民主主義が自殺すべき日
あなたは何かしらの分野における専門知識を持っているだろうか。持っていないならば、国家を構成する複雑な諸要素を理解することはできない。持っているならば、その諸要素のうちの一つか、もしかすると二つを理解できる。あなたが優秀かつ勤勉ならば、三つ以上を理解することができるかもしれない。しかしともかく、すべてを理解するなどということは不可能である。経済学の天才は数学にも通じているだろうし、法学にも、あるいは歴史にも通じているだろうが、しかし物理学や化学まで理解することはできないだろう。あるいは国際政治学は?そして機械工学は?
もしかすると、万能の人と呼ばれたレオナルド・ダ・ウィンチめいた存在であれば、なるほど全てを理解し差配することもできるかもしれないが、かくのごとき天才に依拠するシステムはシステムと呼ぶことはできない。全てのシステムは属人性から完全に開放されることはできないのであるが、極めて属人性が高いシステムはシステムではなく業績と呼ぶのがふさわしい。そしてまた、このような天才が数多く存在すると仮定することなどは、ありえないことである。
ところで、国家を構成する複雑な諸要素の一部すら理解できないのに、その全てを理解することが可能であろうか。全部は個別の集合ではないというけれども、少なくとも全部が個別の和より極めて小さいということは一般にないのだから、もちろんあなたも、一般人も、私も、これを理解することはできないというのが妥当であろう。そして、理解できない権力は動かしてはならない。経営を理解せぬ人間の経営は労働者を路頭に迷わせるだろう、外交を理解せぬ人間の外交は国民を貧窮させるだろう、そして軍事を知らぬ人間の戦争は兵士を無駄死にさせるだろう。そして、国家を理解できうるほどの、すなわち前述したレオナルド・ダ・ウィンチめいた天才は、その定義ゆえに多数派となりえない。ゆえに、民主主義的選挙によって国家を動かしてはならない。では、なにゆえ?
私はアナーキズムを民主主義と同様に否定する。国家は権力であり、それが無知によって運営されることは悲劇であるが、運営されないことはより惨憺たる事態を引き起こす。
そこで国家を分割せねばならない。全部が理解できぬならば、個別にして理解すればよい。経済の人には経済を、物理の人には物理を。専門家のものを専門家に返すのだ。もちろん全部は個別ではないから、そこに弊害は生まれるであろう。これは一般にセクショナリズムとして知られる問題である。そしてまた更なる弊害も存在するであろう。すなわち、専門家にとって国民のための政治を行うインセンティブが極めて低いという問題である。
我々がセクショナリズムとインセンティブを乗り越えた日。それこそが、民主主義が自殺すべき日である。
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