第2話 大事なもの

 18年間生きているが、世の中には俺の知らない不思議なこともあるもんだ。

 昔は空から突然女の子が降ってきたり、毛むくじゃらの大中小様々な森の主との交流なんてものが実在する話だと思い込んでいた。でも、今は違う。そういうものを楽しむことができるのは変わらないのだが、無意識のうちに頭のどこかでそれを〝作り話(フィクション)〟としか認識できない思考回路が構築されていく。つまり、現実離れした出来事は周囲に打ち明けたとしても〝夢〟〝妄想〟といったものに置き変えられてしまう。

 俺の場合も例外ではない。他人に事実をありのままに話したところで、信じてくれる人は絶対にいないはずだ。

「へぇ~。それじゃ、あなたは世界の平和を守る正義の味方なんだね。すごいなー」

 朝食の支度をしているとそんな話し声が耳をかすめた。

 チラッと振り向くそこには少女が一人。黄色く長い髪をし、紺のブラウス、同色のロングスカートを身につける彼女は棚に向かってその紅に染まる瞳を輝かせていた。

 もうすぐ調理しているウインナーが茹であがる頃だ。俺は皿を準備しながら言った。

「おーい、アリス。飯できるぞー」

〝アリス〟それが彼女の名前。

 名前のなかった彼女に俺が付けた名前。どこか抜けていて、ほわほわした性格の彼女は自分の名前を呼ばれて振り返る。

「は~い」

 いそいそとテーブルに駆け寄ったアリスは左端の椅子に座った。待ちかねたと言わんばかりの表情をしている前に俺は湯気を放つ山盛りのウインナーを置き、向かい側の椅子を引いた。

「いっただきま~す」

 特に高級なものではない。どこにでも売っているような安物のウインナーを『美味しい』と言いながらアリスは頬張っていた。

 俺も適当にフォークで突いては口へ運ぶ。

「そーいや、おまえ、独り言ぼやいてなかったか? 世界平和がどうだとか…」

「ん? ああ…、アレはね、あの子とお話してたんだよ」

 ウインナーを刺す動きを止め、アリスのフォークが棚の方向を指し示す。

「あの子ね、〝ガンダルフィード〟っていう名前なんだって。世界の平和を守るのが〝しごと〟だって言ってたよ」

 聞き覚えのある名前に俺の身体がピクついた。記憶が急速に掻き集められる。

 スマートな鉄製のボディに刺々しい突起物が付いたデザイン。男の子に大人気のアニメ《機動超人ガンダルフィード》の主役ロボット……そのサイズ縮小版人形。

 間違いない。先日俺が道で拾って修理したモノだ。そういえば、直してからずっと棚に飾っておいたんだっけ…。いや、そんなことはどうでもいい。それよりも、俺が言いたいのは知らない間に彼女が自分の世界に入り込むようなイタイ子になってしまったということだ。

 予想外過ぎる。

 忙しくてあまりかまってやれなかったからなのか? それとも、本の世界にどっぷり浸かってしまって抜け出せなくなってしまったのか? 

 いずれにしろ、今ならまだ正しいことをちゃんと教えてやれば回復の見込みがあるかもしれない。

 アリスの目をしっかり見てから俺は返答した。

「あのな、アリス。普通人形は喋らないぞ」

「え? ハイロにはあの子の声きこえないの?」

 あたかも自分が普通だという風にアリスは言葉を返す。不味い、これは非常にマズイ。言われたことを疑いもなく素直に受け取ろうとするそんな顔を見せられたら、まるで変な団体や宗教に捕まって引き帰せない領域まで踏み込んでしまった人みたいじゃないか。

 俺は乱れそうになった呼吸を整えた。

「全く聞こえないな」

「そう? 私は普通にきこえるけど…、ハイロが変なんじゃないの?」

「変って…、少なくともおまえよりは変じゃない」

 そう、モノは喋らない。それが常識。

 ただ、その当たり前の常識が俺の中で大きな音を立てて崩れ去ってしまったのは、つい先日、彼女に出会ってしまったからだ。

 ありのままをを言うのなら、アリスは〝者〟ではない。〝モノ〟だった――。

 元は俺の工場前に捨てられていた小さな石像だったが、どういうわけか不思議なチカラが起こり、黄金色のまばゆい光に包まれたかと思えば〝女の子〟へとその姿を変えたのだ。

 早いもので彼女と出会ったあの日から三日経つ。相変わらず彼女が一体何者なのか分からないが、彼女が変わり者なのは大分わかってきた。ズレた考えや発想が止めどなく溢れ出し、とても常識が通じる相手ではないことは身を持って実感している。加えて無知で世間知らずときている。普通なら溜め息が出るところなんだろうが、こんな子を一人で外に出したら何を仕出かすか見当がつかないため、俺は彼女を家に居候させるという決断を下した。拾った俺にも責任がある。苦渋の選択だ。

 フォークを置き、アリスは席を立った。一目散に棚へ向かい、ガンダルフィードを掴みあげると俺のもとへ戻ってきた。

「ガンダルフィード。ハイロってひどいね。私のこと変だっていうんだよ」

 抱きかかえるロボット人形にアリスが愚痴をこぼす。

「おいおい、〝変〟って最初に言ったのはどこの誰だよ」

「私はハイロが変なんじゃないかって疑っただけだもん! 断定はしてないもん!」

「それなら、俺だってアリスのこと〝変〟とは言ってないだろ」

「言ったもんっ!」

「言ってないっ!」

 強気で言い返すと、アリスはムキになって風船のように頬を膨らました。

「むうッ、いいもんっ! ガンダルフィードにきいてみるから!!」

「ああ、訊いてみろよ。絶対にアリスの方が悪いっていうからさ」

 くるりとアリスが俺に背を向ける。ロボット人形を自分の方に正面が向くように持ち変え、ブツブツと御経でも唱えるように小声で語り始めた。

「ねぇ、ガンダルフィード。今の話きいてたでしょ? ハイロの方がわるいよね?」

【………】

 無言の静寂。

 アリスの問いかけに対し、大きな間が空く。

 静かな空間の中、普段は聞こえないかすかな耳鳴りが俺の頭蓋骨に響いてくる。アリスの背中に塞がれて俺にはロボットがみえない。だから、その鉄で作られた表情が何を語っているのか不明であった。

 本当に何か語っているのか? そんな疑問ばかり頭を過る。

 アリスの頭が何度かコクリと動く。その様子が適度に相づちを打っているかのように思えなくもない。

「えっ、それは…まあ……」

【………】

「ほえ? 〝けんかするほど仲がいい〟っていう言葉があるの!? けんかしたら仲がわるいとおもってた」

【………】

「えっ、わかりやすくまとめてくれるの? ありがとうー!」

【………】

「そっか、そうだね。うん、ハイロにもいっておくから」

 このやり取りを見ている人物が他にいないので同意を求められないのが残念だ。彼女の姿がどうしても一人言を話すイタイ子に見えてしまうのは俺だけだろうか? そう思うと変に頭が痛い。彼女の取扱説明書が存在するのなら是非読んでみたいぐらいだ。さぞ、ものすごい内容が描かれているに違いない。

 頭をかかえているとアリスがくるんと俺の方へ振り返った。さっきのような膨れ顔ではなく、不思議なほど笑顔で。

「ハイロ、ガンダルフィードがね、いい結論をだしてくれたよ」

「へぇ、第三者の視点がどんなものか、ぜひ聞いてみたいね」

 アリスのノリに俺は話を合わせた。

 半信半疑だが、もし彼女が本当に〝モノ〟と会話ができるのなら、すごく興味深い。普段俺たちが何気なく使っているモノたちが何を思い、考えているのか……もしも彼らに〝意思〟と呼べるものが存在するのならアリスだけが特別でないことの証明にもなる。そんな漠然とした推論があった。

「だいさんしゃ? 私が話してたのは〝ガンダルフィード〟だよ?」

 アリスの反応に身体が傾きそうなほどガクッときた。

 そうだった。彼女に対して難しい言葉は禁句。わかりやすいものに置き変えるか、説明を加えなければ伝わらない。

「えっとな…、俺とアリスの問題に関係ない人のことをそう呼ぶんだ」

「へぇ~。でもでも! ガンダルフィードは〝モノ〟だよ?〝ひと〟じゃないよ?」

「あっ、そっか! …ってそこじゃない!」

「それじゃあ、〝だいさんしゃ〟じゃなくて、〝だいさんモノ〟なんだね」

「第三モノ? まあ、普通に考えればそうなるわけか …って、そんな言葉もない!」

「そうなの? なら、私がはじめてだね。アスナザール大陸をはじめてみつけた伝説の航海士スブロンみたいかも」

「ちょっと待て!? 無知で常識も知らんようなおまえが、そんな知識どこから入手した!?」

「どこって…、部屋の隅においてある本から。だって、ハイロは『しごとがあるから』とかいって全然遊んでくれないし、どっか行っちゃうじゃん。たいくつな私を癒してくれるのはガンダルフィードとこの本たちだけなんだよ!」

「仕方ないだろ。遊んでばっかりもいられないんだし」

「ハイロのケチ」

「ケチってなんだよ。アリスはタダでメシ食ってるじゃんか」

「タダでは食べてないもん。ちゃんと〝いただきます〟〝ごちそうさま〟って言ってるもん!!」


 以前なら、仕事をするこの時間はとても静かだった。

 でも過去形。現在進行形はというと――。

「ねぇ~、ハイロ~」

「………」

 振り返らなくてもわかる。彼女が退屈していることぐらい。ときどき雑誌を広げるようなバサッという音、ミシミシ、ガタガタと悲鳴をあげる床。着せ替え人形のような格好をしているにも関わらず、ゴロゴロと転がってでもいるんだろう。

「ハイロ~」

「………」

「ハイロってば~」

 そう、結局彼女は全身を使って自分が〝暇〟であることを俺に向かってアピールしているのだ。

 作業しつつ、壁掛け時計を見れば10時を少し回ったぐらいだった。あの口論が終息して30分は経過している。今思えば、あの時もこうやって横目で時計を見たからこそ、争いは治まったと言っても過言ではない。

 あの時は長い針が〝6〟、短い針が〝9〟を指していた。

 今日はどうしても仕上げないといけない大事な仕事がある。日々の生活リズム通り、九時に仕事を始めれば、何の問題もないはずだった。だが、アリスとの口喧嘩が結果的にタイムロスを引き起こし、現在に至る。

 無論、アリスの言葉に対し反論に反論を重ねてしまった自分の責任であるのも事実。しかし、見た目以上に負けん気な彼女にも多少なりとも反省してもらいたいところだ。何か言えばすぐに何かを言い返してくる。よくもまあ、あれだけ言えたもんだ。まだ、会って数日だというのに〝モノ〟だった彼女の〝者〟としての適応性は高まる一方で留まることを知らない。「ふ~ん…」「へぇ~」なんて呟きながら本を読んでいるなと思ってみれば、読んだ内容はきちんと彼女の頭に入っているし、興味や好奇心の範囲も広がってきている。

 神様が本当にいるとすれば、俺に何を望み、何をさせたいのだろう?


【彼女を人らしく育てろ】


 そんな単純でどこかにありがちな物語のようなことを期待しているのか?


【おまえは異性との関わりが少なすぎる。彼女から色々と学びなさい】

 

 確かに今まで彼女いな……って色々ってなんだよ!? てか、あいつの方が俺から色々学んでるんじゃないのか!?

「ねぇ、さっきから私のこと無視してない? 女の子にそういう態度だと嫌われるって本に書いてあったよ?」

「!?」

 気がつけば変な考え事のせいで作業の手が止まっていた。同時にアリスのかまってほしい視線が光線のように放たれていた。

「ち…ちょっと気が散ってただけだ! さて…、早く仕事終わらせないとなぁ…」

 今俺は机の上で小さな精密機械のパーツを修理している。正式名称はあるが簡単に言ってしまえば、空調機(エアコン)の制御パネルだ。そしてこれは珍しく入った依頼の仕事である。

 最新式の全自動空調機(エアコン)の調子が悪いから見てくれないかと電話が入ったのが5日前ぐらい。修理費も弾むと言うので、張り切って住所を訊き、依頼主の家を実際に訪ねることになったのだが…。

『ハイロード・スティッカー様ですね? どうぞお入り下さい。奥の書斎で旦那様がお待ちです』

〝最新式〟という時点である程度予測しておくべきだったのかもしれない。日差しがキツイというのに黒スーツ姿の紳士的な男性が丁寧にお出迎え。一歩踏み込んだ瞬間、様々な観葉植物に彩られた庭に圧倒され、角張った白い立派な石造りの平屋が木々に隠れるように顔を覗かせていた。

 依頼主は大富豪さんだった。

 正しく言うなら、ジモー・ファンニブルさん。ここクラストルドの港街に住む人ならこの名前を知らない人はいないのではないかと言われる程の超有名人。若くして貿易業に成功しており、何隻もの大型船を所有している。確か、今は奥さんと娘さんと三人暮らしだったはず。

 そんなお金持ちからの依頼を、現在進行形で街外れにあるスティッカー工場は受け持っている。そもそもどうしてその依頼が入ったのかと言えば、先代の爺ちゃんに大変お世話になったそうで、爺ちゃん何やったんだ? という感じではある。

 ちなみに修理期限は今日の午後まで。大部分の修理は終わっているが、念には念を入れておこうと思い、午前中に最終調整をするつもりだったのだ。

 目線と意識を部品に集中しようと思った時、アリスが机にへばりついてきた。

「むう~!! ハイロはやることあるからいいじゃん! 私なんか、やることないんだよ、暇なんだよ!!」

「やることないって…、俺はただ仕事してるだけで…」

 おっと、落ちつけ落ちつけ。

 額の汗を肩にかけたタオルで拭う。

 ここで怒鳴ったらさっきの二の舞じゃないか。我慢我慢。

「私知ってるよ。ハイロは今、〝大事なしごと〟してるんでしょ? ガンダルフィードが教えてくれたもん」

「なんだ、分かってるなら大人しくしててくれよな…」

「私もハイロの〝しごと〟手伝う!」

「は?」

「二人でやった方がきっとはやく終わるよ? だから私も〝しごと〟する」

「無理」

「え~!! なんで!? なんでー!?」

 俺の即答がカンに障ったのかアリスが不満そうに机をガタガタと揺らし始めた。

「お、おい!? ちょっ、ゆ…揺らすな! わっ!? ここに置いといたネジどこ行った!?」

「なんで私は手伝っちゃだめなの!? 私もハイロの役に立ちたいのに~!!」

「おまえは邪魔してくるだけだろ、それよりネジどこ行ったんだよ…」

 慌てて作業していた机を離れる。アレがないとカバーが閉められない。

 まったく、アリスのやつ…少しは俺のこと…。

「ハイロッ!!」

 ビクッとした。

 身体の時間がフリーズしたように、頭が真っ白になった。

 飛んできたのはたったの三文字。さっきから耳元を何度もかすめ、聞き流していた言葉。

 なのに、俺の身体は震えた。

 そんな俺の顔をアリスは覗きこみ、静かに言った。

「《ねじ》って、コレ?」

 アリスの広げる手の上で豆粒ほどの小さなネジが光っていた。

「あ、ああ…、ありがと……な」

 声がかすれ、途切れそうになった。

 ネジを受け取るたったこれだけの動作なのに、おぼつかない。それでも俺は、震えるぎこちない手つきでそれをつまみ上げた。

 手からネジが離れるとアリスは嬉しそうに言った。

「へへ、〝じゃま〟じゃなくて、私も〝やくにたつ〟でしょ?」

 アリスの笑った顔をみると、何だか胸が締め付けられるように痛くなった。

 何やってんだ…。

 一人が当たり前の生活を送ってきたから、頭のネジもどっか跳んじまったんじゃないのか?

 アリスが悪いんじゃない。悪いのは俺だ。

 あいつは〝手伝う〟って言った。〝遊ぼう〟じゃない。ちゃんと俺が忙しいこと考えて、そう言ってくれたんだ。

 彼女の気持ちをわかってなかったのは、俺の方だ。そう思うと、何だか自分が恥ずかしかった。

「ごめん…、俺、おまえのこと見えてなかった」

 自分よりも頭一つ分背の低いアリスの頭上に手をのせる。

 そして、そっとなでた。

「えっ!? もしかして私、透明人間になってた!?」

 慌ててアリスがキョロキョロと自分の姿を見渡す。

「はは、そんなことないよ。俺が気にしてなかったってことだ」

「む~っ! ハイロひど~い!!」

 アリスがプクーっと風船のように頬を膨らます。まるでフグのようなその顔に思わず笑いが込み上げてきた。

 とにかく笑った。

 思いっきり。

 俺の笑いに何を思ったのか、比例するようにアリスははち切れそうなほど頬を膨らましていった。

 それをみて俺はまた笑う。

 どうみても馬鹿だ。

 でも、確かに伝わってくる。今は一人じゃないという事実が…。

 俺は机の上にネジを置き、ゆっくり椅子を引いた。気持ちを切り替えて、アリスに問いかける。

「さっき…、俺の仕事手伝うっていったよな?」

「うん。言った」

「それじゃ、俺から一つ質問。アリスは修理工具扱えるか?」

 痛い所を突かれたようにアリスがドキッとする。

「そ、それは……、なんとかする!!」

 そんな困った顔でガッツポーズされてもなぁ…。

「いいか? 俺だって工具を自在に使えるようになるまで何年もかかったんた。簡単な仕事してるわけじゃないんだぞ?」

 分解していた動力基盤を元の位置へとはめ込み、赤、青、黄の細かい配線を指定の場所に繋ぎ治す。次にマイナスドライバーを手に取り、パーツの上部四カ所に空いた小さな穴へさっきのネジを指し込み、ガッチリと締めて部品全体を固定する。

 いつも通り、染みついた一連の動き。

 アリスは何も言わずに俺の作業を見つめていた。

「おわり?」

「ああ」

「そっか、よかったね。生まれ変われて。やっぱりハイロだからできるんだね」

 直った部品を人指し指で突きながらアリスは微笑んだ。

 彼女の姿に俺はふと昔のことを思い出した。近くの山で捕まえた小さな虫の幼虫。虫カゴの中で毎日成長を見守り、喋るわけもないのに話しかけた。

 傍から見れば、子供の妄想に過ぎないかもしれない。イタイ子だったのかもしれない。そんなこと現実に起きるはずないと誰もがわかってる。だけど、母さんは信じてくれた。無邪気な俺の想像に耳を傾けてくれて…。

 部品を摘み上げると俺は言った。

「アリス。出かけるぞ」

「ほえ?」

「街に出かけるって言ってんだよ。仕事手伝いたいんだろ? これから制御パネル取りつけに行くから一緒に行くだろ?」

「ホント!? いくいく~」

どうしてだろう? 帰ってくる返答は予測できたのに、アリスの口からその言葉を聞くのが嬉しかった。

 きっと彼女の笑顔が太陽みたく明るかったからだ。


                ◆◆◆


 青々と茂る草木に反射する光。普段歩き慣れない道だから小石に何度もつまずいて転びそうになった。

 着の身着のまま飛び出してしまったから、歩きにくい格好なのはわかってる。

 でも、わたしは探さないといけない。


 わたしの大切な友達を――。


 いつも一緒だった。

 出かける時も必ずあの子はいた。

 だけど、お父様は認めてくれなかった。


「いい加減にしなさい!! おまえは自分が《変わり者》だということを自覚出来ないような子だったのか!!」

 

 翌日。あの子はわたしの元から姿を消した。

 お父様が捨てたんだ、あの子を。

 本当に、世の中は理不尽だ。

 女の子だから、男の子だから。そんな理由で好きなものを区分して、その枠組みから外れた人を変わりもの扱いにする。

 ただ、ちょっと違ったものが好きなだけなのに――。


 「ねぇ、あなたは今どこにいるの?」


 あの子の名前を、わたしは吹きつける潮風に向かって問う。


                ◆◆◆


 港町クラストルド――。

 大小様々な国によって構成される大陸アスナザールの南の門とも呼ばれるこの街は、温暖な気候に恵まれ、古くから漁業や交易によって栄えてきた。街の道路や建物は近くの鉱山から取れる白岩を使用しているので、全体的に白さが目立つ。

 また海に隣接している条件上、街全体が段階的な高層構造を取っている。満ち潮の時は一部区画が浸水してくる場合もあるため、玄関前に階段を設置してドアが高い位置にある民家も多い。

「わあぁ…、綺麗な街だねハイロ」

「浮かれて転ぶんじゃないぞ? この辺、凹凸が激しいから」

「大丈夫だよ~、スカート少し持って歩いてるもん」

 街に出た目的は依頼主であるジモーさん宅の空調機(エアコン)を修復すること。事前の打ち合わせでは13時30分頃に伺うことになっている。まあ、分解し、一旦借りて修理した制御パネルを元通りに取り付けるだけの簡単な作業になると思うけど。

「見て、ガンダルフィード。アレが海なんだって。私はじめて見たの」

 街から望める太陽に照らされた青い水面を自慢するように、アリスはロボット人形を高らかに掲げる。

「おいおい!? そいつ持ってきたのか? 今は必要ないだろ…」

「えぇ~、だって、ガンダルフィードは友達だもん。置いてなんかいけないよ」

「友達ねぇ…、まぁ、おまえがいいなら別にいいけどよ」

 日差しが容赦なく照りつける中、目的地へ向けて足を動かす。俺の後ろでアリスは時々くるくると回りながらついて来ていた。『あっ』と声をあげて近くのショーウィンドウに駆け寄り、中を覗きこんだかと思えば、すれ違う人や空を舞う海鳥を一人、一羽と目で追い始めたり、彼女は自由気ままにお出かけを楽しんでいるようだった。その様子を横目で眺めている俺にとっても連れてきてよかったと思えた。

「ハイロ~、そのジモーさんっていう人のおウチはどこにあるの?」

「ん? このまま道なりに進んでいけば普通に行けるから心配ないさ。時間も余裕あるし、ゆっくり歩いても間に合うから心配いらないよ」

「でもでも~、なんだかあそこ人がたくさん集まってるよ?」

「えっ!?」

 言われてみれば、今日は妙に通行人が多いような……

 偶然? いや、普段から旅人や観光客はよく見かけてはいるが、今日はやけに多い。これから通ろうと思っていた中心街が人で寿司詰め状態だ。周囲の商店からは客を一人でも多く呼び込もうと威勢のいい掛け声が飛び交っている。

「いらっしゃい、いらっしゃい!! 今日はヒラツが安いよーッ!! 関連商品は全品特別特価。これは見逃せないよーっ!」

「ヒラツの魚肉コロッケ、一個たったの50ギル――」

「ヒラツのガラス細工などいかがですか? 記念になりますよ――」

「ヒラツ漁業組合への見学ツアー参加の方はこちらです。お急ぎくださーい!!」

 色んな人の声が入ってくる。

 みんなこぞって同じ単語を連呼している。

 まさか、今日って……

「ああ~~~~~~~~~~ッ!!」

 突然出た俺の大声に通行人も驚いていた。

 そうだよ……ヒラツだよ、ヒラツ……。

 これはヤバイ。迂回して別の道を使わないと間に合わなくなる。

「アリス、ちょっと裏道使うからはぐれるなよ……って!?」

 隣にアリスの姿はなかった。

 今さっきまですぐ側にいたというのに。

 急いで辺りを見渡す。あんな格好で髪が黄色いんだ、目立ってもいいはず。

「ハイロ~」

「!?」

 独特の抜けた声が聞こえた。

 声のした方向へ振り返るとたくさんの通行人の間からアリスと思われる黄色い頭だけが確認できた。

「おもしろそうなお店あったから、ちょっと見てくるね~」

「な…、ちょっ、アリス!? 待て!!」

 無論、俺の声は彼女に届くはずがなかった。


 クラストルドには年に一度収穫祭というお祭りがある。

 海の恵みに感謝し、祈りを捧げる日。シンボルは〝ヒラツ〟という夏が旬の近海魚で、この街一番の水揚げを誇る有名な魚だ。このヒラツ、恐ろしいことにどう調理しても美味しくいただくことができるため非常に需要が高く、他国との初めての貿易もこの魚のおかげで成功したとの伝説もあるぐらいなのである。見た目は平たくどこか馬鹿にしているような顔をしているというのに恐ろしい奴だ。

 そのため、いつしか人々の間でヒラツを含む海の恵みに感謝しようという考えが持ち上がって、現在の収穫祭にいたるというわけだ。まあ、今日がその日だとは思ってもみなかったわけで、イベントを把握していなかったのは完全にミスだ。

「一体どこ行ったんだよ、あいつは…」

 人ごみをかき分け、散々探し回っているが、アリスの姿は一向に見当たらない。 あの時、彼女の質問に対し、『時間に余裕がある』などと言ってしまったのは後悔せざるを得ない。こんなに人で溢れた所を通っていたのではジモーさんとの約束まで間に合うわけがない。

 一刻も早く彼女を見つけ出し、この場を離れないと。

「きゃっ!!」

「うおっ!?」

 辺りがガヤガヤとうるさい中、キーが一つ高い声とともに何かが俺の足にぶつかった。目線を足元へ移すと、学校に入り立てというぐらいだろうか、白いワンピースを着た小さな女の子が額を抑えていた。

「痛たぁ…、す、すみませんでした。なるべく気をつけて歩いていたんですけど…」

「こっちこそ、ごめんな。気がつかなかったよ、痛くなかったか?」

「は、はい…、なんとも……ないです…」

 いやいや、そんなうる目で返事されても、年上のこっちが困る。

「……ちょっと見せてみな、腫れてないか?」

「えっ!? そ、そんな…」

「気にすんな。ぶつかった時はお互い様ってことでさ」

「……優しくしておいて後で誘拐なんてしたら警察呼びますよ?」

「しないしないっ!! てか、なんでそんな物騒な話に発展してんだ!?」

「腰にスパナやハンマーぶら下げて歩いてる人にそう言われても説得力ゼロです。作業着ならまだわかります。でも、私服じゃないですか、どう見ても危ない人にしか思えません」

 小さいのによく喋る子だ。雰囲気も子供というより大人に近い。

 しかも、初対面の俺を変人……おっと、不審者扱いするなんてどんだけ肝が据わっているんだ?

「とにかく、俺は危ない人じゃないから」

「ホントですか? ……証拠は?」

「まだ疑ってるのか? 証拠って言われてもな……ああっ、もうっ!! ただでさえ急いでるのに、どうしてこう面倒なことになってくるんだよ! あいつはどこ行ったかわかんねーし!!」

 焦りと混乱から、俺は頭をグシャグシャに掻き毟った。

「あいつ? もしかして、あなたも誰かを探しているのですか?」

「へ? ま、まあ…」

「なら一緒ですね。わたしも友達を探してるんです」

 額の痛みなど忘れたかのように少女は立ち上がり、どこか遠くを見つめるような瞳を向けてきた。

 俺はなんとなくその目の輝きを知っている。輝きを失い、くすんだその色は諦めたい時や絶望した時にみせる悲しみの目。少なくともまだ年端もいかない少女がするような目の色じゃない。

「何か事情でもあるのか?」

「………」

「俺でよければ力になるよ。俺はハイロード・スティッカー。危ない人じゃなくて、街外れでモノを直してる修理屋さ」

 握手しようと右手を差し出すと、少女は躊躇いながらも握り返してきた。

「ニーナ…、ニーナ・ファンニブル…です」

「ファンニブル? どっかで聞いたような……って、もしかして、ジモーさん所の娘さんッ!?」

「えっ、あ、はい…、ジモーはわたしの父ですけど…」

「ふ…、富豪の娘さんがこんな所で何してるのッ!? 万が一誘拐でもされたら……」

「だから、言ってるじゃないですか!! 友達を探してるって。それにその点は十分に警戒してるので心配はいりません」

「警戒してるって……まさか一人?」

「………」

「おいおいおいおい! 親に黙って出てきたのか? そりゃ不味いぞ、絶対心配してるって」

「……勝手に心配していればいいんです! わたしは友達を見つけるまで帰るつもりはありませんから!!」

 そう言い捨てるとニーナはプイッとそっぽを向いた。

 ああ、頭が痛い。アリスといい、この子といい、何でこう俺は次々と変なことに巻き込まれるんだろうか。

 でも、ジモーさんの娘さんならば、このまま放っておくわけにもいかない。それに本当に万が一ってことがあった場合、関わった俺の首も吹っ飛んでしまう可能性がある。

 俺はさらに頭を掻き毟った。アリスのことも心配だが今は後回しにするしかない。最悪、目的地は告げてある。誰かしらに助けてもらえているといいけど…。

「わかったよ…。付き合ってやるから、早くその友達を見つけて家に帰ろう、な?」

「一緒に探してくれるんですか!?」

「ああ。だから、その友達の特徴を教えてくれよ。名前、服装、背丈とかさ」

「…ハイロードさん、何か勘違いしていませんか? わたしが探しているのは〝人〟じゃないですよ」

「は?」

「正確にいうなら、〝モノ〟です、ロボットの人形。《ガンダルフィード》っていうんですけど……」

 何? 今なんて言った?

 ロボット?

 まさか女の子の口からその用語が飛び出してくるとは思いもしなかった。しかも〝ガンダルフィード〟とか固有名詞全開で。

 そして、彼女が探しているモノの所在を知っている俺自身がビックリだ。

「ええ~ッ!? アレって、おまえのだったのか!?」

「えっ! ハイロードさん、ガンダルフィードのことご存じなんですかッ!?」

「お、おう…、一週間ぐらい前かな? 道端に壊れて落ちてたからさ。拾って直しておいたんだ。今は連れが持ち歩いてるよ」

「そ、そうですか……よかったぁ…」

 魂が抜けたようにニーナはペタリと地面に崩れ落ちた。

「お、おいっ! こんなところで腰抜かすなっ!?」


                ◆◆◆


「う~~~ん。ねぇ、ガンダルフィード、私たちってどの辺から来たんだっけ?」

【………】

 人混みを外れ、近くにあった大きな石に腰をかけながら私はガンダルフィードに語りかける。

 色んなお店を見た。魚を包丁一本でバラバラに解体するおじさんやお星様みたいに綺麗な石をいっぱい並べたお姉さん、雲にみたいに白くてモクモクした食べ物を売ってるおばさん。みんな笑顔で、楽しそうで、嬉しそうにしてた。見ているだけで私もウキウキしてきた。これがお祭りなんだなって思った。

 だけど――。

「ハイロ…」

 お祭りに夢中になっていた自分が悪いことぐらいわかってる。勢いのまま飛び出していった私のことを、きっとハイロは心配して同時に怒っているに違いない。大事な〝しごと〟があって来たのに、これじゃ私はハイロの足を引っ張っているだけになってしまう。

 ハイロのところに戻ろう。そう思って立ち上がった時だ。

「あ…れ……?」

 階段から足を踏み外したような感覚が走った。真っ直ぐに立てない。頭もボーっとして変な感じ。

「変だな…、ついさっきまでふつうだったのに…」

 空と地面が逆さまに見えた。

 身体が足元から徐々に軽くなって宙に浮いていく。視界がぐるぐるした。今朝食べたウインナーが腹の中でうごめき、逆流してきそうになる。

 このまま私は倒れるんだろうか?

 一度倒れると誰かが起こしてくれるまでモノは起き上がれない。自分がいくら頑張っても手足は動かず、起こしてくれるよう声を出し、助けを求めることすらできないのだから。

 困ったなぁ…。


 ――今のあなたは違うでしょう?


 えっ…?


 ――自由に動かせる手足がある。声だって出せる。今のあなたはモノじゃない。


 固い地面には当たらなかった。

「君っ!? 大丈夫かい!?」

 誰かが私を受け止めてくれたらしい。二本の腕に抱えられている感じが最後にわかった。


                ◆◆◆


 ニーナはとても軽かった。まるでぬいぐるみでも背負って歩いているような感覚が一歩進むごとに伝わってくる。

「すみません。安心したら急にチカラ抜けちゃって……」

「気にすんな。大して重くもないし」

「それって褒めてるのか、貶してるのか、どっちなんですか?」

 ニーナの目的がわかった以上、あの場に留まる理由はない。彼女を背負いながら俺はジモーさんの家に向かって足を動かしていた。アリスを探すという選択肢もあったが、好奇心のまま闇雲に動き回っているであろう彼女を探すことは困難といえる。ならば、目的地であるジモーさんの家で待っている方が得策である。

 アリスのことだ、きっと誰かしらに助けてもらいながらでも何とかやって来てくるんじゃないか。そんな気がしている。

 まあ、実際のところ…、どうなるかは神頼みだが。

「ハイロードさん」

「ん?」

「わたし、やっぱり帰りたくないです」

 ニーナが俺の背中に顔を埋める。

「どうして? さっきも説明しただろ。家で待ってれば、俺の連れが来るし、きっとガンダルフィードも戻ってくる」

「そういう問題じゃ、ないんです……」

 言葉の語尾が消えかかったロウソクのように弱々しかった。

 彼女が一人でうろついていた時点で薄々気づいてはいた。こんな小さな子が落し物を探すとなれば、保護者が側にいて当然。ましてやお金持ちの子だ。一人で出歩くことなんて滅多にないことだろう。それに、ニーナ自身も『親に黙って一人で出てきた』なんて言っていた。これはもう半分家出みたいなものだろう。

「さっきの繰り返しになるけど、ご両親もきっと心配してるぞ? どうして一人で出てきたりなんかしたんだ?」

「………」

「言いたくないなら、無理には聞かない。けどな、俺もジモーさんの家には用事があるから、たとえニーナが嫌と言っても連れては行くぞ」

 少々間が空いた。

 何か言おうとしては躊躇って言葉を飲み込んでいるのか、ニーナの息が後頭部に当たる感じが何度かあった。けれども、俺は振り返らずにただ足だけを動かした。会ったばかりの、しかも変人に言える範囲なんてきっと限られる。本人が言いたくないのなら、別にそれでいい。

 そういえば、今朝もアリスに〝変〟って言われたっけ……。

「ハイロードさんは、わたしのこと……〝変〟だと思わないんですか?」

「変? ニーナが変なら、ハンマーにスパナ持って一般道を歩いてる俺は何なんなんだよ?」

「ハイロードさんは……危ない人です」

「ああ、そう…」

「ふふ、でも…とても優しい人です」

 クスクスと笑いながらニーナは話を続ける。

「わたし、お父様からは変わり者って言われてるんです。機械とか、それこそロボットが好きな女の子なんて……傍から見たらすごく変じゃないですか。女の子らしくないっていうか、何て言うか…、だから、わたしに黙ってお父様はガンダルフィードを捨てたんです。お母様から買って貰った大事なモノだったのに、『アレはおまえが持つモノじゃない』って言って…。ハイロードさん! わたし間違ってますかッ!? 好きなものを好きって言ってるだけなのに、それっていけないことなんですかッ!? だとしたら…、わたしはどうしたらいいんですかッ!?」

 いつの間にか鳴き声混じりになったニーナの喉から次々と言葉が語られる。

 同意を求めるようで、それでいて自分が間違っていることや、本当の気持ちを抑えきれないこと。色んな想いが交錯し、絡み合い、きっと彼女は自分がどうすればいいのか見失っている。

 そんなニーナに対し、俺の口からは自然とこんな言葉が飛び出していた。

「…なあ、ニーナ。〝自由〟って言葉の意味わかるか?」

「自由…?」

 そう、これはかつて俺を救った言葉。

 今、俺が一番キライな人から教えてもらった言葉だ。

 それをこうして口ずさんでいる自分がいる。なんとも不思議でしかたがない。

「自由…、〝何にも縛られないで、自分の望むことを思うままできること〟でしょうか?」

「……それじゃ、ニーナは今の自分を〝自由じゃない〟って思ってる?」

「当たり前です。好きなことを認めてもらえない今なんて自由でも何でもありません!! それとも、ハイロードさんはわたしが自由だって言いたいんですか!?」

「この世に自由じゃない人なんていない…」

「えっ…」

「この世の全ての人は、人である時点ですでに自由なんだよ。そもそも、自分の考えや思いを実行できる身体がなければ、自由は成り立たないと思わないか? 飲み物を飲んだり、本を読む、スポーツをする、全てにおいてこの前提は覆らないし、変えようのないルールみたいなものなのかな? だから、例外もなくニーナも自由なのさ。自分の好きなことぐらい自分で決めればいいんだよ。誰が何て言おうとそんなの関係ない。ニーナはニーナだろ?」

 記憶の中に残っている受け売りな言葉を少しの違いもなく俺は言い切った。

 やっぱり、――だからなのかな?

 あの人はキライだけど、この言葉だけはいいと思ってる。

 ニーナは何も言わずに、俺の背中へ再び顔を埋めてきた。

「ジモーさんもニーナのことが嫌いなわけじゃなくて、きっとニーナのことを大切に思ってるからそう言ってるだけなんだと思う。だから今度はニーナがお父さんに思いをぶつける番だと思うよ」

「大丈夫…かな。わたしが口うるさく言えば、きっとお父様余計に怒るんじゃ…」

「それが原因だね」

「え?」

「ニーナは考え過ぎなのさ。まあ、俺もよく考え過ぎてて分からないヤツとか言われることもあるけれど。要は、困らせたくないわけだお父さんのことを。だから本当の気持ちを伝えない。そうすることで丸く収めようとしている」

「わ、わたしは…、そんなこと……」

 ニーナはそれ以上何も言わなかった。言う必要がなかったとも言えるのか。

「ホントの気持ちってさ。声に出してみないと分からないものだよ。それで互いの意見や気持ちが違えば喧嘩にもなるかもしれない。けど、喧嘩したからって終わりじゃないだろ? 喧嘩した方が伝わる事だってある。《喧嘩する程、仲がいい》って言葉があるってアイツも言ってたぞ」

「あいつ…?」

 自分で言っておいて、少し笑っているのが分かった。信じる信じないは別だ。それはその人にとって信じられると思えば、事実として受け止めるべきなのかもしれない。

「俺の連れはな、モノと話が出来るのさ。それでな、ガンダルフィードが教えてくれたんだとよ。喧嘩するってことは、仲がいい証拠だって」

 ジモーさんとの約束の時間にはもう間に合わないだろうけど、急ぐことなく、俺はゆっくりと足を進めていた。


                ◆◆◆


 ここはどこだろう?

 何もない白い空間。

 果てしなく先は見えない。そして無音。

 私は漂っていた。浮いているといった方が正しいのか? 流されるままに身を任せて――。

 まだ頭がクラクラする。力を入れるが、身体が鉛のように重い。

【はぁ…、見てらんないなぁ、もう…】

 ?

【少し休んでていいよ。代りに私が出るから】

 誰? 代わりって何のこと?

【やっぱり忘れちゃったんだね…、でもしかたないか、予想外の事態が起きることもありえたわけだし】

 ?

【ハイロ君のところに戻るんでしょ? 私が何とかしておくから、少しだけ身体貸してね】

 まって! ここはどこなの? それに、あなたは――。

【心配しないで。そのうちきっと思い出せるはずだから……】

 声がフェードアウトしていった。

 強い眠気が私を襲い、だんだんと意識が遠くなって行く。

【あなたが〝アリス〟なら――私は……】

 最後に聞こえた声はよくわからなかった――。


                ◆◆◆


 気がつくと、私はベッドの上にいた。

 ふかふかで、やわらかい布団から上体を起こすと、額にでも置かれていたのだろうか、冷たいタオルが手元に落ちてきた。

「ここは……?」

 どうやら誰かの家の中のようだ。部屋は広く、天井からは見たこともない巨大なガラスの電球が吊り下がっている。床はチェック模様の茶色いカーペットに覆われ、綺麗でオシャレなのだが細くてくにゃりと湾曲した脚を持つテーブルと椅子は今にも折れそうに思える。

 どういう経緯で現在に至るのか、アリスが気を失ってからここまでの記憶は私にもない。

 少し辺りの様子でも見よう……。

 ベッドから足を床に下ろした時だ。ガチャっという音とともに右隣りのドアが開いた。

「あら? もう大丈夫なの?」

 入ってきたのは綺麗な女性だった。年齢は30歳前後だろうか、清楚なストライプのワイシャツに黒のロングスカートを身につけていた。見たことはないけれど雪のように白くてすらっと流れた髪と肌って表現するのが合っている気がする。

「あなた、軽い熱中症にでもかかったんじゃないから? ニルヘルトさんがあなたを担いできた時はビックリしたわ。あっ、今着てる服、わたしが若い頃使ってたパジャマを勝手に着せてしまったんだけど、キツかったかしら?」

 手に持ったティーセットをテーブルに置き、お茶を注ぎながら女性は言う。

 言われて初めて気がついたが、上下が青い水玉模様の服になっていた。生地は薄手でスースーして風通しがいい。

「いえ、ご心配なく、具合も大分よくなったので……」

「それはよかったわ。お茶でもいかが?」

 女性は私を部屋の隅にあるテーブルに招き、ティーカップを差し出した。花の装飾が施された器の中にオレンジ色のお茶が注がれる。

 柑橘類のいい香りだ。

「わたくしはエルラ・ファンニブルといいます。あなたのお名前を伺ってもいいかしら?」

 質問にドキッとした。大丈夫。落ち着かないと。

 おぼつかない声で私は返答した。

「……アリス、です」

「アリスさん…いいお名前ね。名字はなんておっしゃるの?」

 エエッ!? 名字? 

 どうしよう、何か即興で作ったほうが…… いや、正直に言った方がいいのかな?

「わ…、わかりません」

「あらやだ、ごめんなさい! わたしとしたことが事情も聞かずに……」

「い、いえ!? お気になさらずに!! こちらこそ色々とお手数をおかけしたみたいで…私、クラストルドに来る以前の記憶がなくて… い、今は街外れにあるスティッカー工場の方に居候させてもらっているんですっ!」

 慌てながらカップを手に取り、お茶を一口頂いた。

 何ていう果物のお茶なんだろう? すっぱいけど優しい味が口いっぱいに広がり、不思議と気持ちも落ち着いてくる。

 そんな私の様子に笑みを浮かべながらエルラさんは言った。

「そう、あの子のところにいるのね。優しくていい子でしょう?」

「えっ…、ご存じなんですか?」

「ええ。最近主人が街で彼の修理の腕を聞きつけて、空調機(エアコン)の修理を依頼しているところなの」

 エアコン?

 そういえば、彼が直していたのも確かエアコンの制御装置だったような……。

「失礼ですけど、ご主人のお名前は?」

「ジモーよ」

「エエーッ!?」

 予想以上の反応だったのか、エルラさんがとても驚かれたので私は簡単に事情を説明した。なんて運の良さ。まさかハイロ君を探す前に、すでに目的地にいたなんて思いもしなかった。

 ということは、このままココで待たせてもらえば彼と合流できるわけであって、必要に彼女の身体を借りる必要もなかったんじゃ…? そう思うと何だか張っていた気が急に緩んだような感じがした。

 残りのお茶を飲み干した頃、エルラさんが微笑んだ。

「ふふ、『安心した』って顔してるわよ」

「そ、そうですか…?」

「ホッとしたところで、一ついいかしら? あの人形、あなたが拾ってくれていたのね」

「えっ…?」

 エルラさんの目線の先には刺々しいデザインのロボット人形が置かれていた。確か道端に落ちていたとハイロ君は言っていた。

 誰のモノなのか分からなかったモノ。

 アリスが友達のように接していたモノ。

 そう、ガンダルフィードのことだった。

「あの子…、いえ、あれはエルラさんのモノだったんですか」

「いいえ。わたくしの娘のモノよ。今は家出しているけれど」

「い、家出って…!!」

「ふふ、ちょっと大げさに言い過ぎね。出かけているの。あの子を探しにね」

 妙に冷や汗をかいてしまった。

 これが冗談か……本気で信じてしまうと思わぬものだ。

「……娘さんにとって、とても大事なモノなんですね、あの子は」

「ええ。でも、主人の方はあまりよく思ってないみたいだけれど」

「?」

「気にしないで、こっちの話よ。それより、何かお礼をしないとね」

「お、お礼だなんて、そんな……」

「遠慮しなくていいのよ。そうねぇ、ちょっと待って。確かココの引き出しに…」

 困っている私のことなど見えていないかのようにエルラさんは近くの棚の引き出しに手をかけた。何かを探すその様子を私は遠巻きにみているしかなかった。

 い、いいのかな…?

 私はあの子と同じでこの世のことをほとんど知らないけれど、少なからず彼女よりは上手くやっていけるのではないかと思っていた。でも、いざその状況に立ってみると戸惑うことばかりで自分の抱いていた考えが安易なものであったことが痛いほど分かる。

 現に今、一人の女性を前に焦ってばかりである。

「あ、あの~、エルラさん?」

「……あったわ!!」

 不意を突かれた歓声に驚いた。

「これ、きっとあなたに似合うと思うのだけど、着てみない?」

「え、えっと…、い、いいんですか? とても高価なモノに見えますけど……」

「そんなに良いものじゃないわよ。わたくしが若かった頃に使ってたモノで着れなくなってからずっと仕舞ったままになっていたの。アリスさんが使ってくれるのならこの服もきっと喜ぶと思うわ」

 半ば強引に服を手渡されてしまった。

 どうしようかとまじまじと服を見ていると、私の口からこんな言葉が零れた。

「あの…、突拍子もないことをお聞きしますが、エルラさんはモノには心があると思いますか?」

「心?」

 この身体があの子だから?

 いや、違う。

 でも、何故か訊いてみたくなった。者がモノに対する感情移入というものを―。

 少し考えてくれたのだろうか。エルラさんは即答することなく、丁寧に返答を返してくれた。

「そうね…、わたしは大事に使ったモノには心が宿ると思うわ。初めからあるのではなくて、使う人と一緒に思い出……時を重ねることで生まれてくるものじゃないかしら」

「………」

「だから、きっとこの服にもあのロボット人形にも心が刻まれている……。確かめる術はないけれど、そうだったらとてもロマンチックだと思わない?」

 エルラさんの言葉を聴きながら私は思う――。

 私には彼女のようにモノと会話できるチカラはない。

 けれども、エルラさんのようにモノを大切に思ってくれる人がいるのなら、きっとそこには優しい気持ちを持ったモノがいるに違いない。エルラさんに頂いたこの服は、これからは私と一緒に思い出を作って行くことになる。なら、私もこの服を大切にしよう。それがこの子のためでもあり、託してくれたエルラさんの気持ちに答えることにもなるはずだから。

「さあ、ハイロ君が来る前に早く着替えてしまいましょうか」

「は、はいい? 着替えるんですか!?」

「当然! 普段と違う恰好を見せると男の子って喜ぶものよ」


                ◆◆◆


 初めて依頼を受けに来た時も思ったのだが、ファンニブル家はクラストルドの中でもかなり大きな敷地を有していてる。スライド式の門をくぐると緑が生い茂る広い庭があり、足元には長方形に模られた石が規則正しく接地されていて白い平屋までの道標として伸び続いている。

 あれから俺はニーナを送り届けた。ジモーさんは急な仕事で不在だったが、空調機(エアコン)の修理は無事に終了した。行方不明だったアリスもジモーさんの奥さんであるエルラさんに大分お世話になっていたようで、俺がいなかった間の話を彼女から聞いた時はとても頭が上がらなかった。

「アリスー。そろそろ帰るぞー」

「はーい」

 帰り間際、席を立ったときには外はすっかり夕暮れであった。玄関からも夕陽が水平線の彼方に沈んでいるところがわかる。

「ぜひ、また来て下さい。空調機(エアコン)の修理完了についてははわたしから主人の方に伝えておきますので」

「お願いします」

「アリスお姉ちゃんまたね~」

「うん。またね、ニーナちゃん」

「おいおい、ニーナ。アリスにはやけに馴れ馴れしくないか?」

「だって、ハイロードさんは〝危ない人〟だから」

 ニーナはにこにこと笑いながら、小さな身体、小さな手を一生懸命振って俺たちを見送ってくれた。アリスが遊び相手になってあげたからなのか、それとも大切なモノが手元に戻ってきたからなのか、いずれにしろ彼女の思いがあの笑顔がジモーさんにも届いてくれることを祈るばかりだ。

 それと……。

「よかったなアリス。エルラさんにもらったその服おまえにピッタリじゃん」

「そ、そう…かな? ハイロく…ハイロにそう言ってもらえると、私も嬉しい…」

 アリスはガンダルフィードを持ち主のもとに届けたお礼としてエルラさんから白いノースリーブのワイシャツと紺色のフレアスカートをもらっていた。白いワイシャツの生地に対して短めの青いネクタイが夏らしくて涼しげな感じがする。

「おまえ、『暑い』とか一言も言わなかったけど、前の格好よりも今の方が絶対涼しいだろ? 一応ココ南半球なんだから、熱中症とか、今後は気をつけろよ」

「う、うん…。ごめんね、心配かけて……」

「素直でよろしい。ところで、アリス」

「エッ!? な、なに?」

「いや、大したことじゃないけど、おまえ、さっきから妙におとなしくないか? 『楽しかったな~』とか『またお出かけしたいね』みたいにはしゃぐと思ってたんだけど」

「あっ、えっと…、そ、そうかなぁ~? ハイロく…ハイロの気のせいじゃない?」

「そうか? まだ具合悪いとかあったら――」

「ああっ! うんうん!! ほら、身体の方は全然大丈夫だから心配しないで、ね?」

 俺の言葉を遮るようにアリスが一、二回ほど元気に跳び跳ねる。

 心配し過ぎだったのか? そう思った時だ。

 ふと、唐突に彼女は足を止めた。

 沈みゆく夕陽を惜しむような目で――。

「ねぇ、ハイロ…、家族っていいね」

「えっ…」

 一瞬だけ俺の視界がぶれた。

 古いビデオを何10年ぶりに再生して、劣化から一部が見えなかったり、飛んだような感じに近い。

 本当に一瞬のことだったが、見たこともない景色の中に一人、アリスがたたずんでいるようで、その表情は悲しんでいるように思えた。

「頼りになるお父さん。優しいお母さん。そこにお兄さん、お姉さん、弟、妹、場合によってはお爺ちゃんとお婆ちゃんがいる。私にはよく分からないけど、それってすごく幸せなことなんだよね? ニーナちゃん…今はお父さんと上手く行ってないけど、きっと気持ち伝わると思うの。ガンダルフィードもね、『喧嘩するほど仲がいい』なんて言ってたし、今朝の私たちと同じなんだと思う。互いの言いたいことを逃げないでちゃんと伝えれば理解し合える。何だか、あの笑顔見てたらそう思っちゃって……」

「……」

「ねぇ、ハイロには…、家族いないの?」

 胸の辺りがズキッとした。

 もちろん返答なんか考えるまでもない。

 でも、言いにくかった。

 言葉が喉の奥に詰まって全部出てこようとしない。

「ごめん、変なこと訊いちゃったかな?」

「いや…、おまえが気にすることないさ。いるよ…、母さんが病院に……」

「そう……なんだ」

〝病院〟という用語の意味はどうやらアリスも分かっているようでそれ以上質問してくることはなかった。再び足を動かし、俺の一歩先を歩いて行く。

 どうしてこんな言葉が出てきたのか自分でも分からない。

 でも、きっとそれは俺が久しぶりに母さんに会いたいと思ったから出てきたんだと思う。


「会ってみるか?」


 前を歩くアリスはこくりと頷いた。その表情はどこか嬉しそうで――。

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