三章 新年の空は曇り模様
開けた新しい年一日目。
屋敷全体が遅起きだ。オルフェリアも平時よりもいくらか遅い時間に寝台から抜け出した。朝を迎えてしまえば、新年初日という感覚ではなく、普通の日と大して変わらないように思う。
しかし主人一家が朝早くから活動すると使用人らも早起きしなくてはいけないから朝寝坊をする。彼らは彼らで、昨日は宴会をしていたのだ。
朝もだいぶ遅い時間になってオルフェリアは自室を後にした。
朝食を取った後、昨日買った花束を持って外へ出た。
一月はオルフェリアの誕生月だ。必然亡くなった弟の命日でもある。誕生日は毎年オルフェリアにとって苦痛だった。
うんと小さい頃、オルフェリアは自分が双子という事実を知らなかった。けれど、オルフェリアの誕生日の日、両親が森の奥の方へとさみしそうな顔をしながら向かっているのは知っていた。
次第に事情を知るようになり、オルフェリアが六歳のころ真実を告げられた。
祖父母の態度や使用人らの噂話でなんとなく知ってた。リュオンが生まれて、ようやくカリティーファは肩の荷が下りた。
男の子の誕生を頑なに望む祖父母やカリストらの態度は、子供たちの心にも少なからず影を落としていた。双子の姉妹のいたずらが増えたのも、おそらくこのことと無関係ではないと思う。
今ではすっかりそれが元からの性格のようになってしまっているけれど。
「オルフェリア、どこに行くんだ?」
後ろを振り返れば厚手の外套を着込んだフレンが立っていた。
「えっと……、その。ちょっと朝の散歩に」
オルフェリアは視線を泳がせた。
昨日はあまり考えなかったけれど、すごくいけないことをしてしまった気分だった。密室で結婚前の男女が二人きり。
(あれ? でも、そういう機会はこれまでもあったような……? じゃあ何を照れているのよ、わたしったら)
答えは出ないけれど、なんか照れくさい。
昨日のフレンの声がいつもよりもずっとずっとやさしくて甘い響きだったのがいけない。
「私も一緒について行っていいかな?」
「えっと……」
できればやめてほしい。
オルフェリアは再び視線を迷子にした。
まだ、フレンには言いたくない。オルフェリアのもやもやとした感情とか、弟に縛られているように感じてしまう、自身の心の醜さとか。そういったものを知られてフレンに幻滅されることが怖い。
「今日は一人で歩きたい気分なの」
慌てたオルフェリアはいつものようにそっけない口調になった。
「二人きりだと、厭かな? いまのところお邪魔虫もいないから、私はきみと二人でもっと色々な話をしたい。きみの子供時代のこととか、好きなものとか」
子供時代、という単語に胸の奥がびくついた。
「そ、そういうことは……また、今度。わ、わたし急いでいるから」
「散歩に急ぐもないだろう。それとも、誰かと待ち合わせしている?」
フレンの声がさっきよりも固いものに変わった。
「あっれー、二人とも! おっはよー」
がさがさと庭園を横切ってきたのはリシィルだった。
西側の庭園の裏に厩がある。きっと今しがた帰ってきたのだろう。
「リルお姉様、朝帰りばれると怒られるわよ」
話題を変えることができて助かったオルフェリアだった。
フレンから、リシィルの方へ視線を動かして、ついでに彼女の方へと近寄った。
「平気。いつものことだもん。それより、フレン。今日の練習はお昼すぎて、二時くらいからにしよう。クレトと、あと何人か召集かけているから」
「ええと、今日もやるのかな」
元気よく手を大きく振っているリシィルとは対照的にフレンは苦笑いを浮かべた。
「あったりまえだろう。オルフィーとの婚約がかかっているんだよ? 真剣にやらないと。リュオンも稽古に励むって昨日叫んでいたし」
「でも、今日は正餐だろう」
「うん。面倒だよね、あれ。お母さんたら今頃うなされているよ」
カリティーファは極度の上がり症だ。自身の結婚式ですら青い顔をして立っているのがやっとのことだったくらいなのだ。
香草を自ら育てているのも、心を落ち着かせる効能の葉っぱでお茶をつくるためである。
フレンはやんわりと時間はかけられない旨主張して見たけれど、リシィルには伝わらなかった。
三人で話していると、「三人ともおはよう」という声が響いた。
森へと続く庭園奥にエシィルの姿があった。
「エルお姉様まで……」
「エルー、獲れたぁー?」
リシィルの大声に反応して、エシィルは片手を大きく振った。
もう片方の手は何かを掴んでいる。ほどなくしてセリシオも姿を現した。
近づいてくると、エシィルが掴んでいるのは野鳥の足だった。死んでいるのか、気絶をしているのかわからない。
「エルお姉様、まさか……」
オルフェリアは青ざめた。
彼女はオルフェリアの前にぷらんと、今日の成果を掲げて見せた。
「ひっ……」
「今日はごちそうだね」
「うふふ。昨日から仕掛けた甲斐があったわ」
リシィルが感心した声を出して、それに答えるエシィルは上機嫌だ。
「お、お姉様。お腹に赤ちゃんがいるんだから暴れたら駄目なのよ。あ、あと、もういいから、それ引っ込めて」
さすがに死んでいるかもしれない鳥は怖い。
オルフェリアは早口で言い募って、双子姉妹の横をすり抜けた。
「オルフェリア!」
フレンが追いかけてこようとする。
オルフェリアは慌てて走った。
「はいはーい。フレンはだめ」
リシィルが気を利かせてくれて、フレンの前で通せんぼをした。
その気遣いが、今のオルフェリアにはありがたかった。
「どいてくれないか」
双子姉妹に道をふさがれたフレンは八つ当たり気味に口調を荒げた。
「だーめ」
二人はフレンの怒気などものともしない。
くすくすと笑みを浮かべている。
「どうして」
「だって、オルフィー困っていたから」
そう言われてしまえばフレンは黙るしかない。
やはり、まだ試されているのだろうか。
「オルフィーはさ、まだ子供なんだよ。だから、あとちょっとだけ待ってあげて。そうしたらわたしからも話してあげる」
リシィルのその、顔を見たらフレンは何も言えなくなった。
彼女たちは、オルフェリアの姉だ。彼女を心の底から慈しんでいるのが理解できたから、フレンはそれ以上追及するのを諦めた。
「伯爵家の敷地内は安全なんだよね? 歩道に変な罠は仕掛けていないと信じているよ」
「もちろん。ねえ、エル」
「ええ、リル」
二人はお互いに顔を見合わせた。浮かべた笑顔に不安を覚えたのは、フレンの勘違いだと信じたい。
◇◇◇
新しい年はゆるりとした空気をまとわりつかせて進んでいく。
朝のお出かけから帰って来たオルフェリアはのんびりと自室でくつろいでいた。
リュオンは朝から剣の稽古に余念がない。先ほど部屋にやってきて、「明日のために特訓してきます!」を息巻いた。
オルフェリアはどちらに勝ってほしいのだろう。
偽装婚約の相手に勝ってもらわないと関係が続けられなくなってしまう。それは困る。
だから、フレンを応援しないといけない。負けるとリュオンは悔しがるだろう。
彼はいつでも全力投球だ。
全力が過ぎるから姉三人にいいように遊ばれている気がしないでもない。とくに双子姉妹にとってリュオンは体のいい遊び道具だから。
「あら、あらあら……」
ミネーレの困った声が聞こえてきて、オルフェリアは顔を上げた。
隣の衣装部屋からだ。
先ほどオルフェリアの元へとやってきたミネーレは、衣装部屋でオルフェリアのドレスの手入れをしていた。
オルフェリア付きの侍女ビビアナが断ったのだが、「付添人の仕事はお嬢様を美しく着飾ることですわ! よってドレスの手入れもわたしの仕事です」と堂々と宣言した。どこか間違っているような気がしたが、ビビアナもミネーレの気迫に押されたようで不承不承頷いたのだ。
代々伯爵家に仕えてきた使用人家系の彼女にしては珍しく少しだけ引きつった顔をしていたのが印象的だった。ビビアナはオルフェリアよりも年上で、職場では常に冷静沈着だったからだ。
「どうしたの?」
オルフェリアはミネーレの背後から声をかけた。
「お嬢様には関係のないことですわ。そう、わたしの確認不足かもしれませんし」
ミネーレは取り繕うように笑った。
「そう? なにかあったらすぐに知らせてね」
それだけ言ってオルフェリアは部屋を後にした。自室にいても退屈だから、誰か姉妹と話でもしようかと思って部屋を出た。
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