四章 公演は秋の空の下で4

◇◇◇


 本番公演まで残すところ幾日もないころ、オルフェリアはユーディッテから食事に誘われた。公演はいよいよ来週に迫ってきているが、二日間稽古が休みなのだ。


 オルフェリアはミネーレに調べておいて貰ったサロンへユーディッテを案内した。ミネーレはオルフェリアでも入ることのできるレストランをいくつか地図に書いて持たせてくれたのだ。万が一知り合いに見つかっても、眉をひそめられることのないくらいの格式のあるレストランだ。

 中産階級の人間が家族と食事を取るために訪れることがあるそうで、店内はどことな洒落た人間たちで賑わっている。


「今日はせっかくの休日だから、なにか飲もうかなあ」


 ユーディッテは楽しそうに飲み物のメニューを見開いた。稽古のある日は禁酒なのだ。

 ユーディッテは甘いことで知られるアルンレイヒ名物の白葡萄酒をソーダ水で割ったものを頼んで、オルフェリアは無難に果実水をお願いした。


 やがてグラスが運ばれてきて、二人で軽くグラスを合わせて乾杯をした。

 こんな風に年の近い女性と外でご飯をするなんてオルフェリアにとっては初めてのことで、とても浮足立った。とても楽しい。


「そういえば、嫌がらせをしている犯人が特定されたって聞きました」

 運ばれてきた昼食を取りながら二人は会話をした。

 嫌がらせの犯人が捕まりクビになったことはフレンから聞かされていた。

「ええ。今回の公演のために雇われた臨時作業員の中に犯人がいたってことだったわね」

 せっかく犯人が捕まったというのにユーディッテの顔はさえない。


「そのわりにはあまり嬉しそうではないですが」

「んんん~、そんなことないわよ。犯人が見つかってくれてよかったわ。もう、こういうことが起こらないと、わたしも嬉しいのだけれど……」

 水を一口口に含んで、ユーディッテは控えめな笑みを浮かべた。

「大丈夫。犯人が特定されたんですから」

「そうね」


 しかし、まだ安心はできないとフレンは言っていたのを思い出す。なにしろミュシャレンにはいまだにディートマルが滞在しているからだ。オルフェリアが思ったよりもフレンと大叔父との確執は根深いのかもしれない。


 親戚というのは血がつながっている分他人よりも親しく、そして一度こじれると面倒なことになりがちだ。オルフェリアの家も古い家系なので似たようなことはある。「来週はいよいよ本番ね」

 ユーディッテが感慨深げにつぶやいた。


「なのに、今日明日とお休みで大丈夫なのでしょうか?」

「毎日練習ばかりじゃ集中力が途切れてしまうわ。息抜きは大事よ、オルフェリア。いいものを作ろうと思ったらただがむしゃらにやるだけではだめ。休む時はきちんと休まないと。それにせっかく外国へきたんだもの。色々な刺激を貰って、そういうのが感性として磨かれていくのよ」

「そういうものなんですか」

「そうよ。だからみんな今日は出かけているわ。せっかくの機会だもの。吸収できるものは全部持って帰らないと」


 昼食は伝統的なアルンレイヒ料理だ。海に面していない内陸国のアルンレイヒの伝統料理とは肉料理が中心で、秋も深まって来たこの時期だと牛の脛をじっくりと煮込んだものや、豚の腸詰と野菜をスープで煮たもの、または鹿や鳥などを焼いたものがお薦めとして給仕から紹介された。

 食後のデザートをあらかた片付けたころ、ユーディッテが少しだけ逡巡してから口を開いた。


「わたしね、いちどオルフェリア様とお話をしておきたかったのよ」


 オルフェリアは首をかしげた。ユーディッテがややあらたまった声音を使ったからだ。

 なにか、あっただろうか。それとも知らずユーディッテの気に障るようなことを言ってしまったのだろうか。

 途端に心臓の鼓動が跳ね上がった。


「もし、わたしとフレンの噂を今もまだ……オルフェリア様が気にしているなら、もう一度誤解を解いておこうと思って」

「あ……」


 そういえばすっかり忘れていた。

 そんなこともあった。正直フレンからレカルディーナとの過去を告白され、そちらの方に気を取られていた。


「一番最初にも話したけれど、もともとは二年くらい前にちょっと悪質なファンにつけ回されていたことがあってね。精神的にも参ってしまって、見かねた運営部のお偉方がフレンに頼んだのよ。それからの付き合い」

 フレンは一計を案じ、ユーディッテと恋仲であるように振舞った。

 大々的に報道され、悪質なファンはフレンから散々脅されたようで二度とユーディッテの前に姿を現すことはなかった。もとよりフラデニアで権力を握っている家の男を敵に回してただで済むはずがない。


「な、なんていうか……。楽しそうなフレンの様子が目に浮かぶようだわ」

 オルフェリアは少しだけ遠い目をした。あの自身に満ちた笑顔を振りまいていたに違いない。

「ふふ、そうね。彼、頼りになるし、とても紳士だったし。すっかりお世話になったわ。わたしも一緒にいて楽だったから、その後もつい色々と相談事を持ちこんだりして」


 ファレンスト家は歌劇団の出資も行っていたから、自然裏方の話や演技の話などでも盛り上がりいつの間にかリエラを交えて仲良くなっていった。

 噂が下火になっても、二人が並んで歩いている姿やレストランでご飯を食べている姿が目撃をされ、歌劇団の運営側もちょうどいい話題作りのために利用していた。

 本人たちはいいお友達と宣言をしていたし、二人の間から男女の仲を思わせる空気が微塵も感じ取れなかったからだ。


「でも、頼りになるなら……、その。フレンのこと好きに……なったりはしなかったんですか?」

 オルフェリアは恐る恐る尋ねた。


 ユーディッテが語るフレン像は大人で優しくて頼りになる、オルフェリアが知っているフレンとは似ても似つかない紳士だった。だから、少しだけ気になった。

 そんなにも好印象の男性とずっと一緒にいたら多少は好きになるものでないか、と。

 ユーディッテはオルフェリアの質問に目をぱちくりとさせた。


「んん~、そうねえ。どうかしら。彼ったら優しかったけれど、全員に平等にあんな感じだったわ。それって彼にとって特別な女の子なんてどこにもいないってことと一緒じゃない? そういうのに気付いたからからこそ、わたしはフレンといい友達になれたのかもしれないわね。彼は決してわたしのことを好きにならない。だから、わたしもフレンのことを友達として信頼して、付き合える」


 ユーディッテの言葉はオルフェリアには少しだけ難しかった。

 もとより人生経験が圧倒的にオルフェリアの方が少ない。特別にはならない、なんてどうやったら見抜けるのだろう。


 けれど、腑に落ちたこともある。フレンは好きな人がいたから、だからそのほかの女性には誰にでも対等に優しくしていたのだ。彼にとって特別な人は一人だけだったから。


「わたし、あなたと一緒にいるフレンをみて驚いたのよ。だって、あなたと会話しているフレンはとても楽しそうなんだもの。すこし子供っぽくって、甘えて見せたりしていて。びっくりしちゃったわ」

「甘えている? フレンが?」


 オルフェリアの方こそ吃驚だ。

 いつもいじめられていているのはオルフェリアの方。フレンは意地悪で、大人ぶっていて、オルフェリアのことを子供扱いする。いつかの夜会で足をふんずけてやったらあとでものすごく嫌味を言われた。


「ええ。甘えているというか、心を許しているというのかしら。じゃないとあんな素の表情なんて見せないわよ、ああいう男は」

 ユーディッテはお酒が入っているせいか、普段よりも饒舌だった。


 その後美術館に行きたいとユーディッテが言ったので二人は店を出てミュシャレン美術館へと足を運んだ。王家所有の絵画や貴族が寄贈した絵画や彫刻を展示している美術館は静かだった。

 観光客もまばらなこの時期、美術館を訪れるのは時間をもてあましている金持ちか、一線を退いた老人くらいなもので、オルフェリアとユーディッテは時間をかけてゆっくりと収蔵品を鑑賞した。


 オルフェリアは歩きながら、なにとはなしにフレンのことを頭に思い描いた。

 フレンの気持ちは今どこにあるのだろう。

 メーデルリッヒ女子歌劇団の公演を成功させたい、というのは意地だけなのだろうか。それとも……。わからない。


 フレンはレカルディーナへの想いは過去のもの、過ぎ去ったものだという。本当にそうなら、あんなにも優しい顔をしてレカルディーナのことを見つめるだろうか。

 ユーディッテはあんなことを言っていたけれど、フレンとオルフェリアの間にはそこまで砕けた空気も温度もないと思う。


(わたしにはあんな表情、引き出せない)


 そのことがなんだかさみしかった。


「オルフェリア様?」

「えっ、いえ。なんでも……」

 いつのまにか出口へとやってきていた。

 しまった。後半はほぼ意識が別の世界へと飛んでいた。せっかくユーディッテと一緒なのに。フレンが人のことを引っかき回すからいけないのだ、とオルフェリアはここの中で責任転嫁をした。


 美術館を出る頃にはあたりはうす暗くなっていた。

 辻馬車を捕まえようと美術館正面の広場のあたりを見渡すが、この時間家路に急ぐ人々でごった返している。要するに辻馬車にとっても稼ぎ時の時間帯で、なかなかつかまらない。


「困ったわね。オルフェリア様。あまり遅くなるとおうちの人が心配するでしょう」

 ユーディッテが年下のオルフェリアを気遣うように声をかけてきた。

 彼女にとってオルフェリアは庇護するべき妹のようなものなのだ。


「そんな、まだ夕方ですし、大丈夫です」

 というか貸本屋で働いていたころは帰宅時間ももっと遅かった。といっても春先のことで日照時間は今よりもずっと長かったけれど。


 それでも二人は早く馬車を捕まえようと広場を抜けて目抜き通り、路地へと足を進める。

 どこか脇道に入った方が、人を下ろした辻馬車と出くわす可能性もあるからだ。

「あら、あの人……」

 ちょうど角をまがっとところでオルフェリアは声を出した。


 前方のほう、少し距離はあるけれど見知った顔を見つけた。硬質な顔を浮かべたシモーネだ。彼女は男性と話していた。


「シモーネね」


 ユーディッテも認めた。二人は顔を見合わせた。男性の方は壮年で、言い争ってはいないが、良好な関係とも思えなかった。シモーネは明らかに会話を早く終わらせそうに口を早く動かしていた。さすがにここまでだと会話も届かない。


 ちょうどそのとき、近くで客を下ろした辻馬車と巡り合ったため、二人は急いで御者へ声をかけに近寄ったため、結局相手の男性が誰なのかまではわからなかった。

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