箱を滑車機が釣り上げていく。各商会の倉庫に荷物を運び入れる作業員や、検疫官らが書類を片手に視察をしている。
ファレンスト商会は大陸間を輸送する船は、別の海運会社の船を利用している。さすがに大型船を自前で所有するには費用が掛かりすぎるため、昔から運送業者に任せている。その代り、ディルデーア大陸沿岸を行き来する船は自前で用意している。こちらは小型船で済むからだ。
「こうも人間が行き交っていると、どさくさにまぎれて看板を故意に取り違えてつける輩がいてもわからないし、そもそも人夫を買収するなんて造作もないだろうな」
人夫の給料などたかが知れている。大金をちらつかせれば簡単に落ちるだろう。
「あとは、奴が奴隷商売をしていたという証拠か」
「裏帳簿や、協力員の証言など。今全力で証拠を探しております」
アルノーはフレンを馬車のほうへ誘導する。
これだけの人数が港で働いていては聞き込みをするのも一苦労だろう。
こちらの陣営で足りないのは、地元の情報に精通している人物だ。それも、人夫に紛れても違和感のないような、生まれも育ちも生粋のロームっ子だ。
何回目かの現場視察を終えてフレンはロルテーム支店へと戻ってきた。
戻ってくるとよい知らせが待っていた。
奴隷商売を、ファレンスト商会本部が指示をしたという、件の手紙の筆跡鑑定の結果が出たのだ。
「そうか。父上の筆跡と合致しないという結果になったか」
「はい。ひとまずこれで一歩先へ進めます」
役人が買収されていたらという懸念事項はあったが、リューレアの夫も尽力を尽くしてくれたようだ。
「あとはみんなの頑張り次第だな。期待している」
部下にそう言うと、彼は慇懃に礼をして立ち去った。
フレンは不在の間にたまった報告書に目を通そうと、一番上の紙を手に取る。
目を通していると、別の男が部屋へと入ってきた。彼には別の仕事を頼んであった。
「フレン様。今すぐに動かせるご自身の財産についてですが」
「ああ、待っていたよ。銀行のほうはなんだって?」
フレンは笑顔で男に相対した。
「小切手を切っていただければ、と。ああそれと、指示に従いまして株をいくつか売却しました。その書類がこちらです」
フレンは男から手渡された封筒を開封する。中から現れた売却証明書に目を通す。フレンの所有する銘柄の中で、鳴かず飛ばずだけれど元本割れをしていないいくつかの株を現金に換えるよう指示をしていた。
理由はもちろん、近日催されるオークションのための資金集めである。
「ありがとう。助かったよ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます