二章 メンブラート家の子供たち6

◇◇◇


 フレンは教えられたとおりの場所へと向かった。

 屋根裏部屋である。使用人の居住空間でない、屋敷の東側の階段を上っていくと、木の扉が現れた。ぎいっと、音を立てて扉を開けば、現在は物置として使われているだろう雑然とした空間がそこにあった。フレンは明かりを片手に目を凝らした。


「誰……?」

 訝しむ声が奥から聞こえてきた。フレンの持っている明かりに気がついたのだ。


「私だよ。オルフェリア」

 オルフェリアは窓の近くに腰をおろしていた。簡素な木の椅子にすわっている。新年まであと十数分。

 フレンの声にオルフェリアはなにも返さなかった。

 フレンは気にすることなくすたすたとオルフェリアへと近づいた。


「寒いだろう? 差し入れをもってきた」

 すぐそばまで近づいて、温かな湯気をあげるはちみつ入りの牛乳をさしだしても、オルフェリアは一言も発しない。

 暗がりの中、オルフェリアの睫毛が悩ましげに揺れている。

 肩に掛けた毛布が大きくて、まるで雪だるまのように膨れている。

 フレンはオルフェリアの隣に跪いた。


「オルフェリア、仲直りをしてほしい。さっきは、その……言い過ぎた」

 フレンの言葉を受けてオルフェリアは迷うように視線を揺らした。下に置いた明かりがオルフェリアを照らして、濃い影を作っている。

 黒い髪の毛に金色の光が反射をして、少し彼女が頭を揺らすとまるで、星のようにきらりと輝いた。


「……本当よ」

 小さな声だったが、フレンの耳にも届いた。


「オルフェリアと喧嘩したまま新年を迎えたくない」

「……わたしも、その……。フレンと、気まずいままは……いや」


 オルフェリアはフレンへ視線を向けないままだったけれど、迷子の子供のような声を出した。困ったような小さな声がフレンの耳朶をくすぐる。

 フレンは口の端を持ち上げた。

「よかった。オルフェリアも私と同じ気持ちで」

 手を伸ばして、彼女の頬に触れれば少しだけひんやりとしたすべらかな感触がフレンの手をくすぐった。


「冷えているね。寒くない? さあ、これ飲んで」

「うん。ありがとう……。あと、さっきはその……わたしも……可愛くない態度をとって、ごめんなさい」

 ぽつりぽつりと言葉を紡ぐオルフェリアのことを目にしたら、フレンは気がつくと彼女の頭を抱えるように自身の胸の方へと引き寄せていた。

 途端にオルフェリアが身を固くする。その感触が伝わってきて、フレンは慌てて彼女を離した。


「ごめん」

「びっくりした……」

 なんとなく、気まずくてフレンは視線を泳がせた。


「フレンはどうしてここが分かったの?」

 沈黙がいたたまれなかったのはオルフェリアも同じで、不思議に思ったことを聞いてきた。

「リシィル嬢が教えてくれた」

「そう」

「ここはオルフェリアのお気に入り? 毎年花火はこの屋根裏部屋から見学しているって彼女が言っていた」

「ええ。お父様が教えてくれたの。最初はね、星を眺めるために連れてきてくれたの。屋根の上にあがるから、怖くて。泣いたわ」

 オルフェリアは懐かしそうな声音をだした。話をして、空を仰ぎ見る。

 けれど、あいにくと今日は曇り空だ。冬の西大陸は曇り空の方が多い。


「ええと、今は屋根に上っていないよね」

 少しだけ聞き捨てならなかったので、フレンは念のために確認した。本が大好きな大人しい少女かと思っていたが、今日一日でその印象がだいぶ変わった。


「さすがに、今は。リルお姉様はたまにやらかすけど」

「姉弟みんな仲がいいんだね」

「ほかが分からないから比べられないけれど。お父様があまり人付き合いをしなかったから、わたしたちも同じ年頃の子どもたちとあまり縁がなかったのよ。リルお姉様とセリシオお義兄様たちはすぐに人を巻き込むの」

「彼とも小さいころから?」

 セリシオの名前が出て、ついフレンは探るような口調で尋ねてしまった。


「わたしとというより、お姉様たちとね。小さなころからずっとエルお姉様のことが好きだったんですって。三人いつも一緒で、リュオンをしょっちゅう罠にはめていて、大変だったわ」

 オルフェリアはその当時のことを思い出したのか、少しだけ眉間にしわを寄せた。

「フレンは?」

「なにが?」

「フレンは弟さんとは仲がいい?」

 フレンは少し考えた。


「まあ、普通かな。彼はまだ大学に通っているし。私はミュシャレンに住んでいるし」

「そう」

オルフェリアは気がついたように立ち上がった。

「フレン、座って」

「私はいいよ。きみが座っていたらいい」

「年寄りは遠慮しなくていいのよ」

「きみね。ちょいちょい、人を年寄り扱いするのやめてもらおうか」

 十一も離れていることを突き付けられるようで地味に傷つく。


「だってわたしよりも年上じゃない」

 オルフェリアと同じように立ち上がったフレンをいたずらっぽい目つきで覗きこむ彼女を視界に入れると、フレンの心はざわめいた。近しい距離に、暗がりでの触れ合いにくらりとしてしまう。


 オルフェリアの心に近づきたい。

 きみが憂うことを全部取り除きたい。もっと、心を見せてほしい。

 さまざまな感情が入り乱れる。

 そのとき。

 遠くで大きな音がした。

「始まったわ」

 零時を跨いでいた。


 遠くに花火があがっている。暗闇に咲く花にオルフェリアの視線を奪われてしまった。

「来年こそは、ミュシャレンの花火が見たいわ」

 オルフェリアは歌うように言う。

「ああ。一緒に……」

 そう言いかけたところで、フレンは口を閉ざした。


 来年の今頃、いや、すでに今年になった。今年の年末、すでに二人は別れている。それを思うとフレンの心はまるで鉛にでもなったかのように重くなった。

「どうしたの?」

 フレンの呟きはオルフェリアには届かなかったようだ。彼女はフレンへ不思議そうな顔を向けた。


「いや、なんでもないよ。新しい年おめでとう、オルフェリア」

 フレンは慌てて今しがた浮かんだ考えを打ち消した。

「新しい年、おめでとう。フレン。あなたのすべてがうまくいくよう願うわ」

 オルフェリアはひっそりと、鈴を鳴らすような声で囁いた。

 二人とも、新年のお決まりともいえる口上を述べているにすぎないのに、フレンの耳には世界に一つだけの宝物のように、勝利の女神の厳かな宣誓のように聞こえた。


「ありがとう、オルフェリア。まずは明日の決闘、勝ってくるよ」

 フレンはオルフェリアの黒髪をひと房すくった。

 さらさらとした感触が心地よい。


「あんまり、無茶はしないでね」

「無茶はしないよ。でも、勝ってくる。きみは私の応援をしてくれる?」

 フレンがそう尋ねれば、オルフェリアはすこしだけ瞳を瞬かせて、小さく口の端を持ち上げた。

 自分だけの宝物にしたいと思う微笑みだった。

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