百人一首 第六十三首 恋の歌
相田 渚
今はただ 思ひ絶えなむ とばかりを 人づてならで 言ふよしもがな 1
ようやく、ここまできた。
グレースはナンバー5の幹部の証である指輪を摘み、蛍光灯に透かした。
ブラックの指輪は、quintoと彫られているのみで飾りも何もついていない無骨なものだ。おしゃれ目的では誰も見向きもしないだろうが、このちっぽけな指輪を狙う人間は、ウィステリアファミリー内では掃いて捨てるほどいる。
ウィステリアファミリーは、世界有数のマフィアの地イタリアでも一番歴史が古く、力もあるマフィアである。
グレースは、若くしてそのマフィアの幹部、それも五番目の地位にまでのぼりつめた。
いや、グレースの周囲からみて異例の出世スピードではあったが、彼本人の元々の計画からするとナンバー5の幹部になるまで随分時間がかかったように思えた。
ウィステリアファミリーのボスや幹部等上層部は、ほぼ全員がウィステリア家出身者である。
グレースもウィステリア家の出身ではあるが、やむを得ない事情からファミリーにはその事実を隠し、実力のみで一構成員からナンバー5の幹部の地位まで成り上がった。
ウィステリア家の出身として親の地位をそのまま継いでいたら、彼の実力なら今頃はきっとボスの右腕、すなわちナンバー2の幹部になっていただろう。
そう比較すると、グレースが「ようやく」と感じるのは至極当然のことであった。
「ホークです、失礼しまぁす。グレース様、先日頼まれた件について調べがあがってきたんで持ってきました」
ノックの後返事も聞かずにドアを開けた男に、グレースは静かな浅紫の瞳を向けた。
「あ、また指輪眺めてたんですか?いかなる時もその端正なお顔立ちを崩さない氷のようなグレース様でも、やっぱり感慨深いですよねぇ。ここまで来るのに、色んな“努力”をしてきましたし」
かるい天然パーマな金髪を煌かせ、イタリア人らしく陽気に歌うように喋り続けるホークに対してグレースは黙って手を差し出した。
彼はその手に持ってきた書類を渡しながらも、なおぺらぺらと語る。
「やっぱり一番印象的なのは、俺との出会いでもあるグレース様の賭場粛清事件ですかね?」
碧眼を閉じ、うっとりと思い出に浸るホークを放って書類をパラリパラリと捲るグレースだったが、ホークに中てられたのか自然と賭場でのことを思い出した。
当時、グレースはウィステリアファミリーの一構成員に過ぎなかった。子供からやっと青年になったばかりの彼の任務は、数ある賭場の中のほんの一部の賭場の管理だった。
利益を得ること、客をたくさん入れること、警察に見つからないこと、客にあまり勝たせないこと、客の支払いを滞りなくさせること等々。賭場と言えど、様々な仕事がある。
グレースは数ある仕事の中から、その日、とある客の不正を見つけた。
そこにいたのが優れた頭脳と観察力を持った彼でなければ、おそらく発見されなかったであろう些細な挙動だった。
グレースは、一言も声をかけずに、いきなりその客を椅子から引き摺り下ろし殴りつけた。
そして人形めいた端正な顔立ちを歪めることなく、淡々と温度を感じさせない声でその客の不正を理路整然と暴き、彼の受け持つシマで愚かな行動をとる恐ろしさを語りながら、容赦ない暴力を振るい続けた。
相手が息も絶え絶えになってようやく暴行を止めたが、何せ裏口などではなく客のいる賭場での行動だったため、その場にいた者はたとえ不正などしておらずともグレースに震えあがった。
後に事の顛末が人伝てに広まり、彼のシマで不正をしようなどと考える者は現れなくなったという。
「あの時賭場にいた客は皆ビビッてましたけど、同じ客でも俺はむしろあの時グレース様について行こうって思いましたね!つまんない賭場通いなんて辞めてこの人に人生捧げたほうが絶対いいってビビビッときたんですよ」
両手を広げ、キラキラと目を輝かせながらそう言ったホークに、そう言えばあの後くらいから一構成員でしかない自分にずっときゃんきゃんとまとわりついていたな、とグレースは思い出した。
何が彼の琴線に触ったのかわからないが、そんな一方的な出会いにも関わらず、ホークはよくグレースに尽くしてくれた。
常にグレースの傍に控え、汚れ仕事を積極的に引き受けるものだから、彼がグレースの前に現れてからというもの、グレースが自ら手を下すことは少なくなり、専ら指示をくだすことが多くなった。
そうしてホークと共に、味方でさえ恐れるほどの悪逆非道の限りを尽くすという“努力”を積み重ね、グレースはやっとナンバー5の幹部になれたのだ。
だからこそ、この地位を奪う者に容赦しない。
「最近…鬱陶しい鼠がいると思わないか」
書類を机に投げ、グレースは静かに切り出した。
浅紫の瞳に捕らわれたホークは、すっと声のトーンを落とし、彼の言わんとする対象を頭に思い浮かべる。
「あの図体だけは横にデカイ鼠っすよね。もともと何かと難癖をつけてくる奴でしたが、特にここ最近はちょろちょろとうちの動きを嗅ぎまわってるみたいで」
「ああ。鳴くだけの取るに足らない非力な動物だが、つまらんことで足を引っ張られたくない。駆除しておけ」
「了解ですっ」
にやりと笑ったホークの口元から鋭い犬歯がちろりと見える。捕食する獲物を見据えた碧眼からは、陽気さはかけらも見当たらない。
「まるで猟犬だな」
「…それ、鼠の揶揄をもじってます?言っておきますけど、鼠がグレース様を“愛らしい顔付きのペットのワンちゃん”だって色んな奴らに吹聴してること、俺頭にきてるんですからね。グレース様は上層部のえこ贔屓なんかじゃなくて、実力でのし上がってるんだっつの。ていうか、グレース様は犬じゃなくて狼ですよ狼!狼のごとく優れた“鼻”とするどい“爪”と獲物を噛み殺す鋭利な“牙”を持ってるんですから!」
ファミリーの上層部の多くがウィステリア家の出身で固められているが故に、実力のみで一構成員から成り上がっているグレースは、ウィステリア家出身ではない構成員達から、恐れられつつも憧れの的となっている。
それはウィステリア家出身ではないホークが、グレースを尊敬する要因の一つでもある。
反対に、グレースの手腕が気にくわないのは上層部、ナンバー5となった今ではナンバー6位以下のウィステリア家出身の幹部達だ。
特にナンバー6の幹部の男はグレースに何かと突っ掛かり、グレースを蹴落とすきっかけを虎視眈々と狙っていた。
グレースにとっては取るにならない“鼠”ではあったが、鬱陶しいことには違いなく、彼を消す思考に至ったのは極自然なことである。
「別に犬だろうが狼だろうが、構わない。犬も狼も必要なことに気付けて確実に仕留められる動物だからな。お前も犬だの狼だのに拘るのは勝手だが…」
「勿論、獲物はちゃんと仕留めるんでご安心を」
にっと無邪気に笑ったホークに、既に興味を失ったグレースは再び手にした書類に目を落とした。
翌日早朝、ナンバー6の幹部の男が溺愛している一人娘の遺体が発見された。
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