三章 新年の空は曇り模様4
「だいたい、リルお嬢さんは鎧の価値ってものにまるで無頓着なんですよ! あれがどれくらい大事なものか分かっていないんです。そもそも……」
オルフェリアは、うっかり始まってしまったダヴィルドの歴史談義を話半分で聞いていた。どこかで止めないと向こう一時間くらいはしゃべり倒しそうな勢いである。
どうしたものか、と考えを巡らせているときオルフェリアは彼の持ち物に目をとめた。
「ポーシャールさん、それ、どうしたの?」
「え、ああ。これですか」
ポーシャールはなぜだか花束を持っていた。
この時期手に入るものといったら白雪草だ。
「このあいだお嬢さんが持っていたので、好きなのかなと思いまして」
その言葉と一緒にダヴィルドはオルフェリアに花束を押し付けてきた。
つい受け取ってしまったオルフェリアは内心狼狽した。
花なんて生まれて初めて貰った。それも男性から。
「えっと、あの……」
「あ、お嬢さんは花束なんてしょっちゅう貰っていますよね。婚約者さんから」
今気がついたという風にダヴィルドは言い繕った。
フレンからはドレスや宝飾品ばかり贈られて、花束は贈られたことなんてない。
「いえ、その……。フレンは花とかはあまりくれないの」
そこはつい正直に話してしまうオルフェリアである。
「やや、なんと! それはいけませんね。好きな人にはまず花束! ルーヴェっ子の間では常識ですよ」
(え、そうなの……?)
初めて知った事実にオルフェリアは少しだけ衝撃を受けた。
「だ、だったら……これは。その、受け取れないわ……」
その言葉が事実だとしたらダヴィルドから受け取ってはいけない気がしてオルフェリアはいましがた受け取った花束を彼に押し返した。
「いや、ほら、僕は……その! 違いますよ。ええと、今のは一般論であって」
ダヴィルドは慌てたように弁解をした。
「だって、いまあなた……」
「僕は単純に、お嬢さんがこの花好きなのかなと思っただけで、他意はないです。ごめんなさい」
ダヴィルドは深々と頭を下げた。
(えーと……、これってわたしが単に自意識過剰っていう話ってこと?)
そもそもダヴィルドが変なことをいうからややこしくなったのに。なんだかオルフェリアだけが道化になった気分だ。
「ま、まあいいわ。他意が無いなら受け取っておくわ。どこか屋敷の中にでも飾っておく」
それでも自室に飾るのはなんとなくフレンに悪い気がしたオルフェリアは、ダヴィルドの前で屋敷のどこか、ということを強調して伝えた。
「あはは。誤解が解けてよかったです」
ダヴィルドが頭を持ち上げて安心したようにふにゃりと笑った。
オルフェリアは少しだけ恥ずかしくて、ぷいと横を向いた。
「お嬢さんこそ、こんなところで何しているんですか?」
今度はオルフェリアが質問をされる番だった。
「フレンに差し入れを持っていこうと思って」
「仲いいんですね。妬けちゃうなあ」
仲がいいと指摘をされてオルフェリアは顔を赤くした。
「べ、別に普通よ。婚約者へ差し入れを持っていくことくらいミュシャレンじゃあたりまえのことじゃない」
オルフェリアは無駄に力説した。
他人からフレンとの仲を指摘されると、恥ずかしい。とくに自身の実家にいるときはなおさらだ。
「も、もういいでしょ。わたし行くわ」
オルフェリアは話を切り上げようとした。
すると、そのときである。
ふいに彼がふらりとこちらに体を傾けてきた。
とっさのことで、オルフェリアはダヴィルドを受け止めた。
「ちょ、ちょっと。あなた、大丈夫?」
体に力が入らないのか、オルフェリアにかかる彼の体重が重い。
「す、すみません……。なんだか急にふらりときて……」
ダヴィルドはオルフェリアの腕の中で情けない声を出した。
「あなた、病気なの?」
「いやあ、そういうわけでは。今思い出したんですけど、ずっと資料本を読みふけっていて、そういえばご飯すっかり食べ損ねていました」
「あ、あなた一体いつから食べていないのよ?」
「えーと、昨日の昼食にパンをかじった記憶はあるんですけど……」
それは丸一日食べていないのと同じではないのか。オルフェリアは内心呆れた。厨房付きの使用人のところに行けば、何か余りものがあるかもしれない。
このまま放っておくのも気が引けるので、厨房までダヴィルドを案内しようかと、オルフェリアは思案した。
しかし、彼女が次の言葉を発する前に、聞き馴染みのある声が耳朶をかすめた。
「オルフェリア」
感情のこもっていない声だった。
その声に反応して、オルフェリアはゆっくりと視線を持ち上げた。
正面に、フレンがいた。傍らにはリシィルもいた。
リシィルはオルフェリアとフレンの顔を交互に眺めて、それから肩をすくめた。
「フレン……」
オルフェリアは小さく呟いた。
「え、フ、フレンさん? って、わぁぁ……!」
ダヴィルドがフレンの名前に反応して、慌てて飛びずさった。けれどどこか元気がなさそうによろりと、前かがみの姿勢になる。
「す、すみません。昨日から何も食べていなくてちょっと立ちくらみが」
ダヴィルドが弱りきった声で弁明をしたが、フレンは固い表情を崩さない。
まっすぐにオルフェリアの元へと歩み寄り、彼女の腕を掴んでそのまま連れて行こうとする。
「正直、今ここであなたと話していると、感情を抑制できる気がしない」
それだけ言い捨てて、フレンはオルフェリアの腕を持ったまま再び歩き始めた。
「フ、フレン。ちょ、ちょっと……」
オルフェリアが口を挟んでも彼は何も言わない。
いつもよりも強い力で掴まれた腕が痛い。これまでフレンはこんな力でオルフェリアに触れたことはなかったのに。
オルフェリアは何か言おうと口を開いたけれど、こちらのほうを見向きもしないフレンの頑なな態度に怖気づいて、結局唇を湿らせただけに終わった。
一度でも、こちらを振り向いてくれれば、まだ何か言うことができたかもしれないのに。
フレンはそのまま中庭をまっすぐ進んで、屋敷の東側の方へ歩いて行った。
「あーあ、先生。駄目だよ。理由があったとしても、ああいうことをしたら」
「リルお嬢さんまで、ひどいなぁ。不可抗力ですよ。昨日から何も食べていなくて、立ちくらみが……」
取り残されたリシィルは非難めいた視線をダヴィルドに送りつけた。
ダヴィルドは天然なのか、それとも計算なのか計り知れない絶妙さ加減で場を引っかき回すことがあるのだ。
たぶん天然だろう。
「いつも言っているけど、ちゃんと食べな、ね。あと、どうしてここに?」
「リルお嬢さんに言いたいことがあったんですよ。明日の鎧祭りのことで」
歴史学者のダヴィルドが鎧祭りに関することでリシィルに話があるとすれば一つしかない。リシィルは反射的に眉根を寄せた。
「今日のところは帰って。オルフェリアの婚約者を怒らせたんだから、屋敷には入れないよ」
リシィルはちゃっかりフレンをだしにつかってダヴィルドを追い払おうとした。
「そんなあ! せめてお茶を飲む間くらいは僕の話を聞いてほしいです」
「あんた、案外ちゃっかりしているよね」
伯爵令嬢にお茶をせがむ男も珍しい。いや、この男なら素でこのくらいやりそうである。
「あら、ダヴィルド先生はわたしのお客さんよ。お茶ならわたしが出してあげる」
いつのまにか外に出てきていたユーリィレインがにっこりと笑って、ダヴィルドに救いの手を差し伸べた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます