第11話 桜時の風(後編)

「建物に憑く子供の神様って、いったい何でしょう」

 旧校舎をあとにした聖はその足で澪の元へと向かい、うるみのことを尋ねてみた。すると、澪は「座敷童じゃな」と即答した。

 名前自体は聞いたことはあるし、子供の姿をしているというのも聖は知っていた。ただ、さっき『ざしきわらし』という言葉が出てこなかったのは、座敷童は男の子の姿をしているだろうとなんとなく思いこんでいたからだ。結局、聖はそれがいったいどういう妖なのか、詳しくは知らないのだった。

 こんなとき、生き字引である澪は頼りになる。聖はうろ覚えの知識を総動員して、再び聞いてみた。

「座敷童が来た家は栄えて、出て行くと急に没落するっていう、あれですよね」

「さよう、家に憑き、人に福をもたらすあやかしじゃ。近ごろはあやつらの住み良い古い家もずいぶん減ったのではないか。お主、どこで声を聞いた?」

 目を丸くして、澪は隣に座る聖を物珍しそうに眺める。厳密に言うと『今となっては少なくなった座敷童と会ってきた聖』が珍しいのだ。彼女の視線には穏やかさも湛えられていたが、妖たちの話を耳に入れるとき、澪の顔はいつもよりも優しい。恐らく、旧友に出会うのにも似た懐かしさがあるのだろう。

 聖は、手短にうるみとの出会いを説明した。築数十年の空き校舎が数日後には取り壊されること。座敷童は今日までずっと子供達を待っていたが、聖の話を聞き、明日には心を決めると言っていたこと。

「学校にも住んでるんですね。びっくりしました」

「聞く限り、古い建物のようじゃから居心地が良かったのであろうな。歴史あるものは、いいものじゃ」

 澪はうるみの気持ちが分かるのか、うんうんと軽く頷く。古いものが落ち着くというのは、ゆったりとした時間で生きる澪たちにどこか似ているからだろうと、聖は感じた。

 しかし、悲しいけれど、時が経って古くなると、形があるものも形がないものも壊れて、なくなって、やがて忘れてしまう。聖だって、自分だけは忘れないと自信を持って言い切れるわけではない。それでもなお、古いもの、忘れ去られつつあるものをできる限り大切にしたいというのは、時代遅れな考えだろうか。

「お主、また何か悩んでおるのか」

 お見通しだと言わんばかりに、澪が聖の顔を覗き込む。その眉間には皺が寄っていて、外見に似合わない年より臭さを醸し出していた。そんな顔を長々と見るのも悪いような気がして、聖はあたふたと答えた。

「もし、憑いている家が無くなるとしたら、座敷童はどうなるんでしょう」

「家と共に消えることを選ぶのも、一つじゃな」

 突き放すような澪の言葉に、聖は黙り込んだ。彼女の持論からすれば、それが妖の運命だと言いたいのだろう。聖としては、澪がもう少しこっちの世の中に執着を持ってくれることを願っているのだけれど、長年培われてきたものはなかなか変えられないのか。

 澪は「まあ、最後まで聞け」と、思考に没入しようとした聖を止めた。

「もちろん住処を変えて生き延びるという手もある。……ただな、誰がなんと言おうと童は自分で決めるのじゃ。その決断に、手出しはできぬ」

「彼女のことは、彼女に任せるしかないんですね」

 至極当たり前だが、その通りなのだろう。うるみ自身もちゃんと考える、と言っていた。

「さよう。……そう心配するな。儂などとは違い、人と近しく暮らす者達は新しさを受け入れる力に長けておるゆえ、きっといい方向になろう」

 聖の真剣すぎる眼差しを受け止めながら、澪は明るい結論を導いて話を区切る。座っているのに飽きたのか一息入れたくなったのか、彼女は立ち上がると身体全部を使って大きく伸びをした。

 自分を引き合いに出したほんの一瞬だけ、澪の声はわずかに乱れた。彼女本人が気付かなくても、聖の耳はしっかりと捉えていた。うるみと違って自分は古いのだと澪はさらりと流したが、皮肉っぽく言ったそれが彼女の本音なのかもしれない。

「まだ、不安か」

 返事がないのに困惑し、澪は立ったまま聖を振り向くと首を傾げる。確かにうるみのことについては、充分解決した。と言うよりは応援するしかないという現状が明らかになったので、今はとりあえず、うるみがいい決断をしてくれるように精一杯祈ろうと心に決めた。

 今、聖の心に淀んでいるのは、澪のことだ。彼女と出会ってもうすぐ一年になる。初めて会ったころは透けていた指先も、今はしっかりとそこにある。どこか投げやりにも見えた態度も影を潜めつつある。それでもさっき、うるみについて消えるのも一つだ、と言及したように、あっさりとこちらの世界を――そして、聖を切り離してしまいそうなところも澪にはまだ見え隠れする。

 さんざん逡巡するうちに沈黙に耐えきれなくなり、聖はついに、思い切って澪に尋ねた。

「……澪さまは、いなくなったりはしません、よね」

 悩んでいたうちにすっかり口の中が乾いてしまい、舌がもつれる。しかし、言ってしまったらずいぶん楽になった。一方の澪はきょとんとして聖を見つめていた。深みのある琥珀色の瞳が何度か瞬き、座り込んだままの聖を小さく映す。

「何じゃ。お主、それで曇っておったのか。儂はてっきり、座敷童の身を案じて沈んでおるのかと」

「それももちろんありますけど――」

 口ごもった聖自身、何を言いかけたのかよく分からなかった。

 それきり口を閉ざしてしまった聖の前に、澪はしゃがみこんだ。本当なら聖に当たるはずの早春の冷たい風を、彼女の小さな背がすべて受ける。長い髪が風に吹かれて、聖の顔を撫でた。

「……消えてやらぬよ」

 予想外のせりふに聖は目を見張り、そして彼女に釘付けになった。澪はなびく髪の毛を押さえながら照れたように微笑んでいたが、穴の開くほどの聖の視線に気付くと困ったように俯く。

「そんなに見たとて、面白くはないだろうに」

「あ、ご、ごめんなさい」

 聖は顔を真っ赤にしてそっぽを向きながらも、澪の柔らかな表情と、鈴を転がすような可憐な声とを何度も反芻していた。

 可能な限り、記憶にくっきりと焼き付ける。忘れない。いや――忘れてたまるか。


 翌日は、土曜日だった。朝は相変わらず身が縮むような寒さで、身体を動かさずにはいられない。聖は家を出ると、白い息を吐きながら学校へと走った。

 休日にもかかわらず、校門は幸いにも閉鎖されていなかった。聖は昨日と同じ旧校舎の裏手に回ろうとして――そこで、桜の木の下に小さな赤い人影を目に留め、立ち止まる。

「うるみちゃん!」

『聖お兄ちゃん』

 驚いたことに、うるみは校舎の外、一番桜の幹にもたれて聖を待っていた。

「外に出ても平気なの?」

『うん。これから、お引っ越しなんだもん』

「じゃあ、この校舎は諦めるん……諦めちゃうんだね」

 つい嬉しげに答えてしまい、聖は慌てて言い直した。うるみが引っ越す、つまり生き延びることを選んだのは、聖にとってはいいニュースだけれど、彼女にしてみれば長年の住処を捨てるという辛い選択。安易に喜んではいけないと、気を引き締める。

「引っ越しって、大変じゃないの?」

『初めてだからどきどきするけど、平気だよ。渡り歩くのが、うるみのお仕事だから』

「仕事?」

 聞き返すと、彼女は『いろんなものに、幸せを分けてあげるの』と笑った。うるみはまさしく座敷童なのだと、聖はようやく実感した。心を決めたからなのか彼女の顔からは陰りはすっかりなくなり、出会ったときの無邪気な様子に戻っていた。見ていると、聖にも自然に笑みがこぼれてくる。

「ほんとに良かった。僕、もしかしたらうるみちゃんはこの校舎と一緒に消えちゃうんじゃないかと思ってたから。心配してたんだよ」

『いっぱい考えたよ。でも、この世に生まれたときから決めてたのを思い出したから。人といっしょに生きていくって。……うるみは、お兄ちゃんみたいに素敵な人たちともっともっと出会いたいから引っ越すの。誰もいないなら、ここにいたってしょうがないもん』

 幼い声で、感慨深げにうるみは心の内を打ち明けた。見た目は昨日とまったく変わらないけれど、なんだかひと晩でずいぶん大人になったように見える。

『お兄ちゃんには、お礼があるの。……いちばん早い春を、見せてあげるね』

 うるみはそう言うと、懐からその手に馴染む大きさの、小さな扇を取り出した。広げて持つと、どこで覚えたのか、まるで舞いを踊るように優雅に扇を動かし、一番桜をふわりとあおいだ。暖かさをはらんだ緩い風が、聖とうるみを包んで流れていく。

「……桜が!」

 あるはずのない春の匂いに顔を上げた聖は、そう叫んだまま開いた口がふさがらなくなった。

 灰色がかっていた樹影は、うるみの送る風を浴びたところから清楚な石竹色へと姿を変えていった。固く結ばれ、緑色だった一番桜の蕾が一斉にふくらみ、爆ぜるように開いていく。古木とは思えない生命力を湛えて、桜はみるみるうちに満開になった。

「そうか。毎年、うるみちゃんが咲かせてくれてたんだね」

『そうなの。桜はみんな見てくれたよ。うるみね、みんなが桜を見て笑ってくれるのが好きなんだ』

 舞いを終えて扇を畳んだうるみが、弾んだ声で答えた。まったく裏のない、心からの笑いを浮かべながら。

 もちろん考えただけで実行に移すことはないと思うけれど、こんなにも健気に人間のことを好きでいてくれる妖と一緒に過ごせてみんなは幸せだったのだと、聖は友人たちに今すぐ教えて回りたい衝動に駆られた。例え彼女の存在を知らず、姿を見ることができないヒトでも、一番桜は毎年楽しみにしているだろう。どうにかして彼らにうるみのことを覚えていて欲しい。でも、どうすれば――その答えも、うるみはちゃんと知っていたのだ。

「すごい。……きれいだね」

 聖は涙がこぼれ落ちそうになるのを、桜を見上げてこらえる。とてもじゃないけれど、『お兄ちゃん』は彼女の前ではかっこ悪くて泣けない。

 とんとん、と、うるみは畳んだままの扇で桜の幹を軽く叩いた。するとどういうわけか、特に花が見事な一降りの枝がしなって垂れ下がる。

『それ、聖お兄ちゃんにあげる。うるみと遊んでくれたお礼なの。ここの桜が早く咲くのは今年で最後だから、大事にしてね』

 言われるままに手を伸ばすと、枝は折るまでもなく、自ら木を離れるかのように聖の手の中に落ちてきた。見頃の薄桃色の花がこぼれんばかりに付いていて、甘い香りが漂う。これが夢ではなく現実の出来事なのだと、聖の五感にはしっかりと刻み込まれていった。

「こっちこそ。ありがたく、もらって帰るね」

『うん。……うるみ、そろそろ行かなくちゃ。お兄ちゃん、ありがとう』

 うるみは聖に深々と頭を下げた。結局のところ、聖が彼女に対してできたのは話し相手になったことくらいだったが、それでも役立てたのは嬉しい。

「でも、どこに引っ越しするつもりなの?」

『決まってるよ。……みんなが、いるところ』

 聖の問いにうるみは悪戯っぽく微笑むと、手にしたままだった扇を上げて指し示す。その先には、聖たちが今学んでいる中学の校舎の隣――嘉章が教鞭を執っている小学校があった。

 今度はぺこり、と軽く会釈すると、うるみは新たなねぐらを目指して歩み出した。聖は桜の枝を優しく振りながら、どんどん小さくなっていくうるみの背中を見送る。小学校の校舎の中に消えるまで、彼女はついに一度も振り返らなかった。

 うるみが新しい建物に慣れるのには、そう時間はかからないだろう。この桜が一足早く春の始まりを告げるのは今年で終わりでも、来年からは小学校の桜並木のどれかが新たな『一番桜』となって、人々の目を楽しませるはずだ。

「澪さまに見せに行こうかな」

 家に帰って、枝を挿す瓶と水を取ってこよう。澪が驚く顔を思い浮かべながら、聖はうるみが分けてくれた幸せをしっかりと握りしめていた。

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