四章 公演は秋の空の下で5
翌日も稽古は休みのため、オルフェリアは時間を持て余していた。
どうしようか悩んだけれど、せっかくだからヘリア・オレア公園に行ってみることにした。
ヘリア・オレア公園までは馬車で二十分たらず。今日のオルフェリアは中産階級の娘が着るような、華美ではないドレスを身に着けていた。付添人を付けての外出はやっぱりまだ慣れない。
実家暮らしの時も城館の周りの森を自由に散策したり、街をふらりと散歩したりと自由に動き回っていた。
オルフェリアは一人で公園内を歩いた。この公園はもともと建てられていた凱旋門を取りこむような形で作られた比較的新しい公園だ。十数年前からミュシャレンの区画整理事業の一環として造成された公園なのだ。
とくになにも考えてはいなかったけれど、オルフェリアの足は自然と野外劇場の方へと向いていた。公園の正門から入園し、凱旋門へと続く大通りを左側に折れると野外劇場が見えてくる。途中はなだらかな坂道になっていて、オルフェリアの息も少しだけあがってきた。
「それにしても……なぜにカメレオン?」
オルフェリアは丘の頂上に位置する野外劇場へとたどり着いた。現在は客席へ降りる階段の前には柵が立っている。勝手には降りることはできない。
半円状の劇場はすり鉢型になっており、演者の声が後方列まで届くように配慮がなされている。
公園ができた当初は何度か催し物に使われたこの劇場が現在放置されているのは、おそらくは奇抜な劇場のデザインによるものだろう。
階段通路のわきには等間隔でカメレオンが並んでいた。彫刻ではなくモザイク模様で、赤、青、黄色、緑と色とりどりの細かいタイルが使われている。座席も同様に沢山のタイルが張り付けらており、それらがモザイク模様を作り出している。
無人の客席全体を見渡すと色の洪水を眺めているようだった。
来週いよいよ本番だ。
本番が終わったら、フレンとオルフェリアの関係はどうなるのだろう。偽装婚約期間はまだ九カ月も残っているのに。でも、この先九カ月も契約を続ける意味はあるのだろうか。
彼は周りがうるさいから偽装婚約をしたと言っていたけれど。それは建前で、本当はフリージア組の公演をなんとしてでもミュシャレンで行いたかったからというのが本音だろう。だからオルフェリアが偽装婚約の相手として選ばれた。
オルフェリアはそれまでフレンとはなんのかかわりもなくて、邪推をされないから。
「視線でわかるわ。だって、好きな人のことだもの」
息を吸い込んで、オルフェリアは歌った。
『姫君と二人の騎士』の一場面。セリータの曲の冒頭だ。高い高音域を風に乗せて歌う。伴奏はいらない。オルフェリアは小さいころから教養の一つとして声楽を習っていた。ヴァイオリンもピアノも弾ける。刺繍は貴族の娘の教養として当たり前。そのような教育を受けて育ってきた。
「その人が今誰を思っているのか、彼の視線を追いかけていくと必ずあの人が、姫君がいるの」
どうして歌を歌ったのかオルフェリアにもわからない。
ただ、唐突に歌いたくなった。
(わたしがフレンのことをこんなにも気にするのはどうしてだろう)
歌いながらもオルフェリアは自分自身が問うた疑問に答えることができない。
(ただの契約相手なのに……)
「あなた、歌えるのね」
背後からかけられた突然の声にオルフェリアは口を閉ざした。まさか人が近くにいるとは思わなかった。
振り返るとシモーネが一人でたたずんでいた。
「昔声楽を習っていたことがあったから」
シモーネはこちらを敵視するような視線を寄こしてきた。最初から敵意をむき出しにされるとオルフェリアのほうもどう対応していいのか困ってしまう。
「嫌味な子。よりにもよってセリータの歌を歌うなんて。なんなの」
「別に嫌味じゃないわ。わたしがここに来た時、誰もいなかったもの」
「貴族の令嬢っていいわよね。小さいころからなんでも習わせてもらっていて。きれいな顔して笑っていればいいんだもの。私の一番嫌いな人種」
「なっ……」
貴族の令嬢という人種が嫌悪の対象と言われオルフェリアはたじろいだ。そのくくりで嫌われてしまうとオルフェリアはこの先もずっと彼女と友好を築けないことになる。
「わたしあなたのような子嫌いよ。後援者を気取ってお気に入りの女優をはべらかして。言っておくけど、お姉さまたちがあなたにやさしいのはあなたたち貴族のご機嫌を取っておかないとお金を落としてもらえないからなのよ」
シモーネは一方的に毒を吐いてそのまま来た道を下り始めた。最初からオルフェリアの言い分など聞く気もなかったということだ。
オルフェリアはしばらく放心したようにその場を動かなかったけれど、やがてゆっくりと歩き始めた。
◇◇◇
公園の中心を横たわる大通りまで帰ってきたオルフェリアはそこで嫌な人物と鉢合わせをした。
「おや、お嬢さん。奇遇ですな。おひとりで?」
ディートマルである。
オルフェリアは露骨に顔をしかめた。フレンからも気をつけるように忠告をされていたのに、一人きりの時にばったり出会ってしまうなんてついていない。
「フレンのやつは頑張っているようだね。それにしてもまさかこんな公園の野外劇場を見つけてくるとは。あいつもよっぽど切羽詰まっていたとみえる」
オルフェリアは返事をしないでディートマルの横をすり抜けてそのまま歩いた。
「最近の若いもんは老人の相手もしてくれない。老い先短い人間は大切にするものだよ」
「そんな元気なら老い先なんてまだ関係ないのじゃなくて」
口を開いたオルフェリアを見て、ディートマルはにやりと口元を歪めた。
(しまった……)
つい反射的に言葉を返してしまったと後悔したが遅かった。
「きみは気が強いな。そんなんでフレンと本当にうまくやっているのかどうか……」
「やっているわよ。あなたには関係ないでしょう。大体、どうしてそこまでフレンのやることに目くじら立てるのよ」
「きみは伯爵家の当主の娘だから、私とは相容れないのかもしれないね。理由は単純さ、恵まれた立場にいる又甥のことが気に食わないからだよ」
「そんなこと……」
オルフェリアはつい正直に言葉を漏らしてしまった。
「そんなこと、ね。きみのような立場の人間はそう思うのかもしれないがな。私だって兄を手伝ってファレンスト商会を盛り上げてきた。実力だってある。しかし、会社は兄が継いだ。そして兄の息子、孫に受け継がれていく。私にだって息子も孫もいるのに」
「フレンだって仕事を頑張っているわ」
「ふん。まあいい。そんなことよりも、私はきみともっとゆっくり話をする必要があると思っていてね。この間は邪魔が入ってしまったから、どうだろう。今からどこか落ち着ける場所で歓談といこうじゃないか」
「わたしにはあなたと話す理由が無いわ」
「きみのお父上の行方を知っていると言っても?」
「まさか」
オルフェリアは一蹴した。
ディートマルは尚も話しを続ける。
「私の拠点、ロルテームはご存じのとおり大陸西側における一大貿易拠点でね。いろんな情報が入ってくるんだよ。なあに、簡単なことさ。私側になればきみの父上の行方を教えてあげるし、伯爵家の領地運営にも尽力を尽くそう。きみにとって悪くない取引だと思うよ」
「父は冒険家になったんです。べつに行方不明ではないわ。ついでに、あなたに借りをつくろうなんて思っていないから。親切の押し売りならいりません」
「ふんっ。可愛くない女だ」
ディートマルは鼻をならした。
これで話は終わったものかと思っていたけれど、彼は上着の内ポケットから封筒を取り出してオルフェリアは無理やり押し付けてきた。
「気が変わったら連絡してくるといい」
ディートマルはそのまま大通りを横切って広場の方へと歩いて行ってしまった。正門とは逆の方向である。
「な、なんだったのよ……」
最後はあっけなく退場したフレンの大叔父の目的がさっぱりわからなくてオルフェリアは訝しながらつぶやいた。
結局強引にオルフェリアに迫るわけでもなく、彼は一体何がしたかったんだろう。
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