五章 舞踏会へようこそ2
◇◇◇
ファティウスがふらりと商会の事務所に現れたのはオルフェリアがドレスの試着をした次の日のことだった。
「あ、きみまだフレンの秘書官しているんだ」
ファティウスはフレンの傍らに控えるアルノーにひらひらと手を振った。アルノーはフレンが大学生のころから彼につき従っているため、ファティウスとも面識がある。
アルノーはファティウスに礼をした。
「それで、きみ一体なんの用があってここに来たんだい?」
ファティウスが王子だと知っていても、学生時代の癖が抜けずについぞんざいな口調になってしまうフレンである。
彼とは二年くらい同じ学舎で学んだ。勉学以外にも、学生らしい遊びに連れ出したり羽目を外したり。色々と面倒をみてやった。というか彼がどんなところにでもついてきた。
「ええ~、ひどいなあ。先輩のことが好きだから遊びに来たんですよ」
ファティウスはわざと首をかしげて高い声を出した。
「男に可愛い声出されても嬉しくないよ。どうせならオルフェリアだったらよかったのに」
フレンは苦い顔で返事をした。
オルフェリアがふらりと現れたなら大歓迎するのに。今日は確かオートリエのところでロルテーム語の授業だと言っていた。ロルテーム語ならフレンが教えてあげるのに、彼女はフレンの前ではロルテーム語を話したがらない。いいところを見せたくて流暢な発音を披露したら逆にプライドを刺激してしまったようだ。年頃の女の子の心の内は繊細すぎて扱いが難しい。
「ちぇー。先輩すっかり婚約者にほだされて。なんか変わりましたよね。昔はもっとぶいぶいいわせていたし、一人の女性にそこまで入れ込むこともなかったのに」
ファティウスは拗ねた声をだした。
フレンは心外そうに眉を跳ね上げる。ファティウスに知られないようにしていただけで、あのころだって恋くらいしていた。綿菓子のようにふわふわした恋。そして、想いを伝えることを恥ずかしんで玉砕した。
「きみだって婚約したんだろう。長らく独身を貫いてきたデイゲルンの第三王子がようやく花嫁を決めたって。どこへいっても最近はこの話題だらけだ」
「僕とメイナの婚約はお互いに打算づくめの関係ですよ。お互いに好印象はもっているけれど、甘い雰囲気になることはないですよ」
「ふうん」
フレンは深くは聞かずに適当に相槌をうった。
自分だって、結婚相手に恋は求めていなかった。レカルディーナに振られた(あれを振られたかと聞かれると微妙だが)あとは。
フレンの周りを見渡しても親同士が勝手に決めた縁談ばかりだ。いまさら驚く話ではない。
「メイナは賢い女性ですよ。虚栄心は持っているけれど王妃への野心までもは持ち合わせていない。国内の貴族令嬢を貰うより、隣国の当たり障りのない、けれどそこそこ歴史ある貴族令嬢を貰った方が僕にとってはありがたいですから」
ファティウスはにこにこと聞いてもいないことを饒舌に語った。王家の気楽な三男坊だが選ぶ妃には色々と過敏になっていたということか。確かに妙な野心を持った一族の娘を嫁に貰うと国内で要らぬ派閥を作ることになる。だったら外国からなんのしがらみもないそこそこの家柄の令嬢を貰った方がよっぽど後腐れもない。
「だから、僕にしてみたら先輩の方が意外だったんですよね。そんなにもお姫様の血がほしかったら僕の妹をあげたのに。そしたら僕も先輩ともっと仲良しになれるし」
「きみが仲良しになりたいのはファレンスト商会の持っている商流だろう」
「それも理由の一つですけど、僕先輩のことも好きですよ」
ファティウスはとっておきの笑顔でしなを作った。あいにくと全然、これっぽっちも可愛くないから今すぐ止めてもらいたい。
目の前の男は小憎たらしい大学時代の後輩なのだ。これがオルフェリアだったら……以下略。
「第一、王家の姫が一介の商人の家に嫁入りとか。姫君にしてみたらなんの嫌がらせだって思うだろう。そんな面倒な女性は要らないよ。私はオルフェリアじゃないと嫌だ」
「おや、言いますね」
「それより、私をからかうために来たんだったらお引き取り願おうか」
フレンは片手をあげて合図をした。アルノーが扉を開けようとする。
「うわ、違いますよ。先輩のことが心配だったんですって」
ファティウスは慌てて口を開いた。
「心配?」
「こちらにも噂が届いていますよ。ロルテーム支店の噂」
フレンは渋面を作った。
「早いな。……しかし、まだ噂の域だ」
「そう。早いんですよ、噂なのに広がるのが。だからこその忠告というか、心配です。そろそろロルテーム支店の頭をすげ替えるときでは?」
「きみに言われなくてもそんなことくらい分かっているよ。父も今度こそ腹をくくっている。前時代の遺物にはそろそろ退散してもらうときだ」
「王家も商家もやっかいな親族を持つと苦労しますね」
ファティウスがいささかおどけた口調をだした。
彼がフレンのことを心配してくれているのは本当のところだろう。ファティウスは口では自身の商会の役に立つからと言ってフレンに追従するが、なんだかんだと懐かれている自覚はある。しかし彼は王家の人間で、時と場合によっては一介の商人に加担などしないと十分に理解しているからフレンとしてもあまり彼に深入りしないようにしている。
こうして忠告をしてくれるということは純粋にありがたい。
「本当だね」
だからフレンも素直に同意しておいた。
「父が動いているから、そう心配することもないと思うんだけどね。おかげで私の方にもとばっちりだ。舞踏会が済んだらルーヴェに行って、それからロームに行くことになった」
「ええ~、じゃあしばらくの間お別れかあ。さみしいなあ」
「きみだって実家に帰るんだろう」
そう言ってやるとファティウスは途端にまずい薬を飲んだような顔をする。
「そうですけど……。あの家堅苦しいから嫌いなんだよなあ。そうだ。先輩僕の結婚式はぜひ来てくださいね。招待状贈ります。ご祝儀は先輩お薦めの投資先五選でいいですよ」
「あー、もー。きみってやっぱり面倒だよね」
しっぽをはちきれんばかりに振る犬のような後輩をフレンはおざなりにあしらった。
◇◇◇
舞踏会は午後九時ごろから始まる。
フレンはオルフェリアと軽い食事を済ませてから四頭立ての馬車に乗り込み会場となっている特別迎賓館へ向かった。
舞踏会の前には限られた招待客のみが出席をする晩餐会が催される。
今回メンブラート伯爵家は晩餐会には招待されていない。王族に連なる家や外交や政治に携わっている人物が出席をしている。
フレンはオルフェリアの手を取り、会場となる迎賓館へ足を踏み入れた。王宮のすぐ隣に建つ直角の形をした迎賓館の前には沢山の馬車が停留しており、馬車に取り付けられた角灯の明かりと迎賓館から漏れ出る明かりとで、夜だというのに昼間のように明るい。
フレンにそっと体重を預けてくる少女は唇をきゅっと結んでいる。角灯に照らされた頬は白いが、がちがちに緊張しているというわけでもないらしい。
オルフェリアが社交に慣れるのは喜ばしいのか、そうでないのか。フレンにとっては悩ましいところである。
彼女の正式なパートナーであり続けること。今後もずっとオルフェリアに隣にいてほしい。
「どうしたの?」
じっと視線を注いでいたらオルフェリアが気付いたらしい。そっと見上げてきた。
「いいや。なんでもないよ」
フレンは取り繕った。
きみに見とれていたんだよ、と言ってもよかったけれど、彼女はきっとフレンの言葉を演技だと思うだろう。彼女への想いを自覚してからフレンは演技ではなく、本心で彼女に接している。いや、演技をしているということに胡坐をかいている。
きっと、彼女はフレンの言葉の一つ、行動の一つが全部心から彼女のことを想ってのものだとは露にも感じていないだろう。それがもどかしくもあるけれど、心のどこかで安心もしている。自分から言い出した偽装婚約だから、一年経過するまではこの気持ちを知られるわけにはいかないと思っている。
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